ミロカロスへと進化した日から、一週間が過ぎた日のことだ。午前中の習い事を済ませ、お昼も済ませた二人は、いつもの公園にやって来ていた。
「ミロカロス、たつまき!」
ミロカロスが長い尾を力強くしならせると、扇のように広がった尾鰭は強い風を生み、それが小さな竜巻となって野生のアゲハントへと向かう。しびれごなを撒き散らしながらミロカロスの周りを飛んでいたアゲハントが、竜巻の風に羽を取られてバランスを崩した。
「今だよ!みずのはどう!」
の指示と同時に、ミロカロスが水を吐く。その水は波紋のように広がりながら野生のアゲハントにぶつかると、派手な音と共にアゲハントを吹き飛ばした。そしてアゲハントが眼を回したのを確認すると、はミロカロスの元に駆け寄る。
「やったね、ミロカロス!」
ミロカロスは疲れ一つ見せない表情で、ふふんと少しだけ得意気な様子を見せた。そんなミロカロスの体を、は撫でる。
「お疲れ様。それにしても、随分と気合が入ってるね」
自分と視線を合わせるように屈んでいるミロカロスにが頬を寄せると、ミロカロスは擽ったそうにふるりと体を震わせながら頷く。
野生のポケモンを倒す際、ヒンバスだった時は使える技が限られていたため時間が掛かる事が多かったのだが、進化を遂げたことで新しい技を使えるようになり、今までよりも大分早い時間で倒せるようになったのだ。
が塾帰りに野生のポケモンとバトルをする場合、あまり遅くなると親に叱られてしまうので、週に一、二日、それも二戦程しか出来なかった。それが、早くバトルを終えることができるようになった分、週に一、二日というのは変わらずだが、四戦は出来るようになったのだ。それはつまり、その分もっと早く強くなれるということで、それがミロカロスには嬉しいのである。
「ミロカロスが頑張るなら、私も頑張らなきゃね」
もっともっとバトルをして、的確な指示や判断が出来るようにならないと。そうが意気込んでいると、不意に声を掛けられた。
「なあなあ、君、俺とバトルしようぜ!」
声がした方へと二人が振り返ると、そこには虫取り網と虫取りカゴを持った少年がわくわくした様子で立っていた。
「えっ、私……?」
「それ以外に誰がいるんだよ」
少年が可笑しそうに笑う。釣られて笑ってしまいながら、はミロカロスと顔を見合わせた。野生のポケモンとはもう何度も対戦をしたが、トレーナーとバトルはしたことがないのだ。思わず戸惑い、どうしようかとが困った顔をすると、ミロカロスが少年の方へと向き直り、やる気に満ちた眼で頷いた。
「君のポケモンはやる気みたいだし、決まりだな!よーし、いけっ!」
少年が勢いよくボールを投げる。すると、鳴き声と共にレディバが現れた。
「頑張って、ミロカロス!」
レディバは小刻みに羽を動かしながら、ミロカロスの様子を伺っているようだ。ミロカロスが、に指示を仰ぐように僅かに振り返る。ミロカロスと目を合わせたは、レディバを指差しながら口を開いた。
「みずのはどう!」
「ひかりのかべ!」
レディバが瞬時に不思議な壁を作り出す。光によって作られたその不思議な壁は、ミロカロスの放ったみずのはどうを遮った。光の壁が阻んだみずのはどうは、レディバに殆どダメージが与えられなかったようで、レディバは涼しい顔をしている。
「よっしゃ!いいぞ!そのまま、マッハパンチ!」
「たつまきでレディバのバランスを崩して!」
先程のアゲハントとの戦いを思い出しながら、が命じる。しかしミロカロスが動くよりも早く、レディバの拳がミロカロスの頬を直撃した。鈍い音が響き、ミロカロスの体がぐらりと僅かに揺らぐ。それを見たが、まるで自分自身が殴られたかのように思わず顔を歪めた。しかしミロカロスは踏み留まると、長い尾をしならせ、竜巻を生み出す。
「レディバ、一旦距離を取るんだ!」
少年は少し焦った様子で指示を出す。レディバも慌ててミロカロスから離れようとしたが、ミロカロスの生み出した竜巻に体を捕らえられてしまった。くるくると竜巻にレディバの体が流される。だが、先程作り出した光の壁が、たつまきからレディバを守っているため、この攻撃も然してダメージは与えられていないようだ。
しかしそれでも構わないような様子で、は竜巻を、何かのタイミングを計るように見つめる。そして、竜巻が消失するという瞬間に、はミロカロスに命じた。
「ミロカロス!たいあたり!」
