眠りから覚めたの目に入ったのは、心配そうな表情を浮かべるキヅカとコリンクの顔と、真っ白な天井だった。二人はが目を覚ましたことに気が付くと、心からほっとした様子を見せる。

「……キヅカ。私は、一体……」

 先程までいた場所はなんだったのか。そしてここはどこなのか。自分の置かれた状況がいまいち理解出来ず戸惑いがちに呟いたに、キヅカが困ったような顔でここはミオ病院だと答えた。

「病院……?」

 病室の扉が音を立てて開いたのは、その時だった。

「あら!さん、目を覚まされたんですね。良かったです」

 そう言いながら、看護師はどこか安堵したようにも見える明るい笑顔を浮かべての元へとやって来る。

「あの、私は何故病院に……」

 すぐ横へとやって来た看護師にが尋ねると、看護師は眉をハの字にして口を開いた。

さんは、三日前からずっと眠り続けていたんですよ」
「……私が?」

 驚き、困惑し、それから信じられないといった表情をは浮かべる。

「ダークライがを眠らせたの。覚えてる?」

 キヅカに尋ねられたは、ダークライに手をかざされ、黒い闇の塊のようなものを見たことを思い出す。そこから先の記憶は、あの不思議な世界に繋がっていた。

「確か、黒い闇の塊のようなものに包まれたような……」

 の言葉に、看護師が眉を下げた。

「恐らくそれは、"ダークホール"でしょうね」
「……ダークホール?」

 看護師の口から発せられた聞き慣れない単語に、は仰向けのまま首を傾げる。すると看護師がええ、と頷いた。キヅカも「ダークホール」が何か知らないようで、不思議そうな顔をしている。

「暗黒の世界に引きずり落とす、と言われる程強い催眠効果のある技です」

 キヅカの膝の上にいたコリンクが、看護師のその恐ろしい説明に不安そうな顔で鼻を鳴らした。宥めるように水色の頭を撫でたキヅカが、口を開く。

「そのダークホール……のせいで眠ったは、この三日間ずっと酷く魘されてて……。だから、こうしての目が覚めて本当に安心したよ」

 キヅカの言葉に、が「私が魘されていたの?」と聞き返すと、キヅカと看護師が揃って頷く。

「うん。すごく苦しそうだった」
「……悪夢を見ていたのでしょうね」

 そう、が先程まで見ていた不思議な光景や世界は、所謂悪夢だったのだ。
 は自然と自分が見ていた夢の内容を思い出す。少しずつ遠ざかってゆく姿と、真っ暗な世界に置いていかれる自分。それらの光景が鮮明に蘇ったところで、は眉間に皺を寄せた。しかし、すぐに何かに気が付いたような表情を浮かべる。

「でも、私、みかづきの羽を持っていたんです。悪夢を払う力があるっていうみかづきの羽を……」

 それなのに悪夢を見たのはどういうことだろう、とが呟くと、看護師はベッドの横のサイドテーブルに目を向けた。キヅカの視線もそこへと移る。サイドテーブルの上には、あのみかづきの羽があった。

「……みかづきの羽には確かに悪夢を払う力があります。その羽を持っていればダークライの特性"ナイトメア"で悪夢を見ることはないでしょう」
「それなら、どうしては悪夢を?」

 キヅカがみかづきの羽に向けていた視線を看護師へと向ける。すると看護師は「恐らくですが」と前置きをしてから言葉を続けた。

「考えられることとすれば……、さんはダークライのみが持つ力"ダークホール"で眠らせられたことが原因ではないかと」

 ダークライについて詳しいとは言えないので、あくまで推測ですが。そう申し訳なさそうな顔を看護師が浮かべる。

「でも、その可能性がある程ダークホールは強い力ってことですよね……」

 そうキヅカが少し青ざめた顔で言うと、看護師が頷いた。

「……教えてくださり、ありがとうございます」

 は浮かない顔のまま、看護師に礼を言う。そしてその後今日と明日は大事をとって入院することなどを話すと、看護師は病室から去っていった。



 看護師が推測で述べた、「みかづきの羽を持つにも関わらずが悪夢を見た理由」は合っている。

 本来ならはみかづきの羽の力によって、ダークライが傍にいようとも「ナイトメア」の影響による悪夢を見ることはない。
 しかしダークライのみが持つ力、「ダークホール」は違う。

 ダークホールはただの眠りに就かせる技ではない。相手に直接働きかけて、看護師が言っていた通り"暗黒の世界"に引きずり落として眠らせる技である。その力の強さは、みかづきの羽の悪夢を払う力でさえ僅かしか働かない程なのだ。
 はみかづきの羽を持っていたために三日程度で目を覚ますことが出来たが、もしもみかづきの羽が無かったら、まだ眠り続けていただろう。


 扉が閉まったのを確認したは、上体を起こすとキヅカにありがとう、と言った。キヅカは急に礼を言われたからか、きょとんとした表情を浮かべる。

「こうして目が覚めるまでついていてくれたこともそうだし、あと、キヅカでしょ?このみかづきの羽を病室に持ってきてくれたの」

 気持ちが落ち着いてくると、眠ってしまう瞬間のことをほんの少しだけ思い出すことができた。は眠りに落ちるあの瞬間、遠くなる意識の中で、みかづきの羽を手放してしまったことを分かっていたのだ。それなのにここに羽があるということは、きっとキヅカが持って来てくれたのだろうと思っての言葉だった。

