そういえば、とチルタリスの出逢いはいつだったの?、と。
その質問を耳にして、同じようにピアノの傍でピアノの音色に耳を傾けていたデスマスも僕も聞きたいなあ、と頷いた。チルタリスは眠気を払うようにふるふると頭を振ると、話したことはなかったっけ。と首を傾げる。するとムウマージがピアノの演奏を止めてそうねえ、と頷いた。
思えばとチルタリスがこの屋敷にやって来て住むようになってから二年以上の月日が経つのに、二人が屋敷に来る前のことをこの屋敷の仲間達は聞いたことが無かった。ヒトモシやデスマス、ムウマージはチルタリスによかったら聞かせてよ、とせがむ。
そうだなあ。僕との出逢いは……チルタリスは語りだす。と出逢った初めての日のことを。
とチルタリスが出逢ったのはがまだ幼くて、チルタリスもまだチルットの頃だった。
とある街にある大きな公園。ある日、その公園の芝生の上の木陰でのんびりとチルットが昼寝をしていた所、どこからか小さな女の子が駆けてきた。顔を真っ赤にして、目には大粒の涙を湛えて、その様子は今にも大声を上げて泣き出しそうだ。
この公園の近くにはトレーナーズスクールがあって人間の子供達が集まって勉強をしているということを知っていたチルットは、ちらりとその女の子を見るとこの子もそこに通う人間だろうかと考えた。そしてその女の子はぐすぐすと鼻を鳴らして辺りを見回すと、チルットのすぐ傍に膝を抱えて座り込む。
暫く女の子のことを見つめていて眠気がすっかりどこかへといってしまったチルットは、一体何があったのやら、と、眼の前の女の子のことを観察していた。女の子は大声を上げて鳴きこそはしなかったものの、うー、と小さく声を上げると手の甲でぐしぐしと目を擦る。どうやら何とか堪えているらしい。それを見たチルットは、のそりと起き上がってその女の子の前に移動する。女の子の涙に濡れて少し赤くなってしまった目が、驚いたように開かれた。
「あの、えっと。……うるさかった?」
チルットはううん、と頷くと、その女の子の目元を拭ってやる。綿のような羽はすぐに涙を全てさらってしまった。
「ありがとう。やさしいね」
チルットが少しだけ照れたように笑うと、女の子も釣られて笑った。泣き顔より笑った顔のがいいねえ。そうチルットが鳴くと、女の子は首を傾げた。
「ごめんね。ポケモンのことばは、分からないや」
チルットが気にしていないというようにふるりと首を振ると、女の子は言葉を続ける。
「もしよかったら、ちょっとだけ、ぎゅってしてもいい?」
人間と触れ合ったことは無かったが、別にこの子なら平気そうだ。そう思ってチルットが頷くと、女の子はありがとう、とまた笑った。そして恐る恐るチルットの体に手を伸ばし、まるで壊れ物を扱うようにチルットの体を抱き上げる。それが何だかくすぐったくて、チルットはもぞもぞと体を動かした。そして意を決したように女の子は抱き上げたチルットの体をぎゅうと抱きしめる。
「あたたかいねえ。すっごく、おちつく」
チルットは女の子に抱きしめられて、少し得意気にちるると鳴いた。
「わたし、。あなたは、えっと、チルット、だっけ」
と名乗ったその女の子はチルットの頬に自分の頬を寄せながらそう尋ねた。チルットは、と頭の中で繰り返すと、の問いに頷いた。それから先程どうしてはあんなにも泣きそうだったのだろうと考える。
チルットの頬から頬を離したは、チルットのその不思議そうな顔に気がつくと、首を傾げた。チルットがもう一度の目元を拭う動作をして見せると、そこで漸くはチルットの聞きたいことが何となく分かったらしい。困ったように眉を寄せると、何があったのかを小さな声で話し出した。
