狐と狐の化かし合い
 一体キュウコンは何処に行ってしまったのだろう、とは途方に暮れていた。事の起こりは、今より数十分程前に遡る。

 とキュウコンは暖房が効いた暖かな室内で、二人穏やかな時間を過ごしていた。しかしこれといって何かをする訳でも無いので、気晴らしに散歩にでも行こうとなったのだ。そして外に出てみれば、まだ空に昇る陽は高く風も吹いていなかった為、冬にしては暖かい日だと笑顔を浮かべ、二人は並んで歩き出した。そうして最初は何度も通った事の有る道を歩いていたのだが、途中で分かれ道に差し掛かった時のことだ。

「この道を左に行ったら大通りの方だけど、右に行ったら何があるの?」

 は分かれ道の真ん中で、それぞれの道の奥を見つめながら呟いた。

「さあ……。外に出る時は何時もと同じ方へ行きますから、私も存じませんね」
「だよねえ」

 ううん、と悩んだ様には声を漏らすと、右の道へと足を向けた。その様子を見たキュウコンは、の顔を見上げる。

「此方へ行かれるのですか」
「行ったこと無いし、気になるじゃない」

 わくわくとした表情を浮かべたに、キュウコンは確かに気にはなりますが、と漏らす。そしての目をじっと見詰めると、それなら、と言葉を付け足した。

「知らない道を進む訳ですから、呉呉も私の傍を離れないで下さいね」



 そうして二人が知らない道を進んでいると、軈て道の両脇には木々が並び、前方には森が広がった。遠くでは、何か鳥ポケモンの美しい囀りが響いている。季節は冬なので、木々には微々たる葉が繁っているだけであったが、春なんかには美しい緑の葉が青々と繁るだろう。しかし今の季節の冬は冬で、前に降った雪の解け残りが積もり、白く色付いた木々の静寂さが美しいものである。それらを眺めながら、来て良かった、ととキュウコンは顔を見合わせた。

「こんな森があったんだね」
「そうですね。空気も綺麗ですし……」

 そう答えたキュウコンの顔が、突如鋭さを帯びた。どうしたのかと問うに、キュウコンが静かに、と制止を掛ける。正に、その瞬間だった。一瞬辺りの景色がぐにゃりと捩曲げた様に歪むと、次の瞬間は一人になっていたのだ。そうして今に至る。

「キュウコン、どこ?」

 が不安気な様子で呼び掛けると、の背後でぱきりと小枝の折れる音がした。それに驚いたは、びくりと肩を揺らして振り返る。するとそこにいたのは、の探していたキュウコンだった。

「キュウコン!急にいなくなるから心配したじゃない!」
「悪いな、何か野生のポケモンがいたと思ったんだが……」

 その言葉を聞いたは、思わず眉間に皴を寄せた。そして静かに一歩後退る。その様子を見たキュウコンは、こてりと首を傾げた。

「どうした?早く帰ろう」

 はもう一歩後退ると、意を決して口を開いた。

「……貴方は誰?」
「何を言って……」
「貴方は、キュウコンじゃない」

 がはっきりとそう言うと、キュウコンの紅色の瞳がすっと細まり、それからにたりと不気味な笑みを浮かべた。
 一方と逸れたキュウコンは、を探していたが、何かの気配を感じ取ると足を止めた。

「一体何の御用で?」

 キュウコンが声を発すると同時に、キュウコンの身体に何者かの鋭い爪がずぶりと突き刺さる。するとキュウコンは、おやおやと驚きながら、背中から突き刺さり胸へと貫通した爪を見詰めた。

「それが私だとでも」

 それからすぐ傍にあった木の陰からキュウコンが姿を現すと、何者かの爪に貫かれたキュウコンはゆらりと揺らめいて消えた。

「……身代わりか」
「ご名答」

 キュウコンはすっと眼を細めると、眼の前いるポケモン───ゾロアークの姿を見詰めた。闇の様に黒い身体に、赤い鬣が妖しく揺らめいている。先程急にと逸れたのは、間違い無くこのゾロアークが原因だ、とキュウコンはゾロアークを睨み付けた。

