ヒトモシとタマゴ

そうしてタマゴが屋敷にやって来てから、三日目のことだ。ゲンガーがの使っているベッドの上で寝そべって、毛布に包まれたタマゴの殻をつんつんとつつき、ヨノワールはそれを近くで腕を組みながら眺めていた。はゲンガーの隣に座り、膝に乗せたカゲボウズ達の頭を順番に撫でていたのだが、不意にタマゴが揺れたのだ。突然のことにベッドの隣にいたミカルゲは、ひゃあ、と声を上げて要石に引っ込む。カゲボウズ達はタマゴよりもミカルゲの声に驚いたようで、の膝の上から飛び上がるとぽてりとベッドの上に落ちた。タマゴが動いたことにもミカルゲの悲鳴にも驚いたは、びくりと肩を跳ねさせた後に目を瞬かせながらタマゴへと目を向ける。

「今、動いたよね!?」

が興奮した様子で早口に言うと、ゲンガー達は揃ってうんうんと頷いた。神妙な面持ちで達が再度タマゴへと目を向けると、タマゴは達に応えるように再度ことことと揺れる。がそっと毛布からタマゴを持ち上げて膝に乗せると、タマゴの揺れが大きくなった。自然との手のひらに汗が滲む。ゲンガー達も緊張しているようで、を取り囲むように集まるとじっとタマゴを見つめた。

タマゴは揺れては静まり、揺れては静まりというのを数度繰り返していたが、やがてその表面に一つの皹を走らせた。それを見た三匹のカゲボウズは、何かを思い付いたようにベッドの上から浮かび上がると、散り散りになって壁を擦り抜けていく。

タマゴの殻に少しずつ皹が増え、今にも孵りそうだという時、この客室にいなかった他の屋敷の仲間達が壁から一斉に姿を現した。カゲボウズ達が、タマゴが孵るかもしれないから、と集めてきたのである。カゲボウズ達に集められた屋敷の仲間たちは、を取り囲んでいるゲンガーやミカルゲ、ヨノワール達の影からそれぞれ息を潜めての膝の上のタマゴへと視線を注いだ。タマゴが一際大きく揺れる。

───次の瞬間だった。タマゴが傾いて割れた殻がころりと落ちたかと思うと、そこから続け様に殻が落ち、そして一匹のポケモンが姿を現したのだ。

白い蝋燭のような姿をした、見たこともないポケモンだった。眼をぴったりと閉じて、微塵も動かない。そんな様子を心配したがそのポケモンをそっと抱き上げると、そのポケモンは漸く眼を開けた。黄色の真ん丸の眼が、の姿を映す。そのポケモンはの顔をまじまじと見つめると、ひゅうん、と小さく鳴いてみせた。

「……初めまして。私は、。よろしくね。あなたは、何て名前のポケモンなのかな?」

が語り掛けると、そのポケモンはきゃっきゃと笑った。安心したようにが笑って自分の膝の上にそのポケモンを下ろすと、そのポケモンはそこで漸く周りを見回す。そして自分がたくさんのポケモン達に囲まれているということに気が付いたようで、きゃっ、と小さく声を上げると慌てての身体に擦り寄った。そのポケモンが驚いたことに気が付いた屋敷の仲間達は、慌てた様子で取り囲むのを止めて部屋の中に散り散りなる。屋敷の仲間達が少し離れたのを見たそのポケモンは、恐る恐るの膝の上から部屋の様子を眺めた。

「ここにいるみんなはね、私の友達で、仲間なの。みんないい子だから怖がらなくても大丈夫だよ」

の言葉にそのポケモンが不思議そうに首を傾げる。するとそのポケモンとを近くで見つめていたムウマが、の膝の傍へと一層近寄った。そして少し身体を跳ねさせたそのポケモンと同じ目線に浮かぶと、何やら話し掛け出す。最初は少しおどおどしていたそのポケモンも、少しずつきゃっきゃと声を上げだした。そんな様子を見たカゲボウズやムウマージ、ゴーストにデスマス、ジュペッタと少しずつそのポケモンに近付く屋敷の仲間達は増え、最終的には再び屋敷の仲間達にとそのポケモンは取り囲まれたのだった。



