「これね、ここの庭で育てている木の実なの。どれか食べたいの、ある?」
オレンにモモン、クラボにカゴ、さらにはマトマやモコシなど、様々な木の実が横たわるスリーパーに見えるよう、皿を僅かに傾けて見せたが尋ねると、スリーパーはぷい、と小さく顔を背けた。昼にも同じように尋ねたのだが、何も変わらない反応には思わず眉尻を下げる。
「お腹がすいたら教えてね」
そう言っては自分の夕食に手をつけたのだった。
スリーパーがの用意した木の実に手を付けたのは、その次の朝のことだった。僅かな水しか口にしないスリーパーに、怪我を早く治すためにもしっかり食べないと、と、が少し強めの口調で言ったのだ。人間の用意した物を口にするなんて、と思っていたスリーパーだったが、の言うことは最もであった。その為、傷を治して一刻も早く此処を立ち去るためにも、今は体力をつけて傷を治すことに専念しようと考えたのだ。そんなスリーパーの考えを知らないは、スリーパーが差し出した木の実を口にしたことにより、顔を綻ばせたのだった。
スリーパーの傷は日が経つに連れて少しずつ治っていった。それでも傷が多すぎるので、全ての傷が完治するまでにはまだまだ時間が掛かりそうだ。しかしスリーパーとが出逢ってから一週間もすれば、傷は酷いものの痛みだけは全身に響くようなものから部分的な痛みへと変わっていたので、スリーパーはゆっくりと歩くことが出来るようになっていた。
スリーパーがベッドからそっと起きて立ち上がると、昼食を済ませて開け放たれた窓に遊びに来ていたムックル達がどうしたのかと首を傾げる。そんな彼等をちらりと見遣ると、スリーパーは花屋の様子でも見に行こうかと、と、告げた。ムックルやマメパト達はよくこうして遊びに来るので、僅かな会話をする程度にはスリーパーも警戒心を解いていたのだ。だがとはポケモンと人間、ということもあってか、未だ少し警戒したままである。
あまり高くない階段をゆっくりと下りてゆくと、微かに甘い花の香りが漂ってくるのが分かった。つい、鼻がぴくりと動く。ここに運び込まれた時、スリーパーは気を失っていたし、眼を覚ました後も傷が痛むので花屋の様子を見るのは今日が初めてだった。
階段が残り数段という所で、レジカウンター内が先ず眼に入った。そして様々な花が咲くプランターが綺麗に並べられているのも見える。階段を下りきれば、開け放たれた正面のガラス細工が施された両開きの扉の外で、が客に向かって美しい花束を渡している所が見えた。それを笑顔で受け取った客は、花束に顔を近付けると尚顔を綻ばせる。それを見て、も満足そうに笑った。そして軽くお辞儀をした客を見送ると、は店内へと足を向ける。そこでスリーパーに気が付いたは、驚いた顔をするとぱたぱたと店内へと走って来た。
「スリーパー!起きて大丈夫なの?痛くない?」
店の名前が小さく刺繍された緑色のエプロンを整えながらが尋ねると、スリーパーはぎこちなく頷いた。
「そう、安心した。良かったら、自由に見てていいよ 」
ずっとベッドに寝てたから退屈でしょう?そうが笑うと、スリーパーはもう一度頷いた。スリーパーが頷いたのを見ると、は店先の花の世話をするからと、再び店先へと向かう。の後ろ姿を暫し見つめると、スリーパーは店内を歩き出した。
店内には赤から青まで、実に様々な花が並んでいた。一つ一つが鮮やかな花弁をふわりと開き、どれもが甘い香りを放っている。花だけでなく、緑の葉ですら艶やかであるのは、が朝から毎日丁寧に世話をしているからか、とスリーパーは思った。不意に店先の方へと視線を向けると、はしゃがみ込んで何かに話し掛けている。一体何をしているのかと店先に向かうと、は野生のチョロネコにブリーの実を差し出している所だった。差し出されたブリーの実にチョロネコは顔を近付けると匂いを嗅ぎ、にこにことした笑顔で齧りつく。ごろごろとチョロネコの喉が鳴った。
