ムウマと読書

玄関ホール真正面の階段を上りきった所は窓から陽射しが差し込み、昼寝をするには丁度いい。故に、その場所はチルタリスのお気に入りの場所の一つだ。そこでうとうとしつつも、見下ろした玄関ホールで繰り広げられるある光景に、またやってるよ、とチルタリスは思った。

また、というのは、ゲンガーがの背に飛び付いていることである。ゴーストタイプというのは、実体化・非実体化を己の意思で行えるので、悪戯好きなゲンガーは壁から現れると、隙を見ては掃除をするの背に飛び付いているのだ。思い切りでは無く、見るからに軽いものなので痛くはなさそうだが、その度には驚いている。それがゲンガーは面白いようだった。

「ゲンガー、次にやったら私だって怒るからね!」

壁に姿を消したゲンガーにがそう言った。すると柱やカーテンの影から、ゴース達やヨマワル、ヤミラミが、が怒るぞ、と興味津々といった様子で顔を覗かせる。当のゲンガーは、が怒っても怖く無いと判断したのか、この前街で新しく購入した掃除機をかけるの背に、本日何度目になるか分からない飛び付きを食らわせた。

その時、が振り返ったかと思うと、体当たりのために実体化していたゲンガーをしっかりと捕まえた。そして何をするのかと思うと、ゲンガーのことをが擽ったのだ。それに対しゲンガーが、うげっと情けない悲鳴を上げると、様子を伺っていたゴーストポケモン達からおお、と歓声が上がる。それを見て、今日も平和な一日になりそうだ、とチルタリスは昼寝を再開した。



「そういえば、書斎って見てなかったな」

ゲンガーが擽りに参ったのか大人しくなった後、掃除が終わり、は間取り図を見ていた。客室にキッチン、バスルームにいくつかの部屋は良く使うため掃除はしっかりされているが、書斎は掃除は疎か、一度も見てさえいなかった。広い屋敷の廊下の奥の方にあるし、あまり使わないだろうなと、後回しにしていたのだ。どうしようかな、と呟き、が間取り図を見ていると、後ろからゴーストが間取り図を覗き込んだ。

「わっ、びっくりした!ねえゴースト。書斎に行こうと思うんだけど……一緒に来てくれない?」

間取り図を一々見るより、分かるならゴーストに聞いた方が早いと考えたは、そう尋ねる。するとゴーストは頷き、の前をふわふわと進み出した。廊下を歩いている途中でゴーストはに振り返ると、ふわふわと後ろ向きに進みながら何かのジェスチャーをする。ゴーストの何かを混ぜるような仕種に、は首を傾げた。するとゴーストは首を傾げるに、今度は何かを摘み口に放るような仕種をして見せる。

「あ、もしかして……クッキー?」

の言葉に、ゴーストは勢い良く頷いた。どうやら、以前焼いたクッキーをゴーストは気に入ったらしい。明日にでもまたお菓子を焼こうか、とが提案すると、ゴーストは嬉しそうに宙でくるりと回った。

廊下の突き当たりを曲がり、いくつかの部屋を過ぎた所でゴーストが止まった。この部屋が書斎らしいので、は鍵の束を取り出すと、その中で鍵穴に合いそうな一つの鍵を差し込んだ。の選んだ鍵はこの扉の鍵で合っていたらしく、かちりと音を立てて扉は開いたので、はほっとを息を吐く。その時、達が歩いて来た廊下の曲がり角から、ヨマワルが顔を出した。どうやらゴーストを呼んでいるようで、ヨマワルは小さな布の様な手でゴーストに手招きをしている。

「ゴースト、ありがとう」

そう言ってからが、呼んでるよ、とヨマワルの方を指差すと、ゴーストはにひらひらと手を振り、ヨマワルの方へと向かってゆく。それを見送ってから、は書斎の中に入った。

「うわ、流石に埃っぽいな……」

書斎の中は本棚がいくつも並んでおり、其処彼処に埃が積もっていた。それを見ては思わず咳込む。すると突然、どさりと音を立てて何かが落ちる音がしたので、の肩がびくりと跳ねた。音を立てて落ちた何かに恐る恐るが近付くと、それは分厚い本であり、見上げれば一つの本棚の上の方が、本一冊分空いている。

どうして落ちたんだろう、と疑問に思いつつもは本を拾い上げ、埃を払う。そしてその本を本棚に戻した所で、本棚の影からこちらの様子を伺うポケモンに気が付いた。

「あれ、ムウマ?」

が声を掛けると、本棚の影から顔を覗かせていたムウマは驚いたように小さく鳴き声を上げ、本棚の影に隠れてしまう。しかしがそのまま何もせずに黙っていると、再びムウマは本棚の影から顔を覗かせた。

