自分が長い眠りに就いた日から、一体何百年という月日が流れたのだろうか。そんなことを未だ霞む意識の中で、ぼんやりと考えていた。ただ今度眼を覚ました時には、また見慣れた景色が広がっているといい。眼の前に広がる景色が、どうか自分の願い通りの景色でありますように―――。
「ぶっ!」
突如屋敷中に響いた叫び声に、食堂でムウマージと紅茶を飲んでいたは驚いて紅茶を零しかけた。傍らでポロックを摘んでいたヨマワル、いつもは何事にも動じないヨノワールでさえも、驚いてその手からポロックを落としている。今し方きいきいと響いた叫び声は、間違い無くカゲボウズの声だ。臆病な性格であるから、ゲンガーにでも驚かされたのだろうか。そうは思ったのだが、どうやら違うらしい。何故なら達のいる食堂に、同じく驚いた顔をしたゲンガーが駆け込んで来たからだ。
「今の、どこから聞こえてきたか分かる?」
紅茶の残るカップを置いてが立ち上がると、ゲンガーが頷いてから走り出した。そこで達がゲンガーに続いて食堂を出ると、階段の上からジュペッタにサマヨール、それにチルタリスが降りてくる。彼らも先程の叫び声を耳にしたようでその顔には驚いた表情を浮かべていた。しかし達を見ると安心したらしく、その表情を少し和らげる。そしてどうやら窓の外にも先程の凄まじい叫び声は聞こえたらしく、窓からはフワンテ達が覗き込んでいた。
達の前を進んでいたゲンガーは、廊下の突き当たりまで進むと足を止める。それから達へ振り返ると、廊下の突き当たり、廊下の左側の奥を指差した。
達が恐る恐る廊下の奥に向かうと、以前ムウマージのピアノが置いてあった部屋の隣、廊下の一番奥の物置と化してる部屋からカゲボウズ達とは別の声が聞こえた。この屋敷で聞いたことの無い声には思わず振り返ると、自分の後をついて来た住人達と顔を見合わせる。しかし屋敷の住人達も声の主の検討がつかないようで、困った様にそれぞれ肩を竦めた。
「よし、開けるよ……」
意を決してが扉を開けると、開けた瞬間に三匹のカゲボウズがふらつきながらの元に飛び込んできた。それをが慌てて抱き留めると、カゲボウズ達は揃って目を回している。
「どうしたの!?」
が声をかけてもカゲボウズ達は反応せず、騒ぎ続けている様子からどうやら混乱をしているようだった。そしてはすぐ後ろにいたチルタリスの背にカゲボウズ達を預け、部屋の中へと足を踏み入れる。すると、部屋の奥の物陰で何かが揺らめいた。
「うわっ!」
は目を強く瞑ると、思わず後退りをする。物陰で揺らめいた何かを目に捕らえた瞬間、強く不気味な光が発せられたのだ。くらりと眩暈を起こす今の光は、どうやら怪しい光のようだった。カゲボウズ達が混乱していたのは、今の怪しい光を喰らったのだろう。そしてが思わず足元をふらつかせると、隣にいたサマヨールがの肩を支えた。
「……サマヨール、ありがとう」
がほっと息を吐くと、とサマヨールの前にヨノワールが進み出た。ジュペッタやムウマージ達が、その様子をの足元や肩越しから心配そうに見守っている。そしてヨノワールがさらに部屋の奥に進み、右手を部屋の奥の何かに向かって翳すと、その何かが呻き声を上げたのが聞こえた。
「……このポケモンは……」
幾分眩暈の治まったと、の後ろにいた屋敷の仲間達が目にしたのは、ヨノワールの金縛りによって動きを封じられたミカルゲだった。ぎいぎいと声を上げ、金縛りを解こうと必死に抵抗している。そしてミカルゲはに気が付くとを見、続いての後ろにいるたくさんの屋敷の仲間達を見た。それに対し、一体どうするのかと達がまじまじと見つめた所、数秒後にミカルゲは驚いたような叫び声を上げ、何と気を失ってしまったのだ。
ミカルゲが次に眼を覚ました時、辺りの様子はあの埃っぽい部屋では無く、どこからかピアノの音色が聞こえる広い場所だった。一体ここはどこだろう、とミカルゲは落ち着き無く辺りを見回す。すると、気を失う前に見た人間の姿が自分へと向かってくるのが見えたので、ミカルゲは少し身を縮こまらせた。
「……気が付いた?」
そう尋ねた人間、の肩の上の辺りを、ムウマがふわふわと浮かんでいる。そしてミカルゲがよく見れば、その後ろにはゴースにヨマワル、ゴーストまでもがいた。更には先程、自分が怪しい光を喰らわせたカゲボウズ達までもがいる。
