この時期になると時々ではあるが襲来するようになる台風の影響で、今日は今朝から風が強く、珍しく雨も降りそうだった。ここ数日の良い天気は何処へやら、屋敷の窓から見える空は、重い鉛のような雲がのそりと垂れる曇り空だ。そんな曇天の下、は鞄と傘を手にチルタリスの背に乗り、街へと向かっていた。理由は屋敷の部屋の電球が、幾つか切れてしまった為だ。生憎電球の替えは無く、それも電球の切れた箇所が物置など普段用の無い部屋と違い食堂だったので、今度で良いよね、なんて言っていられないのである。
「……チルタリス、大丈夫?」
雨の前兆であろう湿気を含んだ空気に、眉を顰めつつが尋ねると、チルタリスはいつもの半分程の元気で鳴いた。今はまだ雨が降ってないから良いが、雨が降り始めてしまえば、チルタリスの背には乗っていられないだろう。チルタリスの綿の様な羽は、何より水分に弱いのだ。水気を含んでしまえば重くなり、飛ぶスピードも勿論落ちる。それには勿論体力を使うし、何より雨の中飛ばさせるのは可愛そうだ。
「雨が降らないと良いんだけど……」
屋敷を出たのはつい先程であり、街は当たり前のようにまだ見えない。そして曇り空にが溜め息を吐いた時だった。突然、眼下に広がる森の木々の間から、きいい、と甲高い何かの叫び声が聞こえたのだ。チルタリスはその声に、へと振り返る。どうするか、との返答を待っているようだ。
「……降りてくれる?」
チルタリスはやっぱりね、と言うかのように眼を細めると、森の木々の隙間から地に降りた。
まだまだ昼前の時間だと言うのに、曇り空のせいで森はいつもよりも不気味だ。はチルタリスの身体にそっと寄り添い、辺りの様子を伺った。先程の声は間違い無くこの辺りから聞こえており、その声がただ事では無かったので、は一体何があったのだろうか、と首を傾げる。すると、チルタリスがぴくりと反応をし、ある一点を訝し気に見つめた。
「チルタリス……そこ……」
の言葉を聞くと同時に、チルタリスはを庇うようにの前へと一歩踏み出した。何かが、すぐそこにいる。それも一匹では無い複数の何か、だ。とチルタリスが、じっと目の前の草木の生い茂る藪を見つめていると、そこが大きく揺れ、ポケモンが飛び出した。それは大きなアーボックであり、は思わず目を見開くと、一歩後退る。
アーボックはちらりと達を見遣ったが、すぐに視線を外すと、自分の尾にその視線を向けた。
「え……カゲボウズ!?」
の言葉通り、アーボックの尾の先には、ぐるりと尾に巻き付かれたカゲボウズがいた。そして、先程の草むらからもうニ匹のカゲボウズが現れる。二匹はアーボックに向かってかげうちなどの技を繰り出すが、アーボックは涼しい顔で二匹を睨み、二匹が蛇睨みにより麻痺を起こして地面に落ちると、巻き付いていたカゲボウズを締め上げた。
カゲボウズなら壁などを擦り抜けられる筈なので、身体を非実体化させれば逃げられそうだが、それどころでは無いようだ。締め上げられたカゲボウズは、きいきいと先程聞こえた声と同じ、叫び声を上げた。
「チルタリス、ドラゴンクロー!」
驚いていたがはっとして指示を出すと、チルタリスは素早くアーボックに近寄り、鋭く光る脚の爪でカゲボウズを捕らえる尾を払った。突然の攻撃にアーボックは怯み、カゲボウズを捕らえていた尾が緩む。その隙には地に伏せていた二匹のカゲボウズを抱き上げ、チルタリスはふらりと拘束から抜け出したカゲボウズを背で受け止めた。
それからアーボックは闘志の宿る瞳でチルタリスを見つめていたが、ふい、と顔を背けると、元来た方へと引き返していった。
「……大丈夫?」
が腕の中のカゲボウズを見つめると、心底疲労したような顔で二匹のカゲボウズは頷く。そしてカゲボウズ達を見ていたは、ふとあることが気になった。
「……君達、この森にある屋敷に棲んでたりする?」
滅多に見掛けないが、それでも何度か屋敷でカゲボウズを見掛けたことがあったのを思い出したは、思わずそう尋ねた。その質問に、二匹のカゲボウズは顔を見合わせ、それから頷く。やっぱりね、とは溜め息を吐くと、モンスターボールの持ち合わせが無いのでチルタリスには申し訳無いのだが、二匹のカゲボウズをチルタリスの背に乗せた。
