進化を遂げたことで、暫くの間とミロカロスは感動に浸っていたが、そろそろ帰らなくてはいけないことに気が付くと、帰路を辿りだした。


「ねえ、ミロカロス。……痛くない?大丈夫?」

の腕に抱かれて歩くことは出来なくなり、当然のようにと並んで歩いていたミロカロスだったが、公園の出口に差し掛かった辺りで不意にがそう尋ねた。その視線は、地を這うようにして歩くミロカロスの体に向けられている。
ミロカロスは頭を上げ、するすると体をくねらせて蛇のように移動していたのだが、は体が地面と擦れて痛いのではないかと気になったらしい。ミロカロスは歩くのを止めると、首を傾げた。

「あ、ううん。平気ならいいの。ただ、もし痛かったらボールに入って移動した方がいいのかなって気になって」

それを聞いたミロカロスは、ふっと笑うと首を振る。痛くは無かったし、と並んで歩けるようになったことの感動が大きくて、そんなことはこれっぽっちも気にしていなかったのだ。すると、ミロカロスが首を振ったのを見たは安心したように笑った。

「そう?なら、良かった!本当はね、あなたと並んで歩けるようになったことがとっても嬉しくて……、でも、もし痛いのを我慢しているのなら、って思ったから」

ミロカロスは、も自分と並んで歩けるようになったことを喜んでいるのだと知ると、胸が一杯になった。その気持ちを表すように、の体に擦り寄る。すると、突然擦り寄られたたことに驚いた声を上げながら、はミロカロスの体を抱き締めた。ヒンバスだった時は毎日のように抱かれていた腕なのに、の腕の中が何だか新鮮な感じがする。そう思いながらミロカロスが美しい声で鳴くと、も釣られたように笑った。

それからミロカロスは、自分のことを抱き締めるの腕から抜け出すと、眼の上の触覚の後ろから伸びる、鮮やかな桃色の長い鰭での腕を軽く叩いた。

「なあに?」

が不思議そうな表情を浮かべると、今度はミロカロスは口先での手のひらをつつく。そこで漸くミロカロスの言いたいことが分かったは、ミロカロスの鰭の先をそっと握った。

「一緒に並んで歩けるだけじゃなくて、手を繋いで歩くことも出来るようになったんだね」

再び並んで歩き出し、が改めて感動したように呟くと、ミロカロスも頷く。街灯に照らされた夜道に映る二つのシルエットが寄り添うようにしているのを見ると、胸が自然と温かくなるような気持ちになった。




そうして家の近くまでやって来ると、はミロカロスをボールに戻し、鞄の奥底へとしまうと家へ入る。リビングのテーブルでは、いつものように母親が書類を手に難しい顔をしていた。父親はどうやら自室に戻っているようだ。

「……ただいま」
「おかえり。ご飯、温めて食べなさいね」

書類に目を通しながら、いつもの静かな声で母親が言う。は分かった、と返事をすると、自室へ向かった。そして部屋に着いて鞄からボールを取り出すと、ご飯を食べてくるから待っててね、と告げる。ミロカロスは返事をするように、小さくボールを揺らした。




温め直した夕食を母親の向かいに座って食べていると、母親がに話しかけた。

「そう言えば、そろそろまた模試があるでしょう」
「あっ、うん。あるけれど……」

の通っている塾では、月に一度模試があるのだ。今日の塾でも模試について講師が触れていたが、ヒンバスがミロカロスに進化を遂げたことで、そのことをすっかり忘れていたは、少しぼんやりとした様子で答えた。

「ちょっと。そんな調子で大丈夫?」
「大丈夫だよ。ちゃんと勉強はしてるし」
「そう。なら、結果を楽しみにしているわね」

書類に目を向けたまま、母親は僅かに口元に笑みを浮かべる。そんな母親の様子を見つめていたは、知らず知らずのうちに口を開いていた。

「ねえ、お母さん」
「何かしら」
「私───」



───私、ポケモンと旅に出たいの。

そう言いかけて、は言葉を飲み込んだ。私は今、何を言い掛けたんだろう。こんなことを言ったって、駄目だって言われるのは分かりきっていることなのに。そう考えて口を噤んでいると、母親が顔を上げた。

「何?どうしたの?」
「ううん。やっぱり、何でもない」

誤魔化すようにが笑うと、母親は首を傾げながらも再び書類へと目を向けた。右手で持ったペンを忙しそうに動かしている。そんな母親の仕事の邪魔をしないように、は静かに食事を終えると、自室へと戻ったのだった。




自室へと戻ったは、ミロカロスにも食事をさせようとボールを手に取った。ミロカロスはのことを待っていたというかのように、ボールをかたかたと揺らす。そんなミロカロスの様子には思わず笑みを浮かべると、ミロカロスのボールをベッドへと向け、開閉スイッチを押した。

すると、柔らかなベッドの上と言えど、ミロカロスがボールから姿を現したことで、僅かにどすんと床が振動する。ミロカロスはヒンバスだった時、ヒンバスという個体の中でも体が小さかった。しかしミロカロスへと姿を変えた今、いくらミロカロスという個体の中で体が小さい方でも、それでも人間からしてみれば十分な大きさがあるし、体重もヒンバスの頃よりもぐんと増えてしまったのだ。

とミロカロスは顔を見合わせると、ミロカロスはベッドの上で縮こまり、は急いでミロカロスに布団をかけ、部屋の入り口へと向かった。

。凄い音がしたけれど大丈夫か?」

どすんと響いた音が聞こえたのだろう。部屋の外から父親の声が響く。は咄嗟に近くにあった参考書を掴むと、部屋の外に飛び出し、すぐに部屋の扉を閉めた。

「考え事をしていたら、机にぶつかっちゃって……。上にあった参考書とか、落としちゃった」
「気をつけなさい」
「はい」

が頷くと、父親は自室へと戻っていった。それを見送って、同じく自室へと戻ったはほっと息を吐く。すると、布団からもぞもぞとミロカロスが顔を出した。

「ミロカロスになったんだもん。今までと違って当然だよね」

ベッドに腰を下ろし、床に下りたミロカロスの体を撫でながらが笑うと、ミロカロスが少ししょんぼりとした様子を見せた。どうやら、自分のせいでが怒られたと思っているようだ。

「今の、気にしているの?」

ミロカロスは小さく頷いた。くるりと曲線を描く触覚が、元気無く垂れている。はそんなミロカロスの顎を、そっと優しく撫でた。

「全然、気にしなくていいのに。それよりも元気を出して。ミロカロスの元気がないと、私も悲しくなっちゃう」

その言葉を聞いたミロカロスは、の手のひらに頭を押し付けた。それからあの、くうくうと甘えるような声で鳴く。

「ほら。ご飯を食べなきゃ」

そうは言いながらも、もミロカロスをぎゅうと抱き締める。部屋から外に聞こえないよう、二人は目を合わせると笑ったのだった。


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