昼前。キッチンにて食材を黙々と刻んでいたは、手を止めると食堂の窓の外に目を向けた。光が差すガラスの向こうには、ここ最近、屋敷の内外で新たに見かけるようになったポケモンたちの姿がちらほらと見える。
切り株に魂が宿ったというポケモンのボクレー。カボチャのランタンのような姿のバケッチャと、片手に骨を携えたガラガラに、それから──きっと今までのように、近くの森や街から、流れ着くようにやって来たんだろうな。もしかしたら、偶然立ち寄っただけかもしれないけれど。もしあのポケモンたちがここを気に入って棲みついたとしたら。また少し、この屋敷は賑やかになるんだろう。
そんなことを考えると、の口元は自然に緩やかな弧を描く。ややあって、ふう、と息を吐いたは、中断していた「サンドイッチ作り」の作業を再開した。包丁を手に取って、用意した具材を順番に切っていく。
「……食べる?」
具材のひとつ、レタスの小さな切れ端を手に取ったは自分の肩にしがみつき、身を乗り出して、皿の上に築かれていくカットされた具材の山を観察するヤミラミに声をかけた。
差し出された薄い緑色のそれを、悩んだ素振りを見せた末にヤミラミは一口かじる。しかしすぐさま「ゲエッ」と拒否の声を上げた。ポフレやポフィン、ポケマメなんかはもりもりと食べるが、レタス単品はお気に召さなかったようだ。ヤミラミの歯形がくっきりとついたレタスをサンドイッチに挟むわけにはいかないので、欠けたそれをは代わりに口にする。
「ヤミラミ、ごめんね。ちょっと下りてくれる? 肩が凝っちゃったよ」
すべての具材をパンに挟むのに丁度いい大きさに切り終えたところで、はヤミラミの全体重がかかっている右肩を少し上げた。何せ、この作業を開始してからずっとヤミラミが張り付いていたのだ。「のしかかり」ではないけれど、右肩がまひ状態になってしまいそうだった。ヤミラミは素直に従って、サンドイッチ作りを見学する特等席から、キッチンのカウンターにひょいと飛び降りる。
が凝り固まった筋肉を解すように首や肩を揉んでいると、ヤミラミが少しだけ申し訳なさそうに肩を竦めた。
「大丈夫だよ」
が笑うと、ヤミラミは安心したように白い牙を見せた。
さて、お昼はもうすぐだ。それまでに、パンに具材を挟まなくっちゃ。そう思ったところで、はあることを思い出した。
「あ」
突然声を上げたに、ヤミラミが目を向ける。はヤミラミの額を撫でると、にんまりと笑った。
「とっておきの具材があるんだった!」
一度庭へ行き、再び戻ってきたは、まな板の上に「とっておきの具材」を置いた。
二十センチは軽く越える大きさ、赤く丸いかたち、そして網目模様が特徴的な「イバンのみ」だ。庭で育てていたきのみの中でもなかなか育たず、少し前にようやく実をつけたのである。
「皮はとてつもなく硬いんだけど、中はクリームみたいに柔らかくて甘いんだって。サンドイッチの具材にしたらよさそうじゃない?」
クリームみたいに柔らかくて甘い、という魅力的な言葉に、ヤミラミが勢いよく頷く。は、よし、と意気込むとイバンのみに包丁を添えた。
「くっ……こ、これ、包丁で切れるのかな……」
ヤミラミがイバンのみを両サイドから押さえつけて固定してくれているが、包丁の刃はが体重を乗せて力を込めても、数ミリも沈まない。
暫く格闘した後に、だめだー、と声を上げたが包丁を置くと、ヤミラミは「任せろ」と言わんばかりに胸を張り、するどい爪で引っ掻いた。しかし、ヤミラミの「みだれひっかき」を受けても、イバンのみには傷一つつかない。目を見張ったヤミラミが、悔しそうにイーッと白い歯を剥き出しにした。
「……イバンのみの皮はとてつもなく硬いとは聞いていたけれど、硬すぎじゃない? どうしようかな、これ」
庭にイバンのみを収穫しに向かった際、ヒトツキがいたらカットを頼もうと思っていたのだが、生憎探している姿は見えなかった。故に包丁で格闘した訳だがこの結果だ。ヤミラミの鋭い爪でもだめ。けれどせっかく収穫できるまでに至ったイバンのみは食べてみたい。諦めきれないは、もう一度ヤミラミにイバンのみを押さえてもらい、岩のように硬い真っ赤な皮に包丁を当てる。
