ヨノワールと手を繋いで帰る

 ヨノワールは、例えばヒトモシやデスマスたちのようにと一緒に遊ぶことはない。頼まれればするものの、サマヨールやジュペッタたちほど進んで家事の手伝いをすることもなく、ヌケニンやプルリル、ブルンゲルのように庭のきのみの世話をすることもない。
 ヨノワールはいつだってに対して自ら積極的に関わりにいくのではなく、どこか一定の距離を保っていた。それをも理解しているようで、「おはよう」だとかその程度の当たり前の挨拶をすることはあっても、ぐいぐいと距離を詰めてくる、そんなことはなかった。

 だから、早朝の廊下で鉢合わせたに「丁度いいところに!」と喜ばれ、その上「今から買い物について来てほしい」と頭を下げられたのは、普段殆ど表情が変わることのないヨノワールが大きな一つ目を何度も瞬かせるほどには驚くべきことだった。

 買い物に行く、とが言えば誰かしらがついていきたがるだろうに。ヨノワールが不思議そうに首を傾げると、は顔の前で手を合わせ、「お願い!」と声を上げた。ずい、と一歩踏み出され、ヨノワールはついつい後ずさる。しかし、は更にもう一歩を踏み出して、ヨノワールの大きな手を片方、がっしりと両手で掴んだ。

「どうしてもヨノワールにしか頼めないの!」

 珍しい状況と、のあまりの剣幕に圧されたヨノワールは、ややあってから思わず頷いてしまったのだった。



 そうして今、ヨノワールはと共に街の中央の広場に立っていた。冥界に比べたら随分と生ぬるい、早朝のひんやりとした空気を纏う風がからだの輪郭をなぞる。

 街に向かう道すがら、から「今日は月に一度の朝市の日なんだ」と聞いていたヨノワールは、辺りをぐるりと見回した。あさいち。聞いたことのない言葉だった。「簡単に言うと、早朝限定でとてもお得に買い物ができる……みたいな?」腕を組んだヨノワールは、森を歩いている時にが言っていたことばを思い出す。
 そう、今日は街へ徒歩で来ていた。曰く本当はいつも通りチルタリスに乗って行く予定だったらしいが、昨日遅くまでカゲボウズたちと遊んでいたチルタリスは揺すっても何をしても起きる気配がなく、諦めて歩いてきたのだ。

 早朝だというのに街は活気づいていて、広場を中心に忙しなく人やポケモンが行き交っている。
 このにんげんたちは皆、その朝市とやらが目的で集まっているのか。それにしてもすごい数だ。そんなことを考えながら、普段屋敷を離れることがあまりないヨノワールは、以外のにんげん、屋敷の仲間たちの何倍もの数のポケモンがいる新鮮な光景をぼんやりと眺めていた。

「前にたまたま朝早くに買い物に来たら朝市が開かれててさ」

 不意に話し掛けられて、ヨノワールは人混みに向けていた一つ目をへと向けた。

「その時一緒にいたのがムウマとジュペッタだったんだけど。お買い得だからってついつい調子に乗ってあれこれ買ったら、荷物がすごいことになっちゃって」

 あの時は帰るの大変だったなー、なんてが苦笑する。

「今日はヨノワールがついてきてくれてよかった」

 安心して買い物ができる! と笑ったに、なるほど、と、ヨノワールは頷いた。確かに多くの荷物を運ぶとしたら、屋敷に暮らすポケモンたちの中でも自分が向いているかもしれない、と考える。ムウマやジュペッタに比べたらゲンガーあたりも多くの荷物を持つことができそうだが、イタズラ好きのゲンガーのことだ。大人しく買い物に付き合ってくれるか怪しいし、何なら買ったものをつまみ食いしそうである。

