二日後、体調にも特に問題がなく退院したは、キヅカと二人ミオ図書館にいた。図書室の壁に掛けられた時計は、時刻が午後五時になることを示している。


「ミオの歴史と、それからこっちがシンオウ神話で……」

 ダークライのいる場所が載っていそうな分厚い本をキヅカが片っ端から持ってきて、机の上に積み上げる。

 図書館の開館と同時にやって来て、それからずっと二人はたくさんの本を読み漁っているのだが、どれもダークライについては「新月の夜に活発になる」だとか「悪夢を見せる」とのことばかりが書かれているだけだった。ダークライのいる場所や、姿が目撃された場所についてなどは記載されていないのだ。


「この本も駄目だ……」

 そう言いながら、は朝からずっと本を読み漁ったことで凝り固まった肩をほぐすように動かす。それから表紙に「ミオの神話」と書かれた本を閉じて机に突っ伏すと、積み上げた本の内の一冊を開いたキヅカが苦笑する。

「何か一つでも、ヒントになるようなものがあればいいんだけどね」
「ヒント……かあ」

 ヒントになるようなもの、という言葉を耳にして、ふとは前にダークライと会話をした時のことを思い出した。

 ──前に「私の目が元の視力を取り戻したら、今度は私がクレセリアに逢いに行くね」と言った時、ダークライは確か「でも、私は空を飛べるからまだいいが、が私に逢いに来るとなると大変かもしれないな」と答えて、それから……。

『海を越えなければいけないからな』


 何気ない会話の中のダークライのその言葉が脳内で蘇り、はあっと声を上げた。それから慌ててここは図書館だった、と辺りを見回す。幸いにも今二人がいる階には、他に利用客はいないようだった。
 キヅカも辺りを見回すと、小さく潜めた声でどうしたのかと尋ねる。

「そういえば、あの丘に来るにはダークライは海を越えないといけないって言ってたんだ」
「海を……?ちょっと待ってね」

 キヅカは席を立つと、ミオ近辺の少し古ぼけた地図を手に戻ってきた。そしてそれを広げると、ミオの街の近辺にある島の一つ一つを指先でなぞりながら見てゆく。

 やがてその指が、ある場所で止まった。


「ねえ、見てここ。まんげつ島はクレセリアの棲み処って言われている島だけど、その近くの小さな島の名前」
「しんげつ島……」

 それはミオの海のずっと北にある、小さな島だった。

「ダークライが活発になるって言われている日も新月でしょ?もしかしたら、関係あるかも……」

 二人は顔を見合わせると、笑顔を浮かべた。図書館に入って随分と時間は経っていたが、もしかしたらダークライがいるかもしれない場所を見つけることが出来たのだ。

「キヅカ、ありがとう!」
「まだダークライがいるって決まった訳じゃないけれど、そうだといいね」



 それから本を片付けて図書館を出た二人は、ミオの街の波止場にいた。仮にしんげつ島にダークライがいるとしても、そこへ辿り着く手段がないことに気が付いたのだ。

 傾いた太陽に照らされて、海はオレンジ色に染まっている。美しい海や波止場にいくつも泊まっている船をがキヅカと並んで眺めていると、一人の船乗りの姿が見えた。はその船乗りに駆け寄ると、声を掛ける。

「……すみません。ちょっとお伺いしたいのですが、この船の中にしんげつ島へと行く船はありますか?」

 すると船乗りは驚いたような表情を浮かべた。

「……あんた、しんげつ島なんかに用があるのか?」
「はい」
「へえ、そりゃあ珍しいな」

 船乗りの言葉にが思わず首を傾げると、船乗りはしんげつ島はな、と言葉を続けた。

「木が鬱蒼と繁っていて不気味でなあ。ポケモン一匹いないって話だぜ。まあ行きたいって言うなら止めないけれどな。……で、波止場の端に今は使われていない宿があるんだが、そのすぐ近くの船が定期船で、一ヶ月に一回しんげつ島へ向かうはずだ」
「一ヶ月に一回……ですか」
「何も無い島だからなあ。その一ヶ月に一回の定期船だって、乗客がいるかどうか分からないくらいだぜ」
「そうですか……。分かりました。どうもありがとうございます」


 礼を言うと、は近くで船を見て待っていたキヅカの元へと戻った。どうだった?とキヅカがすぐに尋ねてくる。

「定期船、あったよ。一ヶ月に一回しんげつ島に行くって」
「一ヶ月に一回!?」

 驚いたキヅカに、は苦笑する。それと合わせて、船乗りが教えてくれたしんげつ島についての情報を話した。

「しんげつ島、すごく不気味でポケモンも一匹もいないって言われているみたい。しかも何もない島だから、そんなに船も出てないって」
「そうなんだ。……うーん。ダークライがいるといいけれど……」


 そんなやり取りをしながら、二人はしんげつ島へ行くという定期船の次の出航日を確認した。運悪くも一ヶ月に一回出るという船は五日程前に出てしまったとのことで、次にしんげつ島へ行くとなると、およそ一ヶ月待たなくてはならないとのことだ。



 定期船の出航日を確認した後キヅカと別れ、家に着いたは窓から空を見上げた。夜の帳が下りた空には、いくつもの星が瞬いている。それらの星を見つめながら、彼女は心の中でダークライに問い掛けた。

 しんげつ島に、ダークライはいるの?

