ゲンガーと買い物

 屋敷に棲み着いたゴーストタイプのポケモンの多さに、が驚いた日から数日が経つ。

 突如壁から現れたりする姿に驚くこともあるが、その頃にはもうは日常の中にゴーストタイプのポケモン達がいることにすっかり慣れてしまっていた。
 というのも、「もう姿を見られたのだから構わないだろう」と彼らは判断したらしく、一部のポケモン達は屋敷の中で堂々と動き回るようになったのだ。

 そしてゴーストタイプのポケモン達は、やチルタリスが自分達のことを追い出すために来たのでは無いということが分かったのか、二人に対して比較的友好的だった。
 勿論全てのポケモンが、という訳ではなくて、やチルタリスを眼にすると慌てて姿を消すポケモンや、警戒した様子を見せるポケモンもいる。しかしとチルタリスの二人はその行動は野生のポケモンとして「当然のこと」だと思っており、特に気にせずに屋敷で過ごしていた。


「手伝ってくれてありがとう」

 手の届かないような高い所の窓を、宙に浮かびながら雑巾で拭いてくれているのはジュペッタだ。が見るに、屋敷に棲み着いているポケモンの中でもかなり友好的なポケモンである。
 掃除をしていたところへ興味深そうに近寄ってきたので、冗談で「一緒にやってみる?」と尋ねたところ、快く頷いてくれたのだ。

 礼を言われたジュペッタは、照れ臭そうに小さく鳴いた。屋敷が放置されてからここに棲み着いたため人間と関わることは無かったし、何よりこうして誰かに礼を言われたのは初めてだったのだ。

 暫くして窓を拭き終えたジュペッタからは雑巾を受け取ると、それを水の入ったバケツに入れる。

「後は私だけで出来るから大丈夫。遊んでおいで」

 助かったよ。そうが言うと、ジュペッタは一階の玄関ホールの真正面に位置する階段から駆けるように降りていった。

 とジュペッタの二人がいたのは一階の玄関ホールの真正面にある階段を上がってすぐ、玄関ホールの上をぐるりと回れる通路だったので、彼女の立っている場所からは一階の玄関ホールにいたゴースやゴーストに戯れついたジュペッタが見えた。
 微笑ましいその光景に、思わず笑みが浮かぶ。


 それからはバケツや雑巾を片付けると、一階の客室に向かった。

 一階の廊下の一番手前の客室は、今ではとチルタリスの寝室になっている。本当はもっと大きな寝室があったのだが、どうも広すぎて落ち着かないので、この客室を使っているのだ。
 そしてが客室を覗くと中には案の定チルタリスがおり、ベッドの上で丸くなって眠っていた。丸くなったチルタリスは、青い体が白い翼に隠れて、まるで綿雲の塊のようになっている。

「……チルタリス、起きてる……?」

 の言葉に、チルタリスは反応しなかった。どうやらかなり深い眠りに就いているらしい。

「買い物に行ってくるね。留守番よろしく」

 本当はチルタリスの背に乗せて貰おうと思ったけれど、これじゃあ当分起きそうにないな。街へは別に徒歩でも行けるし、行くなら暗くならない内に行った方が良さそうだ。

 そう判断したは、聞こえているのか分からないチルタリスに一応そう声を掛けると、静かに客室の扉を閉めた。


 玄関ホールに向かうと、柱の陰からムウマと数匹のカゲボウズがのことを警戒するように見つめてくる。そこで彼女が小さく手を振ってみると、ムウマ達はさっと隠れてしまった。

 ジュペッタやゴース、ゴーストなんかは人懐っこいけれど、ムウマ達はそうでも無いみたいだ。その内慣れてくれるのかな。
 そんなことを考えながら、は再び柱から少しだけ顔を覗かせたムウマ達に、もう一度手を振ると玄関を出た。



 外に出て玄関の扉をしっかりと閉めると、はすぐに街を目指して歩き始めた。屋敷は街の外れの森にあるだけあり、屋敷から街に続く道は木々が鬱蒼と繁っている。

 ゴーストタイプのポケモン達と平気で暮らしておいていうのも何だが、この木々の間の道は心底不気味だと、は辺りの木々を眺めながら思った。
 今は昼過ぎだからまだ良いが、夜になったら正直恐ろしいので、なるべく急いで帰るためにもは足を少し早める。しかし彼女はこの時、まさか自分の後ろに自分以外の誰かがいるとは、思いもしなかった。