「さっきは驚いたんだよね?」
がミカルゲと目線を合わせるようにしゃがみ込むと、ミカルゲは稍あってから頷く。そう、先程ミカルゲは驚いただけだったのだ。ミカルゲといえば、大昔に悪さをしたために要石に封印されたポケモンという説が有名である。このミカルゲも何か悪さをしたのかは不明だが、遠い昔に他のミカルゲと同じように何らかの理由で要石に封印され、深く長い眠りに就いたのだ。その眠りにミカルゲが就く前、辺りの様子はこんな屋敷の中では無かった。もっと岩がごろごろと無造作に転がっている、薄暗い洞窟だったのだ。
そしてミカルゲが封印されている要石といえば時折地下から出土する珍しいものである。このミカルゲの封印されていた要石も出土すると様々な人の手を渡り、長い年月をかけてこの屋敷の持ち主であった老夫婦の手に渡ったのだ。勿論はその経緯を知らないので、どうして要石がこの屋敷にあったのかは検討もつかなかった。以前掃除の際に先程の部屋で要石を見かけたこともあったが、置物か何かだと思い気にも止めなかったのだ。
そして漸くミカルゲが眼を覚ました所、辺りは全く知らない場所で、更には眼の前にいきなりポケモンが姿を現したのだから、ミカルゲは驚いてそのポケモン―――カゲボウズ達に怪しい光を喰らわせてしまったのだ。カゲボウズ達もふらふらと屋敷内を散歩していた所、何かの気配を感じてあの部屋に入っただけだったので、まさかミカルゲがいるとは思わなかったのだが。
「……さて、私は。この屋敷に訳あって住んでるの。相棒はこのチルタリスね」
がチルタリスを指し示すと、チルタリスが短く鳴いた。その様子を見て、どうやら敵では無さそうだとミカルゲは判断したのか怖ず怖ずと頷く。それからミカルゲはの傍にいるムウマやゴース達を見た後に辺りを見回し、サマヨールにヨノワール、先程から何かの曲を奏でるピアノの元にムウマージがいるのを見た。どのポケモンも、ミカルゲを敵対するような素振りは見せない。寧ろ、先程まで気を失っていたミカルゲを心配そうに見つめていた。
「みんなね、ミカルゲが気絶してから心配してたんだよ。……それでミカルゲが眼を覚ますまでの間に話してたんだけど……。ミカルゲも、ここに棲んだらどうかな」
ミカルゲは驚いたように身体を揺らした。達は依然としてミカルゲを見つめる。要石は老夫婦の物なのだろうが、それもミカルゲが封印されていたと知っているかは分からない。また、ミカルゲは誰にも捕まえられていないので野生なのだ。そこで達が話して出した結論は、ミカルゲさえ良ければここに棲んだらどうだろうというものだった。眼が覚めたばかりで元いた場所とは違う環境に放り出すなんてことも出来ないし、何より今更誰かが増えた所で変わらないとも思ったのである。
ミカルゲは要石から精一杯身体を伸ばすと、もう一度屋敷の中を見渡した。どのポケモンも、やはり自分に敵意なんてものは向けていない。どうしようか、とミカルゲは思った。眼が覚めて偶然眼の前にいたこの人間やポケモン達を信じて良いのだろうかと、少しだけ不安に感じたのだ。しかし暫くの間を置いてからミカルゲは頷いた。瞬間、ヤミラミにジュペッタ、ゲンガーが頭の上でぱちぱちと手を叩き、ムウマやゴース達からはわっと歓声が上がる。
「みんな仲間が増えて嬉しいみたい」
変わった奴らだな、とミカルゲはひっそりと思った。自分と出逢ってからまだ僅かしか時間は経っていないのに、こんなに喜べるなんて不思議だったのだ。しかし、不思議と悪い気はしなかった。
「そういえば私も、ゴースを初めて見た時は気絶したんだよね」
そうゴースを見て笑うを、ミカルゲは意外そうに見つめた。の周りにはゴーストタイプのポケモンがたくさんいるので、とてもそうは見えなかったのだ。続けては、もう慣れたけどね、と笑みを零した。
「これからよろしくね」
そしてそう笑ったに、ミカルゲはどこか照れ臭そうに頷いた。
それからミカルゲは、誰にも気付かれないようにそっと眼を細める。まだやその仲間達と出逢って僅かしか経っていないというのに、どうしてかこれからきっと毎日が楽しくなるような、確信めいた予感がしたのだ。