 伝えたい言葉が、思いが、たくさんあった。けれど心の中で問い掛けても当然ながら答えが返ってくることもなく、その代わりに夜空の星が静かに瞬いただけだった。


▽△▽


 少しずつ街や人、ポケモンが活気付き出す朝。とキヅカの二人はミオの街の波止場に立っていた。キヅカの足元で、コリンクはふんふんと磯の香りを嗅いでいる。

 地平線の彼方をが見つめていると、その背中にキヅカが声を掛けた。

「……、気を付けてね」

 今日は、ずっと待ちわびていたしんげつ島行きの船が出る日だった。未知の場所にこれから向かう友人を案じた、キヅカの不安そうな声。それには振り返る。首からお守りのように下げられた、みかづきの羽が淡く光った。

「大丈夫だって!心配しすぎだよ」
「もう!いつもそう言うんだから……」

 キヅカが肩を竦めて溜め息を吐くので、は笑った。

「本当に、大丈夫だって。行きも帰りも船がちゃんとあるんだし、何よりしんげつ島には野生のポケモンがいないって話だもん」

 それからあれこれと会話をしていると、あっという間に船が出航する時間を迎えてしまった。は一度船を見て、それからキヅカへと向き直る。

「それじゃあ、行ってくるね」
「行ってらっしゃい。船がミオに戻ってくる時間に来られたら、またここに来るね」
「うん、ありがとう」

 コリンクを抱き上げて、キヅカが心配そうに見つめながら手を振る。それには笑顔で手を振り返すと、船に乗り込んだ。


△▽△


 しんげつ島行きのこの船には、以前船乗りが言っていた通り乗客が全くいなかった。唯一の乗客であるは、船の後部で手摺に凭れ掛かって海原を眺める。早朝の海を走る風は、少しひやりとしていた。

 時折海面に顔を出すホエルコの群れや手摺に止まるキャモメ達は、の「しんげつ島にダークライがいるといいけれど」という期待や、「野生のポケモンが全くいないと言われるしんげつ島に、本当にダークライはいるのだろうか」「もしもいなかったらどうしよう」という不安、「早く逢いたいのに」という焦りでない交ぜになった気持ちを紛らわせてくれた。



 船が徐々にスピードを落としていったのは、ミオの街を出てから数時間が経った頃だった。そのことに気がついたは、手摺に止まっていたキャモメに落としていた視線を船の進行方向へと向ける。すると、遠目からでも分かる程に木々が鬱蒼と茂った不気味な島が見えた。

「あれが、しんげつ島……」

 思わず呟いた声は、船が波を掻き分ける音にかき消される。速度を落として数分後、船はさざ波を立ててしんげつ島の小さな桟橋横に止まった。が恐る恐る船を降りると、随分と古びた桟橋がぎいぎいと音を立てて軋んだ。同じように船から降りた船乗りが、その隣でしんげつ島を見上げて眉を寄せる。

「しっかし、いつ見ても不気味な島だなあ……。ところで、あんたは空を飛べるポケモンや海を泳げるポケモンを持っているのかい?」

 その問いに、潮風に靡く髪を抑えながらは首を振った。

「私、ポケモンを持っていないんです」

 すると船乗りは目を見開いた。

「ポケモンを持っていないのか!?じゃあ一体、何しにここに来たんだ?」

 ポケモンを持っていないのなら、野生のポケモンと戦うことも出来ないだろう。最もここには野生のポケモンすらいないが……そう言った船乗りに、は苦笑する。

「その、しんげつ島がどんなところかなって気になって」

 のことを、船乗りはまるで変人でも見るような目で見つめた。それからはあ、と溜め息をつくと口を開く。

「こうして時々しんげつ島にポケモンを探しにくるトレーナーはいるんだけどな、すぐにみんな何もいないからってポケモンに乗って帰るんだよ。ただ、ポケモンを持っていないなら、帰りの船まで何にもないこの島で時間を潰すことになるが……」
「……大丈夫です。帰りの船が来るのは夕方前ですよね?」

 しんげつ島行きの船はしんげつ島を通り、その後更に沖の方の小さな島々を見回りも兼ねてゆっくりと回る。そして再びミオの街に戻る途中でしんげつ島を通るのだということを事前に調べていたは、帰りの時間を確認する。船乗りはどこか呆れたような様子で頷くと、「気をつけろよ」と告げて船に乗り込んだ。


 少しずつ遠ざかっていく船を見送ったは、改めてしんげつ島を見上げた。

 幾重にも重なるように茂る木々の葉は、風が吹く度に不気味にざわめく。しんげつ島の入り口は昼時だというのに薄暗く、まるで底知れぬ闇がぽっかりと口を開けているようだった。

 入り口の前に立ったは、みかづきの羽をそっと握る。まさか昼時でもこんなに薄暗いとは思っていなかったので、頼りになるのはこの羽の放つ光だけだった。

 それでも、もしかしたらこの島のどこかにダークライがいるのかもしれないと思うと、不思議と恐怖や不安を感じることは無かった。


 ──待ってて。逢いに行くから。伝えに行くから。

 強い意思を秘めた瞳はしんげつ島の闇を映す。の背を押すように、潮風が吹き抜けていった。


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