金色の矢が射貫いたもの
昼下がりのナックルシティのカフェ。案内された窓際の席に腰を下ろし、スマホで何となく見始めたのは野生のポケモンの生きざまを追いかけるドキュメンタリー映像だ。
海を越えて長い旅をするスワンナの群れ。ナエトルからドダイトスへの数年がかりの成長の記録。日常では見る機会のないそれらの映像は、ついつい時間を忘れて見入ってしまうほどに面白い。
注文してすぐに運ばれてきたヒメリタルトはほぼ手付かずのまま、セットで頼んだホットココアもすっかりぬるくなってしまっている。ドダイトスが新しい棲み処を求めて森を移動する様子が流れたところで、一度スマホをテーブルに置いた。
長いこと皿の縁に放置していたフォークでヒメリタルトの端を切り取って口に運ぶ。タルトの上を飾る宝石のように輝くヒメリのコンポートはヒメリの特徴「いろいろな味がぎゅっとつまっている」を更に濃縮したものになっていて、口に入れた瞬間はほんのりと辛さを感じたもののすぐに甘酸っぱい感覚へと変わった。
味の変化を楽しみながらタルトを食べていると、いつの間にか映像の主役はドダイトスからバルジーナへと変わっていた。
太い樹の枝に止まり、じっと地上を観察するバルジーナへカメラがズームアップする。触れたことのない桃色の皮膚の質感が分かる程にバルジーナの横顔が画面いっぱいに映し出された。黒く縁取られた赤い目が、画面の向こうで獲物を求めて爛々と輝いている。
やがて静かに飛び立ったバルジーナは、青空に円を描くように旋回し始めた。どうやら、彼女は獲物を見つけたようです――冷静なナレーションの声。旋回の後、急降下したバルジーナの鋭い爪が草むらから飛び出した小さなカラカラを捕らえた。
思わず映像を流していたアプリを閉じた。野生の世界では当たり前の光景だけど、この映像を眺めながら食事の続きをする気にはならなかったのだ。
残りのヒメリタルトを食べた私は、ぬるいどころかすっかり冷えてしまったココアを飲み干すと席を立った。
レジでの会計の際に、カウンターに置かれていたクッキーの袋が目に留まった。どうやらタポルのみを使ったクッキーらしく、添えられたポップには丸い文字で「ひともポケモンも食べられます!」と書いてある。赤いリボンのラッピングが可愛らしいそれをじっと見つめていると、このカフェのマスコットでもあるマホミルがカウンターの上にぷかぷかと浮かびながら鳴いた。
マホミルの声に、レジに向けていた目をこちらへ寄越した店員が言う。
「それ、つい最近発売したばかりの新商品なんです。よろしければお一つ、いかがですか?」
「……じゃあ、一つお願いします」
店員とマホミルに見送られてカフェを出た私は、六番道路方面に向かって歩きながら鞄に入れた小さな紙袋に視線を落とした。紙袋の隙間から赤いリボンが覗いている。
本当はクッキーを買うつもりなどなかった。ただ、何故かこのリボンに目を引かれただけなんだけどな。そうは思ったものの、タポルのみのクッキーがどんな味なのかは気になるからまあいいか。なんて考えながら歩く。
そうしてナックルシティの端の方に佇む自宅に着いた私は、そのまま家には入らずに小さな庭へ続く玄関脇の細い通路に向かった。
家の庭には一本の木が生えている。花を咲かせる時期を過ぎてしまって、今はもう緑色の葉だけになってしまったハナミズキ。細い通路を抜けると、そのハナミズキの木陰に赤色が見えた。
鋼のからだと大きな二つのはさみが特徴的なポケモン、ハッサムだ。私の足音を拾ったのか、緑の葉の重なりを見上げていたハッサムが振り返る。すう、と金色の目が細くなったのが見えた。
ハッサムと出逢った日――その日は確か、二、三日ほど雨が降り続いた日だったと思う。
また今日も雨で困ったな。なんて思いながら庭に面した窓に近付いたところ、白く曇る窓の向こうに見慣れない赤を見つけた。何かと思い、ガラスを指でなぞる。クリアになった窓の向こうに見えた赤色の正体。それが、ハッサムだった。