「私と一緒に居た人間は」
「……さあな」
「そうですか」

 きっ、とゾロアークを見据えたキュウコンが青白い不気味な炎を吐くと、ゾロアークの姿は影の様に消えた。するとゾロアークの影分身のあった場所で、キュウコンの吐いた鬼火が弾けて消える。そして辺りを探る様にキュウコンが見回すと、キュウコンの背後にあった木の陰からゾロアークが姿を現した。しかしゾロアークの気配にキュウコンが振り向いた時にはゾロアークはキュウコンの正面に回っており、キュウコンは咄嗟に身を捩ったものの、騙し討ちは避け切れず横顔をゾロアークの鋭い爪が掠った。ぱらりとキュウコンの体毛が宙に舞い、陽の光を受けてそれは金色に光る。そしてゾロアークはキュウコンの顔を掠った手とは反対の手で、そのままキュウコンの首を掴んだ。僅かにみしりと骨が軋む様な音がする。

「良いのですか」

 苦しい表情も見せず、キュウコンの紅色の瞳が細まる。それを見たゾロアークがしまった、と思った時には、キュウコンが息を吸い込み、そして真っ赤に燃え盛る炎を吐き出していた。



「……中々やるじゃないか」
「貴方こそ」

 未だに燻る様な音を立てる鬣を撫で付けながら、ゾロアークは隈取りの施された眼を至極楽しそうに細めた。キュウコンはそんなゾロアークを、油断ならない様子で睨み据える。

「一緒にいた人間を探しているんだろう。……来い」

 ゾロアークはキュウコンに向かって手招きをすると、くるりと背を向けて歩きだした。キュウコンはゾロアークに付いてゆくか否か迷ったが、少しの間を置いてゾロアークの後を追う。そうして辿り着いたのは、倒れた大木のある場所だった。ゾロアークは足を止めると大木の洞を指差したので、キュウコンはそこをそっと覗く。すると、そこには大量に積まれた落ち葉の上で眠るがいた。

「……!」
「……う、うーん……?あれ、私……」

 キュウコンの声に、はうっすらと目を開けた。それから目を擦ると、キュウコンの姿を見て目を見開く。

「……キュウコン?本物なの?」
「そいつは本物、お前が探していたキュウコンだ」

 ゾロアークが腕を組んでそう言うと、は驚いた様に肩を竦める。しかしそんなを安心させる様に、キュウコンはの頬に擦り寄った

、探したんですよ。無事で良かった」
「気付いたら逸れちゃってて……ごめんね。それにしても、えっと……貴方はゾロアークだよね?貴方はどうして私達にこんなことを?」

 そうが尋ねると、ゾロアークは溜め息を吐いた。それから組んでいた腕を解くと、やれやれという動作をして見せる。

「近頃、訳の分からない人間がやって来るものでな。密猟者って奴か?俺や仲間達を捕らえようとしやがる」
「ああ、それで……」
「まあ、お前等は違うみたいだと分かったから、こうして会わせた訳だ」

 ゾロアークはふう、と再度溜め息を吐いた。よく見れば、ゾロアークの腕や脚には治りかけの傷や新しい傷がある。恐らくハンターから仲間達を守って出来たものなのだろう。

「そんなことがあったなんて知らなくて、この森に入っちゃってごめんね」

 が言うと、ゾロアークはいいや、と首を振った。

「久しぶりに楽しめたから良いさ。まあ、火炎放射を喰らった時はヒヤッとしたけどな」
「私も騙し討ちを受けた時は冷や冷やしましたよ」

 そう言うとキュウコンはふふふ、と笑みを漏らす。ゾロアークもそれに対して愉快そうに笑った。



 それから暫くして、とキュウコンはゾロアークに案内をして貰い、森の入り口へと戻って来た。

「それでは、私達は帰るとします」
「ああ。俺も帰るとするよ」

 ゾロアークはキュウコンとをちらりと見ると、くるりと背を向けた。

「まあ、お前等ならまた来ても歓迎してやるさ」
「それは有り難いですね。どうもありがとうございます」
「ありがとう。それじゃあ、またね」

 が手を振るとゾロアークは片手をひらりと上げ、それからあっという間に森へと姿を消した。ゾロアークの消えた森を、とキュウコンは暫しの間見詰める。そうして稍あってからとキュウコンは帰り道を辿り始めた。

「何だか、忙しい日だったね」
「まさかあんな森があって、更にゾロアークがいるとは思いませんでした」

 新発見だね、とは言い、それから「知らない道を散歩するのも、たまには良かったでしょう」と付け足した。それを聞いて、キュウコンは何かを考えるかの様にしたかと思うと、ゆっくりと言葉を吐く。

「……まあ、良いですけど」
「……けど?」
と離れ離れにされるのはこれっきりでいいです」

 そう言ってキュウコンは溜め息を吐く。それを聞いたは、それは私も、そう返したのだった。