デスマスと迷子

船に乗り、波に揺られながら無事に約束の日の二日前にイッシュ地方へと着いたとチルタリスは、船を降りると思わず言葉を失った。何故なら、船に揺られて辿り着いた街はヒウンシティという街なのだが、街は見たことも無いような高層ビルで溢れ返っていたのだ。そうして暫くの間は唖然としていたが、軈て鞄から船内で買ったイッシュ地方の地図を取り出すとそれを広げた。チルタリスも興味津々といった様子で覗き込む。

「今いるのがヒウンシティで、目的地はライモンシティ…って、隣街だね」

チルタリスと目を合わせると、は笑顔を浮かべた。これなら特に苦労することもなく辿り着けそうだと思ったのだ。そして、さっさとライモンシティに向かってゆっくり休もう、とが提案すると、チルタリスは賛成だと頷く。チルタリスが頷いたのを確認すると、は街の北に向かって歩き出した。




街を北に進み、そして街と道路の境となるゲートを抜け、さらに北へと進んでいたとチルタリスだったが、二人は揃って足を止めた。濛々と立ち込める砂煙が、酷い。

「…チルタリス」

が声を掛けると、チルタリスははあ…、と大きな溜め息を吐く。チルタリスには、何と無くの次の言葉が分かっていた。

「迷っちゃった」

チルタリスはやっぱりか、と言いたげな顔をするとがくりと肩を落とした。も思わず苦笑する。一度でも行ったことのある街ならばチルタリスの背に乗って行けるのだが、ライモンシティは当然のことながら行ったことなど無いので、二人は徒歩でライモンシティを目指していた訳だが、どこからか道を間違えたらしい。辺りには街など見えず、濛々と砂嵐が立ち込める砂漠が広がっているだけなのだ。

「どこから道を間違えたんだろう…ちゃんと地図を見ながら歩いてたのに」

そう言ってが手にしていた地図をよく見ようと顔に近付けた時だった。一際強い風が吹いたかと思うと、何との手にあったイッシュ地方の地図を攫って行ってしまったのだ。驚いたが声を上げた時には、地図は砂嵐の中へと姿を消した後であった。チルタリスもと同じく驚いた表情を浮かべた後、稍あってから先程よりも大きく肩を落とす。それにはも再び苦笑するしかない。そしてとチルタリスは、どうしようかと顔を見合わせた。

「とりあえず、ここで立ってる訳にもいかないしね…」

そう言うと、は強まる砂嵐を警戒してチルタリスを一度ボールに戻した。微量とはいえ、砂嵐によりチルタリスの体力を削られるのは避けたかったのだ。そうしては砂嵐の中、柔らかくどこまで広がっているかも分からない砂漠の中を歩きだしたのだった。


時折姿を見せる野生のポケモンは、を警戒しているのか、姿を見せても遠くから見つめるだけだった。そのため運良く野生のポケモンとのバトルにはならなかったが、歩いても歩いても代わり映えの無い砂漠の風景に、は疲労していた。額の汗を拭い、足を止める。そして一体どうしたら良いのだろう、とが考えた時だった。

「……?」

不意に、何かの声が聞こえたのだ。しかしその声は、すぐに聞こえなくなってしまった。この砂嵐の酷い砂漠に、野生のポケモンと自分以外にも誰かいるのだろうか、と、は何かの声がした方へと勘を頼りに向かう。砂に足を捕われながらもが進むと、軈て先程の声が途切れ途切れではあるが、漸く聞こえる程の大きさで再び聞こえた。その声はどうやらしくしくと泣いている泣き声のようで、時折ぐすぐすと鼻を啜るような音も風に乗って聞こえる。

「誰かいるの!?」

ひゅうひゅうと音を立てる砂嵐に掻き消され無いようにが声を張り上げると、少しの間を置いて泣き声が止んだ。そしてが目を凝らすと、の前方で、何かの影が揺らいだのが見えた。

「誰!?」

が再度問い掛けると、その影はゆっくりとへと近付いて来る。しくしくと泣く声が、先程よりもはっきりと聞こえた。そしての前に姿を現したのは、一匹のポケモンだった。

「あなたが、泣いていたの?」

黒い身体に、金色の小さなお面のようなもの。見たこともない姿のポケモンなので、がついまじまじと見つめていると、そのポケモンがこくりと頷く。

「…どうしたの?」

ポケモンの言葉は分からないが、は屋敷の仲間達に語りかけるような調子で話し掛ける。するとそのポケモンは、その赤い眼からぽろりと涙を零した。

「お腹でも空いてるの?」

の持っている鞄にはいくつかの木の実も入っているので、それを思い浮かべながら尋ねると、そのポケモンは首を振る。どこか痛い?と次にが訪ねても、ポケモンはやはり首を振るだけだ。

