それからダークライは、気が付けば度々の元を訪れるようになっていた。

 彼女の元へと向かう度、「一体何をしているのだ」と、自分自身をどこか他人事のように冷静に見つめる心の中の自分が問いかけてくるが、その度にダークライは退屈だからだとか、がいつも別れ際に「また来てね」と言うからだと言い訳をしていた。
 ダークライはあの時が言った楽しいという言葉が嬉しくて、また彼女に自ら関りにいこうとしていることを認めるのが怖かったのだ。

 仮にそれを認め、彼女と過ごす時間に嬉しい、楽しい、そんなことを思うようになって、もしも後で期待を裏切られるようなことがあったら。そもそも、人間に期待をすることすらおかしいのではないだろうか。
 心の奥底に浮かぶのはそんな心配や、自身を嘲笑する言葉ばかりだ。だというのに、何度もあのという人間の元へと足を運んでしまう自分はどうかしている。
 ダークライはそれを分かっているからこそ、自分の心に言い訳をして誤魔化すしかなかった。



 ダークライがそれ程の頻度で彼女の元を訪れるようになっても、あの丘の上が寂れた場所で元より人気がないこと、そしてそこを訪れる際には他の誰にも、の友人であるキヅカという人間にすらも見つかることのないよう細心の注意を払っているため、一度も街では「ダークライを見かけた」と騒ぎになることは無かった。

 その日も昼過ぎにの元を訪れたダークライは、家の外のあの小さな菜園がある所でガーデニングチェアに座る彼女と話をしていた。

「そういえば、そろそろ育ててきた木の実が食べられるようになる頃だと思うんだ」

 ダークライは小さな菜園に眼を向ける。の言う通り、菜園に植えられたオレンとモモンの木はいくつもの実をつけていた。この二種類は丈夫で育てやすいこともあって、水と太陽の光さえちゃんと与えれば、こうしてしっかり成長するらしい。

「……確かに食べ頃のように見えるな」

 ダークライの返答に、の顔がぱっと輝く。そしてガーデニングチェアから立ち上がった彼女は二本の木の前にゆっくりと移動すると、モモンの木の方へ手を伸ばした。幹からそのしなやかな枝へと手を滑らせ、その先に成る桃色のモモンの実に手が到達すると、それを優しくもぎ取る。

「はい、どうぞ」

 当たり前のように差し出されたそれに、ダークライは浅葱色の眼を瞬かせた。太陽の光を受けて、モモンの実はつやつやと輝いて見える。

「……私に、か?」
「他に誰がいるって言うの」

 モモンの実を差し出す手とは反対の手を口に当てて、はおかしそうにくすくすと笑った。それから「もしかして苦手な味だった?」と尋ねるので、ダークライは慌てていいや、と否定する。

「その……誰かからこうして、ものをもらうのは初めてだったんだ」

 は驚いた表情を浮かべたが、すぐにまた笑みを浮かべた。

「それじゃあ、あなたにとって初めての贈りものがこのモモンの実なんだね。ちゃんと甘く美味しく育ってるといいけれど」

 ダークライはの手から恐る恐るモモンの実を取った。甘い果汁をたっぷり蓄えているであろうそれは、少しずっしりとしている。
 モモンの実など今までにいくらでも眼にしたことがあったが、ダークライの瞳にこの実はやけに美味しそうに映った。そして一度モモンの実を太陽にかざすと、ゆっくりと口にする。
 瞬間、広がる香りと味。思った通り、それはとても甘いものだった。ダークライの美しい眼が、自然にすっと細められる。

「どう?」

 少しだけ不安そうに、眉間にしわを寄せたが尋ねる。ダークライはもう一口かじると、ぽつりと小さく呟いた。

「とても、美味しい」

 ダークライの小さな呟きをしっかりと聞いていたはとても嬉しそうだった。その様子に、釣られてダークライの表情も穏やかなものへと変わる。
 しかしすぐに表情を引き締めると、ふるりと首を振った。また、心の奥底で「こんな風に関わって、後で結局傷つくのは自分じゃないのか」という考えが湧き上がったのだ。



「──って、聞いてる?」

 ぼうっとしていたからか、の言葉を聞いていなかったダークライは慌ててに眼を向ける。

「すまない、考え事をしていた」
「それじゃあ、もう一回言うね。オレンの実も食べてみて、オレンとモモンのどっちが好みか教えてって言ったの」

 はいつの間にかオレンの実も手にしていて、それをダークライの方へと差し出していた。ダークライは少し戸惑う素振りを見せたが、オレンの実を受け取るとゆっくりと口にする。それからざわつく胸中を誤魔化すように、オレンの実を飲み込んだ。