「あのね。同じクラスにポケモンをもっている男の子がいるんだけど、その子がすっごくいじわるしてくるの。ポケモンをもっていない子はほかにもいるのに私だけばかにしてくるし……今日だってわたし、その子のポケモンにぶつかられてころんじゃったし……」
自分から逸らされたの視線の先をチルットが辿ると、の膝が赤くなっていることに気がついた。血は出ていないが、軽く擦り剥いてしまったようだ。
「チルット」
不意に名前を呼ばれて、チルットはの膝からの顔へと視線を戻した。先程よりも幾分明るくなった顔で、は笑う。
「あのね。話をきいてくれてありがとう。なんだかすっきりした!」
チルットをそっと芝生の上に座らせると、は勢いよく立ち上がる。
「かばん、置いてきちゃったんだ。取りにもどらなきゃ」
またここに来たら、お話してもいい?そう尋ねられて、チルットは頷いた。初めて人間と話して触れあったが悪い気はしなかったし、何よりチルットも楽しかったのだ。チルットが頷いたのを見たは安心したように息を吐いた。
「よかった!それじゃあ、またね」
チルットに手を振るとは公園の入り口へと駆けていった。これからトレーナーズスクールに置いてきてしまったという鞄を取りに戻るのだろう。それを見送ったチルットはもう一度眠ろうかと考えて、あることが気になった。
一度気になってしまうと、それはまるで黒い靄のようになってチルットの頭の中に広がっていく。眼を閉じて眠ろうとしてもその「あること」がどうしても気になって、どうにも眠れそうに無いと判断したチルットは勢いよく起き上がると、翼を広げて飛び立った。
一方トレーナーズスクールに鞄を取りに戻ったは、自分の鞄を持ったクラスメイトの男の子の姿をスクールに併設されたバトルフィールドで見つけた。クラスメイトの隣には、自分のことを転ばせたポケモンであるタツベイも意地悪そうな顔で立っている。
「あっ!泣き虫じゃん!なんだよ、もどってきたの?」
「うるさいなあ。かばん、返してよ。それに泣いてないもん」
むっとした表情でが言うと、クラスメイトは嘘だあ、と笑った。
「泣きそうだったじゃん。そんなよわっちいやつには返してやらねー」
「泣いてないよ!」
「うそつくなよー!よしっ、タツベイ、また転ばせて泣かせてやろうぜ」
その言葉を聞くや否や、タツベイはぎゃあと声を上げるとの方へと走ってきた。いくらポケモン同士のバトルじゃないから手加減されてるとは言え、ぶつかられるのは痛いし転ぶのも嫌だ。でも、どうしよう。そう思って思わずが目を瞑った瞬間だった。
空から白い雲が落ちてきたと思ったら、タツベイの体をぽよん、と跳ね返してしまったのである。
「え?え?」
突然のことに驚いて、男の子と跳ね返されて尻餅をついたタツベイは揃って目を白黒させている。一方その空から落ちてきた雲の正体がすぐに分かったは、ぱっと笑顔を浮かべてその名を呼んだ。
「……チルット!」
そう、タツベイの体を綿雲のように柔らかい羽で跳ね返したのは、チルットだったのだ。チルットは鞄を取りに戻ったがまた男の子に意地悪をされるのではないかと思って、慌ててその後を追いかけてきたのである。
「な、なんだよ!、ポケモンもってたのかよ!だったらバトルしようぜ!」
「いや、その……」
が自分のポケモンじゃあないけれど、と言いかけた所で、それを遮るようにチルットがちる、と少し鋭い声で鳴いた。
「まあどうせと同じで泣き虫のよわっちいやつだろ!タツベイ、ひのこだ!」
タツベイがぷくりと頬を膨らませたかと思うと、火の粉を吐いた。チルットはそれを飛び上がって避けると、すぐにタツベイの背後に回りこんだ。そしてそのまま大きな声を上げてタツベイのことを突き飛ばす。
「あっこの!タツベイ、かみつく!」
しかしタツベイはチルットの「おどろかす」によって怯んでしまったのか、反応が遅れた。その隙を逃さずにチルットはタツベイの体を嘴でつつき回す。チルットのみだれづきが決まって、タツベイは眼を回して倒れてしまった。