庭のハナミズキの下で屈んでいるハッサムは、どうやら雨宿りをしているらしかった。大した雨避けにはならないが、ないよりはマシ、なのだろう。
それにしても野生のハッサムなんて珍しいな。どうしてこんなところに。そう思ってしばらく様子を眺めていたけれど、ハッサムは窓越しの私に気が付くことなく、降り頻る雨をじっと恨めしそうに睨んでいた。
ハッサムといえば、一度敵と認識したら粉々になるまで容赦なく叩き潰すだとか、なかなかに物騒なポケモンだ。こちらの存在を認識していないのなら、そのままそっとしておこう。きっと雨が止んだら、姿を消すだろうし。
そう思ったのだけど。雨はそれからも止まず、結局五日もの間降り続いた。木陰で雨宿りをしていたハッサムは、五日間、そこから動かなかった。
六日目の朝、相変わらず雨は降っていた。庭に面した、白く曇った窓。その向こうにはやっぱり、少しだけ見慣れてしまった赤があった。
ぼやける赤いシルエットを見つめながら私は悩んでいた。夜の間は分からないけれど、私が気付いたあの日から、見た限りではハッサムはそこから動いてないのだ。微動だにしないハッサムは、飢えているのではないか。空腹状態で気が立っていたとしたら、こちらに気が付いた時に襲ってくるのではないか。そんなことを考える。
窓の前をしばらくうろついて、悩みに悩んだ私は玄関に向かった。
空腹で気が立ったハッサムが何かの拍子に危険なことをするかもしれないと心配したのもそうだけど、何より、もしここで何もしないで次の日の朝にでもハッサムが倒れていたとしたら。私はきっと、何もしなかったことを後悔するだろうなと思ったのだ。
傘を差し、玄関から庭に回る。ハッサムはやっぱり同じ場所にいた。さあさあと降る雨の向こうで、私の足音に気が付いたハッサムがゆっくりと顔を上げたのが見えた。薄暗い表情に思わず息を飲んでしまう。
「あの」
刺激しないように、できるだけ静かにハッサムに声をかける。
「……その。あなた、ずっとそこにいるよね?」
ひとのことばを理解してくれるだろうか、と思いながら言葉を続けた。ハッサムは、こちらを見据えている。六日もの間、ひたすら雨を睨んでいた金色の瞳を見つめ返しても、何一つ感情は読み取れない。
恐る恐る一歩を踏み出して様子を伺う。ハッサムが瞬きをする。ハナミズキの葉の隙間から落ちた雨粒が、赤い瞼の上で跳ねた。
ハッサムは眉間にしわを寄せたが、はさみを持ち上げて威嚇、なんてことはしなかった。ただ静かに息をしてこちらを訝しそうに見ている。意を決して私は更に歩み寄った。
ハッサムとの距離はもう、手を伸ばせば届きそうなものだ。
「ここじゃ雨宿りにもならないよ。家の中に入ったら」
私のことばはハッサムに伝わったようだった。驚いたように、金色の目が微かに丸くなったのだ。
薄暗い顔をしていたハッサムが「驚き」の感情を表したことに無性にほっとした私は、「きのみもあるんだ」と笑った。あなたの好きな味かは分からないけれどね、と言葉を付け足す。
からだを濡らす雨粒に煩わしそうな表情を浮かべたハッサムがゆっくりと立ち上がる。屈んでいた時には感じなかったけれど、目の前に立たれるとなかなかの威圧感があった。
「おいで」
そうして家の中にハッサムを招き入れた私は、雨が上がるまでいたらいいよ、と彼に雨を凌げる場所を提供したのだった。
もしかしたらトレーナーとはぐれてしまったポケモンなのではという可能性も考えたが、やっぱりハッサムは野生のようだった。トレーナーは? はぐれちゃったの? それらの私の質問に、ハッサムはゆっくり首を横に振ったのだ。
どこからかやってきて、この辺りに流れ着いて、他のポケモンたちと縄張り争いでもして。体力が減っているところでこの長い雨に降られたのかな。そんな勝手な想像を巡らせながら、私はできるだけ多くのきのみを差し出した。