竜巻の力が弱まり、消失し、眼を回したレディバが宙に放り出される、その瞬間だった。ミロカロスが長い尾で地面を蹴るように跳ぶと、ふらふらとしているレディバの体を吹き飛ばす。
「レディバ!」
少年が、慌てて地面に転がったレディバに駆け寄ると、レディバは完全に気絶していた。よくやったよ、そう言いながら少年はレディバをボールに戻す。
「お前のミロカロス、やるじゃん!」
「ありがとう。レディバもね」
が自分の元へと戻って来たミロカロスの頭を撫でながら笑うと、少年もへへっ、と笑った。それからレディバのボールとは別のボールを取り出す。
「でも、もう一匹の俺のポケモンも強いんだぜ!」
塾での授業を受けながら、は塾に来る前に戦った、少年とのバトルのことを考えていた。レディバを倒した後、少年は「でも、もう一匹の俺のポケモンも強いんだぜ!」そう言ってストライクを出してきたのだ。
光の壁も消え、レディバの時とは比べてみずのはどうやたつまきのダメージもよく通ったが、相手が素早過ぎて、思うように攻撃を当てられなかった。そのため、あと少しという所でとミロカロスは負けてしまったのだ。大慌てでポケモンセンターに駆け込み、そして塾にやって来たのである。
あの時、どういった指示をしていたら勝つことが出来たのだろう。ストライクは飛ばなくても地上を走ることが出来たので、竜巻でバランスを崩した所でしかけるということも出来なかったし……。ぼんやりと考えていると、とんとん、と肩を優しく叩かれ、は慌てて顔を上げた。
「さん。上の空のようですが、大丈夫ですか?」
「あっ……、すみません。大丈夫です」
塾の講師は普段真面目に授業を受けているが、ぼんやりとしているので不思議に思ったようだった。だが、がはっとした様子を見せると、安心したようにまた授業を再開する。
その日、は初めてのトレーナー戦のことばかりを考えていて、あまり授業の内容は頭に入ってこなかった。
塾の帰り道、今日は野生のポケモンとのバトルはお休みにして帰ろう、とがミロカロスと手を繋いで歩いていると、いつもの公園に差し掛かった所でミロカロスがへと眼を向けた。
「なあに、どうしたの」
がミロカロスの顔を見つめると、ミロカロスは少し落ち込んだような様子を見せた。公園へと差し掛かった途端に落ち込んだ様子を見せたので、もしかして今日のバトルのことだろうか。そう考えたは、「今日のこと?」と尋ねた。ミロカロスが頷く。今日、この公園で初めてのトレーナー戦に負けたことを気にしているようだ。
「ああ、あのバトルね。……私もすっごく悔しい。ミロカロスはちゃんと私の指示通りに攻撃をしてくれていたから。だから、私があの時、違う指示をしていたら勝てたんじゃないかって……今日の塾では、授業よりもそればっかり考えちゃった」
が眉をハの字にして笑うと、ミロカロスはが悪いのでは無いと言うように首を横に振ってから、の腕にぐいぐいと頭を押し付ける。
それが何だかミロカロスの自分自身に対する不甲斐無さや、行き場のない自分への悔しい気持ちをぶつけられているようで、はミロカロスの鰭から手を離すと、ミロカロスの首を抱きしめた。
「ミロカロスも悔しいんだよね。さっきも言ったけれど、私も、すっごく悔しい。……でもね、勝負は負けちゃったけれど、何よりもミロカロスも同じように悔しいって思ってくれることが、とっても嬉しい。だって、ミロカロスが悔しいって思ってくれなかったら、一緒に強くなろうって言えないから」
だから、一緒に頑張ろう。がそう言うと、ミロカロスは首を何度も縦に振った。それを嬉しそうには見つめると、再びミロカロスの鰭を手に取り、ゆっくりと歩き出す。
月明かりに照らされて伸びる影を見つめながら、ミロカロスは自分は少し焦っていたのかもしれないと、思った。
を守れるようになりたくて、漸くミロカロスへと進化を遂げたことで、早くバトルの経験を重ねて強くなろうという気持ちばかりが先行していたのではないか。進化を遂げたからといっても、いきなり強くなれる訳でも無いし、自分とはまだまだ経験不足だから、上手くいかないことがあっても当たり前なのだ。
そう思うと先程までの「どうして自分は上手く相手を倒せなかったのか」という苛立ちは溶けるように消え、その代わりに「次こそは倒せるように頑張ろう」と思えた。
勿論、と一緒に、だ。
ミロカロスがすっきりしたような顔で空を見上げると、淡い光を放つ月が眼に入った。二人を見守るように照らす月は、優しく輝いている。