「そうそう、ちゃん。あなたもこの噂知ってる?」
サマヨールに現像して欲しいと頼まれたフィルムカメラの現像を頼みに来た街の写真屋で、は店員にそう話を切り出された。この写真屋は二年前に初めてアルバムを買った店であり、またサマヨールのために使い捨てでは無いフィルムカメラを買った店でもある。デジタルカメラをは持っているのだがどうもサマヨールはフィルムカメラの方が好きらしく、が一年程前にサマヨールにせがまれて買ってやったフィルムカメラを大切にしているのだ。その為何度かこの写真屋にはアルバムやフィルムの買い足し、現像に訪れているので店員とは親しくなったのである。
「噂って、なあに?」
「それがね、…………出るのよ」
態とらしく声を潜め、少しの間を空けて言い放たれた言葉には首を傾げる。すると店員は眉を潜めた。
「あのね、……ほら、海があるじゃない」
「……うん」
「あそこで、遂に幽霊が出たらしいの!幽霊よ、ユーレイ!やだー!」
「……えっ?」
思わずが聞き返すと、店員はレジから身を乗り出して口を開く。
「私も聞いた話なんだけれど、この前真夜中に海に言ったカップルが見たらしいの。大量のふわふわと漂う影に、更には一人の女の影が見えたらしくって……」
「へ、へえ……」
「カップルは慌てて逃げたみたいで、結局何だったのか分からなかったみたい。でも、どう考えても幽霊だって、そこそこ噂になってるのよ」
そこまで店員が話し終えると、の隣で大人しくしていたゴーストが遂にげらげらと笑い出した。店内の少し離れた所にいたチルタリスも笑っているのだろう、身体が小刻みにぷるぷると揺れている。
「そういえば、ちゃんはゴーストを連れているのね。この前はデスマスだったっけ」
「ま、まあね。でもこの子達はゴーストタイプのポケモンだから良いけれど、幽霊はさすがに怖いかなー……」
そう言いながらはひいひいと苦しそうに笑っているゴーストの頬をむに、とつねった。しかしすぐにゴーストが笑いながら身体を非実体化させてしまったので、ゴーストのにやにやと笑っている顔を手が擦り抜ける。
「と、とりあえず今日は帰るね。現像ありがとう!」
現像してもらった写真の入った袋を手に、少し焦ったような様子でがそう言うと、写真屋の店員は笑顔でまた来てね、と手を振った。それに笑顔を返すとは写真屋を出る。ゴーストとチルタリスもその後を追った。
写真屋を出てから無言でずっと歩いていたは、海の近くの公園のベンチに座ると漸く口を開いた。
「あの時、人が来たなんて気が付かなかったよ」
あの時、と聞いてチルタリスはみんなで海に行った時のことを思い出しながらの言葉に頷いたが、ゴーストは写真屋での話を思い出したのか、再びげらげらと笑い出した。
「確かに住んでる所はゴーストタイプのポケモンだらけで幽霊屋敷みたいだけど、まさか自分が幽霊と間違われるなんて……」
笑い転げるゴーストを怨めしそうに見つめると、ゴーストは両手で口を押さえて漸く笑うのを止めた。
「もう、笑いすぎ!」
ゴーストはの周りをくるくると楽しそうに回ったが、不意にぴたりと動きを止めるときょろきょろを辺りを落ち着きなく見回した。突然のことに驚いたがゴースト?と声を掛けたが、ゴーストはに眼を向けること無く忙しそうに辺りの様子を伺っている。仕舞いにはチルタリスまでもが首を伸ばし、怪訝そうな顔をしたのだ。
「二人とも、どうしたの?」
も二匹のように辺りを見回したが、二匹が何故そのような行動を取っているのか分からないは首を傾げるしかない。軈てゴーストがぱっと姿を消すと、チルタリスがの服を嘴で引っ張った。慌ててがベンチから立ち上がる。
「ねえ、どうしちゃったの」
チルタリスは良いから、と言わんばかりにの服を引っ張って歩き出す。そうしてがチルタリスに連れてこられたのは、公園の隅の陽の当たらない叢だった。叢の傍には姿を消していたはずのゴーストがおり、を見ると急かすように叢を指差す。
「……何かあるの?」
二人に急かされて叢を掻き分けたは、思わず息を飲んだ。何とそこには、弱々しく、微かにこつこつと音を立てるタマゴが転がっていたのである。
「た、大変!」
慌ててタマゴを抱き上げたは、チルタリスの背に乗ると街のポケモンセンターに急ぐようにと告げた。チルタリスはがしっかりと乗ったのを確認すると、頷いてからふわりと飛び上がる。そして力強く羽ばたくと、ポケモンセンターへと向かったのだった。
ポケモンセンターに着いたは、すぐにジョーイにタマゴを拾ったことを伝え、ロビーのソファでチルタリスとゴーストと共にジョーイが検診を終えてやって来るのを今か今かと待っていた。そわそわと落ち着きの無いを宥めるように、ゴーストの手がの背中をぽんと優しく叩く。それに俯いていたが顔を上げると、ゴーストはチルタリスと眼を合わせて頷いた。それがまるで大丈夫だと言っているようで、はありがとう、と笑う。その時だった。