やはり空腹だったらしく、用意したきのみをあっという間に平らげたハッサムを見ながら、手を差し伸べて正解だったな、なんて息を吐く。この凄まじい食べっぷりからするに、何もしなかったら本当に明日の朝には倒れていたかもしれない。
満足するまで食べたのか、追加で差し出したきのみが半分ほどになったところでハッサムは手を止めた。
「どう? お腹いっぱいになった?」
私の問いかけにおずおずとハッサムが頷く。
「……そう。それなら、よかった」
安堵した私が笑うと、ハッサムも釣られたように気の抜けた表情を見せた。
長い間降り続いた雨が止んだのは、それから二日後のことだった。
雨を凌げる場所を提供したからか、きのみをあげたからか、雨に濡れた鋼のからだが錆びないようにと拭ったからか。どうやら私はハッサムに懐かれたらしかった。
その証拠に、雨が上がった後もハッサムは今日のように時々庭に姿を現すようになったのだ。
「ハッサム、こんにちは。また来てたんだね」
つやつやとした緑色の隙間を縫ってハッサムに到達した日射しが、鋼の体を縁取っている。それが少しだけ眩しい。
「よかったら、一緒に公園に行かない?」
突然の提案にも関わらずハッサムが素直に頷いたのを見て、「よし、それじゃあ早速行こう」と告げて今来た通路を引き返すと、彼が羽ばたく音が微かに聞こえた。通路を抜けたところで私の隣に並んだハッサムは、羽ばたいて地面を滑るように移動するのを止めると、しっかりとした足取りで歩き出す。
道すがら、先ほどカフェで買ったクッキーを鞄から取り出した私はそれをハッサムに見せた。
「これね、さっきカフェで買ったんだ。タポルのみのクッキーだって。公園に着いたら一緒に食べてみない?」
私のことばを理解したハッサムが、賛成だと言うように少しだけ顎を引いた。
ナックルシティの、六番道路に続く道の途中にある公園。バトルコートも備えられているそこそこの広さの公園だ。
ハッサムと並んで公園の入り口に立つと、サイドンとトリトドンの二匹がバトルをしているのが見えた。見たところトリトドンの方が優勢らしく、サイドンは少し苦しそうな表情を浮かべている。
バトルコートから離れたところにあるベンチに向かい、ふたりで並んで腰を下ろすと私は再び鞄からクッキーの袋を取り出した。赤いリボンを解いて、中からクッキーを一枚取り出す。表面に散らばった砂糖の粒が、宝石のようにキラキラと輝いた。
私のひとつひとつの動作を目で追っていたハッサムにクッキーを差し出す。ハッサムはぱちぱちと数回目を瞬かせた後、そっと口をつけた。さくりと気持ちのいい音が耳に届く。
私も同じようにクッキーをかじる。タポルのみのクッキーの味は想像していたよりも甘酸っぱい味だった。
「タポルのみ、初めて食べたけれど食べやすくて美味しいね。……ハッサムはどう?」
バトルコートで展開されるバトルを眺めているのかと思いきや、どこか違うところを見つめているハッサムに声をかける。ハッサムは静かに振り返り、満足そうに頷いた。どうやらハッサムも美味しいと感じてくれたらしい。
次のクッキーを差し出したところで先ほどハッサムが何を見ていたのかが気になって、彼の向こう側に目を向けた。
公園にはいくつかのベンチがある。先程ハッサムが視線を向けていた先――ここから少しだけ離れたベンチには、男女が座っていた。
はにかんだ女性は膝の上にカジッチュを乗せていて、赤く艶やかな丸いからだを優しく撫でている。一方の男性は、ここからでも分かるほどに顔を真っ赤に染めていた。
ああ、と思った。恐らく、男性が女性にカジッチュを贈ったのだ。片想いの異性にカジッチュを贈ると、恋が実る。そんな噂をカフェで過ごしている時に聞いたことがあった。
