が目を覚ましたのは、随分と日が高くなった頃だった。

 ゆっくりと顔を上げたは、窓のカーテンの向こう側から差し込む光を、寝ぼけ眼で捉えた。どうやら嵐は完全に過ぎ去ったようで、賑やかな鳥ポケモンのさえずりが聞こえる。
 そういえばベッドに突っ伏して寝てしまったのだと、少しだけ筋肉が強張った首に手を当てて、はポケモンに目を向ける。

 どうやらポケモンは随分先に起きていたらしく、と視線がぶつかると、ひゅわんと控えめに鳴いた。

「おはよう。どう? しっかり休めた?」

 の問いかけに、ポケモンがこくりと頷いて毛布から抜け出した。からだの調子を確かめるように、ベッドの上に浮かび上がると伸びをする。その表情は、心なしか眠る前よりも随分と明るくなったように見えた。

「よしよし。それならよかった!」

 壁に掛けられた時計が示す時刻は十三時を過ぎたところで、それを確認したは、もうすっかりお昼だね、なんて言おうとした。だが。

「あー!」

 突然の大きな声に、ポケモンの肩が跳ねた。「驚かせてごめん」と謝ったものの、の顔は引きつっている。ただならぬ様子に、ポケモンが一体何事かと問うように首を傾げた。

「き、きのみを……」

 数日前に埋めたんだけど、まさか嵐が来るなんて。絞り出すようなの声に、ようやく状況を理解することができたらしいポケモンが玄関の方を指し示した。

「……いや、うん。そうだね……とりあえず状況を確認しないと」




 昨日とは打って変わって晴れ渡った青空。吹き抜ける風は涼しい。
 外に出た二人は、まだ乾ききっておらず、ところどころぬかるんでいる箇所を避けながら家の裏手に回った。二人の姿を見るや否や、大量のムックルたちが一斉に飛び去っていく。舞い上がった風に、の髪が揺れた。

「げっ」

 が思わず声を漏らす。家の裏手の庭は、彼女の想像通りの大惨事であった。

 モモンの実を筆頭に、柔らかいきのみの殆どは地面に落ちて潰れていた。
 潰れた実の一部は泥と混ざってぐちゃぐちゃだ。地面に落ちても辛うじて原型を留めていたものは、ムックルたちが啄んでしまったのだろう。あちこちに食べかけのきのみや、その残骸が散らばっている。
 
 ──そういえば起きた時、鳥ポケモンのさえずりがいつもよりも賑やかだった。
 寝覚めの時のことを思い出して肩を落とすの横で、ふわふわと浮かんでいたポケモンは一本の木に近寄った。緑色の、けれどところどころが青色になりつつあるきのみがいくつか成っている木だ。

「……ええっと、それはモコシっていうきのみの木。実がなっているけれど、食べ頃にはまだ少しだけ早いかな。もっときのみ全体が青色になったら食べ頃だよ」

 かたいきのみでモモンなどよりは雨風に強く、食べ頃前だったがために、野生のムックルたちに啄まれることもなかったモコシの実。
 が指を差して説明すると、ポケモンはくるくると喉を鳴らした後に、一つのモコシの実にそうっと触れた。
 ポケモンはのことばを理解しているのか、食べ頃前のきのみに口をつけることなく、物珍しそうに匂いを嗅いだり、つんつんと指先でつついてみたり、きのみを観察しているようだった。

 その様子を横目に、この惨状をどうにかしてしまおうと決意したは、箒やちりとり、ホースなどの掃除用具一式を持ってくると、掃除を始めたのだった。



 庭の端でひっくり返っていたコンポスタを元の場所に戻し、そこに拾い集めたきのみの残骸を突っ込んで、はふうと息を吐き出した。
 飛ばされてきた木の枝や何のものかも分からない破片が片付いた庭は、完全に元通りとは言えないものの、掃除を始める前に比べて随分すっきりとしている。

 あとはそこらの泥汚れを軽く水で流して、終わりにしよう。そう考えたは、普段水やりに使用している散水ホースを握りしめると、蛇口にしっかりとつないだ。さあ蛇口を捻って──というところで、その肩を後ろから叩かれた。

