いつもより幾分早めに目が覚めたは、ぐっと伸びをすると屋敷の外に出た。屋敷の外には早朝特有の少し肌寒い空気が漂っており、はそれに思わず肩を震わせる。しかしそんな肌寒い空気にも少し経つと慣れたのか、は軽い足取りで玄関のすぐ横の庭へと向かうと、朝露に濡れるパンジーを指でそっとつついた。もうすぐこのパンジー達は蕾を付けるだろう。そして美しい花を咲かせるのだ。その様子を思い浮かべた後、屋敷に棲む誰よりも一番楽しみにしているヌケニンに、早く花で一杯の庭を見せてあげたいな、と、は柔らかな笑みを浮かべた。
それからは立ち上がると玄関に向かおうと一歩踏み出したのだが、すぐに足を止めた。何故なら、どこからかぷわわ、と間延びした様な声が聞こえたからだ。
「フワンテ、おはよう」
が振り返ると、そこにはの言葉通りフワンテが宙に浮いていた。フワンテは以前屋敷の屋根の上で出逢ってから、主に屋敷の周りでちょくちょく見かけるようになったため仲良くなったのだ。そしてフワンテは黒く丸い眼を瞬かせると、もう一度先程と同じ間延びした様な声でぷわわ、と鳴いた。
「朝の散歩の途中?」
フワンテはよく風に身を任せて気ままに空を漂っているのを見掛けるので、それを思い出しながらが尋ねると、フワンテは鳴きながらその場でくるりと回る。どうやらその通りのようだ。それからフワンテはその場からさらに浮かび上がった。恐らく散歩を再開するのだろう。
「お昼にはホットケーキを焼くから、それまでには帰ってきてね」
あんまり遅いと、ゲンガーが食べちゃうよ。そうが笑うと、フワンテはぷわぷわと返事をしながらその時吹いた風に乗り、はそれを見送ると屋敷の中へと戻った。
「そう、そう……上手だね!」
お昼時、屋敷の食堂にあるキッチンは賑わっていた。がホットケーキを焼くと言った所、屋敷の仲間達のほとんどが食堂に集まったのだ。因みに今、フライ返しを手にホットケーキをひっくり返したのはサマヨールである。がホットケーキを焼く様子をサマヨールが興味津々といった様子で見ていたので、が「焼いてみる?」と尋ねた所、頷いたのでホットケーキを焼かせてみたのだ。そしてサマヨールが上手くホットケーキをひっくり返したのを見て、ジュペッタやゴーストが笑顔でぱちぱちと拍手をした。
「よし、出来上がりだね」
両面が美味しそうにやけたホットケーキを皿に乗せ、それをテーブルに並べる。それからミツハニーのイラストが描かれた瓶に、並々と入っている黄金色の蜂蜜をかければ完成だ。そしてが丁度全員分のホットケーキに蜂蜜をかけ終わった時、食堂の窓の外にフワンテがふらりと姿を現した。
「あ、丁度ホットケーキが焼けた所だよ」
が声を掛けながら窓を開けると、フワンテは窓からするりと入り込んだ。そしてが窓を閉めると、フワンテはの周りをくるりと回る。
「どうしたの?」
が不思議そうな顔をすると、フワンテはその細い足を片方曲げ、に小さな花を差し出した。は驚きつつも、それを受け取る。
「わあ、可愛いね」
フワンテがくれたのは、淡い色をした小さな花だ。の言葉に、フワンテが少し得意げな様子で鳴く。そしてがありがとう、とフワンテの頭を撫でると、フワンテは満足そうな顔で食堂のテーブルに向かい、チルタリスの隣で器用にフォークを使ってホットケーキを食べ始めた。
はキッチンでガラスのコップに水を入れると、フワンテのくれた花を挿し、それをキッチンのカウンターの上に置いた。そしてキッチンから、食堂の様子を眺める。手を使わないポケモンは念力でフォークを使って食べているので、器用に小さく切り分けられたホットケーキの刺さるフォークが、所々で宙に浮いている光景は何だか不思議だ。きっと初めてここに来た頃の自分なら、このポルターガイストが起こっているような光景に悲鳴を上げていたんだろうな、とは笑みを零す。今はこんな光景に驚く所か、みんなが笑顔でいる光景に心が温まるというのだから、時の流れは不思議に思えて仕方ない。
食器を洗い終えた後、の元にフワンテがやって来た。が一体何かと尋ねると、フワンテはの背に頭を押し当て、ぐいぐいと押す。どうやらどこかに行きたいらしい。仕方ないなあとが笑うと、フワンテはの背を押すのを止め、の前を進み始めた。玄関ホールは今日も相変わらずピアノの音が響き、ゴース達が戯れあっている。それらの様子を暫し眺めてから、はフワンテに続いて屋敷の外に出た。
外に出るとフワンテは玄関から庭を通り、ぐるりと回って屋敷の裏へと向かった。もその後に続く。少し進んだ所で、森の中は野生のポケモンが出るよ、とが声をかけると、フワンテはの隣に並んだ。
「いざとなったら、任せるからね」
フワンテは任せとけ、と言うかのようにぷわ、と鳴いて返事をすると、の右手を左足で絡めるように取って再び進み始めた。それから暫く歩き、フワンテがの手を引くのを止めたのは森の中で少し開けた場所だった。そしてその開けた場所の中央を見たは、思わず感嘆の声を漏らす。
「わあ……」
開けた場所の中央には小さい花畑が広がっており、その花畑の上をハネッコやバタフリー、アゲハントが飛び回っていたのだ。
「こんな場所があったんだね」
が小さな声で呟くと、フワンテはこくりと頷いた。きっと毎日風に吹かれて散歩をしている時にでも見つけたのだろうと考えながら、はそよぐ風に気持ち良さそうに揺れる幾つもの花を見つめる。風に揺らぐ花の上を飛び回るバタフリー達は楽しそうだ。この辺りの森の中では見たことの無い穏やかな光景に、思わずは目を細める。そしてフワンテに手を引かれ、は花畑へと足を踏み入れた。自分があまり近付いたらバタフリー達は逃げるのではないかとは心配したが、バタフリー達は逃げ出すことも無く、の周りをひらひらと飛び交っている。
「連れてきてくれて、ありがとう」
がそう礼を告げると、フワンテはまたあの間延びした様な声でぷわわ、と鳴いた。
屋敷に戻る帰り道で、は口を開いた。
「庭の花が咲いたら、あのバタフリー達は遊びに来るかな?」
フワンテはの言葉に眼をぱちぱちと瞬きさせる。それからの言葉に頷くと、ぷわ、と鳴いた。もしそうなったら、きっと屋敷は賑やかになるだろう。―――今でも充分な程に賑やかではあるが。
早く咲くと良いね、そう呟きながら、はいつか来る庭の花が咲く日を思い浮かべ、空を見上げてその太陽の眩しさに目を細めた。