これ以上見るのは失礼だと思い、目を逸らした私はハッサムに視線を戻した。ハッサムはあの二人の間に何が起こっているのか理解できていないようで、不思議そうな表情を浮かべている。
「人間は思いを伝える時に、カジッチュを贈ることもあるんだよ」
そうすると、その恋は実る。そういうおまじないがあるの、と潜めた声で言う。ふうん? とハッサムが首を傾げた。にんげんは変わっている、そう言いたげな顔だ。どこからそういう噂が生まれるんだろうね、なんて話しながら、タポルのみのクッキーが無くなるまで私とハッサムは並んでベンチに座っていた。
ハッサムの様子が何だかいつもと違うことに気が付いたのは、それから数日後のことだった。
庭の草木に水を遣っていると、背の高い茂みの向こうからハッサムが姿を現した。ハッサムが庭に遊びに来るのはいつも唐突なので驚いてしまう。
つい、「うわ、びっくりした」と声を上げた私に、肩を揺らしたハッサムが申し訳なさそうな表情を浮かべる。大丈夫、そう言いながらハッサムの手元を見た私は首を傾げた。
「わあ、すごいたくさんのヒメリのみだね。そんなに持って、一体どうしたの?」
ハッサムが両手で抱えきれないほどのヒメリのみを持っていたのだ。抱えられた山ほどのヒメリのみはどれも食べ頃のようで、微かな甘い匂いを漂わせている。
「……これ、全部私に?」
ヒメリのみを観察するのを止めてハッサムを見上げる。すると気恥ずかしそうに視線を逸らしたハッサムが頷いた。
「ありがとう。すごく嬉しい!」
お礼を伝えると金色の目に優しい色が滲み、つい胸が温かくなる。それにしても、どうしてこんなにたくさんのヒメリのみを私に? そう考えてある一つの考えに辿り着いた私は口を開いた。
「あっ、もしかして……この前のクッキーのお礼?」
そう問いかけた私に、珍しくそわそわと落ち着きのない様子のハッサムが一瞬困ったような顔をした。
あれ、違ったかな。私の声に、少しの間を置いてハッサムが首を振る。
ハッサムの様子に首を傾げながら、きのみを入れるのによさそうなカゴを持ってくるね、と私は家の中に戻った。
そういえば、最近どこかでヒメリのみに似た何かを見たような気がしたけれど、何だったかな。そんなことを思いながら、丁度よさそうなカゴをキッチンで手に取った私はハッサムの元へと戻ったのだった。
山ほどのヒメリのみをもらった日から何日も過ぎたけれど、ハッサムの様子は相変わらず「何だかいつもと違うもの」だった。
まず、何か考え事をしているのか話し掛けても上の空なことが増えた。それから時折何か言いたげな顔をするようになった。金色の瞳をこちらに向けて口を開き、はあ、と短い息を吐いて、またきゅっと口を閉じるのだ。
どこか具合が悪いのかと尋ねても、そうじゃないのだと首を振られてしまう。だというのにここのところあまり食欲もないようで、ハッサムが特に気に入っていたはずのザロクのみを差し出しても彼は前ほどたくさん食べなくなった。
庭の芝生に腰を下ろし、ハナミズキの幹に背を預け本を読んでいた私は、同じく隣に座るハッサムを盗み見た。恐らく無意識に、小さなため息を漏らしたのが聞こえたのだ。
堪えきれず、読んでいた本に栞を挟んで傍らに置くと私はハッサムへと向き直る。緑の葉が風に揺れる様子を見ていたハッサムが驚いた表情で振り向いた。
「……ハッサム、最近何だか変だよ。どうしたの?」
赤色の腕に触れ真っ直ぐに見つめて問いかけると、ハッサムは少したじろいだ。視線を落ち着きなくさ迷わせて、俯いて、それからまた私を見た。
「私に何か伝えたいことでもあるの?」
金色の瞳をこちらに向けて口を開き、はあ、と短い息を吐いて、またきゅっと口を閉じる。今までに何度か見たハッサムの仕草。それらを思い出しながら尋ねる。
ハッサムはかぶりを振って、けれど散々悩む様子を見せた後に一つ頷いた。