「よし、それじゃあそろそろ行こうかな。まずはあっちのお店から!」

 そう言って人混みの間を縫うようにして歩きだしたのあとを、ヨノワールは追った。


 時間が進むにつれて、街の中央の広場は賑わいを増していく。
 広場をぐるりと一周し、殆どの店を見終わった頃。両手に一つずつの買い物袋を提げたが「ヨノワール、大活躍だったね」と顔を輝かせて言った。ヨノワールは、自身の左手に提げた大きな買い物袋へ目を向ける。袋いっぱいに詰められた色とりどりのきのみ。新鮮なきのみを売り出していた店が、「きのみの掬い取り」をやっていたのだ。
 様々な人やポケモンが両手を器のようにしてきのみを掬い上げる中、ヨノワールがその大きな両手で山のようにきのみを掬い上げると、あちこちから「すげー!」「やるなあ!」なんて声が上がった。店主まで、「今日一番の記録だ!」なんてはしゃいでおり、その賑わいに惹かれた客がどんどん集まって、その店は近辺の店の中でも凄まじい盛況振りを見せたのだ。

 そうして出来上がった人集りから抜け出すのは、なかなかに骨が折れたな。店での出来事を思い出しながらヨノワールが肩を竦めると、に疲れてないかと尋ねられた。

 新鮮なきのみの他にもいろんな地方のお菓子だとか、あれこれと買ったために荷物は既にいっぱいになっていた。ヨノワールも左手のきのみが入った大きな袋以外に、右手にも一つ買い物袋を提げている状態だ。けれど、別にこれくらいはどうってことがないので、ヨノワールは首を振る。すると、は安心したように息を吐いた。

「それならよかった。……でも、そろそろ帰ろうかな。一旦、人の少ないところに移動しよう」

 人の少ないところを探して、が辺りを見回した時だった。どっ、と目に見えて人やポケモンの量が増えたのだ。

 「朝市ももうそろそろ終わる頃だし、まだ売り切れていないものなんかが更に安く売り出され始めたみたい」

 むぎゅむぎゅと人の波に揉まれてよろめいたが、ヨノワールの顔を見上げながら言う。ヨノワールは人やポケモンの波に揉まれても、二メートル以上あるその大きなからだのおかげか、何ともなかった。それどころか、ぶつかってきた人やポケモンの方がよろめく始末だ。ヨノワールはの左手にある買い物袋をひょいと持ち上げる。重くない? と聞かれたが、左手に一つ、右手に二つの荷物は大した重さではなかった。それよりもここから早く離れるべきだ、と広場の端の方へ視線で促す。もヨノワールの言いたいことが分かったのか、礼を言うと広場の端に向かって歩き出した。

「わっ、ひ、人がすごいね」

 ヨノワールはできるだけの歩調に合わせているというのに、二人の間に少しずつ距離が生まれ始めた。お互い、手に持った荷物が人やポケモンに引っ掛かり、引っ張られている内にが人の波に流されてしまっているのだ。
 このままでは人混みに紛れてはぐれてしまいそうだ、と、ヨノワールは手にしていた荷物を全て左手にまとめると、空いた右の手で咄嗟にの左手を取った。が驚いた表情を浮かべたのが、見知らぬ人と人の隙間から見えた。

 ぐいと引き寄せて、ヨノワールはの前を進む。大きなからだの後ろは、人やポケモンにぶつかる心配もない。そうして人やポケモンの波を泳ぐようにすいすい進むと、何とか広場の端にたどり着くことができた。


 人混みはとうに抜けて、はぐれてしまう心配もなくなったというのに。ヨノワールはの手を自由にするタイミングを掴み損ねている。自分の手のひらに比べて、随分と小さく感じるサイズのにんげんの手。うっかり力を込めて折ってしまっても大変であるし、ここらで放すとしよう。そう思った時だった。

「ねえ、ヨノワール」

 タイミングがいいのだか悪いのだか。話しかけられて、またタイミングを逃してしまったな、とヨノワールは思った。一つ目を瞬かせてを見ると、が繋がれたままの手に視線を落とした。
 ヨノワールがさも、繋いだままでいたことに今気がついた、という風に目を見開いて、手のひらに閉じ込めていた熱を放すと、は「ふふ」と小さく笑った。

