ムウマージとピアノ

昨日のとの約束通り菓子を焼いてもらったゴーストは、上機嫌で焼きたてのマフィンを口に放り込んだ。ちなみにマフィンは、ゴーストが何を焼いてもらうか悩んでいた所、代わりにチルタリスがリクエストしたものである。ゴーストがチルタリス達とマフィンを食べている頃、は昨日掃除をすると決めた書斎にやって来ていた。その隣には、ムウマがふわりと浮かんでいる。

「よし、ぱぱっと片付けようか」

が気合いを入れて三角巾を結び、マスクを付けるとムウマも元気良く鳴いた。

廊下に用意した長机の上に、は手で、ムウマは念力で本をどんどん出してゆく。窓から差し込む陽射しにきらりと光りながら埃が濛々と立ち込めるが、マスクのお陰では咳込まずに済んだ。そして三つ並べた長机が、積み上げられた本により埋まる所で、達のいる書斎にひょいと顔を出したポケモンがいた。ゴースにジュペッタの二匹である。どうしたの、とが問い掛けると、二匹は顔を見合わせ、それから達がしているように本棚から本を取り出し始めた。どうやらとムウマを手伝ってくれるようだ。ありがとう、とが笑うと、二匹もにこりと笑い返してくれた。

とジュペッタが箒や掃除機で埃を片付けている間、ムウマやゴースは廊下に並ぶ長机に詰まれた本を念力で宙に浮かせ、埃を掃い、同じように雑巾も浮かせるとそれでから拭きをしてゆく。そしてとジュペッタによりしっかりとから拭きのされた本棚に、今度は全員で本を戻した。一人と三匹の見事なチームワークでてきぱきと掃除をすると、数時間後には書斎は見違える程に綺麗になった。

「これで、ムウマも気持ち良く本が読めるね」

がそう言うと、ムウマは嬉しそうにに擦り寄った。

そして手伝ってくれてありがとう、とがゴースとジュペッタの二匹に告げた時だった。書斎の扉の外から、小さい音ではあるが確かにポーン、と高い音がの耳に届いたのだ。

「今の聞こえた?」

が尋ねると、三匹は頷く。すると先程と同じように、ポーン、と、今度は少し低い音が聞こえた。続いて、ボン、と更に低い音が続く。

「……ピアノ?」

の言葉に頷いたのは、ムウマだった。誰が弾いてるの、と少し肩を縮こまらせたに、ムウマは小さく鳴いてみせる。ムウマにはピアノを弾く犯人の正体が分かっているらしく、の服の裾を口でぐいぐいと引っ張った。ムウマと一緒になってを書斎から連れ出そうとするゴースとジュペッタの二匹にも、どうやらピアノを弾く犯人の正体が分かっているようだ。

恐らくゴーストタイプのポケモンなのだろうけど、と思いつつも、一体誰なの、とは尋ねる。しかし、それに三匹は顔を見合わせて笑っただけだった。そうこうしているうちにが三匹に押されてやって来たのは、ある部屋の扉の前だった。

先程達がいた書斎は、玄関ホールから一階の奥へと続く廊下を通り、右に曲がって幾つかの部屋を過ぎた所にあるのだが、この、今達が立っている場所は、廊下を挟んで書斎とは反対の位置にあった。の目の前にある扉の向こうから、ピアノの音は止まること無く聞こえている。どうやらそれは何かの曲のようで、何の曲かは分からないが、どこと無く優しい雰囲気のある曲だった。

扉に手をかけると、その部屋は鍵が掛かっていなかった。すんなりと開いた扉に思わず驚きつつも、は部屋を覗く。音の主であるピアノは立派なグランドピアノで、それは部屋の隅にひっそりとあった。そしてそのピアノを弾いていた犯人は、を見るとどこと無く優雅で気品のある笑みを浮かべたのだ。

「まさか、この屋敷にはムウマージもいたなんてね」

再びピアノを鳴らし始めたムウマージを見つめながら、は呟く。それを聞いて一緒にこの場にやって来たゴース達は、ムウマージどころか、ヨノワールにヌケニン、もっと沢山のゴーストタイプのポケモンがいるんだけどなあ、との後ろでひっそりと顔を見合わせた。

鍵盤に触れず、念力で鍵盤を操り曲を奏でるムウマージを、はじっと見つめていた。この部屋には使わなくなったであろう様々な物が散らばっており、ピアノの周りだけが片付けられている。恐らくこのムウマージが片付けたのだろう。そしてムウマージは曲を弾き終えたのか、鍵盤の前を離れ、それからピアノの上の辺りに移動した。宙に浮かぶムウマージのスカートのような身体の端が、ふわふわと揺らめいている。まるでムウマージは、の様子を伺っているようだった。

「よし、決めた」

突然そう言ったに、一体何を、と言わんばかりにゴースやジュペッタ、ムウマがの顔を見つめた。ピアノの上に浮かんでいたムウマージも、こてんと首を傾げると、一体何を決めたんだか、との顔を一層まじまじと見つめる。

「このピアノを、玄関ホールに移動しようと思って」

せっかくムウマージがあんなに綺麗な曲を弾けるんだから、とが笑うと、ゴース達もそれがいい、と頷いた。ムウマージは大きな瞳を瞬かせている。

「ムウマージ、どうかな」

が尋ねると、ムウマージはピアノを優しい瞳で眺め、それからその眼を細めて頷いた。
グランドピアノは見た目通り重いが、四匹の念力を合わせれば難無く運び出せた。玄関ホールまで、慎重に床から僅かに浮かせて運んでゆく。ゆっくりと時間を掛けて、ピアノは玄関ホールの階段近くに運ばれ、そっと置かれた。

玄関ホールに新しく増えたピアノに、玄関ホールにいたチルタリス、ヤミラミやヨマワル、そしてゴーストにゲンガーが驚いた。そして、ムウマージが鍵盤を鳴らすと、ピアノの美しい音を聞いたゲンガーが、口に弧を描きながら近付く。その時ピアノに近付いたゲンガーに、ムウマージが何かを言ったようだった。

にはポケモンの言葉が分からないが、ムウマージに何かを言われたゲンガーが顔を引き攣らせ、げっ、と鳴いたのを見て、「ピアノに触るのは良いけれど、悪戯だけは止めてよね」とムウマージが言っていたように感じ、は思わず笑みを零した。



屋敷の中のどこにいても、優しく美しい旋律がしばしば聞こえるようになったのは、その日からのことだ。


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