七月のある日、日付が変わってすぐのこと。最後の窓の鍵を閉め、しっかりと戸締りをしたことを確認すると、は玄関で待っていたドンカラスに声を掛けた。
「……行こうか」
ドンカラスは力強く頷く。ドンカラスの頭を一度撫でると、は履いた靴の靴紐をしっかりと結び直した。そして家の中へと振り返る。
「いってきます」
当然ながら、返事は無い。それでもはふっと笑みを浮かべると、玄関の扉を開いた。外に出ると、涼しい夜風が走り抜けていく。そして夜風で僅かに乱れた髪を直しながら玄関の扉に鍵を掛けると、とドンカラスは駐輪場に向かった。
「おそーい!」
とドンカラスが家の外の駐輪場に姿を現すと、自転車のカゴの中で自身が発する光で地図を見ていたポケモンが顔を上げてそう言った。ジラーチだ。
七日目の夜、のねがいごとを叶えたジラーチは、の願い通りあの夜が終わった次の日も、その次の日も、それから何日間かが過ぎても、こうしてとドンカラスと一緒にいた。
「ごめんね。戸締りをしっかりしたか、心配になっちゃって」
「もう、ぼくこの地図を隅から隅まで見たし、ホウエンガイドブックは三回は読み返したよ」
大袈裟にそう言って自転車のカゴにホウエンガイドブックと表紙に書かれた本を入れると、ジラーチはその上に座った。
「えへへ、楽しみ。、本当にありがとう」
「私も楽しみだよ。ね、ドンカラス」
ドンカラスに視線を向けてが笑うと、ドンカラスも肯定するように頷いた。
それからが自転車のサドルに跨ると、ドンカラスは飛び立つ準備をするように翼を二、三度程力強く羽ばたかせる。ジラーチはふふ、と笑い声を漏らすと、カゴの中の縁に捕まった。そうしてドンカラスもジラーチも準備が出来たことを確認すると、はペダルを踏み込んだ。徐々に力を込めて自転車のスピードを上げていき、人気の無い、静かな音を立てて稼働するソーラーパネルでできた道を自転車で走り抜ける。
達三人は、今日、ナギサの街を旅立つ。ジラーチと出逢って四日目の日、がジラーチに心から願うことを尋ねた際、ジラーチが「と、ドンカラスと、たくさんのものを、見てみたい」と言ったねがいごとを叶えるためだ。
ジラーチの一番のねがいごとだった"とドンカラスとずっと一緒にいたい"というものは、それはもうの願いとして叶えられたので、ジラーチのねがいごとを叶えよう、ということになったのである。ただ、まだシンオウ地方はギンガ団のことが不安なので、どうせなら他の地方に行こうと決めたのだ。
ナギサのゲートを抜けて222番道路に出ると、前を向いていたジラーチが僅かに振り返って口を開いた。
「ぼく、あの日、達にあえて本当に良かった」
「……急にどうしたの?」
「そう思ったから」
はすぐ隣を飛ぶドンカラスと顔を見合わせると、笑顔を浮かべた。
「それは、私とドンカラスも思っているよ」
そう告げた時に、は視界の端で何かが光った気がした。思わず自転車を止めて辺りを見回すが、特に何もない砂浜が続いているだけだ。
「あれ?今、何か光ったような気がしたのだけれども。気のせいだったのかな」
が首を傾げると、地平線の彼方を眺めていたジラーチが夜空を指差して声を上げた。
「……!あれ!」
「えっ?」
ジラーチが指差した夜空を見上げると、星が一つ流れた。それもたった一つではなく、一つ、二つ、と流れる星はどんどん数を増す。
「、流星群だよ!」
「凄い……!」
自転車から降りて、は夜空を見上げた。流星群はまるで達の出発を祝い、これからの旅路を照らすかのように眩く流れゆく。
ジラーチと出逢ったあの日のような美しい星空を見上げながら、は何かねがいごとでもしようかと考えて、祈るように胸の前で指を組む。だが、すぐにその指を解いてしまった。
「。願いをかけなくていいの?」
ねがいごとをしようとして、すぐに止めてしまったを、すぐ隣に浮かぶジラーチが不思議そうに見つめている。
「うん。良いの」
「どうして?」
そのジラーチの問い掛けに、は口元に弧を描いて答えた。
「私の願いはもう叶ってる。……それに、今が幸せだから」
ジラーチは顔を綻ばせ、それからの肩にふわりと掴まった。
「ぼくも、しあわせ」
の隣で同じように夜空を見上げていたドンカラスも、穏やかな声で鳴く。
──ああでも。贅沢を言ってあと一つ、あの流れる流星群に願うなら。このみんなで笑い合える幸せがずっと続きますように。が心の中でひっそりと願った幸せに、応えるかのように星が笑った。