ダークライが棲み処にしているしんげつ島という場所は、島を覆うようにして生い茂る薄暗い森以外は何もない辺鄙な場所だ。その為他の野生のポケモンも生息しておらず、島にはダークライただ一人が暮らしていた。
どうしてそのような場所をダークライは棲み処に選んだのか。それは他者との関りが殆ど無くて済むからであった。
自身の持つ能力のせいで他者から散々疎まれてきたダークライにとって、その場所はとても居心地がよかったのだ。
しかしいくらそうしてダークライの方から他者との関りを絶とうとしても、時折しんげつ島へと進んで足を踏み入れる者がいる。それはこんな外界から隔絶された場所なのだから、何か珍しいポケモンでもいるのではないかと思うトレーナーだ。
その日、何者かが島へとやって来たことを鋭敏に感じ取ったダークライは、さっさと姿を消すと島を離れた。この島を「ダークライ」が棲み処にしているのだということは誰にも知られたくないのだ。島を離れる際に島を囲うように覆う木々の隙間から見えたのは、鋭い眼光が印象的なハッサムを連れたトレーナーだった。
トレーナーがどれほど滞在するのかも分からないので、暫くはどこかで時間を潰さなくてはならないな。と、ダークライはどんどん離れていくしんげつ島を振り返りながら溜息を吐く。
何もない海の上に留まっている訳にもいかず、逃げるようにしてダークライがやって来たのは昨日と同じミオの街だった。人間と関わりたくは無いのだが、時間を潰すのに丁度いい場所がここ以外浮かばなかったのである。
街外れの人気のない海岸に下降すると、すぐに海岸沿いに生える植物の影へと身を潜めた。そして影を泳ぐように伝って更に人気のない場所を求めて移動する。
街の出来るだけ外れの方を辿るように彷徨い、そうして辿り着いたのは小高い丘の上だった。
誰もいない丘の上に地面から姿を現したダークライは、誰もいないことを再度確認するように辺りを見回すとある場所に眼を留めた。
ダークライが眼を留めた場所には小さな家がぽつんと建っていた。小さく、ひどく寂れて見える家。そう、この小高い丘は偶然にも昨日ダークライが訪れた場所だったのだ。
昨日、確かにこの場所の静かな空気は好きになれそうだ、そう思いはしたが、まさか無意識にまた訪れてしまうとは。と、肩を竦めてダークライは一人苦笑した。
それから、あの家には確かという名の人間が住んでいるが、彼女はどうやら目が見えないらしいということを思い出す。仮に彼女が外に出てきたとしても自分の姿を見られることはないだろうし、それならばここで暫く時間を潰すことにしよう。そう決めたダークライはようやく肩の力を抜いた。
小高い丘の上に疎らに生える木々の間を駆ける風は、とても心地のよいものだった。しんげつ島は深い木々に覆われているので、こんなに心地のよい風を感じることはないのだ。
あの寂れた家から離れた木に凭れてそよ風を体に受けながら、ダークライはしんげつ島のことを考える。
あのハッサムを連れたトレーナーはもう立ち去っただろうか。ポケモンが一匹もいないことに気が付いて早々に立ち去ってくれていると助かるが、もしも用心深く島全てを見て回ることにしていたら、まだ戻らない方がいいだろう。そう思考を巡らせたダークライは、ふとあの寂れた家へと眼を向ける。
昨日見た時とは違って今はまだ昼時で明るいというのに、昨日と変わらず生活感を感じさせない、ひっそりとした空気に包まれた家。それをまじまじと見つめていたダークライは、僅かに家へと近寄った。
退屈な時間が、人間とは関わらないようにしているはずのダークライの心の奥底に、ほんの少しの興味を沸かせてしまったのだ。
家に近寄ったダークライは、じっと観察するように家の出入り口を見つめた後に、そことは反対の方へと回る。
すると家の裏手には、土を軽く盛り上げただけに見える小さな菜園があった。小さな青い色と桃色の木の実が成る木が二本、並んで風に揺れている。見たところオレンの実と、モモンの実の二種類が植えられているようだ。そしてその傍には、ガーデニングチェアがぽつんと一つ置かれていた。
別に腹を空かしていた訳ではないのだが、しんげつ島では見かけることのないその木の実を、ダークライは何となく見つめていた。小さく扉が開く音がしたのは、その時だ。
それを耳にするや否や、ダークライの体はすぐに影へと形を変えて、同時に家の影へと溶け込む。そのままどう動くべきかと辺りの様子を窺っていると、あのという人間がこの小さな菜園がある場所へと向かってくるのが見えた。
一先ずこの場所から離れた方が良いだろうと判断したダークライは、用心しながらその場を少しずつ離れる。その間にもは家の壁伝いに菜園へと近づいて来て、ダークライが近くの木の影の中へと移動した時には彼女は菜園へと辿り着いていた。