「……わっ、びっくりした。きのみの観察は終わったの?」

 の肩を叩いた犯人──青と白のポケモンが、ひゅわんと鳴いた。
 どうやら彼の好奇の対象は、いつの間にかきのみからへと移ったらしい。赤い目が、の顔と彼女の手にあるホースを行ったりきたり、さ迷っている。

 はやわらかく微笑むと、蛇口を捻った。ホースの先からミストが吹き出すと、ポケモンの目がキラキラと輝く。
 ねだるような目で見つめられたは、ホースをポケモンに向けた。ミストを浴びたポケモンが、気持ちよさそうに目を閉じて喉を鳴らす。ミストの中で、ポケモンが踊るかのようにくるくると回った。

 
 ポケモンが満足するまで水遊びに付き合い、その後泥汚れを落としたがホースを片付けて庭に戻ると、ポケモンは辺りを見回していた。そよぐ風の匂いを嗅ぎ、少しだけ落ち着きがない。

「何か探し物? それとも、何か気になるものでもあった?」

 が尋ねると、振り返ったポケモンが首を振る。

「……そう。それならいいけれど……。ところで、あなたはどこから来たの?」

 この辺りでは一度も見かけたことがないや。そうが続けると、ポケモンはあからさまに困ったような顔をした。

「もしかして、分からないの? 昨夜の酷い嵐で、迷子になっちゃったとか?」

 ポケモンが、小さく頷く。

「迷子、迷子かあ……。うーん、帰り道が分からないんじゃ、どうしようもないか。とりあえず、あなたがどこから来たのか分かるまで、私の家にいる?」

 が提案すると、分かりやすいほどに顔を輝かせたポケモンが、喉を鳴らして飛び上がった。



 嬉しそうにぐるぐると宙返りを繰り返すポケモンを眺めながら、は考えていた。それは勿論、このポケモンについて、だ。

 ──この辺りでは一切見たことがないこのポケモンは何なのだろう。
 種類名は検討もつかない。それに、今はもうないけれど、昨夜はあった無数の傷。傷の手当てをする時に気付いたことだけど、あれは鋭い爪によってつけられた切り傷だった。おまけに牙による歯形も付いていた。今は元気そうだからまだ良いけれど──そこまで考えて、は止めた。
 分からないものはいくら考えても分からないだろう、と思ったのだ。

「ねえ!」

 未だ庭の上空で飛び回っているポケモンに声をかけると、ポケモンは素直にの元へとやって来た。

「お腹空いちゃったね。ごはん食べよう」

 ポケモンの赤い目が、今日一番の輝きを見せた。


 家の中に戻ったは、自分にはシリアルを、ポケモンにはきのみを用意した。
 味の好みが分からず、いろんなきのみを適当に盛り付けたカラフルな皿を目の前に置くと、ポケモンが待ちきれないといった様子で舌なめずりをする。

「それにしても、せめてあなたの名前が分かればいいのに」

 苦い味は好みではないのか、チーゴの実を端に避ける作業を始めたポケモンが、きのみに目を向けたまま首を傾げた。

「そうしたら、あなたがどこから来たのかすぐに調べられるんだけどなーって思って」

 ポケモンはモモンとマゴの実を両手に持ち、ぱくぱくと勢いよく食べていく。あっという間に口の周りを桃色の果汁まみれにしたポケモンは、二つのきのみを食べ終えると、今度はロゼルの実を手に取った。

 あんまり急いで帰りたい訳でもないのだろうか? のんきな様子のポケモンを眺めながら、はシリアルをスプーンですくった。
 かけたモーモーミルクを吸いすぎて、シリアルはふにゃふにゃになっている。これ以上ふやけてしまうのもな、と思ったは少し急いで食事を終えたが、その横でポケモンはまた違うきのみを手に取った。

 明日は甘いきのみだけにしよう。
 甘いきのみだけがなくなった皿を見て、はそう決めたのだった。


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