「……はい。はい。誠に申し訳ございません……」
時刻は朝の八時過ぎ。ベッドに横になり、布団を顎の下まで引き上げて縮こまったが、消え入りそうな声で言った。その顔は赤く、額にはキンキンに冷えた濡れタオルが乗っている。
その様子を、腕を組んだヨノワール、コンセントの刺さっていないドライヤーを手にしたユキメノコ、呆れた顔のジュペッタの三匹が、じっとりとした眼で見つめていた。
ベッドの横でチルタリスは「自業自得だなあ」と欠伸を溢し、状況がよく理解できていないヒトモシは部屋の隅でゆらゆらと揺れる。ゴースト、ゲンガー、デスカーンたちに至っては、この状況が面白くて仕方ない、とゲラゲラ笑い転げていた。
それぞれ好き勝手な反応を見せる外野を尻目に、ドライヤーをに突き出したユキメノコが、わーわーと声を上げる。
「……はい。反省しています。本当です。次からはちゃんと髪を乾かしてから遊びます」
ずびっ。神妙な顔で鼻を鳴らしたの言葉に、ゴーストたちの笑い声が大きくなった。
そもそも、どうしてもこのような状況になっているのかというと。昨晩、風呂上がりのはパジャマ姿で廊下を歩いていた。髪を乾かす前に、お茶でも飲もうかと食堂に向かっていたのだ。
しかしその途中でヤミラミやデスマス、プルリルたちに捕まって、一緒に遊ぼう遊ぼうとせがまれた。断りきれなかった彼女は濡れた髪のまま、彼らの開催するかくれんぼに参加してしまった。
適当に選んだ廊下の奥の部屋に隠れたのはいいものの、その部屋は当然暖房など付けていない。冷えた部屋の空気に「場所選びを間違えたな」とは思ったが、まあどうせすぐに見つかるだろうと部屋の隅で膝を抱えた。
ところが。結局、鬼であるデスマスにが見つけてもらえたのは数十分後のことだった。意外にも健闘したな、などと思いつつ、見つけてもらうのを待っている間に眠気に襲われた彼女は、かくれんぼが終了するとそのままベッドで寝てしまった。
朝になってもがなかなか起きてこないので、心配したユキメノコとヒトモシが部屋を覗くと、そこにあったのは真っ赤な顔をしてゼエゼエと荒い息をする彼女の姿だった。
三匹にが遊ぼうと誘われていたのはロトムが目撃していたし、濡れた髪のまま廊下の奥に向かう姿はサマヨールが目撃していた。
みんなの証言から「濡れた髪も乾かさず遊び、そのまま寝たから風邪を引いた」と推測することは容易い。結果、彼女は説教をされていたのである。
ちなみにかくれんぼを開催していた三匹は、既にユキメノコに叱られた後だ。
氷の体から湯気が出てしまいそうだわ、なんて心配をしたムウマージがユキメノコを宥める。ヨノワールは未だに笑い転げているゴースト達に部屋を出るぞと声をかけ、姿を消した。
ユキメノコはの額の濡れタオルに手をかざし、もう一度キンキンに冷やすと、「大人しく寝ているように!」と声を上げた。
言葉は伝わらないが、心配をしているということだけは理解できたが「ありがとうね」と申し訳なさそうに言うと、ユキメノコの怒りはやっと鎮まったようだった。
ムウマージとユキメノコが連れ立って部屋の扉から出ていくと、その後を追うようにヒトモシも姿を消した。
「……チルタリスも今日はここにいない方がいいかも。追い出すみたいで申し訳ないけれど、風邪をうつしたら嫌だよ」
ベッドの横で丸くなっている空色の体には話し掛ける。チルタリスは頭をもたげると少し考えるような素振りを見せた。「ね?」とが促すと、いつもより熱く赤らみを帯びたその頬にチルタリスは自分の頬を寄せて、また元の場所で丸くなった。
「もう……」
そうは言いつつも、チルタリスが心配してくれているのだということが分かっているは、口元を緩めると目を閉じた。