二人のやり取りを聞き付けたのか、偶然にも通りすがったのか。双子のとうけんポケモン──ニダンギルが食堂に顔を覗かせたのは、その時だった。
「あ……、ニダンギル!」
カタン、という物音を拾ってニダンギルの気配に気が付いたは、「助かった!」と顔を輝かせた。包丁を置き、ヤミラミと並んで食堂の入り口に向かう。
ニダンギルは二人に目を向けると、鞘に納めたままのからだをカタカタと振るわせた。それがニダンギルなりの挨拶なのか、それとも何の意味もない行動なのか、付き合いがまだ一切ないと言っても過言ではないには判断がつかない。「ええっと……」眉を下げて口を開いたは、まじまじとニダンギルを見つめ、言葉を続けた。
「もしよければ、きのみを切ってもらっても……いい?」
きのみ? と、ニダンギルは思ったようだった。僅かにからだを傾けて、双子がそれぞれの一つ目を瞬かせる。
「とても硬いきのみがあって、困っていたんだ」
そう言っては再度キッチンに向かう。素直に自分の後を追いかけてきてくれるニダンギルを見て、どうやらイバンのみの問題は解決できそうだ、とはそっと息を吐いた。
しかし、傷一つなく放置されていたイバンのみの前までやって来たところで、ニダンギルはギィギィと金属音に似た鳴き声を発した。何というか、あまり気が乗らない、そんな様子に見える。一体どうしたことか。が首を傾げ、助けを求めるようにヤミラミに視線を投げると、ヤミラミも困ったように肩を竦めた。
ニダンギルは何か言いたいことがあるのだろうか。そう判断したは、双子の桃色の一つ目を交互に見つめた。暫しの沈黙。そのままじっと待っていると、やがて、ニダンギルは観念した様子で抜刀した。
「……あれ」
以前ヒトツキに庭の草刈りを頼んだ時、抜刀すると同時に錆一つない刀身が鈍く光った姿をはよく覚えていた。想像するまでもなく、見れば分かる切れ味の鋭いからだ。実際、その切れ味は素晴らしいものだった。
ニダンギルはヒトツキと同じとうけんポケモンで、何ならその進化系だ。当然、ニダンギルもそうであるとは思い込んでいたのだが、抜刀して露になったのは、茶色のまだら模様がよく目立つ、錆び付いた刀身だった。
「……な、何だかものすごく錆びてる、ね?」
屋敷でニダンギルを見かける機会は何度かあったが、いつもそのからだは鞘にきっちりと納められていた。その上、今程近付いたこともない。だから、まさか隠れていた刀身がこんなにも錆びついてしまっているとは思わなかったの言葉に、ニダンギルが気まずそうにそっぽを向いた。
つい、正直に声に出してしまったと自身の口を押さえたは、ううん、と唸る。
「こういうポケモンのからだの錆って、ポケモンセンターに行ったら落としてもらえるのかな」
はがねタイプのポケモンの、錆び付いたからだを見ること。それはにとって初めてのことだった。そのため、こういう時にどうするべきなのかが分からない。錆にはお酢をかけるといい、なんて聞いたことはあるけれど、ニダンギルにかける訳にもいかないし。腕を組んだは頭をひねる。
「うーん。ここで悩んでいても仕方ないか」
ヤミラミが頷いた横で、双子の刀剣はか細い声で鳴いた。
***
「チルタリス、この辺で大丈夫。ありがとう!」
の指示を受け、チルタリスがふわりと軽やかに着地する。街の広場の隅へ降り立ったは、屋敷からここまで運んでくれた水色の背中を労うように撫でると、モンスターボールをチルタリスに向けた。チルタリスが赤い光に包まれてボールに収まる光景をじっと見つめていたニダンギルに、は向き直る。
「どう? 疲れてない?」
の問い掛けに、ニダンギルが全身を傾けて頷く。屋敷から街まで飛行するチルタリスの後をニダンギルは休みなく追ってきたのだが、どうやら疲れてはいないらしい。安堵したは微笑むと、歩き出した。
「……ニダンギル?」
が振り返ると、ニダンギルはその場から動かずにいた。双子はそれぞれの視線をさ迷わせて、戸惑うような素振りを見せている。
ニダンギルの元まで歩み寄ったがどうしたのかと尋ねると、ニダンギルはその場で落ち着きなくからだを揺らした。二つの桃色の一つ目もどこか暗く陰っている。その姿はの目に、何だか迷っているような、そんな風に映った。
