ポケモンセンターは平日だろうと休日だろうと賑わっている。隅にあるベンチに腰を下ろし、適当に手に取った雑誌を広げた俺は、隣に座る後輩に小さな声で話し掛けた。
「街外れの森の中にある屋敷を知ってるか?」
缶コーヒーを飲んでいた後輩が、それを聞いてあからさまに嫌そうな顔をした。
「……はあ。まあ、知ってますよ。あの不気味な屋敷っすよね?」
「そう。あの不気味な屋敷だよ」
後輩は俺の言いたいことが分かっているのか、「確かに馬鹿でかい屋敷ですけど」と言うと、缶の中身を飲み干した。
「今夜はあの屋敷を狙う」
受付横に貼られた、「空き巣に注意!」のポスターを鼻で笑いながら言う。後輩は「分かりましたよ」と少し諦めたような顔で肩を竦めた。
時刻はもうすぐで真夜中になる頃。俺と後輩の二人は街外れの森の中を歩いていた。時折飛び出す野生のポケモンは、俺のエレブーが自慢の拳で蹴散らしていく。あと十分もしない内に目的地に着くだろう。俺たちはこれからあの屋敷に金目のものを盗みに入るのだ。
「組織は壊滅したってのに、やることあんまり変わってないっすよね」
「まあな」
そう、俺たち二人は元々とある組織に所属していた。表立っては活動できないような、犯罪組織だ。
組織の一員として働いていた当時も、民家や施設に盗みに入り、金目のものやポケモンを盗んでいた。
しかし。組織はとある事件をきっかけに壊滅してしまった。
他にいた団員たちがどうなったかは分からないが、組織の壊滅後、路頭に迷った俺たちは変わらず盗みを働くことで毎日を生きてきたのだ。
「はーっ。それにしても不気味な森っすね。フラッシュで明るいとはいえ、正直歩きたくないっすよ……」
後輩は道を照らしてくれているコイルを見つめながら言う。コイルは頼りにされているのが分かったのか、得意気にジジジと鳴いた。
「そう言うなって。あのでかい屋敷だ。当分働かなくていいくらいにはお宝があるだろうよ」
「だといいんですけど~。……わっ、見えましたよ。コイル、フラッシュおつかれさん」
コイルが明かりを落とす。後輩の言う通り、木々の葉の隙間から月明かりに照らされた馬鹿でかい屋敷の屋根が見えた。森の中に響くホーホーやヨルノズクの声と相まって、不気味に見える。
「ま~じでここに入るんすよね?」
様子を伺いながら、屋敷を囲う高い柵の周りを並んで歩いていると、後輩が小さな声で言う。「じゃなきゃ来た意味がないだろうが」と俺がきっぱりと返すと、後輩は「ですよね~」と気の抜けるような返事をした。
「……この屋敷の住人だがな。何年か前までは老夫婦が管理をしていたみたいだ。だけど今は女が一人で住んでいるらしい。あまり情報は手に入らなかったが……まあ、余裕だろ」
「このでかい屋敷に一人っすか……信じらんねえ」
「さすがにポケモンの一匹や二匹は連れてるだろうな。だが、こっちは二人分手持ちがいる」
柵の鍵はスライドタイプの簡素なもので、あっさりと柵の中に入った俺たちは、屋敷の正面の扉の前に立っていた。屋敷の周りを時間をかけてぐるりと歩き、いくつもの窓をチェックしたがセキュリティシステムらしきものは見当たらなかったことから、いざという時に退路の確保のしやすさも考慮した上で真正面から侵入することにしたのである。
俺は最近捕まえたばかりのポケモンをボールから出した。不機嫌そうにギイギイと鳴き声をあげるこのポケモンは、ヒトツキだ。
「おい、ヒトツキ。この扉の鍵を破壊しろ。音は立てるなよ」
まったく懐いていないヒトツキは、渋々といった様子で体を振り上げた。この程度の扉なら、こいつの「いあいぎり」であっさり開けられるだろう。ヒトツキが自身を振り下ろそうとした、その時だ。