△▽△


 それから数日が過ぎたある日のことだ。その日は朝からどんよりとした灰色の雲が垂れ込めていた。

 昼過ぎにあの寂れた丘へと辿り着いたダークライだったが、家の裏の菜園がある所へふわりと姿を現すと、どうしたものかと空を見上げた。
 というのも、丁度丘に着いたあたりで雨が降り出してしまったのだ。
 と逢う日はいつも晴れていて、大抵この時間に来れば彼女は家の外のあのガーデニングチェアに座っていた。そして近くに姿を現せば、気配を察したが「もしかして、来てくれたの?」と口にするのだ。

 しかし今日はこの天気だからか、その姿が見えなかった。


 そもそもいつやって来るかという明確な約束自体無い訳で、だっていつも外にいる訳ではないだろう。そんなことを考えながら、ダークライは少しずつ勢いを増す雨を避けるためにひとまず家の近くの木の下に移動した。

 さすがにダークライには、玄関の扉をノックしてまで彼女に会う気はなかった。普段だって、来た時に外にがいなければ帰るつもりでこの場所を訪れているのだ。
 この雨の中をしんげつ島までまた戻るのは気が進まないな、と、木々の葉の隙間を縫って落ちてきた雨粒を払いながらダークライは溜め息を吐いた。



 暫くしても雨はまだ止みそうにない。
 気は進まないが、この雨風の中を戻るしかあるまい。と、ダークライが考えた時だった。目の前の、雨で灰色にけぶる家の扉が開いたのは。

「きゃっ!」

 開けた瞬間に思ったよりも強い風が吹いたからか、がそう声を上げたのが聞こえた。
 慌てて扉の外に出た彼女は、傘をさす。これ以上風が強くなったら、傘は簡単にひしゃげてしまいそうに見えた。

 驚いた様子のダークライはそんなの姿を眺めながら、こんな日に出掛けるのだろうかと疑問に感じた。さすがに目が見えない彼女がこんな雨風の中を歩くのは危険では、と思ったのである。


 先程よりも強い風のせいで雨が横向きに降るので、細々とした木の下ではもう雨宿りにもならず、ダークライはふわりとの方へと向かった。帰る前に、今日は出掛けるのを止めた方が賢明だと声を掛けてやろうと考えたのだ。

「……おい」
「わっ!?」

 ダークライが声を掛けると、の肩が分かりやすい程に跳ねる。

「……こんな日に出掛けるのはさすがに危険だと思うぞ。止めておけ」

 その言葉を聞いて、は笑った。

「ええと、こんにちは。それと大丈夫、出掛けるつもりはないの。ただその……今日はあなたが来てくれるのかなって思って、様子を見に外に出た所だったんだ」

 そんなことを言われたものだから、ダークライは眼を丸くしてしまう。
 しかしダークライのそんな様子にが気が付くはずもなく、彼女は風に飛ばされそうになる傘を持ち直すと、雨風に書き消されないように少し大きな声を上げた。

「とりあえず、中に入ろう!雨でどんどん濡れちゃう」

 が扉を開ける。ダークライはひどく悩んだが、このままではも扉の開いた家の中も無駄に雨に濡れるだけだろうと判断し、そろりと家の中に滑り込んだ。

「……中に入った?」
「……ああ」

 ダークライの返事を聞いて、は風と格闘しながら傘を畳むと扉を閉じた。



 ちょっと待っててね。はそう言うと家の奥に引っ込んでしまったので、ダークライは大人しく玄関に浮かんでいた。
 その体からはぼたぼたと雨水が落ちていく。

「お待たせ!はい、タオル。あなたの体の大きさが分からないけれど、これで足りるかなあ?」

 家の奥から戻って来たはそんなことを言いながら淡い色をしたタオルを差し出した。それをダークライは観察するようにまじまじと見つめる。

「体、雨で濡れてるでしょう?拭かないと風邪引いちゃうよ」

 なかなかタオルを受け取らないダークライに、少し困った様子でが言う。そこまで言われて、ダークライは漸くタオルを受け取った。そしてタオルを両手で広げると、珍しいものでも見たような面持ちで見つめる。