もしかして、どうにもならなかったら──そう思っているのかもしれないな、とは思った。何せニダンギルのからだの錆は、少量ではなく刀身を覆ってしまうほどのものだった。恐らくここ最近のものではなくて、そこそこの月日が経過してしまっているものだ。
ニダンギルに一歩近付いて、は屈む。
「とりあえず、ポケモンセンターに行って診てもらわない? そのまま放置、って訳にもいかないでしょう?」
幼い子供を諭すような、やわらかい口調では語りかける。するとニダンギルは鞘にからだを納めたままくるくると回って、俯いて、それから時間をかけて、ようやく小さく頷いた。
ポケモンセンターに向かう道の途中で、つい、は足を止めた。隣で浮かんでいたニダンギルも、ぴたりと動きを止める。が足を止めたのは、一軒の古ぼけた金物屋の前だった。店先までずらりと並べられた、鍋や釜、匙。その隙間を埋めるように置かれた看板には、達筆な字で「錆びたポケモンのからだの手入れも承ります」と書いてある。
ニダンギルは文字を理解していないからか、が足を止めた理由が分かっておらず、不思議そうに看板を見つめた。
「錆びたポケモンのからだの手入れも承ります、だって。ちょっと入ってみない?」
開け放たれた店の入り口から中を覗きながらが問うと、ニダンギルは静かに頷いた。
「……はい、いらっしゃいませ」
店の中に足を踏み入れると、奥から店主のものと思われる声がした。少し、しわがれた声だ。は声に導かれるように、奥へと歩みを進める。すると、積み上げられた鍋と鍋の間に置かれた椅子に、一人の細身の男が座っているのが見えた。店の名前が刺繍された、黒く汚れたエプロンを身に付けている。どうやら店主のようだ、と判断したは口を開いた。
「あのー……、錆びたポケモンのからだの手入れも承ります、って看板を見たのですが」
男がゆっくりと立ち上がった。
「はい、はい。どのポケモンでしょう?」
白く伸びた髭を整えながら、店主が問う。大量の商品で狭い店の中、がそろそろと横にずれると、後ろに隠れていたニダンギルが不安そうな声色で「ギィ」と鳴いた。「大丈夫だから、前に出て」が潜めた声で言うと、ニダンギルは大人しく前に出た。
「この子、野生のポケモンなんですが……その、からだがちょっと錆びちゃってて」
「どれ、見せていただけますか?」
ニダンギル、とが促すと、双子の刀剣は大人しく静かに抜刀した。店内の明かりが、容赦なく錆を照らす。やはりニダンギルは、少し気まずそうに目を伏せた。
この錆は、落ちるだろうか。落ちるといいけれど。ニダンギルを見つめながら、少し緊張した面持ちでは自身の指先と指先を絡ませる。
「……ふむ。これくらいの錆なら、すぐに落ちますよ」
「……えっ!」
店主の口から出た「これくらいの」という予想外の言葉と、「落ちますよ」という望んでいた言葉に、は思わずよかった! とはしゃいだ声を上げる。ニダンギルも、安心したようにからだから力を抜いた。柄頭から伸びる桃色の古びた布が、ぴん、と張るのを止めてしなやかさを取り戻す。
「少し、時間をいただきますけれどね」
てっきり、店主の言う「少し」は一時間以上かかるものだと思っていたが、店の奥からピカピカに磨かれたニダンギルが姿を現すまで、三十分もかからなかった。並べられた様々な商品を眺めていたは、店の奥から聞こえた物音に顔を上げる。
「わっ、すごい! ピカピカになってる!」
錆一つないからだを前にが目を丸くして言うと、狭い店内でニダンギルは踊るようにくるりと回った。輝きを取り戻した刀身が、店の照明を受けて鈍く光る。
「うわー、よかったねえ」
とニダンギルがきゃっきゃと盛り上がっていると、チルタリスの耳にもそれが届いたのか、ガタガタと嬉しそうにボールが揺れた。
「はがねタイプのポケモンは、水に濡れたからだをそのまま放置してしまうと、錆びてしまったりするんです。ちゃんと自分で日に当たったりして乾かしていれば問題はないのですが……」
ニダンギルの手入れの代金をが渡すと、店主がそれを受け取りながら言った。