それを見た男の子は信じられない、といった様子で立ち尽くしている。チルットはの隣に並ぶと、男の子と同じようにぽかんとしていたの足をつついた。
「あ、えっと。も、もう、わたしにいじわるしないでよね!」
はっとした様子でが言うと、男の子は漸くタツベイをボールに戻し、それからつえーじゃん、と呟いた。それに対してが何かを言う前に、チルットが男の子の足を少し力を込めてつつく。
「いってえ!……分かった、分かった。もうしないよ。悪かったよ」
男の子が降参だと言うように両手を上げると、チルットはふん!と鼻を鳴らす。それからポケモンセンターに行くという男の子をとチルットの二人は見送ると、公園へと再び向かった。
先程の芝生の上の木陰の下に並んで座ったの顔は晴れやかだった。それを見てチルットも自然と笑顔を浮かべる。
「チルット、強かったねえ。すごくすっきりしちゃった」
チルットのおかげ。そう言ってはチルットを抱き締めた。チルットは照れくさそうにふるりと体を震わせる。
「もういじわるしないって言っていたけど、本当かなあ」
それに対してチルットはどうだろう、と首を傾げる。それから、多分あの男の子はのことが好きで、気を引こうとして意地悪をしていたけれど、残念なことににその真意は伝わっていないしマイナスの方向に働いていそうだと苦笑した。
「……あのね。もしまたいじわるされても平気なように、わたし、強くなりたい」
不意にそう呟いたの言葉をチルットは静かに聞いていたが、「チルットと一緒に」と続けられた言葉に、思わず驚いて眼を見開く。
「さっきはわたしは何もできなくて、全部あなたがやってくれた。でも強くなって、ちゃんとチルットと一緒にバトルがしたいの」
だめ?そう尋ねられて、チルットは少し考える素振りを見せてから笑顔で頷いた。野生で気侭に暮らすのも楽しいけれど、何だかと一緒ならそれ以上に楽しそうだと思ったのだ。ありがとう、と安心した表情を浮かべたはチルットをぎゅうと抱き締めて、チルットもを抱き締め返した。
こうして、チルットはの手持ちとなったのだ。
チルタリスの話を聞き終えて、ヒトモシやデスマス、ムウマージは満足そうな顔だ。
そしていつの間にか途中から話を聞いていたゴーストが、もしも次が誰かに意地悪でもされることがあったらここに連れてくればいいな、と笑った。
チルタリスがどうしてかと首を傾げると、ゴーストが白い牙を見せて笑う。屋敷の仲間総出でそいつのトラウマになるくらい怖がらせてやれば、二度と意地悪をしてやろうなんて思わないだろう、と。チルタリスが苦笑すると、ムウマージ達はそれはいい考えだ、と楽しそうに笑った。
それから暫くの間、チルタリスにヒトモシ達があれこれととの昔話について質問をしていたが、丁度裏庭に面した窓の外に花や木の実に水を遣るの姿が見えると、噂をすれば、とデスマスやヒトモシ達はそちらへと駆けていく。ムウマージは再びピアノを奏でだし、ゴーストはまた姿を消した。
昔のは確かに少し頼りなくて、チルットだった頃の彼は自分が守ってやらなくてはと思った。そんな昔のは強くなりたいと言って、確かに変わって強くなった。チルタリスだって変わった。
それでもずっと変わらないものは、チルタリスとはお互いがお互いにとって一番のパートナーだということだ。
チルタリスは窓の向こうのを眼で追っていたが、そのがふと顔を上げた。は自分を見つめるチルタリスに気がついたのか、ふっと柔らかく笑う。
まるで心が通じているみたいだ、そう思った瞬間、大切なものがすべてあるこの場所がたまらなく愛おしく思えて、チルタリスもまた笑って見せた。
20150722/第二部 おわり