昼を過ぎて、が寝室を覗きに行くとジラーチは薄いタオルに包まったままだった。どうやらまだ眠っているようだ。そこでリビングに戻るとテーブルの上にたくさんの木の実を用意し、「ポケモンセンターと買い物に行ってくるよ」というメモを添える。そしてシャワーを浴びて服を着替えると、玄関で待っていたドンカラスと共に家を出た。
外に出るとソーラーパネルに反射した光が眩しくて、は思わず目を閉じた。それからゆっくりと目を開けてみれば、とドンカラスの立つ位置から見えるナギサの海も、同じように光を反射してきらきらと輝いている。
「良い天気だね」
ドンカラスも頷く。磯の香りを乗せた風は、夏の昼間の暑さを和らげてくれるようだった。二人は並んで歩き出す。
ポケモンセンターは自転車に乗らなくても少し歩けば着く距離にあるので、とドンカラスが話しながら歩いていると、すぐに着いた。
そして受付でドンカラスが戻ったボールを渡すと、はポケモンセンター内の隅にあるソファに腰を下ろす。すぐ隣にあるラックから雑誌を適当に選び取ると、ページを捲った。適当に捲ったページの「七夕特集!」という文字が目に入り、そう言えば、とはあることを思い出す。
ジラーチにまだねがいごとをしていないのだ。ジラーチの願うことを叶えようとする余り、すっかりねがいごとを考えるということを忘れてしまっていたのだ。ジラーチと出逢ったのは七月一日で、今はもう六日。ジラーチが起きているのは七日間だけ。それはつまり、ジラーチと過ごせるのは明日が最後だということだ。
「明日で最後、お別れ……かあ……」
思わず口から出た小さな呟きだったが、改めて言葉にすると淋しさが込み上げてきて、は雑誌を閉じると膝の上で小さく震える手のひらを握り締めた。
「さん、ポケモンを受け取りに来て下さい」
ジョーイの声ではっとして、慌てて立ち上がるとは礼を言ってポケモンを受け取った。どうやらドンカラスに特に問題はなかったようだ。早速ドンカラスをボールから出すとポケモンセンターを並んで出ながら、買い物をして帰ろうか、と声を掛ける。ドンカラスは賛成するように鳴いた。
市場で食材を買い込み、それからドンカラスとナギサの海に立ち寄ったは、ジラーチと明日でお別れなのだということをドンカラスと話していた。ドンカラスはジラーチとすっかり親しくなっていたので、明日でお別れなのだという言葉にはっとしたような表情を見せた後、悲しそうに眼を伏せる。
「私、未だにねがいごとが決まらないの」
がナギサの穏やかにたゆたう海原を眺めながら呟くと、ドンカラスは伏せていた眼をへと向けた。
「何を願っていいのか、分からなくて。これじゃあジラーチを困らせちゃうね」
がドンカラスに困ったように笑うと、ドンカラスも困ったように笑った。
ナギサの海原を、そよ風が駆ける。白い入道雲を見上げると少し目の奥がツンとしたような気がして、慌ててはそれを振り払うように首を振った。そして帰ろうか、とドンカラスに声を掛けると歩き出す。
昼過ぎに家を出て、ポケモンセンターに立ち寄り、そして人で賑わう市場で買い物を終えて海に立ち寄ったので、家に着く頃には夕方になっていた。ジラーチはそっと少しそっとしておいた方が良さそうだなと思ったのだが、少し遅くなり過ぎただろうか。そう考えながら、は家の中に入ると部屋の電気を点けた。
「ただいま。ちょっと遅くなっちゃった」
そう言いながらリビングのテーブルに荷物を置くも、返事は無い。とドンカラスはジラーチはまだ眠っているのだろうかと思い、顔を見合わせると寝室へと向かった。だが、そこにもジラーチの姿は見えない。
「ジラーチ?」
とドンカラスが部屋の中をそれぞれ探しても、ジラーチはどこにもいなかった。
「ジ、ジラーチが、いない……」
さっと顔を青褪めさせたがドンカラスを見つめながら呟くと、ドンカラスは玄関へと向かった。もその後を追うと、玄関の扉を開く。それと同時にドンカラスが翼を広げて飛び立った。
