プルリルと真夜中の訪問者

傷だらけのその身体を打つように、土砂降りの雨が降っている。空は濁るように真っ暗で少し先の道さえもよく見えない為、宛もなくふらふらとさ迷う。ただ何度も、ある感情だけを反芻していた。


───許さない。






屋敷の住人達でさえもひっそりと寝静まる真夜中のことだ。昨夜から降り続いた土砂降りの雨は幾分雨足を弱め、硝子の窓を叩く音も少し静かになった頃、ヨノワールは屋敷の中をふらりと散歩していた。他の住人達の様に眠くないという訳では無く、深夜の散歩はヨノワールの毎日の楽しみの一つだったのだ。玄関ホールをぐるりと周り、真正面の階段を上がる。そうして今度は二階の廊下に並ぶ窓から空でも眺めようかとした時だった。

滅多なことでも怯えたりしないヨノワールだったが、急にぞくりと震える様な寒気が襲ったのだ。一体何なんだ、これは。そう思って慌てて辺りを見回すと、玄関ホールに二つの影が現れた。急いで一階へと降り、その二つの影の元へと向かったヨノワールはその影───ゲンガーとデスカーンに声を掛ける。今のに気が付いたか?すると、ゲンガーは焦った様な顔で頷いた。そして何か凄く厄介なものが来たらしいな、と、辺りを伺う様に赤い眼を光らせる。デスカーンもゲンガーの言葉に同意する様に頷くと、こんな真夜中に勘弁してくれ、と溜め息を吐いた。

それにしてもその「物凄く厄介なもの」の正体、元凶を突き止めなければ、とヨノワールが言うと、恐らく他の奴等も気が付いているだろうから、声を掛けて一度此処に集まるか、とゲンガーとデスカーンが頷いた時だった。

夜の静寂を裂くような、チルタリスの叫び声がしたのだ。

三匹は顔を見合わせると、直ぐ様とチルタリスの所か!と慌てて一階の客室へと駆け出した。




***



時刻は少し前に遡る。雨の中を宛も無くさ迷っていたとあるポケモンは、導かれる様に森の奥の大きな屋敷に辿り着いた。大きな屋敷を視界に捉えるや否や、此処にも恐らく人間はいるのだろう、と、虚ろだった瞳に憎しみの色を宿らせる。そして屋敷の門を抜けると、屋敷の外側を左に回り込んで雨に濡れる壁に近付き、その傷だらけの身体を非実体化させてあっさりと中に入り込んだのだ。

入り込んだそこは、どうやら物置の様な部屋だった。あまり使われてはいないらしく、その部屋の扉を擦り抜けると廊下へと出る。廊下に出るとそこは廊下の一番奥の部屋で、部屋を出ると左手は行き止まりだった。廊下はT字になっており、その為右手に進み、幾つかの部屋を覗き、更に最初に侵入した部屋の廊下を挟んで右側の部屋も全て覗く。だが、そこにも人間の姿は無かった。途中眠っているポケモン達はいたが、この屋敷に人間は住んでいないのか?いや、まさか。そう思いながら、玄関ホールへと向かう廊下に並ぶ部屋も覗いていく。だが、やはり人間はいない。身体の傷も痛むし、ここに棲むポケモン達に気付かれる前にもう外へ出ようか。そう考えて最後の玄関ホールから見て一番手前の部屋へと入った。

そこは、客室の様だった。部屋の中を見回すと、充分な広さの部屋にあるベッドに眼が止まる。それからベッドの上の布団が微かに上下しているのに気が付くと、一直線にベッドへと向かい、布団を覗き込んだ。ベッドに眠っていたのは一人の人間の女だった。その隣では白い羽を持つ水色のポケモンが眠っている。

幸せそうに眠る姿を見詰めていると、次々と感情が沸き上がる。許さない、憎い、嫌い、そして、悲しい。ヨノワールが感じた寒気は、この時のこの凄まじい負の感情が殺気となったものだった。そしてそのポケモンは許さない、と心の中で呟くと、その傷だらけの腕を人間の首へと伸ばしたのだ。

チルタリスが眼を覚ましたのは、その瞬間だった。ただならぬ気配に飛び起きると、屋敷の住人達に知らせるために叫んだのだ。それと同時に、へと伸びていた腕の片方がチルタリスの首へと絡み付く。チルタリスの叫び声を聞いて真っ先に客室へと辿り着いたヨノワール達が眼にしたのは、暗闇の中でとチルタリスが首を締め上げられている姿だった。