昼になり軽い食事を何とか摂ったは、風邪薬を飲むとまたベッドに横になった。くしゃみや鼻水は出るし、おまけに熱と頭痛でなかなか寝付けず、眠りに就いたのは大分時間が過ぎてからだった。
夕方になり、熱は平熱より少し高い程度までに下がったものの、それでも頭痛は酷いままだ。は唸りながら何とかお粥を作ると、それを無理矢理胃袋に流し込んだ。その後に薬を飲んで、ホールで見かけた仲間たちに「大人しく寝ます」と声を掛けると、客室に姿を消した。
漸く落ち着いたみたい。頭痛は相変わらずしているみたいだけど。と、彼女の様子を見てきたムウマージとユキメノコが言うと、ヨノワールは僅かに安心したようだった。時刻はもう真夜中になろうとしている。
この様子なら明日には熱が下がっていそうね。だとか、それならよかった。などとホールで話していた時だった。
大変、大変!と声を上げて、壁をすり抜けてホールに現れたのはカゲボウズたちだった。外からやって来た三匹のカゲボウズは、ホールで談笑するヨノワールたちの姿を見るや否や駆け寄ってきて、「知らないニンゲンたちがきた!」と口々に騒いだ。その言葉にムウマージが首を傾げると。カゲボウズ達は再度騒ぎ立てる。
『森の外を散歩していたら、怪しいニンゲンが二人もいたんだ!』
『屋敷の柵の外をウロウロしていて……』
『見たことのないポケモンも連れていたし……』
三匹のカゲボウズの言葉を聞いたヨノワール達は、顔を見合わせる。こんな辺鄙なところにある屋敷だから、普段から客人などないに等しいし、ましてやこの時間だ。何が目的でここにやって来たのか、大体の検討はついていた。
屋敷の仲間たちは、の眠る客室にいるチルタリスを除いてホールに集まった。
チルタリスは何者かが屋敷の近くをうろついていると聞いて不安に思ったが、その対処は頼もしい仲間たちに任せることにしたのである。
集合した屋敷の仲間たちは扉に近寄る。外からは微かに話し声が聞こえた。
『おい、ヒトツキ。この扉の鍵を破壊しろ。音は立てるなよ』
鍵を壊すなんて言ってる!と慌ててロトムが飛び回る。すると、「じゃあ開けちゃえば?」と、デスマスが扉の鍵を開けてしまった。ガチャり、と響く音に、辺りがしんと静まり返る。
屋敷の仲間たちは顔を見合わせる。いや、確かに鍵は壊されなくて済むけれど。そういう問題なのか?という空気に、デスマスが縮こまる。しかし。ヨノワールが「まあ、でも」と言葉を発する。
「客人」が来たからには、私達なりに「おもてなし」をするしかあるまい。
その言葉に屋敷の仲間たちは顔を見合わせると、至極楽しそうに笑った。
最初に入って来たのは、見たことのないポケモンだった。鍵を壊せと命令されていたのはあの子かしら?と、シャンデリア付近に浮かびながらユキメノコはヒトツキを見下ろす。続けて、一人の男が扉から入ってきた。男はボールからエレブーを出すと、フラッシュを命じた。玄関ホールが微弱な光で照らされて、男とエレブー、ヒトツキの影がユラユラと揺れる。
「うわ、まじで広いな」
そんなことを言いながら、男は周りを見回した。シャンデリア付近で息を潜めるユキメノコにも、グランドピアノの陰に浮かぶムウマージにも、男は気が付かないようだった。
暫くするともう一人男が入ってきたが、そちらも周りで様子を伺う屋敷の仲間たちには気が付いていない。彼らの連れているポケモンたちだけが、何となくその気配を感じ取って警戒している。
稍あって男たちが話し始めたので、ユキメノコは静かにシャンデリアから降り立つと、片方の男の耳にそうっと冷たい息を吹き掛けた。「ようこそ、いらっしゃい」と。
息を吹き掛けてすぐに姿を消したユキメノコには、誰も気が付かなかったようだった。一方で息を吹き掛けられた男は案の定驚き、「そういうの止めろよ」と語気を強めて隣にいる男に言う。怒られた方の男は、きょとんとした顔をしていた。
