スリーパーがに助けられてから三週間程が経った頃には、スリーパーもと大分打ち解けていた。が変わらぬ態度で自分に接することや、野生のポケモン達にもとても懐かれていることから、漸く心から敵では無いと思えるようになったのだ。そしてスリーパーの傷は小さなものはすっかり治っていたが、それでも大きな木の根や岩にぶつけて出来た深い傷は、未だに治ってはいなかった。それでもに見付けられた当初に比べれば、かなり良くなった方である。

この日、スリーパーは店内でゼニガメの形をした如雨露でに指定された花達に水を遣っていた。傷の手当てをしてもらった礼にと、スリーパーは少しずつ花屋の手伝いをするようになっていたのだ。花屋に訪れる客も最初はスリーパーを見た時は驚いていたが、小さなこの町ではどの客も常連のようなもので、今ではスリーパーを見掛けると声を掛けてくれる。スリーパーの方も最初は声を掛けられる度に驚き、少し怯えるような素振りを見せていたが、今では声を掛けられれば小さく頷くようになった。

「スリーパー、何と無く最近楽しそう」

店先の花の手入れをしながら、すぐ傍にいたメブキジカには笑い掛ける。このメブキジカは、の家にスリーパーを運ぶのを手伝ってくれたメブキジカだ。に木の実をねだるついでに、スリーパーの様子を見に来たのだ。に先程貰ったパイルの実を食べながら、メブキジカは眼を細めた。酷く傷だらけだったスリーパーの姿を見ているので、今ああして元気そうにしているのが野生のポケモン同士と言えど嬉しいのだ。すると丁度そこに、水遣りを終えたスリーパーがやって来た。そして他に何か出来ることはあるだろうか、と首を傾げる。

「水遣りありがとう。あとは……そうだなあ。庭からモモンの実をいくつかと、ナナの実を持ってきてくれる?」

そう言うとスリーパーは頷き、如雨露を片付けてから庭へと向かう。そんなスリーパーの後ろ姿を見送ってから、はふふ、と笑みを溢した。最初は全く打ち解けることが出来ないのかと心配していたが、スリーパーが少しずつ打ち解けてきてくれたことを、はとても嬉しく思っていたのである。

その日の夜、夕食を済ませた後ではスリーパーを外へと誘った。いつぞやのように月が美しい夜だ。外へと出た二人は、庭へと向かった。そしては庭にあるガーデニングチェアへと座ると、もう一つのガーデニングチェアへ座るようにスリーパーへと促す。スリーパーがガーデニングチェアへと座ったのを確認すると、は月を見上げながら口を開いた。

「スリーパーはさ、」

に声を掛けられ、スリーパーはへと眼を向ける。それからの言葉の続きを待つようにをじっと見詰めた。

「傷が治ったら、やっぱり野生のポケモンとして自分の棲み処に帰る?」

続けられたの言葉に、スリーパーはほんの少し動揺した。最初の方こそ傷が治ったらさっさと出ていこうと考えていたが、思えばスリーパーの棲み処の傍の街には、スリーパーを追い立てた人間達が住んでいるのである。いつまたああして追い立てられるのかは分からないが、もうあの森は絶対に安全であるとは言えないのだ。

「スリーパーがどうしてあんなに酷い怪我をしたのかは聞かないけど」

そこまで言って漸くは月を見上げるのを止め、スリーパーへと目を向けた。

「何か帰り辛いような理由があるなら、ここにいたらどうかなあ」

そうが笑うと、スリーパーは驚いた様に眼を瞬かせた。まさか、ここにいていいと言われるとは思わなかったのだ。恐ろしい人間が傍にいる元の棲み処と、温かな人間やポケモン達がいるこの小さな町。二つを比べれば、自ずと答えは決まっていた。

「ふふ、決まり、だね。改めてよろしくね」

スリーパーが頷いたのに対してそう言ってが手を差し出すと、スリーパーは首を傾げた。そんなスリーパーの様子に、こういう時はこうするの。と、が笑ってスリーパーの手を取り握手をすると、スリーパーは漸く合点がいった様で、そっとの手を握り返したのだった。

