早朝の涼しい空気の中、ヌケニンと庭のパンジーに水を遣り終えたは、屋敷の中に戻ると食堂の椅子に腰掛けた。それからはテーブルの上に置いておいた袋を手に取ると、その中身をテーブルの上に広げる。袋の中身は、この前サマヨールと撮った屋敷の中や、屋敷の仲間達のたくさんの写真だった。
玄関ホールから今日も変わらず響くピアノの旋律に耳を澄ませながら、は写真の一枚をそっと手に取る。が手に取った写真に写っていたのは、屋敷の庭を写したものだった。その写真には、日々成長をしているパンジーの可愛らしい緑の葉も写っている。それを暫し見つめたは、思わず顔を綻ばせながら別の写真に手を伸ばした。
するとその時、の元へと一匹のポケモンがやって来た。そのポケモンはの隣の椅子の脚を引くと、器用に椅子に攀じ登る。そしてひょこりとテーブルの上に顔を出した。
「ヤミラミも一緒に見る?」
の隣にやって来たのは、ヤミラミだった。テーブルの上に広げられた写真が気になるようで、の言葉に元気よく頷くと、テーブルの上の写真に向かって手を伸ばす。そこでが何枚かの写真をヤミラミに渡すと、ヤミラミが嬉しそうに鳴いた。どうやらが渡した何枚かの写真の一番上に、自分の姿が写っていたようだ。
写真を楽しそうに見つめるヤミラミの横で、は主に屋敷を写した写真を選び、それらをアルバムに飾ってゆく。そして屋敷をメインに写した写真が無くなると、今度は屋敷の仲間達の写真を飾るため、はテーブルに広げられた写真に手を伸ばした。
ムウマージにピアノを教えて貰っているゴーストや、仲良く並んでいるカゲボウズ、それに窓際で日向ぼっこをしているチルタリスとジュペッタなど、写真にはたくさんのこの屋敷での日常が写し出されている。そしてそれらがどうしようも無く愛おしいように感じたは、またも穏やかな笑みを零した。の隣で写真を見つめるヤミラミも、その口は楽しそうに弧を描いている。
「うん、良い感じだね!」
たくさんの写真を飾られたアルバムを手に、はヤミラミに向かって頷いた。そしてヤミラミも、それに応えるように頷く。写真を眺めることに満足したのか、手の空いたヤミラミが手伝ってくれたので、アルバムに写真を飾る作業はが思っていたよりも早く終わったのだ。
「折角だし、見ようか」
そう言ってがアルバムの表紙に手をかけた時だ。とヤミラミのいる食堂に、今度はゴーストやジュペッタが姿を見せた。そこでが少し得意気にアルバムを見せると、二匹は感嘆の声を上げる。
「ほら、おいで。一緒に見よう」
が呼ぶと、二匹はわくわくした様子でとヤミラミの元へとやって来た。それからの横で、アルバムをヤミラミとゴースト、ジュペッタの三匹が仲良く一緒に見始めたので、その微笑ましい様子には思わず目を細める。やがて食堂にはヨマワルやゲンガー、ヌケニンにムウマと他の仲間達も集まり出し、結局はみんなで仲良くアルバムを見たのだった。
さて、その日の夜のことだ。ふとは真夜中に目が覚めた。のすぐ傍では、チルタリスがすうすうと寝息を立てている。そのチルタリスの様子をぼんやりと眺めた後、は再び眠りに就こうとした。だがしかし、一度覚めた眠りは目を閉じようと、なかなか再度訪れようとしない。そこでは、水でも飲もうかとベッドの布団から抜け出した。
屋敷内は、真夜中というだけあり静まり返っていた。この屋敷の住人達は本来ならば夜行性なのだろうが、が見た限りでは日中によく活動しているため、夜になるとやチルタリスと同じく休んでいるようだ。夜に騒がれても困るので、助かるなあ、などと思いながらは食堂に向かう。ところが、あと少しで食堂という所では思わず足を止めた。ひたりと静まり返った玄関ホールに、誰かがいたのだ。
「…誰?…ゲンガー?」
が真っ先に思い浮かべたのは、この屋敷一と言っても過言では無い程の悪戯好きであるゲンガーだった。ところが、どうやらよく見れば違うらしい。何故なら暗闇にぼんやりと浮かび上がる影は、ゲンガーよりも幾分か大きかったのだ。そしての問い掛けに、影は一度揺らめくとくるりと向きを変える。その際に窓から月明かりが差し込み、その影を照らした。
「え…、ヨノワール…?」
