デスカーンと隠し穴

キッチンでサマヨールと一緒にクッキーの生地を練りながら、はすぐ傍にいたロトムにお願いね、と声をかけた。するとロトムは元気よく鳴いてから頷き、食堂のテーブルに置かれた小さなテレビの上にふわりと浮かんだ。そしてに向かってぱちりとウインクをして見せると、テレビに向かって姿を消す。その途端、静かだったテレビから騒がしい音声が流れ出した。

この小さなテレビは、大分前にかくれんぼをしていたミカルゲとヨマワルが、屋根へと出られる梯子のある部屋の奥から見つけたものである。肝心の電源が壊れていたようで、いくらスイッチを押そうとテレビに電源は入らなかったが、ロトムがテレビの中に潜り込めば使えるのだ。テレビからは天気予報が流れていたが、が型を抜いたクッキーの生地をクッキングシートに並べた所で、天気予報は次のニュースへと切り替わった。

「続いてのニュースです。海にて珍しいポケモンが大量発生した模様です。…最近、各地方で他の地方のポケモンを見かけることが増えましたが、現在大量発生しているポケモンは普段この地方では見ることのできないプルリルというイッシュ地方のポケモンで…」

そこまでニュースキャスターがニュースの内容を読み上げると、テレビの画面には海に浮かぶ水色や桃色の海月のようなポケモンの姿が映し出された。それを目にしたは、見たことのないポケモンだと呟く。すると、隣にいたサマヨールも頷いた。テレビではプルリルというポケモンについての解説が始まり、海に引きずり込まれる事もあるので決して海に近付かないように、と注意を促している。それを聞いたはぶるりと肩を震わせたが、はっとするとオーブンに型を抜いた生地を並べた受け皿を入れ、スイッチを押した。後は焼き上がるのを待つだけである。

「サマヨール、ロトム、あり…」

ありがとう、とが言い掛けた時だった。ギャーッという凄まじい悲鳴と共に、キッチンの壁をすり抜けて、外からゴーストと二匹のカゲボウズが飛び込んできたのだ。あまりの悲鳴に驚いたロトムがテレビから飛び出し、に飛び付くとはバランスを崩して尻餅をつきそうになったが、それをサマヨールが支えた。驚いたロトムを宥めつつ、支えてくれたサマヨールに礼を言うと、はおろおろとするゴースト達に声を掛ける。

「ちょっと、どうしたの!?」

に尋ねられたゴースト達は、それぞれが何かを説明するようにギャアギャアと騒ぐ。そこに騒ぎを聞き付けたヨノワールがかやって来て、落ち着け、と言うかのように鳴き声を発すると、やっと静かになった。

少しの間を置いてから、が優しく何があったの、と尋ねと、ゴーストと二匹のカゲボウズは顔を見合わせた。
ややあって、ゴーストが身振り手振りで何かを説明し出した。ゴーストが眠った振りをしたかと思うと、そこに近付いたカゲボウズに、がぶりと噛み付く振りをする。そしてカゲボウズは姿を消してみせた。

カゲボウズはこの屋敷に三匹いる。三匹は兄弟のようにいつも一緒にいるが、今は二匹しかいない。
先程のゴーストが噛み付く振りをしてカゲボウズが姿を消した様子から、あと一匹のカゲボウズが恐らく何かトラブルに巻き込まれたのだろうとは考えた。導きだした答えをゴーストに伝えると、正解だったらしい。ゴースト達は勢いよく頷いた。

「あれ、でも朝はヤミラミもゴースト達と一緒に遊んでたよね?ヤミラミは?」

がクッキーを焼くからと食堂のキッチンへと向かった時、丁度玄関の壁をすり抜けていくゴーストにカゲボウズ達、その後を追うように扉から出ていくヤミラミを見掛けたのだ。その為ヤミラミも一緒にいるかと思ったのだが、ヤミラミもいない。そのことを尋ねると、ゴースト達は泣きそうな顔を浮かべた。

「まさか、ヤミラミも?」

ゴースト達は揃って頷く。それを見たヨノワールは溜め息を吐き、ゴースト達はがくりと項垂れた。

「ええっと、ひとまず落ち込むのは後にして、とりあえずカゲボウズとヤミラミを助けないと。二人のいる所に案内してくれる?」

何とかしてみるから、とが言うと、ゴースト達は下を向いていた顔を上げた。
が行こう、とゴースト達に声をかけると、ヨノワールとロトムが鳴いた。どうやら二匹もついてきてくれるらしい。サマヨールは少し悩む素振りを見せた後、ひらひらと手を振った。どうやらサマヨールはキッチンに残るようだ。

先程の悲鳴が聞こえたらしく、食堂の入り口にはムウマージとユキメノコ、チルタリスが心配そうに顔を覗かせていたが、それに気がついたが大丈夫、と言うと、ムウマージとユキメノコの二匹は顔を見合わせた後に姿を消し、チルタリスは昼寝をするのだろう。二階への階段を上がっていった。それを見送ってから、はゴースト達に声を掛ける。