「何て話してるのか分からないけれど、大丈夫そうだね」

ベッドに座るの膝から下りて、ベッドの隅で何やら話して盛り上がっているそのポケモンと屋敷の仲間達を眺めながら、は自分の隣に身を寄せるチルタリスに話し掛ける。チルタリスはにこりと笑って頷いた。

「でも、ポケモンの名前が分からないと困っちゃうね。今日はもう遅いから、明日にでも図書館に行って調べてみようかな」

が困ったように笑うと、チルタリスは少し考えるような素振りを見せてからユキメノコを呼んだ。ユキメノコはどうしたのかと言うように不思議そうな表情を浮かべると、すぐにとチルタリスの元へとやって来た。そしてチルタリスがユキメノコに何やら伝えると、ユキメノコが笑顔で頷く。は何を話しているのかさっぱり分からない、とユキメノコの動作を目で追っていた。ユキメノコは部屋の隅に置かれた机からペンと一枚のメモを持ってくると、の足元で何やら文字を書き出す。それを見て漸くはああ、と声を上げた。

屋敷の仲間達は当然ポケモン同士なので、あのポケモンから直接名前を聞けば何と言うポケモンなのか分かるだろう。そしてユキメノコは文字が書けるので、それを書いて貰えばいいのだ。全然思い付かなかった、とが苦笑すると、チルタリスは得意気な顔をして見せる。ユキメノコはあのポケモンの名前を書き終えたようで、メモを名前に渡した。そのメモには、「ヒトモシ」と少し歪な字で書かれている。

「ヒトモシ?」

が声に出してみると屋敷の仲間達と盛り上がっていたあのポケモンが途端に反応し、ぷかりと浮かび上がってからの身体に飛び付いた。どうやらタマゴから孵った時に初めて見たをおやだと思っているのか、懐いているようだ。その様子を見たゴース達が、おお、と声を上げる。

「そう、あなたはヒトモシって言うんだね」

大きく何度もそのポケモン───ヒトモシは嬉しそうに笑った。


***


次の日、結局新しい仲間のことが分からないと困るから、と図書館から「イッシュ地方のポケモンについて」という本を借りてきたは、ジュペッタとキッチンにいた。折角だからヒトモシのためにケーキを焼こうと思ったのである。

そしてケーキを焼くというとゴーストやゲンガー、ジュペッタに珍しくデスカーンが手伝うと騒いだので、こんな大人数でキッチンに入られても困るからとじゃんけんをしてもらった結果ジュペッタが一人勝ちをしたのだ。恐らく摘み食い狙いだったであろうゴーストとゲンガーにデスカーンは、きいきいと悔しそうに騒ぎながら食堂のテーブルで肘をついてキッチンの様子を眺めている。ちなみに借りてきた本は、図書館について来て本を探すのも手伝ってくれたヨノワールが食堂の隅でふわふわと浮かびながら読んでおり、はケーキを焼き終えたら読もうと考えていた。

キッチンで薄い水色のエプロンを着けたが、すぐ隣で同じようにぴったりのサイズに作られた桃色のエプロンを着けたジュペッタの手を取る。

「折角屋敷の仲間になったんだから、ヒトモシのためにも美味しく作らないとね」

ジュペッタは笑顔で頷くと、泡だて器を手にびしっと立って見せる。そんなジュペッタに笑いながら、はキッチンの入り口に浮かぶヒトモシに声を掛けた。

「今から頑張って美味しいケーキを焼くから、楽しみにしてて!」

ヒトモシがの声に応えるかのように大きく頷いた。すると、ヒトモシの頭に突如明るく火が点る。その瞬間、突然を眩暈が襲った。ヒトモシがを心配そうに見つめながら首を傾げる。大丈夫、そう言おうとしては思わず額を手で押さえ、しゃがみ込んだ。ジュペッタが慌てたように騒ぎ、キッチンの様子をぶうぶうと文句を言いながら眺めていたゴースト達も驚いた様子での元へと駆け寄ろうとした。