「困ったなあ…ポケモンセンターとかに連れて行ってあげられればいいんだけど、私も今道に迷ってるし…」

困り果てたがそう呟くと、ポケモンが泣き止んだ。それに気が付いたが首を傾げると、そのポケモンはに向かって頷く。ポケモンの頷いた心理が掴めずには不思議そうな顔をしたが、ポケモンが頷く前に自分の言った言葉を思い出すと、もしかして、と口を開いた。

「あなたも迷子?…なんてね」

冗談めかしては言ったつもりだったが、以外なことに、何とそのポケモンはの言葉に再び頷いたのだ。

「あなたも迷子かあ…確かにこんな場所で迷子になったら泣きたくもなるよね」

そう言うとは何かを考えるような素振りを見せたが、すぐに笑顔を浮かべた。それからそのポケモンの身体と同じく黒い手に自分の手を伸ばすと、優しく手を握る。

「どっちも迷子なんだから。一人で迷っているより、一緒に迷子になった方がまだ心強いと思うの。だから、一緒に行かない?」

そうが言うと、ポケモンは迷う素振りを見せたが、軈て決心したように頷いた。



そうしては名前も分からない黒いポケモンと砂漠を歩き続け、数十分が経った頃、漸く砂漠の切れ目を見付けた。砂漠の砂の層が次第に浅くなり、砂の下から石で作られた道が見えたのだ。

「やっと抜けられた…」

の腰にあるチルタリスの入ったボールも、安心したようにかたかたと揺れる。それを見て笑顔を浮かべたは、手を繋いでいるポケモンへと目を向けた。

「あなたは迷子になって砂漠に来ちゃったんだよね?」

ポケモンは頷く。僅かに、繋がれた手に力が込められた。

「うーん、やっぱり、ポケモンセンターで聞くのがいいかな…」

このポケモンが何処に棲んでいるのかは、当然のことながらには分からない。そのため、ポケモンセンターでジョーイに聞こうと思ったのだ。

「大丈夫だよ。一緒にいるから」

そうが言うと、再び泣きそうになっていたポケモンは小さく安心したように息を吐いた。


道にいる親切なトレーナー達に道を聞きながら、陽が沈む頃に漸くライモンシティへと着いたはポケモンセンターにいた。宿泊の手続きを済ませ、シャワーで身体に付いた砂を落とし、体力を消費していたチルタリスを預けると、ジョーイに声を掛ける。

「あの、このポケモンについてお聞きしたいのですが…。私、今日イッシュ地方に来たばかりで、この地方のポケモンのことは全然分からなくて」

苦笑いを浮かべながらがそう言って足元に浮かぶポケモンを指差すと、ジョーイは笑顔で答えてくれた。

「こちらは…デスマスというポケモンですね。タイプはゴースト。古代の城という場所に棲息しています。このデスマスが、どうかされましたか?」
「実は…」

そこでは、自分が道に迷って砂漠に行ってしまったこと、そこで同じく砂漠で迷子になっていたこのポケモン―――デスマスに出逢ったことを話した。すると、ジョーイは少し困ったような表情を浮かべながら古代の城について教えてくれた。何でも、古代の城は砂漠の奥にあるらしいが、最近は古代の城で化石が見つかるという噂を聞いてたくさんの人が訪れているらしい。そのため、この突然たくさんの人間がやって来たことに驚いて、このデスマスののように棲み処を飛び出して砂漠に迷ったりしてしまうポケモンが結構いるとのことだった。

「このデスマス、よろしければこちらでお預かりしますが」

がどうしたものかと考えているのを見たジョーイがそう言うと、はうーん、と唸ったあとに首を振った。

「この子と一緒にいる、と約束をしたもので…明日の朝にでも、責任を持って古代の城まで送ります。新しい地図も買いましたし」

そう言うと、ジョーイは笑顔を浮かべた。

「見た所デスマスはあなたに懐いているようですし、もしかしたらこちらで預かるよりその方がいいかもしれませんね」

それを聞いて、は自分の足の傍に浮かぶデスマスへと視線を落とす。すると、と目の合ったデスマスは安心したようにきゅるると鳴いたのだった。


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