 礼を言われたキヅカは別にこれくらい、と笑ったが、ふと何かに気付いたような様子を見せるとの目をじっと見つめ、それからこう口にした。

「ねえ。そういえば、はどうしてみかづきの羽を持っていたの?」


 三日前のあの時。がダークホールに包まれて倒れた瞬間、キヅカは目の前で倒れる友人の手から光り輝く羽が落ちるのを見ていた。そしてダークライが姿を消した後に駆け寄って拾い上げてみると、それは以前読んだ「ミオ神話」に載っていたものと瓜二つであり、もしかしたらと思ってすぐにが運ばれた病院へと持って行ったのだ。
 三日もの間が目を覚まさなかったため、みかづきの羽について考える余裕などなかったのだが、今になってふと「どうしてはみかづきの羽を持っていたのか」が気になったのである。


「この羽は……」

 そう言っては一度言葉を飲み込む。ダークライが嘘をついてまでしてくれたことを、無駄にしてしまうのではないだろうかと思ったからだ。
 けれどすぐに、ダークライの本当の優しさを、親友とも呼ぶべきキヅカに勘違いされたままでいるのは嫌だ。そう思ったは、みかづきの羽に向けていた視線をキヅカに向けると、再び口を開く。

「私が今から話すことを、キヅカは信じることができないかもしれない。でも、全部本当のことだから、聞いてほしい」
「……うん。分かった」

 の真剣な眼差しに、キヅカが背筋をぴんと正して頷く。それを見てはありがとう、と微笑むと肩から僅かに力を抜いた。

「このみかづきの羽は、私の友達がくれたの」
「……それって、まさかとは思うけれどクレセリア?」

 悪夢を振り払う力を持つみかづきの羽は、クレセリアのものだ。そのためキヅカはそう思ったのだろう。訝しげな表情を浮かべるキヅカを見つめながら、は首を振る。

「ううん。クレセリアじゃない。……ダークライ、だよ」

 キヅカと、その膝の上で聞き耳を立てていたコリンクの目が、これでもかという程見開かれる。


「それって、どういうこと?」

 信じられない、と言いたげな様子のキヅカとコリンクの顔を見ながら、は話し出す。

「ずっと前に、私が木の刺に服の裾が引っかかっちゃって、困っていたらポケモンが助けてくれたの……って言ってたこと、覚えてる?」
「そういえば、そんなこともあったね」

 当時のことを思い出したのであろうキヅカが、ゆっくりと頷く。それからすぐに何かに気が付いたような表情を浮かべたので、は「そうだよ」と言葉を続けた。

「その時、私を助けてくれたポケモンがダークライだった」

 キヅカは息を飲んだ。まさか、と呟いた友人に、はその日から始まったことを話し出す。ダークライが度々訪れてくれるようになったことや、たくさんの話をしたこと。自分をいつだって助けてくれたことに、みかづきの羽をくれた時のことも、全て。

 そうしてが話している間、キヅカはずっと真剣に話を聞いていた。


 そして「目が元のように見えるようになるまでは姿を見ないでほしい」と言ったこと、三日前のあの日に「言わなければならないことがある」「ずっと隠していたんだ。本当は……」そう言いかけていたことを話すと、キヅカは片手で顔を覆って溜息を吐いた。

「じゃあ、あの時ダークライはに本当のことを……」

 自分があの場所を訪れたタイミングが悪かったことや、悲鳴を上げてしまったことを思い出したのかキヅカが肩を落とす。コリンクも自分のほうでんで他のトレーナーを集めてしまったことを思い出したようで、くうんと悲しそうに鳴いた。それを見て、慌ててが口を開く。

「キヅカは私のことを心配してくれた訳だし、コリンクはコリンクでキヅカを守ろうとした訳で、悪いのは私だよ。あの時はどうしたらいいのか分からくなっちゃったけれど、今になって思えばもっと抵抗してでも、どうにか出来たんじゃないかなって……」

 思わずが項垂れると、キヅカとコリンクは顔を見合わせて眉尻を下げる。それからおずおずとした様子で尋ねた。

「……明後日には退院でしょ?そうしたら、はどうするの?」

 キヅカの問いに、はゆっくりと顔を上げる。それからすぐに「ダークライに逢いに行くよ」と言った。続けてダークライがどこにいるか分からないから、まずは彼のいる場所を知る所からだけど。と苦笑すると、キヅカは穏やかな笑みを浮かべての手を取った。

「私にも調べるの、手伝わせて!」

 コリンクがキヅカの膝の上からベッドの上に飛び乗って、きゃうんと声を上げて尻尾を振る。いいの?と言いながらがコリンクを抱き上げると、キヅカは力強く頷いた。

「ありがとう」

 目を細めて微笑んだは、病室の窓から外を眺めた。美しいミオの街並みと、その向こうに海が見える。早くダークライに逢いたいと逸るの心とは反対に、海は穏やかに眩く揺れていた。


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