だが、それよりも早く動いたのはヨノワールだった。慌てた様子で食堂のテーブルを擦り抜けて一直線にヒトモシの元へと向かうと、ヒトモシを抱き上げてから遠ざけ、ヒトモシに何かを語り掛ける。ヒトモシは何やら不思議そうな顔をしていたが、ヨノワールと話すに連れて驚いたような表情を浮かべ、それから泣きそうな顔をした。
この時のことをは後から理解するのだが、ヒトモシは人やポケモンの生命力を吸い取ると炎を煌めかせるらしい。丁度図書館から借りた本を読み、ヒトモシというポケモンについて書かれたページを読んでいたヨノワールが、「ヒトモシが人やポケモンの生命力を吸い取ると炎は煌く」という恐ろしい文章に眼を通した所で慌てて飛んできたのだ。生まれたばかりでヒトモシ自身は自分のそんな能力を知らなかったので、ヨノワールの言葉に驚き、そして知らずのうちに一瞬でもの生命力を吸い取ったのかと思うと悲しくなった。

ヨノワールに本を差し出されて、ヒトモシについて書かれたページを読んだは、そこで漸く先程の眩暈や、ヨノワールの慌てた様子、ヒトモシの悲しそうな表情について合点がいった。そして困ったように笑うと悲しそうな顔をしてヨノワールの隣に浮かぶヒトモシを抱きしめる。

「……生まれたばかりなんだから、知らない事だらけで当然だよ。これから、少しずつ知っていけばいいよ」

ほんの一瞬だったし、すぐ頭痛も治まったから大丈夫。ね?とが言うと、ヒトモシは泣きそうな顔のまま何度も頷く。そして一体何が起こったのかと心配そうにしているゴースト達にヨノワールがヒトモシについて書かれたページを開いて本を差し出すと、ゴースト達も何が起こったのかを理解したようで、ヒトモシを元気付けるようにぽんぽんとヒトモシの背を軽く叩いたのだった。


***


一つでは足りないからと、たくさんの大きな丸いシフォンケーキが焼きあがったのは丁度三時頃だった。おやつ時にはぴったりな時間だ。食堂に屋敷の仲間達が集合すると、途端にわいわいと騒がしくなる。ヒトモシは自分の前に置かれた皿の上のケーキをまじまじと見つめた。ふっくらとしていて甘い匂いが漂うそれは、食欲を誘う。何だか食べるのが勿体無いような気がして躊躇っていると、隣にいたチルタリスとゴーストが声を掛けた。

どうしたの?食べてごらん。美味しいよ。
食べないなら俺が食っちまうぞ?

二匹にそう言われて漸くヒトモシはケーキに齧り付いた。その甘さに、思わず顔が綻ぶ。ヒトモシの表情に、チルタリスとゴーストが顔を見合わせて笑った。もぐもぐと口を動かし、漸く飲み込んだヒトモシは不意に口を開く。僕、ここに生まれて良かったなあ、と。
まだ生まれて二日目だけれども、みんな優しくて、みんな大好きになった。そう笑ったヒトモシの火の点っていない頭を、そうだろう、とゴーストがわしわしと撫でてチルタリスも頷く。ヒトモシは楽しそうに声を上げた。


──ヒトモシは自分が公園に捨てられていたタマゴから生まれたのだということを知らない。だが、それは知らなくていいことなのだ。タマゴの頃に捨てられたということは悲しく、不幸な事実である。だが、ヒトモシはこの屋敷で生まれ、もうここの仲間になった。これからきっと幸せになれるだろう。それはヒトモシの幸せそうな笑顔が、そう告げていた。


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