「ムウマ、おいで」

がしゃがみ込んでムウマにそっと手を差し延べると、ムウマは戸惑いを見せつつの手にゆっくりと近付く。そこでムウマの身体をが撫でても、ムウマは逃げなかった。

「ムウマは、ここで何をしていたの?」

に頭を撫でられて眼を細めていたムウマは、の言葉に本棚を見上げた。そして念力で一冊の本をすっと取り出すと、本を宙に浮かせ、ページをぱらりと捲る。

「本を読んでいたの?」

の問いに、ムウマはにこりと笑った。どうやらこのムウマは、ゴースやゴースト、ゲンガー達とは逆の物静かなタイプのようだ。が見ている間にもムウマは本を読んでいるらしく、大きな瞳が活字を追っている。

「……掃除しないとね」

恐らく利用しないだろうし、この部屋の掃除は後回しで良いかな、なんて思っていたが、ムウマが利用しているのなら話は別だ。よし、と、しゃがみ込んだままだったが立ち上がると、ムウマは本から顔を上げた。

「掃除道具、持ってくるよ」

そう言ってが書斎の出口に歩き出すと、ムウマがの前に回り込んだ。そしての腹の辺りに頭を押し付けると、ぐいぐいと押し返す。

「……どうしたの?」

が足を止め不思議そうな顔をすると、ムウマは自分が読んでいた本を先程と同じように念力で浮かせ、の前に差し出した。本のページの端は所々色褪せ、ぼろぼろになっている。表紙の文字をなぞると、「シンオウ昔話」という文字が読めた。

「読もうってこと?」

の言葉に、ムウマは勢い良く首を縦に振った。せっかくのムウマと打ち解ける機会なのだから、掃除は明日でも良いかな、と考えたは、ムウマが浮かせていた本を手に取った。

「ここは埃っぽいから、別の部屋で読もうか」

それを聞いて、ムウマは嬉しそうに鳴いた。


玄関ホール真正面の階段を上った所は日が当たり明るいので、本を読むのに良いかと思ったのだが、そこではチルタリスがすやすやと眠っている。てっきり普段就寝に使っている客室で寝てると思ったんだけれど、と笑みを零しつつ、はムウマを連れて客室に向かった。

埃を綺麗に落とし、丁寧に布でから拭きをした本をベッドの上に置くと、はベッドの上に寝そべった。寝そべった状態で肘を付くと、隣にムウマがちょこんと乗る。

「シンオウ昔話、か……懐かしいな」

が本の表紙を捲ると、そこには時間と空間を司るポケモンの絵が描かれている。ムウマがの服の裾を引っ張り、読んでというかのように催促したので、はシンオウ昔話を読み始めた。



昼寝から眼を覚ましたチルタリスは、ぐっと伸びをすると、階段を下りていった。階段を下りた先の玄関ホールでは、ジュペッタが箒を持って塵を掃いている。それを見て、ジュペッタはこの屋敷に棲むゴーストタイプ一の綺麗好きで間違い無いとチルタリスは思った。その近くで、普段はあまり見掛けないサマヨールとムウマージ、そしてヨノワールが何かを話している。

この屋敷にはヨノワールもいたのか、と何故か感心しつつ、チルタリスはキッチンに向かう。を探しているのだが、はキッチンはいなかった。その代わりキッチンにはゴーストとヨマワルがおり、何かを必死に見ている。一体何をしているのやら、とチルタリスが後ろから覗き込むと、ゴーストとヨマワルはお菓子作りの本を読んでいるらしかった。

チルタリスに気が付いたゴーストに、明日はが菓子を作ってくれるぞ、ということを聞いたチルタリスは、それでその本を読んでいるのかと頷いた。明日はマフィンが良いな、と思いつつ、チルタリスはを知らないかと尋ねる。すると、ヨマワルが客室に入る所を見たと言うので、チルタリスは客室に向かった。お菓子作りの本を読むのを止めたらしいゴーストとヨマワルも、暇なのかチルタリスの後をついて来る。

客室の扉を器用に顎を使って開けると、ベッドの上にはいた。俯せになって、小さく肩が上下をしていることから、どうやら眠っているらしい。珍しいな、ムウマもいるぞ、とゴーストが指を差したので、そちらを見ると、確かにの隣でムウマも眠っている。

せっかく仲良く眠っているのだから、起こすのも悪いかな、と思ったチルタリスは、静かに飛び上がるとの足元に蹲った。もう一眠りするかな、とチルタリスが小さく欠伸をすると、それに釣られたのかゴーストも欠伸を零す。チルタリスがゴースト達も寝たらどうかと促すと、ゴーストは態との背に乗った。実体化したゴーストが乗った際、が僅かに呻いた気がしたが、気のせいにしておこう、とチルタリスは眼を瞑る。ヨマワルはチルタリスの隣に静かに並んだ。そして暫くすると、小さいながらも複数の寝息が聞こえ始めた。


が目を覚まし、いつの間にか一緒になって眠っているチルタリスとゴーストやヨマワルに驚く、数時間前のことである。


前のお話 | 次のお話
戻る