夕食を終えた後、達はジラーチの希望で222番道路の海へとやって来ていた。

ジラーチが最後に222番道路の海に行きたいな、と言ったからだ。

その言葉を聞いた時、は言葉を詰まらせてしまった。あと僅か数時間で、ジラーチとの別れの時が訪れる、という事実が胸を締め付けたのだ。それでも努めて明るい声でいいよ、と答えると、はジラーチとドンカラスと共に222番道路の海へとやって来たのだ。



夜空は満天の星空だった。今にも零れ落ちそうな程に、美しい宝石のような星達が瞬いている。その星空の下で、すっかり夜の色へと姿を変えた海は静かに揺らめいていた。

「……ナギサの海も好きだけれど、ぼくは222番道路の海が一等好きだなあ」

波打ち際に浮かび、静かに寄せる波を見つめていたジラーチがそう呟いた。

「私はナギサの海も、この海も好きかなあ。それにしても、潮風が気持ちいいね」
「うん!」

ジラーチの傍でが少し波に近寄ると、砂がしゃりしゃりと音を立てた。ドンカラスはほんの数メートル離れた所で、夜空を見上げている。

それから達三人は、他愛も無い話をしながら波打ち際をゆっくりと歩き出した。途中で立ち止まっては珍しそうな貝殻を拾ってみたり、波が寄せるぎりぎりの所に立って寄せる波から声を上げて逃げたりと、ひどく穏やかな時間が流れてゆく。

まるで、この穏やかな時間がずっと続いていくようにさえ、には思えた。



ジラーチとドンカラスがお互いに波を掛け合ってはしゃいでいるのを笑みを浮かべながら眺めていたが、ふと腕時計に目を向けると、腕時計の針は夜の十一時を示していた。それを見たは、夜空を見上げる。

ああ、どうしてこんなにも時間が経つのは早いのだろう。

後一時間。もうすぐ七日目が、終わる。



三人は並んで砂浜を歩いていた。
先程まであんなに絶えず話していたのが嘘のように、三人のうちの誰もが何も喋らず、後少しで訪れる別れを避けているようだった。波の音と、とドンカラスが踏み締める砂浜の音が、夜のしんとした空気の中で心地好く響く。

は地平線の彼方を見つめながら、七日間のことを噛み締めるかのように思い出していた。まだヤミカラスだったパートナーと星を見に行ったこと。そこでジラーチと出逢ったこと。海を見に行ったこと。ヤミカラスがドンカラスに進化を遂げたこと。ノモセシティに行って大湿原で遊んだこと。トバリシティでのこと。そして今日のこと。

このたった七日間での出来事が、やけに眩しく、それでいて少し切なく思えるのはきっと気のせいでは無いのだろう、とは思った。

それから、はあることを考える。それは、ジラーチに伝えるねがいごとについてだった。はもう、ねがいごとを見つけていたのだ。ただ、それをジラーチに伝えていいのか、分からなかった。