■■■


スリーパーがと出逢ってから一ヶ月程が過ぎた日のことだ。その日、は二階の部屋の掃除をしており、何かあったらすぐに呼んでね、と伝えて店番をスリーパーへと任せていた。

店先でプランターの並び替えをしていたスリーパーは、水を遣ろうかと如雨露を取りに店内へと戻り、それからまた店先へと出てきた。その時だ。

「……よう。探したぞ」

がらんがらん、と、スリーパーの手から離れ地面に落ちた如雨露が音を立てる。あの夜スリーパーを追い立てた人間の一人が、同じくスリーパーを追い立てたグラエナを二匹引き連れてそこに立っていたのだ。あの夜の恐怖が蘇り、スリーパーの足が自然とがくがくと震え始める。

「……まさかこんな小さな町の、花屋なんて所にお前がいるとはな。お前みたいな危険なポケモンは、野放しにしておけない。連れていくぞ」

どうすれば最善の策になるのだろうか、と、スリーパーは考えた。───催眠術でも掛けて町から出て行かせるか?しかし、振り子はベッドのサイドテーブルの上にある。何より何の解決にもならない。だからと言って、ここで何もせずに連れていかれるのか?ああ、どうしたら───呆然と立ち尽くすスリーパーの腕を、男が掴んだ。腕を掴む手に込められた力の強さが、スリーパーへの憎しみの強さを現していた。何もしていないと言うのに、とスリーパーは眼の前の男を見詰める。それに気が付いた男は、何だその眼は、と怒気を含んだ声で言った。



「……一体、何の御用でしょうか?」

突然後ろから聞こえたの声に、スリーパーは振り返る。そこには今までに見たことの無い、あからさまに敵意を剥き出しにしたがいつの間にか立っていた。が声を掛けたためか、男が愛想笑いを浮かべてスリーパーの腕を放す。するとはスリーパーを庇う様にスリーパーの前に立ち、自分より背の高い男をぐっと見上げた。

「貴女がこの花屋の店長で?」
「……そうですけど。このスリーパーが、何か?」

が無愛想にそう答えると、男は口を開いた。

「単刀直入に言おう。このポケモンは、非常に危険だ。ここから離れた街の子供達を誘拐したんだ」
「スリーパーが……?」

は驚いた様な声で呟いた。その声に、スリーパーはもこの男の言葉を信じてしまうのだろうかと俯く。所詮ポケモンと人間は言葉が通じないのだから、自分がそんなことはやっていないと言った所で、そうスリーパーが考えた時だった。

「それは確かなことなのでしょうか?」

凛とした迷いの無い声で、はっきりとが尋ねたのだ。

「……つまり?」
「誰かが、このスリーパーが子供達を連れ去る所を見たのかと聞いているんです」

男は少し言葉に詰まった様だった。しかしすぐに、森の入り口でスリーパーが子供達を連れて来たのを見たんだ、と反論する。

「それは連れ去った所では無く、子供達を連れてきた所、でしょう?」
「だから……」
「この町にも森があります。小さい子供達なんて好奇心旺盛で、親の言うことも聞かずにこっそりと森に入る子がいますけど、あなた達が誘拐された、と騒ぐ子供達もそうだったのでは?」

淡々とした口調でがそう言うと、男はぐっと表情を歪めた。いつの間にか少しずつ集まってきたムックルやマメパト、メブキジカにチュリネ、そしてチョロネコやミルホッグとヤナップ達が、とスリーパーを心配そうに見詰めている。

「スリーパーは」

がスリーパーへと不意に振り返った。スリーパーは不安そうな眼でを見詰め返す。するとは大丈夫だと言うように、スリーパーの手を取るとぎゅう、と握り締めた。

「スリーパーは、子供達を助けてあげたんじゃないの?」

が尋ねると、スリーパーは小さく頷いた。すると、は再び目の前の男へと目を向ける。

「自分達の責任を他人に押し付けて、挙げ句棲み処から追い出して。私からしたら、スリーパーを追い立てた貴方達の方がどうかと思いますけれど」

そうが言い切ると、周りに集まっていた野生のポケモン達が揃って頷いた。野生のポケモン達は、数日前にスリーパーからあの夜のことを聞いていたのだ。一体どうしてあんなに酷い傷を負っていたのか、と。はスリーパーの傷の理由を知っていた訳では無かったが、この町でも森で迷った子供をメブキジカやオオタチが連れてきたことがあった。その為今この男の話を聞いた際に、もしかしたら、と思ったのだ。何より、ここ一ヶ月スリーパーと一緒に暮らしてきて、このスリーパーはそんなことをするとはどうしても思えなかったのだ。