影の正体は、がこの屋敷で初めて見るヨノワールだった。そしてこの屋敷でヨノワールを見かけたことの無かったは、思わず一歩後退る。ところがヨノワールは、そんなの様子をさして気にもしていないようで、に背を向け玄関の扉へと向かう。そしてこの屋敷で初めて見たヨノワールに唖然としていたは、ほんの少しの間を置いてから、慌ててヨノワールの後を追った。
ヨノワールを追ってが屋敷の外に出ると、真っ暗な夜空には丸く大きな月が浮かんでいた。その下に広がる森の中からは、不気味に響くホーホーやヨルノズクの鳴き声が聞こえる。
「ヨノワール…?」
恐る恐るが辺りを見回すと、ヨノワールは玄関横の庭に浮かんでおり、どうやら庭の花を見ているようだった。はそんなヨノワールに、そっと近付くと口を開く。
「…初めまして、だよね。私は。よろしく」
ヨノワールはの方をちらりと見遣ると、それから夜空に輝く満月を見上げる。が困惑したようにヨノワールを見つめる一方、ヨノワールは考え事をしていた。
は「初めまして」と言ったが、ヨノワールはを知っていた。何せ屋敷を棲み処とする仲間達の殆どが、いつの間にかこのという人間に懐いていたのだから。ゴースやジュペッタ達はともかく、あの臆病であるはずのカゲボウズ達も、寡黙であるヌケニンでさえもがそうだ。しかしヨノワールは幾ら仲間達がを信用しようとも、とは関わりを持たないようにしていた。別にのことが嫌いだとか、そういう訳では無い。ただ、ヨノワールはあることが気掛かりだった。
―――が、いつまでこの屋敷にいるのかということである。
の連れているチルタリスと仲が良いらしいジュペッタによれば、はこの屋敷の持ち主の代理でこの屋敷を管理するためにやって来たらしいが、それは一体いつまでの期間なのだろう。そして仲間達は、いつか訪れるかもしれない別れの時のことを考えたことがあるのだろうか。関われば関わる程、離れる時に辛くなるのは自分達だというのに。後々傷付く位なら、最初から関わらない方が良いのだとヨノワールはと関わらない様にしていたのだ。
そして先程の玄関ホールでに見つかったのも、こんな真夜中にが目を覚ますとヨノワールは思わなかったので、屋敷内を散歩していた所だった。それを知らないは、ふと満月を見上げた後にヨノワールを不思議そうに見つめる。のその顔に、先程の困惑の色はもう見られなかった。
「…悲しい、の?」
が声をかけると、ヨノワールはゆっくりとに顔を向ける。一体何を言い出すのだろう、とでも言うような、訝しい気な顔をヨノワールはしていた。
「なんとなく、悲しそうに見えたから…違ったら、ごめんね」
が困った様に眉を下げると、ヨノワールはから眼を逸らし、それから屋敷を見上げる。そしてもう一度に顔を向けると、は何を思ったのか「私のこと、もしかして怪しいとか、敵だとか思ってる?」と尋ねた。しかしヨノワールが何も反応を見せずにいると、はそれを肯定と受け取ったようだ。
「私、この屋敷の仲間達を傷付けるようなことはしないよ。この屋敷は私も好きだから、多分ずっといると思うけど…それだけは絶対にしない」
それを聞いたヨノワールがぴくりと反応を見せると、は少し考え込む様子を見せてから、約束しよう、と小指を差し出した。ヨノワールも稍あってから指を差し出す。そしてそのヨノワールの指に、は小指を絡める。
「…約束、ね」
別にヨノワールはを怪しいだとか、敵だとか思っている訳では無かったのだが、それでもの言葉はヨノワールの仲間達を思うからこその不安を消すには、充分だった。
次の日の日中に、それもがいる玄関ホールにヨノワールが姿を現すと、屋敷の仲間達は珍しいなと騒いだ。一体どうしたのかと騒ぐゴースや、珍しいじゃない、と笑みを浮かべるムウマージに、ヨノワールは気が変わったんだ、と答えた。
ゴーストやムウマージ、ヨノワールの視線の先では、悪戯を仕掛けたゲンガーがいつかのようにに擽られ、それをゴースやヨマワル達、カゲボウズまでもが囃し立てている。その様子にヨノワールはふ、と笑みを零した。
気が変わったのはそうだが、何より「この屋敷の仲間達を傷付けるようなことはしないよ。この屋敷は私も好きだし、多分ずっといると思うけど…それだけは絶対にしない」―――と、自分の眼を見てきっぱりとそう言ったを、ヨノワールは信じてみようと思ったのだ。
今日もまた、屋敷の中に住人達の賑やかな声が響いている。