ずっと続くかと思われた静寂を不意に破ったのはジラーチだった。夜空の星を見上げていた視線をへと向け、ジラーチは真っ直な視線でを見つめる。

「なあに?」
「……あと、もう少しで、お別れだね」
「……うん」

ジラーチが続いてドンカラスへと視線を移すと、泣きそうな顔で楽しかったなあ、と笑った。それからまた、夜空を仰ぐ。

楽しかったのは、もドンカラスも同じだった。たくさんのことが過ぎ去った今、たった七日間の出来事が全て鮮やかで、掛け替えのないものになっていたのだ。

、ドンカラス。ありがとう。本当に、楽しかった」
「……ううん。私の方こそ、ありがとう」

の言葉に続けてドンカラスも一鳴きすると、ジラーチは夜空を仰ぐのを止め、二人を見て笑みを浮かべた。

。ねがいごとは、決まった?」
「……うん」
「よかったあ」

決まらなかったら、どうしようかと思ったんだよ。冗談めかしてジラーチが肩を竦める。は釣られたように笑い、それから口を開いた。

この七日間の間に、が考えたねがいごと。ジラーチに伝えていいのか分からない願い。

がジラーチにそのねがいごとを伝えていいのか分からなかったのは、それがただの自分の我侭かもしれないからだと思ったからだ。それでも、が心から願うことは一つだった。

の腕時計の長針が、「10」を指す。あと十分で、七日目が終わるのだ。

「最後の最後に、私はジラーチを困らせるかもしれない」

が少し俯いて言うと、ジラーチは眼を細めた。

が心からねがうことなら、いいよ」
「……ありがとう」

が意を決して深呼吸をすると、の隣に立つドンカラスは見守るようにを見上げる。ジラーチの大きな瞳を見つめたは、ジラーチの美しい瞳に映る自分の顔を見て、自分はなんて泣きそうな顔をしているのだろうと思った。

「……私のねがいごとは」
「……うん」

ジラーチがのねがいごとを叶えるためだろう。と同じ目線で浮かんでいたまま、両手を広げた。少しずつその体が淡い光に包まれてゆく。

「ジラーチに、ずっと傍にいてほしい」

がそう告げた途端、穏やかな顔で眼を閉じていたジラーチは、ぱっと眼を開けた。

「……え?」

ジラーチの瞳が見開かれ、驚いた表情を浮かべる。やっぱり駄目だよね。そんな考えが過り、は口にしたことを少し後悔した。だが、ジラーチはそんなの様子を気にも留めず、真剣な眼差しでのことを見つめている。

「……。もう一回言って」
「ジラーチに、ずっと傍にいてほしい」

がはっきりともう一度言葉を紡ぐと、ジラーチが震える声で問う。

「……それがの、心からねがう、ねがいごと?」
「うん。……ジラーチ、私とドンカラスに言ったよね。しあわせになってほしい、って。他の願い事を考えたけれど、駄目だった。この三人で一緒にいないと、きっと私も、ドンカラスも幸せになれないよ」

ドンカラスも静かに頷いた。それを見たジラーチの顔が、泣きそうに歪む。

困らせているのだろう、とは思った。だが、それでもの願うことはそれだけなのだ。このたった七日間の間で、ジラーチはとドンカラスの二人にとって大切で、大きな存在になっていたのである。

「ジラーチに、他のねがいごとも叶えてもらいたくて、一緒にいてほしい訳じゃない。ただ、ジラーチに傍にいてほしい」
「……ぼくのせいでまた傷つくかもしれないよ」
「そんなの平気だよ」
「……ギンガ団に狙われるかもしれないよ。……ううん、ギンガ団だけじゃないかもしれない」
「ドンカラスと私はもっともっと強くなる。それにドンカラスとジラーチがいてくれるのなら、私は怖くないよ」

ジラーチはついに俯くと黙り込んだ。それから、ぼくも、と小さく呟くと、勢いよく顔を上げてに抱き付いた。

「ぼくも、と、ドンカラスと一緒にいたい」
「……うん」
「本当は、にぼくが心から願うことを聞かれた時、ぼくは”とドンカラスとずっと一緒にいたい”って言いたかった。でも、言えなかった。ぼくのせいで何かよくないことがあるかもしれないって思ったから」
「……うん」
「そうしたらやっぱりトバリシティでぼくのせいでもドンカラスも嫌な目に遭ったし、だからもうこのねがいごとは、こっそりぼくの心の中にしまっておこうと思ったんだ」

は何も言わずに、ジラーチの体を優しく抱きしめる。

「本当に、ぼくがそばにいてもいいの?」
「いてもいいんじゃない。いてほしいと私が願うの」

が迷い無くそう答えると、ジラーチの眼から涙が一つ落ち、釣られての目からも涙が溢れた。

「ありがとう。きみに、きみたちに逢えて、本当に良かった」

ジラーチはこの七日間で一番の幸せそうな笑顔を見せると、の腕を抜け出した。そして宙に浮かぶその体が淡い光に包まれる。その光は少しずつ強さを増していき、まるで夜空で輝く星のように何度も瞬いた。

あまりの眩しさにとドンカラスは目を開けていることが出来なかった。は腕で視界を遮る。遮った際に見えた腕時計の長針は「12」の数字を通り越しており、日付が変わったのだということを告げていた。


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