ああ、おかしい。こっそりにんまりと笑ったユキメノコは、完全に姿を消すとの眠る客室に向かったのだった。
の眠るベッドの横にユキメノコが姿を現すと、チルタリスが向こうはどうなってるの?と首を傾げた。その隣ではヒトモシとカゲボウズたちがウトウトしている。それに対し、ユキメノコはこれから楽しいことになると思うわよ、と笑ったのだった。
手前の客室の扉に手を掛けたものの、鍵が掛かっているので諦めたらしい男は隣の部屋に向かった。
その途中の廊下で、こっそりと姿を現したのはムウマだ。男の連れているエレブーの耳元で、エレブーだけに聞こえるほどの小声でわざとらしくクスクス笑うと、黄色と黒の毛が見事に逆立つ。
くるりと自分自身の体に巻き付いてしまった尻尾。トレーナーの男はそれに気が付くと、エレブーの体を肘でつついた。
「エレブー、お前おくびょうな性格だったか?」
エレブーはぎこちなく首を振る。それを見てムウマが笑い転げていると、不意にヒトツキと眼が合った。ヒトツキは騒ぐこともなく、退屈そうな顔をするだけだ。
こんなにも面白いのに、つまらないの?勿体ないじゃない!
ムウマはヒトツキに向かって話し掛けたが、ヒトツキはふいっと無視をする。ムウマは眉間に皺を寄せると、再度エレブーのことをつつこうとしている男の服を後ろからぐんと思い切り引っ張った。
突然服を引っ張られた男は、ひどく驚いたようだった。ムウマは素早く彼らの頭上に浮かび上がり、姿を消す。男はヒトツキの仕業だと思ったのか、「お前はイタズラが好きじゃないだろ。止めろよな」とヒトツキを叱った。
その子じゃなくて、こっちこっち。と、男の耳元でムウマが笑う。タイミングよくホールからピアノの音が鳴り響き、男は飛び上がってエレブーにしがみついた。
飛び上がってエレブーにしがみつき、挙げ句にエレブーの「せいでんき」でピリピリと痺れた男の姿を見て、漸くヒトツキは刀身の体を小さく揺らして笑う。ムウマは満足そうな表情を浮かべると、姿を消した。
隣の部屋で棚を物色する男を、ヨマワルとジュペッタは部屋の隅で見つめていた。驚かしてやろうかと意気込んだはいいものの、既に何だか顔色が悪く、少し拍子抜けしてしまったのだ。
ジュペッタの耳に掴まって頭の上に乗ったヨマワルは「このニンゲンは何を探しているのだろうか」と、ジュペッタは「そんなに埃を立ててあとで誰が掃除すると思ってんだ」と、それぞれ全く別のことを考えている。
エレブーは二匹の気配に気が付いてはいるものの、正確な場所までは掴めないらしく、落ち着きなく見回している。ヨマワルとジュペッタがどうするかなあと顔を見合わせると、二匹にやっと気が付いたエレブーが唸り声を上げた。
「おい、エレブー。どうし……」
エレブーの視線を追った男と、ヨマワルとジュペッタの赤い眼が合った。男が驚いて固まる。その時、侵入者の頭上の天井からぬっとプルリルが姿を現した。
どうやら侵入者の様子を見に来たようで、部屋に入ってすぐに固まっている男を見つけると、その首にそうっと触れる。ぺたりと張り付くような湿り気を帯びた触手に、男の目が見開かれた。
男とその手持ちたちが急ぎ足で部屋を出ていった後。悲鳴もあげないなんてつまらないの。と口を尖らせるプルリルに、ヨマワルとジュペッタはいいタイミングで来たなあと感心する。
プルリルはたまたまだけれどね、と苦笑した。
二階にいたはいいものの、デスカーンやヤミラミ、ミカルゲとランプラー、それにサマヨール達が張り切ってしまって、やることがなさそうで仕方なしに一階に来たところだったのだ。
プルリルの言う通り二階では、デスカーンやヤミラミたちが張り切って侵入者を驚かしていた。