の口から、微かにみんな、と声が漏れる。それと同時にヨノワールがシャドーパンチを繰り出すと、そのポケモンはとチルタリスの首から手を離して姿を消した。首が解放されたとチルタリスが、苦し気に咳き込む。姿を消したポケモンは、今度はベッドのすぐ傍に姿を現すと身の毛も弥立つような突風をヨノワール達に向けて放った。そのあやしいかぜにヨノワール達が一瞬隙を見せる。

「……っ、かなしばり!」

咳の治まったが、壁に向かって掠れた声で叫ぶ。チルタリスの叫び声を聞いて集まってきたポケモン達の中のヨマワルとサマヨールが、丁度壁を擦り抜けて現れたのだ。の指示を聞いたヨマワルとサマヨールは、そのポケモンへとかなしばりを放った。



***



かなしばりによって身動きの取れなくなったポケモンを、屋敷の住人達はぐるりと取り囲んでいた。そのポケモンは黙りを決め込んでいたが、その瞳はを睨み付けている。

とチルタリスはベッドに座りながら、ユキメノコとムウマージに首の辺りを見せていた。首を締め上げられた為に、首の辺りに少しばかり痣が出来ていたのだ。そこにユキメノコが手を触れると、氷タイプが苦手なチルタリスは飛び上がり、は冷たい、と肩を竦めた。

そんな様子を見ながら、話してもらおうか、とゲンガーがそのポケモンに声を掛ける。しかしそのポケモンは黙ったままだ。見たことのないポケモンだな、とジュペッタが言うと、ロトムがこの前テレビで見たよ、と口を開いた。確か、プルリルってポケモンだったかなあ。ここ最近海で大量発生してるんだとかニュースで言ってた。そう続けると、海のポケモンが何でこんな森の中に?とゴーストとゴースが不思議そうに呟いた。その時、僅かにぴくりとそのポケモン───プルリルが桃色の身体を揺らした。そして煩いなあ、と小さく溢したのだ。

あんなことしておいて煩いはないよ、とカゲボウズ達が三匹揃って言うと、プルリルは鋭い眼でカゲボウズ達を睨んだ。ひゃっ、と声を上げた三匹のカゲボウズはサマヨールの後ろへと姿を隠す。に恨みでもあるの、とミカルゲが尋ねると、あの人間はって言うのね、とプルリルが呟いた。

その様子からプルリルとが何の接点も無く今日初めて逢ったのは間違いないのだが、どうしてプルリルがあのような行動に出たのかはさっぱり分からず、プルリルを取り囲む屋敷の住人達は揃って首を傾げた。そんな彼等に、が声を掛ける。

「ちょっと良いかな」

ベッドのサイドテーブルの引き出しから何かを取り出したは、心配そうに顔を覗き込んだムウマの頭を撫でてから、それを持ってプルリルの元へと向かった。かなしばりの解けているプルリルがまた何かをするんじゃないか、とプルリルの周りの住人達はプルリルを警戒する。だがはそんな心配を他所にプルリルの眼の前に立つと、プルリルと目線を合わせるように屈み込んだ。

「あなたも怪我をしてるでしょ?こんな森の奥まで来るから…」

そうが笑うと、プルリルは来たくて来たんじゃないわ、と、先程の様子とは打って変わって弱々しく言った。だがにはポケモンの言葉は伝わらないので、屋敷の住人達とチルタリスだけがその言葉の意味に首を傾げる。すると、そんな様子を見たプルリルがどうして、と身体を震わせた。それに対して何が、とデスカーンの身体の影に隠れていたデスマスが口にすると、プルリルは屋敷の住人達を見回した。そして、口を開いたのだ。

あなた達は野生のポケモンでしょう?どうして人間と仲良くなんてしていられるのよ。人間なんて身勝手で、自分の都合の良いようにしか物事を考えられない。人間なんて嫌い、大嫌い、そう叫ぶと、プルリルの瞳の色が憎しみから悲しみといったものへと代わり、ぽろりと涙が溢れ落ちる。プルリルが突然叫ぶような鳴き声を上げて涙を溢したので、はただおろおろしているだけだった。そんなの頭をムウマージが大丈夫、と撫でると、は困った様にムウマージを見詰める。

そんな中、君はもしかして、と、おずおずとした様子でチルタリスが口を開くと、チルタリスの次の言葉を待たずしてプルリルが叫んだ。そうよ、私は人間に捨てられたの、と。それがあまりにも悲痛な鳴き声だったので、ムウマージに頭を撫でられたままプルリルを見詰めていたはびくりと肩を揺らした。それからこういう時はどうすれば良いのだろうかと悩んだは、何か辛いことがあったみたいだね、そう言ってからそっと手を伸ばすと、プルリルの頭を撫でる。そしてに撫でられたプルリルは、ついに泣き出したのだ。