「スリーパーも食べてみる?」
チョロネコの頭を撫でながら、すぐ傍に立つスリーパーへと目を向けたが尋ねると、スリーパーは少し悩む素振りを見せた。だがしかしそんな様子を見ていたチョロネコに、とっても美味しいから食べてみればいいのに。毒なんか入ってないわよと笑われ、稍あった後にスリーパーは頷いてみせた。するとは立ち上がり、店先に置かれた深めのプランターに生えているブリーの木から一つ実をもいだ。そしてそれをスリーパーへと差し出す。スリーパーは差し出されたブリーの実をまじまじと見詰めた。昼時の高い太陽から降り注ぐ陽射しで、ブリーの実は艶々としたその実を強調している。それからスリーパーはそっと実に手を伸ばすと、チョロネコと同じように齧り付いた。柔らかな食感と共に、甘さと渋さが口の中にじんわりと広がる。ついスリーパーも眼を細めた。
「気に入ってくれたみたいで良かった!ブリーの木はいつもここにあるから、好きな時に食べていいよ」
それを聞いてスリーパーは首を傾げた。このブリーの木に成るブリーの実は、売り物ではないのかと思ったのだ。ブリーの木を指差して不思議そうに首を傾げるスリーパーにも不思議そうな顔をしたが、少しの間を置いて何と無く言いたいことが分かったのか、ああ、と声を漏らした。
「こんな美味しい木の実を売ってますよ、っていう、言わば試食みたいな物だからね。すぐに実が成るし、庭でもいろんな木の実を育ててるから大丈夫だよ」
野生のポケモン達もよく遊びに来てくれるんだ、とは笑った。
「あっ、ほら。今度はチュリネが来てくれたみたい」
スリーパーが振り返ると、少し離れた所で二匹のチュリネが物陰から顔を覗かせている。が手招きするとチュリネ達はぴょこぴょこと跳ねるように近付いてきて、の足元へと擦り寄った。
「ちょっと待っててね」
そう言っては店内へと戻ると、レジカウンターの内部から何かを持って戻って来る。戻って来たの手にあったのは、ゼニガメの形をした如雨露だった。そしてそれに店の入り口横にある水道で水を並々と注ぐと、水道横の白く丸い小さな石が敷かれた所でチュリネ達に水を掛ける。如雨露で水を掛けられたチュリネ達は、きゅうきゅうと嬉しそうに声を上げ、そしてぷるぷると身体を震わせた。
「時々、水浴びをさせてくれって遊びに来るんだよね」
水浴びをして満足そうに立ち去っていったチュリネ達を見送りながら、が頬を緩めて呟く。そんなの言葉を聞きつつ、スリーパーはのような人間もいるのかと思った。森から滅多に出ず、珍しく森から出たと思えば人間とポケモンに追い立てられたスリーパーは、野生のポケモン達と親し気にするが新鮮に感じられたのだ。───もしあの時森の入り口にいた人間が彼等では無く、のような人間だったら、自分はこんなに傷付くことも無かったんだろうか───そこまで考えて、過ぎたことはもうどうにもならないのだと、思い返すと虚しくなるあの月夜のことをスリーパーは考えるのを止め、そして店内へと戻っていった。
店内へとスリーパーが戻ると、丁度マメパトとムックルがやって来た。先程のチョロネコと同じく、ブリーの実を食べに来たのだ。
「……スリーパーは、どうしてあんなに酷い怪我をしてたのかな」
がブリーの実を二つ採りながら、店内へと戻っていった時のスリーパーの物悲し気な背中を思い出して呟くと、ムックルとマメパトは困った様に首を傾げたのだった。