二階に上がってすぐの、左手にある部屋。そこに男はやって来た。コイルの放つ微弱なフラッシュが、部屋の中をぼんやりと照らす。まだ誰も何もしていないと言うのに、見るからに「目に見えない何か」に怯えた男は、手持ちのグラエナにぴっとりと寄り添っていた。
その様子を見た、部屋にいたデスカーン、ヤミラミ、ミカルゲにサマヨール、はてはランプラーにまで「コイツはカモだ」と思われたことを男は知らない。
部屋の入り口のすぐ傍では、かなめいしに身を潜めたミカルゲが、部屋の奥ではデスカーンとヤミラミが待機をしていた。
デスカーンがわざとらしくカタン、と小さな音を立てると、鼻をひくつかせていたグラエナが、部屋の隅に向かって唸る。部屋の隅に僅かに近付いたコイルのフラッシュが、デスカーンの金色の体とヤミラミの眼の宝石に反射した。
「おおー……」
キラキラと輝く黄金と宝石。それにまんまと目を奪われた男は、じりじりとデスカーンたちに近寄った。
男の意識が、目の前のお宝にだけ向いているその瞬間。姿を消していたサマヨールが、コイルに向けてこっそりと「かなしばり」を放つ。コイルがフラッシュを使えなくなったことで、部屋は暗闇に包まれた。
突然のことに男が狼狽えたのを感じ取ったデスカーンは、大きな音を立てて起き上がると、棺の中に収めていた四本の手で目標に掴みかかる。ヤミラミもまた、グラエナに向かって飛びかかると「くろいまなざし」でからだの自由を奪った。
そこに、ランプラーの「おにび」だ。決して当てはしないものの、彼らの顔の横を掠めるように揺れ動く青白い炎。デスカーンのおどろかすで既に気を失いかけていた男は、叫び声を上げると今度こそ気絶してしまったのだった。
コイルとグラエナはミカルゲの「さいみんじゅつ」で眠らせて、完了だ。
気絶した男と、すやすやと眠るコイルとグラエナ。デスカーンたちが侵入者を協力して一階に運ぶと、ホールにはもう一人の気絶した男と、眠るエレブーがヨノワールとゲンガーによって運ばれてくるところだった。
ホールで顔を合わせた仲間たちは、「たわいもないな」と揃って肩を竦めた。
侵入者が目を覚ます前に、森の入り口まで彼らを運ぶのはフワンテとフワライドの仕事だ。侵入者を持ち上げて、風に乗った二匹を外で見送ると、屋敷の仲間たちは後片付けに取りかかった。
やがて朝を迎えれば、屋敷はいつも通りの日常を取り戻す。
***
「風邪、かなりよくなったよ! 頭も痛くないし。あとは咳だけかな~」
食堂で朝ごはんを前にが言う。ご心配お掛け致しました。と深々と頭を下げた彼女の横で、チルタリスとユキメノコ、ムウマージが満足そうに頷いている。
「……で、何でゲンガーとブルンゲルはちょっとふてくされてるの?」
深夜に一度は目を覚ましたのだが、それを本人は覚えていないようだった。
喉が乾いたと部屋の扉を開けたところで侵入者と鉢合わせ、暗闇の中シャンデラの青白い炎に照らされた、風邪のせいでこれまた青白い顔を幽霊だと勘違いされたことも、その直後にゴースのさいみんじゅつで眠らされたことも、どうやって驚かせてやろうかと待機していたゲンガーとブルンゲルが出番を奪われたと肩を落としていたことも、は知らない。
わざとらしく腕を組んでそっぽを向いたゲンガーと、困ったような顔をするブルンゲル。二匹の様子には首を傾げるしかなかった。
「それに、いつの間にか見ない顔が増えてるんだけど。……昨日何かあったっけ?」
食堂に揃った屋敷の仲間たちは、揃って首を振った。昨夜のことは、彼らだけの秘密である。男の元から勝手に逃げ出して、屋敷に居残っているヒトツキを見ながら、は目玉焼きを口に運ぶ。
「まあいいか……」
キシシ、と白い歯を見せて体を揺らすヒトツキに、はまた首を傾げたのだった。