買い物を済ませたは、屋敷の玄関の扉の前にチルタリスの背から降り立った。が降りたのを確認すると、の両手に下がる買い物袋を片方、チルタリスは嘴で啣える。ありがとう、とに撫でられながら袋の中を覗いたチルタリスは、どうやら今日の夕飯の献立はカレーだなと、一人頷いた。
「……ね、チルタリス。見て」
は驚いた顔で玄関横の庭を見つめつつ、チルタリスを呼んだ。玄関の鍵を開けて中に入ろうとした際、ふと見た玄関横の庭に、一匹のヌケニンが浮かんでいることに気が付いたのだ。に呼ばれ、チルタリスも買い物袋を啣えたまま玄関横の庭を見遣る。すると、恐らく以前は手入れもされていたのだろうが、今ではただの土だけになってしまった庭に、確かにヌケニンがふわりと浮かんでいた。
「どうしたのかな」
の言葉に、チルタリスも不思議そうに首を傾げる。それから暫しの間、二人は様子を伺うようにヌケニンを見つめていたが、一先ずは荷物を運んでしまおうと、とチルタリスは屋敷の中に入ることにした。扉が閉まる際、は閉まる扉の隙間からヌケニンをもう一度見たが、ヌケニンはやはり庭にぼんやりと浮かんでいるだけだ。そして扉が閉まると、とチルタリスの二人を、ムウマージにそのムウマージの奏でるピアノの音、それからゴース達が出迎えてくれた。
「ただいま。……あ、悪いけど荷物をしまっておいてくれる?」
がそう言うと、ゴーストが手を差し出してくれたので、は礼を言いながらゴーストに袋を渡した。それからは、ちょっと外を見てくるね、と玄関に向かう。それを見て、一体どうしたんだ、とゴーストはチルタリスに尋ねた。ムウマージやジュペッタ、ゴース達に更にはゲンガーまでもが気になったようで、皆揃って首を傾げ、チルタリスに視線を向ける。
そこでチルタリスが玄関横の庭にヌケニンがいたことを話すと、ああ、と話を聞いたゴース達は頷いた。ゴース達曰く、ヌケニンもこの屋敷に棲みついたポケモンの一匹なのだが、無口というか寡黙というか、とにかく口数が少ないため、考えていることがいまいち良く分からないらしい。何を考えているのかさえ分かれば、相談にも乗るんだけれどね、と溜め息を吐いたのはムウマージだ。そうなのか、とチルタリスも頭を捻ったが、荷物をしまった方が良いんじゃないか、というジュペッタの言葉に、チルタリス達は慌てて台所へと向かった。
一方庭へと向かったは、相も変わらずただ浮かんでいるヌケニンの前にそっとしゃがみ込んだ。しかしが目の前にやって来ても、ヌケニンはぴくりともせず、やはり庭を見つめている。
「元気が無いみたいだね、どうしたの?」
が声を掛けると、ヌケニンは漸く反応を見せた。の方に、庭へと向けられていたヌケニンの視線が移る。その時、自分へと向けられたヌケニンの眼がどことなく悲し気な色を帯びているように感じたは、ヌケニンへと恐る恐る手を伸ばした。ヌケニンはの伸ばされた手に対しても、やはり無反応だ。そしての手が、ヌケニンの頭にそっと触れる。今より昔の、チルタリスがまだ小さなチルットだった頃、落ち込んでいる時にこうして頭を撫でればチルットは元気になったっけ、と思い出しながら、はヌケニンの頭を優しく撫でた。
ヌケニンはに撫でられている間じっとしていたが、何を思ったのか、の前からすっと音も無く姿を消した。慌てては立ち上がり辺りを見回すが、ヌケニンの姿は見えない。
「……ヌケニン?」
が名前を呼んでもヌケニンは姿を見せず、ただ風にざわめく木の葉の音が聞こえるだけだ。暫くは辺りを見回していたが、結局ヌケニンが見つからないので、一体ヌケニンはどこに行ってしまったんだろう、とが屋敷の玄関の方へと振り返ろうとした時だった。ぴたりと冷たい何かが、の手に触れたのだ。
「ひっ!」
肩をびくりと跳ねさせ、ゆっくりと振り返ると、そこにいたのはムウマだった。の驚き様に、ムウマの方までもが驚いている。
「あ、ムウマか……びっくりした」
が安心したように笑うと、ムウマもにこりと笑った。外に出てから戻らないを、ムウマが様子を見に来たのだ。そしてがヌケニンを見なかったかと尋ねると、ムウマはの後ろを不思議そうに見つめた。もムウマに釣られて振り返る。
「ヌケニン!いつの間に……」
の後ろの、少し離れた場所にはいつの間にかヌケニンが再び姿を現していた。そして庭に何かを、必死に埋めようとしている。それを見て不思議に思ったとムウマは、顔を見合わせるとヌケニンの傍に寄った。
「……花?」
そう、ヌケニンが念力で浮かせるようにして持っていたものは、一輪の小さな花だった。そして埋めようとしているというより、どうやら植えようとしているようだった。念力で少しずつ土を掘り返し、そこに茎から切断された花を挿して掘り返した土で穴を埋めているのだ。よく見ればその周りにも何本か、枯れてしまった花が散らばっている。それを見て、はああ、と声を漏らした。
「そっか……庭がこんな状態だったら、寂しいよね」
ヌケニンはゴーストタイプであり、そして虫タイプでもあるからだろう。花が好きなのだ。それなのにこの屋敷の庭には花どころか何も無く、周りに森はあるが、その森にあるのは暗く影を落とす木々だけなのだ。ヌケニンの気持ちが暗くなるのも無理は無い。ヌケニンの植えようとしていた花も、きっとどこかでやっと見つけた花なのだろう。ヌケニンを暫く見つめていたは、ゆっくりと微笑むと口を開いた。
「……よし、明日街に花の種を買いに行こう」
の提案に、ヌケニンがぱっと顔を上げる。ヌケニンの眼は、先程のように悲し気な色を帯びてはいなかった。せっかくの庭だからほったらかしにしておくのも何だか悪いよね、そう言ってが笑うと、ムウマも頷く。するとヌケニンが嬉しそうに、小さく鳴いた。
「今日はもう暗くなるから、とりあえず中に入ろう。勿論、ヌケニンもね」
玄関に向かってが歩き出すと、その後ろをムウマとヌケニンがついて来る。それを見て、は安心したようにそっと口元に笑みを浮かべた。
が中に入ると、チルタリス達が駆け寄ってきた。そしての後ろから姿を現したヌケニンに、チルタリスやゴースがおっ、と驚いたような声を上げる。
「庭が殺風景で淋しいから、明日にでも花の種を買おうかなって」
がそう言うと、ムウマージが成る程ね、とゴース達と顔を見合わせて眼を細めた。そして良かったな、とゲンガーがヌケニンに言うと、ヌケニンは小さくだが頷く。皆はやはり同じ場所に棲む仲間として、ヌケニンを心配していたのだ。
そしてムウマージはピアノの前に行くと、ピアノを奏で始めた。それをムウマがピアノの傍に浮かびながら眺め、チルタリスはピアノの脇に蹲まり眼を閉じる。ゴースやゴースト、ジュペッタはいつもの様に戯れ合いを始め、は、この季節だと植えるならパンジーかな、と言いながら洗面所へと向かった。その後を、を驚かすためにゲンガーがこっそりとついてゆく。
ヌケニンは、きっと数ヶ月もすれば賑やかになるだろう庭を思い浮かべ、それからの後をゆっくりと追った。どのような方法でに、ありがとう、という気持ちを伝えようかと考えながら。