ガチャり、と鍵の開く音がしたのだ。
「えっ」
「えっ」
予想外のことに俺と後輩は顔を見合わせる。いや、まさか。今まさに破壊しようとした鍵が、開くとは思わなかったのだ。いあいぎりを放つタイミングを失ったヒトツキは、困った様子でこちらをじっと見つめている。
「……まさか、気付かれたか?」
俺が思わず小さく呟くと、後輩が顔をしかめる。
「でも、この時間っすよ。しかも窓から見るに、明かりはついてないんすけど……」
後輩の顔は心なしか青ざめている。扉に耳を寄せるも、物音ひとつしない。そうこうしている間に痺れを切らしたヒトツキが、扉の取っ手に布を巻き付けて開くと、その中にするりと入り込んでしまった。
「あっ、こら!」
勝手なことをされては大変だと、俺は慌ててヒトツキの後を追う。
屋敷の中に入り、ボールからエレブーを出した俺は弱めのフラッシュを頼んだ。伸びをしたエレブーは頷くと、微弱なフラッシュで辺りを照らす。するとすぐそこにいるヒトツキが見えた。やって来た俺を、じっとりとした目で見ている。
「うわ、まじで広いな」
天井から提げられたシャンデリア。ホールに置かれたグランドピアノ。入り口から階段の先へ伸びるカーペット。この屋敷、まじででかい。
ヒトツキが何かをしでかす前に見つけられたことに安堵しつつ、屋敷の内部を見回していると、少し遅れて後輩がコイルと共にやって来る。
「……先輩、今日は止めません?いやほんとに、ここ不気味なんすけど……」
「入っちまったもんは仕方ないだろ」
「うう……じゃあ目当てのものをさっさと見つけて、さっさと退散しましょう」
「おう」
ヒトツキは周りを興味深そうにキョロキョロと見回している。それを横目に、二手に分かれるぞ。俺は一階でお前は二階……などと話していると、不意に耳元で冷たい風が吹いた。まるで誰かが、耳にそっと息を吹き掛けたようで、背筋がゾクゾクと震えた。
「うわ!お前、早く帰りたいからってそういうの止めろよ」
話しながら廊下の奥を見ていた俺は振り返り、二階に続く階段を見ていた後輩に語気を強めて言う。すると後輩はきょとんとした顔でこちらを見た。
「えっ、いやいや。何もしてないっすけど……」
後輩の訝しそうな顔。どうやら本当にこいつは何もしていないようだった。開いたままの玄関から風が入ったのか?……入ったのだろう。そう思うことにして、少し冷たくなった耳をさする。
「あー、もういい。さっさと始めよう」
「んじゃ二階に行ってきま~す……」
小さく弱々しく敬礼をした後輩は、コイルの他にグラエナを出すと階段を上がっていった。あのグラエナはかなり鍛えられているから、余程のことがない限りは大丈夫だろう。
それじゃあ俺もやるか、と意気込んで廊下に向かう。まずは廊下の手前の部屋だ。
「ん?なんだ開かねえな」
廊下の一番手前の右側の部屋は鍵が掛かっているのか、ドアノブを回してもびくともしない。俺とエレブーの後ろを相変わらず不機嫌そうについてくるヒトツキに、いあいぎりをしてもらうか悩んだが、ひとまず後回しにして他の部屋を物色することにした。
次の部屋に向かうべく廊下を歩いていると、隣を歩くエレブーが、尻尾を自身のからだにぴったりとくっつけていることに気がついた。
「エレブー、お前おくびょうな性格だったか?」
俺が笑いながら肘で軽くつつくと、エレブーはぎこちなく首を振った。おいおい何だよ。と、再度黄色の体をつつこうとした時だ。ぐん、と服の裾を引かれ、突然のことに驚いて振り返る。しかしそこにいるのは当然ヒトツキだけだ。ヒトツキはギイギイと何かを訴えるように鳴いた。