「……だが」
「まだ私達の大切な友達に文句を付けるつもりですか?さっさとお引き取り下さい。迷惑ですから」

そうが言うと同時に、野生のポケモン達がそうだと言わんばかりに騒ぎ出す。男はそれにたじろぐと、小さく舌打ちをしてから踵を返した。その後をグラエナ達が困った様に追っていく。それらを見送ると、はスリーパーへと目を向けた。

「……もう、きっと大丈夫だよ」

スリーパーはの言葉に泣きそうな顔をして頷く。自分の無実を信じてくれたことは勿論のこと、大切な友達、というの言葉が、そして野生のポケモン達がそれを肯定してくれたことが、何よりも嬉しかった。そんなスリーパーの様子に野生のポケモン達は眼を細める。そしてスリーパーに何かあったらすぐに助けるから、そうスリーパーに告げてそれぞれの棲み処へと帰っていった。

■■■


感謝を伝えたい相手に贈る花があるのだと知ったのは、花屋のレジの後ろに並ぶ本を読んでいる時だ。グラシデアと言う花らしいが知っているかと尋ねると、店先で日向ぼっこをしていたミルホッグは森に一番詳しいメブキジカなら知っていると思う、と答えた。ブリーの実を食べに来たチョロネコと、水浴びをねだりに来たチュリネを尻目に、森へと向かう。森に着くとオオタチに案内を頼み、メブキジカの元へと辿り着いた。

グラシデアかあ。森を抜けた先に咲いていたと思うけれど。そうメブキジカが呟くと、樹の上から現れたヤナップが、ああ、スボミー達がよく昼寝をしてるあの場所の花か、と頷く。メブキジカ達にその場所への案内を頼むと、彼等は快く頷き、そのグラシデアの花が咲く場所へと案内してくれた。

案内された場所は、一面桃色の花が咲く花畑だった。これが、グラシデア?そう尋ねると、突然花の間から姿を現したスボミーがそうよ、と笑う。感謝を伝えたい人に贈る花、でしょ?そう尋ねられて頷くと、スボミー達は沢山摘んでいくと良いよ、と再び花の間に姿を消した。

■■■


朝から散歩に出掛けたスリーパーが戻ってこないので、は二階の部屋で漸く終わった作業の後片付けをしながら、窓から外を覗いた。すると近くの木にムックルとマメパトが止まっているのが見えたので、声を掛ける。

「スリーパーどこに行っちゃったのかなあ」

スリーパーを見掛けていない二羽は、揃ってこてりと首を傾げた。釣られて首を傾げたは、一階へと向かう。すると丁度店先にスリーパーの姿が見えたので、手に持っていたあるものをレジカウンターの内部に隠しつつスリーパーへと声を掛けた。

「おかえり!散歩はどうだった?」

そう言ったは、何やらスリーパーが両手を後ろに隠しているので、再び首を傾げる。するとスリーパーはの言葉に頷きつつ、両手を差し出した。その手には鮮やかな桃色の花束があった。グラシデアの、花束だ。

「この花……、グラシデア、だよね」

花屋をやっているのだから、グラシデアの花の意味は知っていた。───感謝を伝えたい人に贈る花だ。両手でそっと花束を受け取ったは、グラシデアの花の香りを嗅いだ。控えめな甘い香りに、思わず顔が綻ぶ。

「ありがとう。とっても嬉しい!」

そう言ってが笑うと、スリーパーも満足そうに眼を細めた。そしては花束を暫くの間嬉しそうに見詰めていたが、そうだ、と思い出した様に声を上げると、レジ横にあった透明な花瓶に丁寧に活け、ふふふ、と笑いながら先程レジカウンターの内部に隠したあるものを手に取った。

「私からも、プレゼントがあるの」

に差し出されたものを驚いた表情で受け取ったスリーパーは、まじまじと見詰めた。何処かで見たことのある緑色だ。丁寧に折り畳まれたその布を広げると、それは店の名前が特別にスリーパーと同じ黄色の糸で刺繍されたエプロンだった。更にエプロンに付いているポケットには、可愛らしい花がいくつか刺繍されている。

「スリーパーの為に作ってみたんだけど、どう?」

スリーパーはの言葉に何度も何度も嬉しそうに頷くと、自分の為にと特別な刺繍が施された特別なエプロンをぎゅうと抱き締めた。贈り物という温もりは少しずつスリーパーの心を包んでゆく。そしてスリーパーは、嬉しそうに笑ったのだった。達を見守るように、透明な花瓶に活けられたグラシデアの花達が、店先から入り込んだ柔らかな風に揺れている。

酷く、太陽が眩しい昼下がりのことだ。



(おわり)


20130607/


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