ダークライは木の影からそっと顔を覗かせるとの様子を観察する。彼女は菜園の前に屈み込むと、オレンとモモンの木の幹にそっと手を添えた。
「うん、いい感じに育ってる……よね」
小さな独り言がダークライの耳に届く。暫くの間幹や葉に触れて木のを様子を確認したは立ち上がると、家の壁に手をついた。それから不意に辺りを見回すと、首を傾げる。
「……あれ、また誰かいるの?」
何とも鋭いその勘に、ダークライは眼を丸くした。少しくらい見ていたってあの人間は自分に気が付かないだろうと油断したところもあったが、またもこちらに気が付くとは微塵も思わなかったのだ。
「誰?昨日のポケモン?」
はダークライが身を潜めている木の影の方へと向き直ると、違う?と尋ねて再度首を傾げる。
その問いかけに答えるか迷ったものの、には自分の姿が見えないのだから問題は無いか、そう考えた結果ダークライは口を開いた。
「……そうだ」
するとその声を耳にした彼女の顔が、分かりやすいほどに明るくなった。
「ああ、やっぱり!」
ちょっと待ってね。そう言っては再び菜園の前へと移動すると、宙へと手を伸ばしてガーデニングチェアのある位置を探る。そしてガーデニングチェアにそっと腰を下ろすと、ダークライへと手招きをした。
ダークライは迷う素振りを見せたが、先程のように「この人間には自分の姿が見えないのだから」と考えて素直に近付いた。それに何より、しんげつ島にやって来たトレーナーが帰るまでの退屈凌ぎにはなるかもしれないと考えたのだ。
はダークライが近寄ったのが気配で分かったのか、ゆるりと笑顔を浮かべる。
「ええっと……、こんにちは。昨日は、どうもありがとう!」
「大したことはしていない」
ダークライが素っ気なくそう言うと、彼女は「本当に助かったの」と言う。
「ふふ。それにしても、言葉を話せるポケモンがいるなんて驚いたよ。ポケモンと話したのは、これが初めて」
「……話せるポケモンもいる」
がポケモンと会話するのが初めてなように、ダークライも人間とまともな会話をしたのはこれが初めてだった。感心した様子で口元に笑みを浮かべたまま、彼女は更に言葉を続ける。
「そう言えば、昨日は聞きそびれちゃったけれど……ねえ、あなたは何て言うポケモンなの?」
その問いかけに、ダークライは思わず言葉に詰まる。しかしすぐに「素直に答える必要もないだろう」と判断した結果、沈黙した。代わりにひゅう、と静かに風が吹く。
「……まあ、いいか」
ダークライが黙ったことをさして気にした様子も見せず、は笑った。そしてすぐに違う質問をダークライへと投げ掛ける。
そうして暫くの間、会話──と言っても殆ど喋らないダークライの代わりにが喋っていただけのものをした後、彼女が思い出したようにぱん、と手を合わせた。
「そうだ!あの、良かったらいつでも遊びに来てね。こんな街外れの丘の上だし、暇で仕方ないの」
その言葉にダークライは眉間に皺を寄せ、更に心の中では正気か?と考えたが、口には出さなかった。眼の前で閉じられている瞼を見て、目が見えないのだから当然目の前にいるポケモンが街では恐れられているポケモンなのだということが分からなくても、それは仕方ないかと思ったからだ。
どうしたものかと考えた末に、ダークライは考えておくとだけ答えた。
目が見えないと言えど、人間とあまり関わるというのも……そう思ったが、きらきらと顔を輝かせるの顔を見ると、嫌だときっぱり言うのも憚られたのだ。そのためはぐらかすようにそう答えたのだが、はそうとも知らずにより一層きらきらと輝く顔で「やった!」と声を上げた。
「……それじゃあ、そろそろ家の中に戻ろうかな。色々やらなきゃいけないこともあるし」
そう言っては立ち上がった。家の壁に手をつくと、また先程のように壁伝いに出入り口がある方へと歩いていく。ダークライはどうしたものかと考えて、それからその後を少し離れてついていった。
彼女は扉の前に辿り着くと、ダークライのいる方へと顔を向けて手を振る。
「待ってるねー!」
扉を開けた後もしつこいくらいに手を振ったは、漸くその扉の向こうへと姿を消した。途端にまた、小さな家を包む空気は変わらないあのひっそりとした静けさを取り戻す。
静けさに包まれた丘の上で一人、ダークライは空を仰ぐ。
人間に言葉を掛けられるのは、どれ程久しいことだろうか。覚えているのは、いつだったか偶然にも人間に姿を見られ、罵声を浴びせられた時だった気がする。
そこまで思い出してダークライはその記憶を振り払うように首を振った。それは思い出しても仕方のない過去のことなのだ。
それから先程のの言葉を思い出す。
「良かったらいつでも遊びに来てね」
「待ってるね」
脳裏に蘇る手を振るの姿を鼻で笑った後、とりあえずそろそろしんげつ島の様子を見に戻ろうと考えたダークライは、しんと静まり返る空気の中静かに影へと溶け込んだ。