「さん、お待たせしました」
検診を終えたらしいジョーイが、あのタマゴを抱えてやって来たのだ。柔らかなタオルに包まれたタマゴはぴくりとも動かない。
「どうやら、異常は無さそうです。安心して下さい」
「よ、良かった……!」
ジョーイの言葉に、ぴくりとも動かないタマゴの様子に不安を覚えていたの身体から力が抜けると、チルタリスがの頬に自分の頬を寄せた。
「ただ、通常ポケモンのタマゴは元気なポケモンの傍にいることで孵るんです。でもこのタマゴは捨てられていて、そのような環境に無かった」
「……はい」
「恐らく、本来ならこのタマゴはもう孵っていてもおかしくは無いはずなのです」
ジョーイの言葉に、は再び僅かに顔を曇らせた。それから、つまり、と呟く。それを聞いたジョーイは、言葉を続けた。
───生まれるべき正しい時に生まれないと窮屈なタマゴの中で成長を続けることになり、軈ては命に関わる危険もあります。ですから、そうならない為にも出来るだけ元気なポケモンの傍にいさせてあげて欲しいんです。
***
ポケモンセンターからの帰り道、はチルタリスの背の上でタマゴと現像した写真が入った鞄を抱き抱えながら、チルタリスの飛行速度に合わせて隣でふわふわと漂うゴーストに話し掛けた。
「それにしても、タマゴを捨てちゃうトレーナーなんているんだね。信じられない」
ゴーストも悲しそうな顔をして頷いた。の腕の中でタマゴはやはり少しも動かなかったが、それでもほんのりと微かに温もりを感じる。ゴーストとチルタリスがこのタマゴに気が付かなかったら、この僅かな温もりは失われていたかもしれないのだ。それは酷く恐ろしいことだと思いながら、はタマゴのほんの少しざらつく表面を撫でる。
「屋敷のみんながいたら、きっとこのタマゴもすぐに孵ると思うんだ」
普段の賑やかな仲間達の様子を思い浮かべながらが言うと、チルタリスが同意するように笑った。ゴーストもけらけらと笑いながら頷いている。そうこうしているうちに、達は屋敷へと帰ってきたのだった。
屋敷の玄関にチルタリスが降り立つと、途端に玄関の扉が開いていつものように屋敷の仲間達が飛び出してきた。ただいま、と笑いながらはチルタリスの背から降りる。屋敷の仲間達はわいわいと騒ぎながらもすぐにの腕の中の見慣れないタマゴへと気が付き、何だ何だとタマゴを見つめた。ゴーストに説明してくれる?とが言うと、ゴーストは屋敷の中へと入りながらすぐに説明をしだしたようで、屋敷の仲間達はゴーストを追いながらそれを聞いて頷いている。そしてチルタリスとは屋敷の中へと入ると、自分達が使っている客室へと向かってベッドへと座った。
「どれくらいでタマゴは孵るのかな」
タマゴを膝に乗せ、優しく撫でながら呟くとチルタリスは首を傾げる。早く孵るといいね、そうが口にした時だ。客室の壁から屋敷の仲間達が姿を現したのである。ゴーストの説明を聞いたからか、仲間達はみんなどこか不安気な、心配そうな顔をしていたが、それを見たは笑った。
「元気なポケモンの傍にいることが一番いいんだって。だから、みんなそんな顔しないで。ね?」
そういうと屋敷の仲間達は顔を見合わせて頷いた。
***
タマゴはとチルタリスが就寝するのに使っている客室のベッドに置かれ、屋敷の仲間達は代わる代わる様子を見にやって来た。
ヌケニンが花冠を作ってタマゴに乗せたかと思うとムウマが本を読み聞かせにやって来て、ムウマージが玄関ホールからピアノで音楽を聞かせればジュペッタがタマゴの表面を磨きに来たり、ヤミラミがきらきらと輝く綺麗な石をタマゴの隣に置けばブルンゲルがその更に隣に貝殻を置きに来る。そして花冠を乗せてぴかぴかに磨かれ、綺麗な石や貝殻に囲まれたそのタマゴの様子をサマヨールが写真に撮った。また別の日にはフワンテとフワライドがタマゴを持ってあやすようにゆらゆらと優しく揺らしたり、そのフワンテ達が食堂にタマゴを連れて行くとロトムが食堂に置かれているテレビに入り込んでテレビを見せる。
そうして毎日のように何かしら構われているタマゴを見ていると、公園にひっそりと捨てられていたことが嘘のようだとは思った。それから、そんなことをする人がいるのだという事実に溜め息を吐きたくなる。
「ううん、何でもないよ」
玄関ホールでムウマージのピアノを聞きながら階段に座っていたは、膝の上で甘えていたユキメノコが首を傾げたのを見てそう言いながら笑って頭を撫でたのだった。