「それじゃあ、案内よろしくね」



ゴースト達に案内されて辿り着いたのは、屋敷の周りに鬱蒼と繁る森の奥だった。あまり陽の光の射さない、少し開けた場所でゴースト達はぴたりと進むのを止める。そこでがここ?と、首を傾げると、ゴーストは開けた場所の更に奥の叢を指差した。見れば、叢は背の低い木が密集して生えている為に叢に見えるだけのようだ。木々の間には僅かに隙間があり、ぎりぎりで背の低い木と木の間を通り抜けられそうである。


「…何だか、不気味だね」

そうが言うと、ロトムがぴゅう、と小さく鳴いた。それを見たヨノワールが、自分が様子を見るからここで待ってろ、と言うかのようにの肩を軽く叩く。だが、は大丈夫、と笑うと木々の間を通る為に屈み込んだ。何のトラブルがあったか分からないが、トラブルに巻き込まれたカゲボウズとヤミラミはもっと怖い思いをしているかもしれないと思ったのである。

木々の間をが注意深く進むと、軈て再び開けた場所へと出た。 そこは完全に光が閉ざされていたが、 後からヨノワールとロトムが木々の間をすり抜けてやって来ると、ロトムが微弱な光を発生させて照らしてくれたので、はその場所を確認することが出来た。木々の間を通り抜けて出た開けた場所は、周りは木々の幹に、上は木々の葉によって壁のように閉ざされており、まるで森の中の小部屋のようだ。この森の小部屋のような場所に、ヨノワール達も驚いたようだった。

「…でも、カゲボウズとヤミラミはどこだろう」

いくら小部屋のような場所を見回してもその二匹が見当たらないのでが呟くと、不意にヨノワールがに向かってシーッ、と、静かに、という手振りをした。ロトムも、パチパチと電気を小さく発生させて威嚇している。そして怯えた様子のゴースト達が少し遅れて後ろから姿を表すと、ゴーストと二匹のカゲボウズはの背にぴたりと寄り添った。ゴースト達の異常な怯えようと、ヨノワールとロトムの警戒する様子に、思わずの額を汗が伝う。正に、その瞬間だった。

「うわっ!」

突如ヨノワールがの手を強く引くと、開けた場所の最奥、ロトムが照らす光が届かない場所からのいた場所に影のようなものが走った。それを見た二匹のカゲボウズは怯えた叫び声を漏らし、ゴーストは慌てて姿を消した。

「ロトム、電磁波!」

が咄嗟にロトムに技を命じると、ロトムは電磁波を自身が発する光の届かないそこへと向かって放った。するとその電磁波は何かに命中したらしく、ぱちりと電磁波が弾ける音を立てる。すると、ぎぎ、ぎ、ぎ、と、その「何か」のものと思われる悲鳴が響いた。その声を聞きながら、は眉間に皺を寄せる。電磁波が弾ける瞬間に照らしたシルエットは、の見たことのないポケモンだったのだ。そして次はどうしたものかとが思考を巡らせていると、ごとりと重たげな音が響く。続いてロトムの発する光の届かない場所から手の形をした影が伸びたかと思うと、ゆっくりと一匹のポケモンが姿を現した。

それは棺桶のような姿をした、怪しく金色に輝く身体を持ったポケモンだった。その身体からは手の形をした影が四本伸びており、また、赤い眼がぎらぎらと不気味に輝いている。見たことのない姿のポケモンに達が驚いていると、そのポケモンの身体から不意に聞き覚えのある声が聞こえた。少しくぐもって聞こえたその声は、間違いなくヤミラミとカゲボウズの声である。

「…ヤミラミ!カゲボウズ!大丈夫なの!?」

慌ててが呼び掛けるも、もう二匹の声は聞こえなかった。その代わりに、棺桶のような姿をしたポケモンがぎぎ、と鳴く。それを聞きながら、一体どうしたら二匹を無事に助けられるのだろうかとが困惑した。二匹の声はあのポケモンの中から聞こえたので、もしあのポケモンを攻撃した場合、二匹にも何かしら影響があるかもしれないのだ。だからと言って、このまま何もしないという訳にもいかないだろう。一体どうすれば。そこまでが考えた所で、急にそのポケモンが苦しみだした。突然のことにがヨノワールにロトムと顔を見合わせると、棺桶のような姿をしたポケモンが咳き込み、そして何と、ヤミラミとカゲボウズを吐き出して倒れたのだ。

「大丈夫?怪我はしてない!?」

が声を掛けると二匹は顔を見合わせて弱々しく笑い、それからヤミラミの突き出した右手の拳にカゲボウズが額をコツンとぶつけた。この棺桶のようなポケモンに飲み込まれた二匹は、最後の力を振り絞って一斉にナイトヘッドを食らわせたのだ。