私の元トレーナーも頭を撫でたり、私の為にとお菓子を焼いてくれたりもした。でも、もっと強いポケモンが手に入ったらもういらないって言ってこの森に置き去りにしたの。あなた達も今はこの人間と仲良くしてても、いつ裏切られるかなんて分からないわよ、そう言って泣くプルリルに、フワンテが困った顔をしながらそれはないだろうけどなあ、とすぐ隣にいたフワライドと顔を見合わせた。お人好しだしねえ、とヌケニンがヨマワルと頷き合うと、プルリルはだからと言ってあのという人間がそんなことをしないという証拠にはならない、と言ったが、それを遮るようにヨノワールが口を開いた。は絶対に裏切るようなことをしない。何より約束をしたからだ、と。二年前にとヨノワールが交わした約束を知らない住人達は不思議そうな顔をして何のことかと尋ねたが、ヨノワールはさあな、とはぐらかした。

そしてきっぱりと言い切ったヨノワールに言葉を詰まらせたプルリルは、暫くすると肩の力を抜くように小さく溜め息を吐いた。そんな様子にの傍にいたムウマージが、あなたを捨てたトレーナーは最低だし、そのトレーナーに恨みを抱いたのも分かるけれど、だからと言ってやチルタリスを傷付けて良い理由にはならないわ、と窘めると、プルリルは俯いた。

ムウマージの言う通りだったのだ。トレーナーに捨てられ、傷付き、トレーナーへ抱いた恨みが軈て人間そのものへと向けるようになったとはいえ、それがとチルタリスを傷付けて良い理由にはならない。ただ、誰かにこの心の痛みをぶつけたかった。プルリルは俯いたまま、震える声でごめんなさい、と呟く。するとそれを聞いたヤミラミが、が君の言う通りの人間か、ここにいれば分かると思うけれど、と笑った。それに対し、それが一番手っ取り早いだろうね、とフワンテとフワライドが頷く。それを聞いたプルリルは、涙の滲む眼で屋敷の住人達を見回した。

屋敷の住人達は別に良いんじゃないかな、と揃って頷いた。何かやったら黙ってないけどな、とゴースがにやりと笑うと、もう何もしないわ、とプルリルは言った。

「……えーっと、それでね」

何と無く落ち着いた雰囲気になったのかな、と思ったは、プルリルへと声を掛けた。プルリルはの顔を未だに涙の滲む瞳で見詰める。

「傷の手当てをさせて欲しいんだけど…」

先程ベッドのサイドテーブルから取り出した傷薬を見せると、は笑った。傷だらけで痛いでしょう、と。先程まで様々な感情が一気に押し寄せていたプルリルは、言われて漸く身体の傷が痛むことに気が付いた。そして小さく頷くと、そっとにその傷だらけの腕を差し出す。はその手を優しく取ると、傷口の手当てを始めたのだった。



翌朝には雨はすっかり上がっており、花の様子を見にが庭へとムウマとヌケニンとやって来ると、ギラティナが姿を現した。

「おはよう、ギラティナ」

の挨拶に、ギラティナは眼を細める。それからふとの後ろの方へと眼を向けると、ギラティナは首を傾げた。その様子にとムウマ、ヌケニンも振り返る。振り返った先、玄関のすぐ傍にはこちらを見詰めるプルリルの姿があった。

「プルリルって言う新しい仲間だよ。プルリル、おいでー!」

ギラティナへそう伝えながらがプルリルに手招きをすると、プルリルは少し迷った素振りを見せた後にの元へとやって来る。そしてはプルリルの手を取ると、傷はもう平気かと尋ねた。プルリルがそれに対して頷くと、はプルリルを優しく抱き締めて安心した、と笑う。に抱き締められたプルリルは、ふとの首に眼を止めた。自分のせいで付いた痣が、ユキメノコが直ぐ様冷やしてくれて大分良くなったとは言えうっすらと見えたのだ。

「大丈夫だよ、こんなのすぐ消えちゃうし」

プルリルの視線に気が付いたがそう言うと、プルリルはの痣をなぞるようにそっと撫でた。

「心配してくれてありがとう」

プルリルの頭をが撫でると、プルリルはぎこちなく頷いてから眼を閉じる。

眼を閉じると、数日前に自分を捨てたトレーナーの面影が見えた。そして自分を捨てた時と変わらない後ろ姿が少しずつ遠ざかってゆく。そのトレーナーには酷いことを言われ、傷付き、知らない場所に置き去りにもされた。そのせいで人間は嫌いだと憎みもした。───けれど、何と無くこの場所で、このと、そして屋敷の仲間達となら少しずつ前に進めるようになるのだろう、そんな気がしてプルリルはの身体にそっと寄り添った。


前のお話 | 次のお話
戻る