「なあに?」
ハッサムが意を決したように喉を鳴らす。それと同時に、僅かに眼光が鋭さを増したように見えた。それを見た私は何となく、ハッサムのこころの触れてはいけない部分に触れてしまったんじゃないかと思った。
そう思ってももう遅く、ハッサムは大きく息を吐き出すと私の伸ばしていた足を割るように片膝をつき、更には私の足の両側に自身の最大の武器である鋼鉄のはさみを置いた。ずいと身を乗り出したハッサムの顔がとても近いところにあって思わず少し仰け反ると、後頭部にハナミズキの幹が当たる。今のこの状態は、ハッサムの後ろから見たら、まるで彼が私に覆い被さっているようにも見える体勢だ。
「ええっと、その……」
金色の目に射竦められながら、ふと、彼に山ほどのヒメリのみをもらった時のことを思い出した。
そういえば。ハッサムが山ほどのヒメリのみを抱えて持ってきた時、何か似たようなものを見た気がすると思った。あの時はそれが何だったかすぐに分からなかったというのに、何故か今、このタイミングでその答えが分かってしまった。
赤と黄色のまるいかたち。てっぺんから伸びる二つに分かれた緑――二人で公園にいた時に見た、女性が膝に乗せていたカジッチュだ。
『人間は思いを伝える時に、カジッチュを贈ることもあるんだよ』
そうすると、その恋は実る。そういうおまじないがあるの。公園でハッサムに説明した、自分の言葉を思い出す。
続けて、私へヒメリのみを差し出したハッサムの様子も。気恥ずかしそうに視線を逸らしたり、珍しくそわそわと落ち着きのない様子。
まさか。ハッサムは私のことを――。
ハッサムが左手で自身の体重を支え、右手を固まったように動けないでいる私へ伸ばす。目玉模様のついた真っ赤なはさみの先端が、そっと頬に触れた。このはさみで、こんな風に優しく触れることができるのだということを知らなかった私は目を見開く。
「ハッサム、そこを……」
そこをどいて。そう言いたかったのに、真剣な目を向けられて、言葉は溶けてしまった。
私の顔を覗き込むようにして目線の高さを合わせたハッサムが、私の額に自分の額を静かに触れさせた。燃えるように赤い鋼のからだは、反してとても冷たくて、触れたそこから私の体温を奪っていく。
どうしていいか分からずに閉じた瞼の向こうで、ハッサムがまた、微かに動いたのが分かった。ややあって、冷たい何かが額に押し当てられる。恐る恐る目を開くと、赤い鼻先が触れたのだと言うことが分かった。
「は、ハッサム……」
震えた声で思わずもう一度名前を呼ぶと、閉じられていた赤い瞼が持ち上がる。
ハッサムの眼差しは、いつかドキュメンタリー映像で見たバルジーナの目を思い起こさせた。爛々と輝く、獲物を狩る側の目。
けれど、あのカメラの向こうでカラカラを捕らえたバルジーナと私を捕らえているハッサムの目で決定的に違うのは、金色の瞳が身を焦がしてしまうほどの熱を帯びているということだ。
相変わらず動けないままでいる私の頬にハッサムが鼻先を寄せた。私の体温を奪い、少しだけぬるくなった鋼の輪郭はまたすぐに離れていく。
額に、その次に頬と、何だかまるで許される境界線を探っているようだと思った。
何をしたら私が怒り、拒否の姿勢を見せるのか。私の頬から離れたハッサムの、伏せられた目に少しだけ怯えるような色が滲む。
何となく、次は唇に触れられるのだろうと察しがついた。
どうしたらいいんだろう。どうしてあなたが泣きそうな顔をしているの。あれこれ考えても、何ひとつ分からない。でも、お願いだから、そんな焦がれるような目で見ないでほしいと思った。
でないと、もう逃れられないと悟った心は、きっとこの運命を受け入れてしまうから。
(金色の矢が射貫いたもの/20201218)
お台箱の「ハッサムとのお話が読みたいです!!!!」と「ハッサムに惚れられた話を…」より。