「どう?タオル、足りそう?」

 タオルを観察していたダークライは、タオルからに眼を向けると大丈夫だと言った。それから濡れた体を手早く拭き終えると、これはどうすれば、と尋ねる。
 が手を差し出したのでその手にタオルを渡すと、彼女の眉間にしわが寄った。

「……もしかして、結構長い間外にいた?」

 タオルが随分と水を吸っていたからだろう。濡れたタオルを確かめるように、がそれをぎゅうと両手で握る。

「……そういう訳でもないが」

 ダークライが誤魔化すように肩を竦めて答えると、その口振りから何かを察したらしいは困ったような表情を浮かべた。

「もう!教えてくれたらよかったのに」

 風邪を引いたらどうしよう、と言いながらは壁伝いに家の中に戻る。そして玄関へと振り返ると、上がってね、と笑った。

 人間の家に上がるなど当然のことながらこれが初めてのダークライは、恐る恐る玄関からリビングへと移動する。いつだったかと友人のキヅカが座っていたソファの前まで移動すると、ぐるりと家の中を見回した。

 窓の外から眼にしたことはあったが、こうして内部から見ると家の中は外見と同じくどこか寂れて見えた。
 人間にとって生活するのに何が必要で何が必要ではないのかがダークライには分からないが、家の中はきちんと整理整頓されていて、余計なものが何一つ無いように見えたのだ。

 そんなことを考えていると、タオルを片付けたが戻ってきて、ゆっくりとソファに座った。

「雨、止むといいけれど」

 は不安そうな表情で、ソファの上にあったクッションを手に取ると抱きしめた。大粒の雨と唸るような強い風が、まだまだ止まないとでも主張するかのように窓を叩く。
 ダークライは窓の外へと眼を向けると、どうだろうな、と呟いた。窓の外に広がる空は、しんげつ島で見た時よりも薄暗い。


 それからいつものようにあれこれと楽しそうに話しだしたに時折ダークライが相槌を打っていると、彼女は話の区切りのいい所で、「それにしても」と口にした。

「雨の日が嫌いって訳じゃないんだけれど、こうも降られるとさすがに気が滅入るっていうか……やっぱり退屈でさ。今日、あなたが来てくれてよかったな」

 の言葉にダークライは眼を丸くしたが、すぐに眼を逸らすと溜め息混じりの小さな声で呟いた。

「……お前はすぐに、そういうことを言う」

 今まで望んでも誰からも贈られたことがないような言葉を、彼女は平気で口にするのだ。それが時折、ダークライは恐ろしいと思った。

 しかしダークライの小さな声は、丁度強く吹き付けた風に揺れた窓の音で彼女に届かなかったようだ。
 その証拠に、風が立てた音にびくりと肩を揺らしたは窓のある方へと顔を向けて「びっくりした」と呟いている。



 それからまた他愛のない話をいくつかして、暫くした頃。ふと窓に近寄ったダークライは外を見ると、いつの間にかあの灰色の重く垂れ込めていた雲の殆どが遠くへと過ぎ去っていることに気がついた。

「……雨が止んだようだ」

 その言葉を確かめるように、は口を閉じると耳を澄ませる。そして窓を叩く雨の音も、唸る風の声も聞こえないことに顔を綻ばせた。

「本当だ。すごく静かになってるね」

 外に行ってみようか。そう口にしたはソファから立ち上がると、壁伝いにゆっくりと玄関へと向かった。ダークライは数秒遅れてその背中を追う。


 靴を履いたが扉をそっと開く。途端に香る、雨上がりの土の匂い。

 扉の隙間から滑るように外へと出たダークライは、扉を開いたままのへと声を掛ける。

「すっかり上がったな」

 遠くへと流れた灰色の雲を眺め、ダークライは眼を細める。はダークライが家の外に出たことを声が聞こえた方向から察すると、扉を静かに閉めた。それから家から数歩離れると、ぐっと伸びをする。あの勢いはどこへやら、随分と穏やかになった風が二人の肌を優しく撫でていった。

「風が気持ちいいや」
「……そうだな」

 ダークライは一度へと視線を向けたが、またすぐに空を仰いだ。
 雲の切れ間から射す太陽の光が、雨に濡れた緑の丘の表面を照らしている。遠くに広がるミオの海も、陽射しを受けてきらきらと眩く輝いていた。


 彼女は目が見えない。だからこそ自分は正体を知られることもなく、ここにいる。
 それをダークライは忘れた訳ではなかったが、この美しい景色を彼女も見ることが出来たらよかったのに、そうひっそりと思った。


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