「私達、これから街に行くんだけど、一緒に行こう」
計三匹のカゲボウズは、一匹が怪我を負い、あとの二匹が麻痺を起こしていた。このまま放っておいても、自力で屋敷に辿り着けるとは思えない。それなら一緒に街に連れてゆき、ついでにポケモンセンターで治療をして貰おうと思ったのだ。
「それにしても、どうしてアーボックに襲われてたの?……ゲンガーみたいに何か悪戯でもしたの?」
その質問に、カゲボウズ達は首を振った。事の起こりは、今朝に遡る。今朝、この季節にしては珍しく雨が降りそうだったので、屋敷の外に様子を見に出た所、突然の強い風に三匹揃って吹き飛ばされてしまったのである。そして吹き飛ばされた先で何とか風を凌げそうな洞窟に辿り着いたのだが、そこは運悪くアーボックの棲み処であり、縄張りに侵入したカゲボウズ達をアーボックが攻撃してきたのだ。それが先程のことであり、今に至る。そんなことがあったとは知らないは、不思議そうにカゲボウズ達を見つめるだけだった。
達が漸く街に着いた頃、丁度雨が降り出した。雨脚はそこまで強く無いが、やはり気は滅入る。はチルタリスをボールに戻すと、持ってきていた傘を差した。それから三匹のカゲボウズを何とか腕に抱え、はポケモンセンターを目指して歩き出す。カゲボウズ達はその間も、ポケモンセンターに着いてからも大人しくしていた。
カゲボウズ達は比較的軽傷だったこともあり、ポケモンセンターでの治療は早く終わった。それから本来の目的である電球を買うために、は電気屋へと向かう。治療を終えてすっかり元気になったカゲボウズ達は、の傘の下でふわふわと並ぶように浮かんでいた。その様子が何だか軒下に並ぶてるてる坊主のようで、は思わず笑みを零す。
「ママー、みて!てるてるぼうずがいる!」
の思考と重なるように聞こえてきたのは、雨合羽を着た小さな子供の声だった。その声に驚いたカゲボウズ達は途端に挙動不審になり、の後ろへと素早く姿を隠す。
「てるてる坊主?どこにいるの?」
「あれ、いなくなっちゃった。……このあめ、やむかな?」
「てるてる坊主がいたなら、止むかもしれないわね」
達の方を見ていた小さな子供と、その親の何とも和やかな会話を聞いて、はカゲボウズ達に隠れなくても良いのに、と笑った。カゲボウズ達はそんなに、小さく鳴いて返す。その間に親子は、今日のお昼はね、と話しながら行ってしまった。
それから目当ての電気屋で買い物をし、ついでにスーパーで食材を買ったは、スーパーから外に出て驚いた。何と、いつの間にか雨が止んでいたのだ。元より雨脚は強く無かったが、こんなに早く止むとは思わなかったは空を見上げた。まだどんよりとした雲は残っているが、所々青い空が見えている。それから隣に浮かぶカゲボウズ達を見つめたは、先程の親子の会話を思い出し、ご利益があったのかな、と口元に笑みを浮かべた。
「雨も上がったし、帰ろうか」
チルタリスの背に乗り、は森の上を屋敷を目指して進む。カゲボウズ達はすぐ隣を、ふわふわと漂うように着いてきた。
「カゲボウズ達って、屋敷ではあんまり見掛けないから、どこにいるのかと思ってた」
帰り道にふとがそう言ったので、カゲボウズ達は顔を見合わせる。実の所このカゲボウズ達は臆病な性格で、屋敷の中でもひっそりと姿を隠していた。屋敷に棲むゴース達ポケモンとは仲は良いが、人間に慣れていない彼等は、やそのパートナーであるチルタリスに馴染めないでいたのだ。そこには小さいながらに恐怖心さえもあった。
それが今ではどうだろう。すっかりこのという人間と、そのパートナーであるチルタリスに対する恐怖心など、忘れてしまっていた。不思議だよね、と三匹は顔を見合わせ、それからいつの間にか晴れていた空を見上げる。
―――少しずつ、少しずつ歩みよってみようかな、そう考えた三匹の視線の先、雲の隙間から覗く青い空には、小さな虹が架かっていた。