「お前はイタズラが好きじゃないだろ。止めろよな」
俺の言葉に、ヒトツキはむっとしたようだった。その様子に眉間に皺を寄せる俺の耳元で、くすくすという笑い声が聞こえた。続いて、ポーン、という高い音が響く。玄関にあったグランドピアノの音だと分かるまで、そう時間は掛からなかった。
思わずエレブーにしがみつく。エレブーは不安そうに俺を見た。特性「せいでんき」で体がピリピリしたが、それどころではない。
「……確かに気味が悪いな」
二階に行った後輩は大丈夫か?と思いつつ、先ほど開かなかった部屋の隣の部屋を覗く。
隣の部屋はあまり使われていないようだった。置かれた棚を漁るも、特にこれと言ってめぼしいものはない。次だ次。棚を静かに戻そうとした瞬間、エレブーが部屋の隅に向かって唸り声を上げた。
「おい、エレブー。どうし……」
エレブーの視線の先に向けた俺の目に入ったのは、こちらを見つめる赤い三つの眼だった。驚いて固まる俺の首筋に、冷たい何かがぺたりと触れる。
思わず叫びそうになるのをグッと堪え、慌てて無言で部屋を出る。
分かっている。こういうところに出るのは、イタズラ好きのゴーストタイプのポケモンたちと相場は決まっているのだから。驚いたら向こうの思うつぼなのだ。
大丈夫だ、落ち着け。俺は自分自身を落ち着かせようと言い聞かせる。
廊下に出ても、エレブーは不安そうな唸り声を止めない。ヒトツキは相変わらずギイギイと鳴いている。こいつらも落ち着かないし、一度後輩と合流するか?
それにしても、さっきのは何のポケモンだ?赤い三つ眼のポケモンはゴーストタイプにいたか?それに、首に触ったアレもだ。水タイプのような湿り気を感じたが、ここは森の中だぞ。
そう、あれこれと考えながらホールに引き返そうとすると、先程は確かに開かなかった扉が静かに開いた。
そうして見えたのは。
怪しく燃える青い人魂のようなものに照らされた、一人の青白い顔の女だった。
「…………!」
ちょっと待て。ゴーストタイプのポケモンならまだしも、幽霊が出るとは聞いていない。そんなことを思いながら意識を失う寸前、二階から後輩の叫び声が聞こえたような気がした。
目を覚ますと、俺と後輩の二人は森の入り口に倒れていた。手持ちのポケモンたちはことごとく気持ち良さそうに眠っているし、新入りだったヒトツキはいなくなってるし、散々であった。
「だからやめようって言ったじゃないすかー!」
「いやまさか本当に幽霊が出るとは思わなかったんだよ……」
ポケモンセンターに手持ちを預け、治療が終わるのを待つ間、俺たちはお互い何を見たのか話していた。
二階に行った後輩は、暗闇で光る宝石や金色に輝くでかい装飾品のようなものを見つけたはいいものの、その直後にフラッシュを使用していたコイルがやられてしまったらしい。真っ暗になった部屋の中で、見えたのは青白い炎と赤い一つ目。その後は、何も覚えていないとのことだった。
「まじでもうあんなところ行きたくないっす」
「俺もさすがに嫌だわ」
赤い三つ目、首に触れた冷たい何か。青い人魂のようなもの。それに青白い顔の女。それらを思い出すと、また背筋がゾクりとした。
「あの屋敷に住んでいるらしいって女、本当に生きてるんすかね」
「やめろよ……」
最後に見た女の顔を思い出す。
あの屋敷に住んでいる女だったのか?とも思ったが、それにしてもあの顔色は……青白くて、とても生きているようには見えなかった。
俺たちは顔を見合わせると、溜め息を吐いた。真相は謎のままだが、生憎確かめに行く気は微塵も起きなかった。