「……どう?いた!?」
ナギサの街中を自転車で走り回っていたの元に、空からナギサの街を探し回っていたドンカラスが舞い降りる。自転車を止めたが焦った様子で尋ねると、ドンカラスは首を横に振った。
二人で手分けしてナギサの街の至る所を見て回ったが、ジラーチはどこにもいなかった。ジラーチを探し回って時間だけがどんどん過ぎ、それに比例するように不安が大きくなってゆく。
「ドンカラス、ジラーチはどこにいると思う……?」
ドンカラスも考え込む素振りを見せたが、分からない、と首を捻る。
ナギサの街でジラーチが行きそうな場所は見て回った。それなら、ジラーチはどこに。思考を巡らせるは、ある一つの場所が思い浮かんだ。
「222道路!」
ドンカラスもあっと言うような顔をした後に頷く。222番道路には、が初めてジラーチを連れて行った海があるのだ。が再び自転車を漕ぎ出すと、ドンカラスはその隣に並ぶように飛ぶ。
そうしてナギサの街のゲートを潜り、222番道路に出ると波の音が大きく聞こえた。堤防に殆ど投げ出すような形で自転車を止めると、は慌てて堤防から砂浜に続く階段を駆け下りる。砂浜の砂に足を取られながらも、は全力で走った。その後をドンカラスが追う。夏とは言えど、辺りは少し薄暗い。それでも、波打ち際の砂浜に、見覚えのある小さな姿が見えた。
「み、見つけ……た……」
ジラーチの隣に屈み込んで、息を切らしてが笑うと、ジラーチは驚いた顔でを見つめ、続いてやって来たドンカラスを見つめ、そして俯いた。
「帰ってきたら、ジラーチがいないから驚いたちゃった」
「……ごめんね」
「無事で良かった……。どうしてここに来たの?」
が砂に構わずジラーチの隣に腰を下ろす。ドンカラスもの隣に降り立った。
「ぼく、考えていたんだ」
「……何を?」
そう言うとジラーチは困った顔をしたものの、やがて喋り始めた。
のこと、ドンカラスのこと。とドンカラスにであったこと。初めてであったあの日、とドンカラスはじょうきょうが不利だと分かっていても、危険を知りながらも、ぼくのことを助けてくれた。だから、ぼくはそのお礼にねがいごとを叶えたいと思った。
千年眠って次に眼が覚める時、ぼくは一体どんな場所で眼が覚めるのだろう。どんな人たちにであうだろう。千年前に眠りにつく時、そう思ったから、やドンカラスのようにやさしい人たちにであえたことが本当にうれしかった。ねがいを叶えて、しあわせになってもらいたいと思ったんだ。
でも、昨日ぼくのせいではけがをしたし、ドンカラスも危険な目にあって、しあわせにするどころか、傷つけちゃって。もドンカラスも大丈夫だって言ってくれたけれども、そもそもぼくがいなかったら、巻き込まれもしなかったんだよ。だから、こんな危険な目にあわせるくらいなら、ぼくはとドンカラスにであわない方が良かったのかな、って考えたら、なんだか頭のなかがこんがらがっちゃった。
ぽつぽつと話し、そしてもう一度ごめんね、と謝るジラーチをは抱き上げた。ジラーチはの肩にぎゅうとしがみつく。の肩に触れた小さな手は、今朝のように震えていた。
「……ジラーチがどう思っても」
「……うん」
「私たちはジラーチに逢わなければ良かったなんて思わないし、思ったりしないよ」
「……うん」
「ジラーチに逢えて良かったって、思ってるよ」
「……うん」
「だから、逢わない方が良かったなんて思わないで」
「……う、ん」
ジラーチがぐすぐすと鼻を鳴らした。ドンカラスもの言葉に同意するように、ジラーチの顔を覗き込むと優しい声色で鳴く。ジラーチは暫くの間泣き止まず、はそんなジラーチの背中をあやすようにぽんぽんと優しく叩いた。
「、ドンカラス、……ありがとう」
ジラーチの言葉にもドンカラスも笑い、釣られる様にジラーチも涙を拭って笑う。辺りには夜の波の音だけが、静かに響いていた。