「ですから、はがねタイプの子を育てているトレーナーさんなんかは、手入れ用の道具を一つ持っていると安心ですよ」
「それ、こちらでも購入できます?」
「もちろん、ありますよ」
店主がレジ横の棚からスプレーのようなものを取り出して、に差し出す。それを受け取ったは、こちらもお願いします、と軽く頭を下げた。そのまま、「もう一つ」と言葉を続ける。
「とても硬いきのみが、家にある包丁じゃ切れなくて。硬いきのみなんかも切ることができる包丁って、あります?」
が尋ねると、店主は先程のように「もちろん、ありますよ」と頷いた。
「ですが」
そこまで言って、店主が微笑む。
「その子がいれば、不要かと」
店主が目を向けた先、そこにはピカピカのからだを未だ鞘に納めず、得意そうに明かりを照り返すニダンギルがいた。
あの全く歯が立たなかったイバンのみはニダンギルに切ってもらうとして。それだけじゃなく、今後もまた硬いきのみなんかを使うことになった時、とても切れ味のいい包丁があったら便利だと、そう、は考えていたのだが。
「……今日だけじゃなくって、これからも手伝ってくれるってこと? お願いしても、いい?」
双子の刀剣は揃って頷く。桃色の古びた布が、ひらひらと舞った。
「……じゃあ、すみません。これだけで」
とニダンギルが目を合わせて笑うと、店主も釣られたように口元を緩めた。
そうしてニダンギルにイバンのみを切ってもらい、無事にイバンのみの絶品サンドイッチを完成させることができた翌日の朝。
何やら騒がしいな、ととチルタリスの二人が食堂を覗いてみれば、そこには忙しなくきのみを切っているニダンギルの姿があった。テーブルの上には、が食べやすいサイズにカットされた様々なきのみが並んでいる。
状況が飲み込めないとチルタリスは、顔を見合わせると揃って首を傾げる。困惑したまま食堂を見回すと、テーブル付近に浮かんでいたユキメノコと目が合った。その顔は、「あーあ」とでも言いたげな顔をしている。眉間にしわを寄せたが入り口で立ち尽くしていると、その横をきのみを抱えたゴーストやデスマスがすり抜けていった。
その時、ニダンギルがに気が付いた。「ギィ!」と元気よく鳴き声を上げたその姿は、見るからにとても嬉しそうだ。
「えーっと……。ニダンギル、何をしてるの?」
ふわふわ近寄ってきたニダンギルにが尋ねると、双子は目を合わせてにっこりと笑った。続けて、浮かれた様子での周りを回る。
「錆、落ちて本当によかったね。……で、このきのみの山は?」
の問いかけに、ニダンギルはまた、元気よく鳴いた。それから桃色の古びた布でオボンのみの一欠片を掴むと、に差し出す。
「あ、ありがとう……?」
がオボンのみのかけらを受け取ると、ニダンギルは満足そうに頷いた。その様子から、は察した。多分、いや間違いなく、ニダンギルは自分のために大量のきのみを切ってくれている。しかし、さすがにこの量は多すぎだ。
止めなければ──と、は口を開いた。「これだけあれば……」十分かな。そう言い掛けたところで、食堂の隅でカットされたナモのみをつまんでいたゲンガーが、新たなきのみを投げた。緑色で、まるいかたちのラムのみだ。
双子のとうけんは一つ目を光らせると、ラムのみを中心に素早く交差した。翻ったからだが、食堂の明かりを反射してきらりと輝く。見事な連携プレーでさいの目切りにされたラムのみを、ゲンガーが両手でキャッチした。
ラムのみもなかなかに硬いんだよね。これからは切る時に困らないなあ……いやそうじゃなくて……。あれこれ考えながらもが何も言えずにいると、ニダンギルは「どう? どう?」と得意そうに錆一つないからだを見せつけた。
「よかったねえ……。うん、とてもよかった」
ちょっと切りすぎじゃない? だとか、こんなにどうするの、だとか。ニダンギルを止めるための言葉はたくさん思い浮かぶというのに。「褒めて」と言わんばかりに目を輝かせるニダンギルを前にすると、は文句の一つも言えなくなってしまった。
とりあえず、手始めにジャムにでもしようかな……。今尚切り刻まれていくきのみを前に、はそんなことを思ったのだった。