「さっきはありがとう! はぐれたらどうしようって思って焦ってたから、助かっちゃった」

 本来自分の左手にあった買い物袋を、ヨノワールの指からするりと抜き取ったが言う。別にそれくらい。ぱちりと一つ瞬きをしたヨノワールは、街から森へと伸びる道を指差した。

「そうだね、帰ろうか」

 頷いたが歩き出す。ヨノワールは荷物をしっかりと持ち直すと、の隣に並んだ。

 

「どうせなら、さっきみたいにして帰らない?」

 木々の間の、地面が剥き出しの道を歩きだして暫く経った頃。不意にがそう言った。
 さっきみたいに? の言いたいこと、意図を掴み損ねたヨノワールが訝しげな眼差しを向けると、はにんまりと、何やら楽しそうな表情を浮かべた。

「手を繋いで帰ったら、みんな驚くと思うんだよね」

 私がヤミラミやジュペッタ、デスマスと手を繋いでいたところで、多分誰も驚かないでしょ。続けられた言葉に、ヨノワールは頷く。はヤミラミたちとよく一緒にいることが多いので、その様子を想像するのは容易いことだった。

「でもさ、私とヨノワールだよ」

 そう言われ、ヨノワールは普段あまりお互いに干渉することのない二人が仲良く手を繋いでいる場面を想像をする。
 例えばとランプラー。別に二人は仲が良くない、なんてことはないが、あの照れ屋のランプラーがと手を繋いでいたら。確かに「何があった」とは思うかもしれない。
 次に思い浮かべたのはデスカーンだった。こちらも同じく仲が悪いなんてことはないが、デスカーンはときゃあきゃあと騒ぐタイプではない。そんなデスカーンがと仲良く手を繋いでいたら、頭でも打ったのかと心配になりそうだと思った。

「どちらかと言うと、私がいつもイタズラされて驚かされている方でしょ? だからたまには私が驚かせてもいいと思うんだよね!」

 ヤミラミの宝石の瞳のように目をキラキラと輝かせて笑ったの表情が、屋敷の仲間たちのイタズラを思い付いた時に見せる表情にそっくりで、ヨノワールは小さく笑ってしまった。
 期待するような眼差しを向けられて、少し考える素振りを見せた後、ヨノワールはの左手の荷物を取った。「えっ、それくらい右手でまとめて持てるよ」なんて焦ったような声が飛んで来たが、聞いていない振りをする。荷物を全て左手で持ち、そうして空いた右の手で、手持ち無沙汰になっている小さな左手を取った。

「……荷物を持たせるつもりはなかったんだけどな……。でも、ありがとう」

 ヨノワールからすれば小さい荷物が一つ増えたところで然して何も変わらない。ヨノワールが気にするな、と鳴くと、はありがとう、ともう一度笑った。


 他愛のない会話をしながら、木々の間の薄暗い道をのんびりとした歩調で進むと、やがて見慣れた屋敷が見えてきた。

「はー、みんな驚くかな」

 がヨノワールの手を握る左手に、少しだけ力を込めた。

 それを聞いて、ヨノワールはこっそりと肩を揺らした。
 はまだ気が付いていないが、ヨノワールには遠く離れたここからでももう、見えていたのだ。屋敷の門の前での帰りを待っていたチルタリスの頭の羽は分かりやすくピンと立っているし、その傍らに浮かぶムウマージとジュペッタの赤い目は遠くからでも分かるくらいに丸くなっている。丁度壁をすり抜けて出てきたゲンガーに至っては、二人が手を繋いで帰ってきたことに気が付くと、顎が外れてしまったかのようにあんぐりと口を開けていた。

 驚いて様々な反応を見せる彼らに追い討ちをかけるべく、ヨノワールは繋いだ手を高々と掲げて見せた。




(お題箱の「百鬼夜行のヨノワールさんと親密になるお話(番外編?)的なものを読んでみたいです。」より)


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