「心配したんだからね…!無事で良かった…」

二匹のカゲボウズも、仲間のカゲボウズとヤミラミが無事だったことに安心したのかくるくると宙で回り、姿を消していたゴーストも手を叩いて喜んだ。ヨノワールとロトムも眼を細めて笑っている。

「それじゃあ、みんなで帰ろうか」

そう言うとは立ち上がったが、倒れたままのポケモンに目を向けると、何かを考える素振りを見せた。

「このポケモン…」

とは長い付き合いであるヨノワール達は、の言いたいことが何となく分かっていた。その為、の次の言葉を待たずして頷く。それを見て、は思わず笑ったのだった。



棺桶のような姿をしたポケモンーーーデスカーンが眼を覚ますと、先ず眼に入ったのは赤く釣り上がった大きな眼だった。思わずぎゃあ、と悲鳴を上げると、デスカーンを物珍しげに見つめていたゲンガーも驚いて飛び上がる。その悲鳴を聞き付けたが食堂から駆け付けると、二匹は顔を見合わせてお互いに固まっていた。それを、他のポケモン達が何だ何だと周りから眺めている。

「あっ、眼を覚ましたんだね!」

眼を覚ましたデスカーンに気が付いたが声を掛けると、デスカーンは訝しげにを見つめた。そんなデスカーンの様子に苦笑いをしながら、は口を開く。デスカーンが倒れた後、そのまま放っておくのは何だか気が引けたこと、そのためこの屋敷にヨノワールとゴーストの念力で運び、治療をしたこと。そして見たこともないポケモンについて調べ、デスカーンという名前も分かったこと。それらを話し終えると、デスカーンは確かに身体から疲れが消えていることに気が付いた。

―――デスカーンは、数ヵ月前にこの地方へとやって来たポケモンだった。見知らぬ土地で様々な所をさ迷い、そして辿り着いたのがあの森の奥の、隠し穴と呼ばれる木々で囲まれた場所である。
デスカーンはそこでひっそりと過ごしていたが、元からこの辺りに棲む野生のポケモンたちからしたら「見知らぬポケモン」のデスカーンは珍しく、常に好奇の目で見られていた。
知らない土地で知らないポケモン達に囲まれて、デスカーンは日々、イライラしながら過ごしていた。

そんな時、森を探検していたヤミラミやゴースト、そしてカゲボウズ達が偶然にもデスカーンのいた隠し穴を見つけてしまったのだ。

「また変なやつが来たな」「関わらない方がいいだろう」と判断したデスカーンは息を潜めてじっとしていた。
一方、見たこともない怪しげな棺桶のような物を警戒したゴーストは、帰ろうと皆に声を掛けた。ところが。光の届かない隠し穴の中、暗闇でもよく見える眼を持つヤミラミは、とあることに気が付いてしまう。
そう、その怪しげな棺桶のような物は、ヤミラミにとっては魅力的な程にキラキラとしていたのだ。屋敷一と言っては過言では無い程に光り物が大好きなヤミラミは、警戒することを忘れて近付いてしまう。そうして、近付くものを飲み込む習性のあるデスカーンは、近付いてきたヤミラミを飲み込んでしまったのだ。その際にヤミラミを止めようとしたカゲボウズも、一緒に飲み込まれてしまったのである。

デスカーンは兎に角この屋敷から出ようと思い、身体から影で出来た手を伸ばすと、がたりと身体を揺らした。しかしその際に、ぐるると大きくデスカーンの身体から音が響いた。身体の疲れは取れていたが、空腹のままだったのだ。それを聞いた達は顔を見合わせると、揃って笑顔を浮かべた。そしてちょっと待っててね、と言って食堂からが焼き立てのクッキーの乗った皿を、ユキメノコとジュペッタが大量の木の実を持ってくると、それらをデスカーンに差し出す。

「みんなで食べようと思って、たくさん焼いたから」

ぽかんとしたデスカーンにそうが言うと、ゲンガーが横からひょいとクッキーを摘まんだ。そしてこのクッキー、美味いんだぜ、と笑う。するとデスカーンはおずおずとクッキーを左手で、木の実を右手で掴み、口にした。クッキーの甘い味と木の実の良い香りが一気に口に広がり、デスカーンは思わず眼を細めた。そんなデスカーンを見つめながら、はすぐ傍でクッキーをねだるゴースの口にクッキーを放る。

「ここに棲んでいるみんなは、私のチルタリス以外は野生のポケモンなの。だからいるのも自由だし、出ていくのも自由。だから、デスカーンさえ良ければ好きなだけいたらどうかな」

それを聞いたデスカーンは、クッキーをかじりながら少し考えた。自分は野生のポケモンで、人間と馴れ合う気はこれっぽっちも無いが、まあ、このクッキーは確かに美味いかな、と。だからまあ、せいぜいこの味に飽きるくらいまではここにいてもいいか。そう思って、デスカーンはに向かってにやりと笑って見せたのだった。


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