名前も分からないそのポケモンは、が森に行くといつも森の入り口にある背の低い切り株の上にちょこんと座っていた。そしての姿を眼にすると、あのふさふさの尻尾を大きく振るのだ。それに応えるようにが駆け寄りながら手を振ると、そのポケモンは切り株の上でぴょんぴょんと飛び跳ね、そして切り株の前で足を止めたはそのポケモンの身体を抱き上げる。そしての頬をそのポケモンが一舐めし、がその擽ったさに声を上げて笑う。それらの行動は二人の挨拶の代わりのようなものになっていた。
が森に行く日は最初は週に一、二日程だったが、日を追う毎に段々と増え、二ヶ月も経つ頃には毎日のように森へと遊びに出掛けるようになっていた。親は相変わらず多忙のためが森に遊びに行っていることは気付いていないようで、が毎日のように外へ遊びに行くのも、誰か友達が出来たのだと思っていたようだ。
そしてはその友達であるポケモンと、森でたくさんの時間を過ごした。ポケモンに案内をされた花畑でバタフリーの群れと戯れたり、そのポケモンにが花冠を作ってやったり、またある時は森の中の小川で水遊びをしたり、木の実を並んで座って齧ったりと、二人は飽きることの無い時間を一緒に過ごしたのである。しかし、それだけの時間を過ごしてもにはそのポケモンの名前が分からなかった。どうやらそのポケモンはこの地方では珍しいポケモンのようだったのだ。
ある日のこと、その日も森の入り口で合流した二人は今日はどこへ行こうかと話しながらぶらぶらと森の中を歩いていた。時折ひらひらと舞い落ちてくる木の葉を捕まえようとが手を伸ばすと、木の葉はその手をすり抜けて隣を歩いていたポケモンの鼻の頭に触れる。途端にポケモンはくしゅんと大きな嚔をした。それを聞いたが可笑しそうに笑うと、ポケモンは恥ずかしそうにううっ、と小さく唸る。はそのポケモンの小さな唸り声に余計に笑い声を響かせた。
「ごめんね、あまりおおきなくしゃみだったから」
が笑いながら謝ると、ポケモンは態とらしくつんとそっぽを向いた。あれ、おこったの、とが少し困ったように尋ねると、ポケモンはへらりと笑った顔をへと向ける。それを見たはふふ、と釣られたように再び笑い声を溢したのだった。
「それにしても、どこにあそびにいこうかなあ」
ポケモンはを見上げると、尻尾をゆらゆらと揺らした。それからの周りをくるりと駆け回ると、きゃん、と元気な声を上げる。
「なあに?またどこかすてきなところへつれていってくれるの?」
そのポケモンはふふん、と鼻を鳴らすと、少し気取った様子で歩き出す。それを見たは、笑顔を浮かべてその後についていった。
暫く歩いて漸く辿り着いた場所で、は足を止めると感嘆の声を漏らした。森の奥、木々の間を抜けて辿り着いた場所。そこには古く朽ち果て屋根が落ち、壁だけになってしまった小さな小屋があり、その傍を小さな川が流れ、小屋と川の周りを美しい鮮やかな花達が大勢で囲んでいるまるで庭園のような場所だった。
ポケモンは小屋へ続く花の道を通ると、恐らく昔は扉があったであろう壁の間から小屋の中へと入った。その後にも続く。小屋の中はがらんどうで、真ん中にぽつんとぼろぼろになったテーブルと椅子があるだけだ。ポケモンは椅子の上に飛び上がると、そこで伏せた。向かいの椅子にが座ると、古びた椅子は少し不格好な音を立てる。
「こんなところがあったんだね……。おはながいっぱいで、とってもきれい」
が屋根の無い天井を見上げて森を見回しながら言うと、ポケモンはふふん、と得意気な顔をする。それから大きな尻尾をゆらゆらと揺らした。
「もしかして、ここがあなたのおうち?」
そう尋ねると、ポケモンはこくりと頷く。このポケモンと出逢ってから二ヶ月程が経つ訳だが、自分の棲み処へと招待してもらえると思っていなかったは、思わずえへへ、と笑い声を溢した。
「なんだか、とってもうれしいの」
親の転勤によってころころと変わってしまう周りの環境に馴染めず、ずっと寂しい思いばかりをしていたはこうして誰かの家へと遊びに行ったりすることも無かった。これが初めてだったのだ。がありがとうとはにかむと、ポケモンはの笑顔に釣られるように、へっへといつもの様子で笑った。
それから徐にポケモンはぴょんと椅子を飛び降りた。一体どうしたのだろうかと見つめるの視線の先で、そのポケモンは小屋の隅に生えている背の低い木に近付き、密集する木の葉の中に頭を突っ込むとすぐに引き抜く。ぽきりと音がしたかと思うと、そのポケモンの口には短く折られた枝があった。枝には木の実がいくつか成っており、ポケモンはその枝を啣えたまま再び椅子へと飛び上がる。そしてテーブルに前足を掛けると、テーブルの上へと木の枝を置き、を見上げて尻尾を振った。
「……くれるの?」
ポケモンは勢いよく首を縦に振る。それからずい、との方へと木の枝を前足で押した。
「ありがとう!」
が枝から木の実を一つもぐと、ポケモンも器用に枝を前足で押さえ付けて木の実を一つもいだ。果肉は柔らかく、甘酸っぱい味のとても美味しい木の実には顔を綻ばせる。ポケモンはの様子に満足そうな顔をすると、齧りかけだった木の実に再び口を付けた。
「わたし、あなたとともだちになれてよかったなあ」
もぐもぐと口を動かしながら、ポケモンがを不思議そうに見つめた。その視線に、が照れ笑いをする。
「だっていくらおいしいきのみでも、ともだちといっしょじゃなかったら、こんなにおいしいっておもわないよ」
それを聞いたポケモンは、ぱちぱちと大きな眼で瞬きを数回した後に笑顔で頷いた。それから口の中の木の実を全て飲み込むと、機嫌良くふんふんと鼻歌を歌い出す。実の所、ポケモンにとっても友達が出来たのは初めてだったのだ。時折川や花畑で一緒に遊ぶ相手はいるが、それは大抵その時偶然出逢ったポケモンで、こうしていつものように遊ぶ相手はいなかった。だから、そんな相手に「友達になれて良かった」と言われて嬉しかったのである。それが例え、自分達ポケモンとは決定的な隔たりのある、人間だったとしても。