 あと少しで街に着くだろうという頃、突如は足を止めた。気のせいか、近くの草むらが揺れた気がしたのだ。

 野生のポケモンだったらどうしよう、とは思った。屋敷近辺では屋敷に棲み着いているゴーストタイプのポケモン達以外の野生のポケモンを見掛けたことがなかったので、この辺りは野生のポケモンはあまり生息していないのでは?と油断していたのだ。

 の手持ちはチルタリスだが、そのチルタリスを置いてきてしまったのだから、当然ながら今彼女は無防備だ。
 気のせいでありますように、と半ば祈るような気持ちで、は再び歩き始めようとした。

 しかし、その時だった。

 突然、鋭い音を立ててのすぐ傍の草が切れたかと思うと、切れた草が舞ったのだ。の背を、冷や汗が伝う。

「アリアドス……!」

 木の影から姿を現したのは、アリアドスだった。獲物に飢えているのか、その眼は爛々と光り、更にギチギチと不気味に口を鳴らし、の様子を伺っている。

 やはりチルタリスを無理矢理起こしてでも連れてくるべきだった、とは後悔した。

 相手の動きを封じる蜘蛛の巣を作り出すアリアドスから、丸腰の状態でどうやって逃げれば良いのだろう。そうが考えている間に、アリアドスは様子を窺うのを止めたのか、口を大きく開いた。


 先程の鋭い音を立てて草を散らしたアリアドスの毒針がに放たれたのと、彼女が目を瞑ったこと、毒針を止めるかのように黒い影の塊が毒針にぶつかったのは、ほぼ同時のことだった。

 黒い影の塊は毒針にぶつかると、ぱん!と音を立てて破裂する。その音に、は恐る恐る目を開けた。

「え……、ゲンガー!?」

 驚くことにの前にいたのは、ゲンガーだった。

 ゲンガーは屋敷に棲み着いているゴーストタイプのポケモンの一匹だ。ゴースやゴースト、ジュペッタはに懐いてくれているようだが、ゲンガーとは特別仲が良いという訳では無い。わざと壁から突然目の前に姿を現したゲンガーに驚かされたことは、何度かあったが。

 そんなゲンガーが、どうしてここに、とは思ったが、助かったことに間違いは無かった。


 唖然としているをちらりと見てから、ゲンガーはアリアドスに視線を移し、ケッ、と笑った。

 途端にアリアドスがゲンガーに向かって追い撃ちを繰り出す。しかしそれをゲンガーは持ち前の素早さでひょいと避け、そこから先程アリアドスの毒針を止めたシャドーボールを放った。

 それが勢いよく命中すると、アリアドスはあっさりと気絶してしまったのだった。

「つ、強いんだね……助かったよ。ありがとう」

 気絶したアリアドスを見つつもがそう言うと、ゲンガーは、やれやれという仕種をして見せた。それはまるで、当たり前だとでも言いた気な顔である。その顔には思わず苦笑した。

「本当にありがとう」

 が改めて礼を言うと、ゲンガーは鼻で笑った。その様子を見ながら、は一か八かでお願いをすることにした。

「ねえ。もしよかったら、一緒に買い物に行ってくれない?」

 両手を合わせて頼み込むと、ゲンガーはケケッと笑う。それは「オッケー」ということなのだろうか?とは首を傾げたが、街へ続く道をゲンガーが歩きだしたことから、どうやら一緒に行ってくれるようだ、と判断した。
 それから足を早めてゲンガーの隣に並んだは、彼に気になったことを尋ねた。

「そういえば、どうやってついて来たの?」

 が尋ねるとゲンガーは彼女の後ろに回り込み、その影に姿を溶け込ませた。ゲンガーが潜んでいるようには見えない、何も変わらない真っ黒な影を見つめながら、なるほど、これならついて来られても分からないな、とは素直に感心する。その様子を見てゲンガーは影からするりと抜け出すと、再び歩き出した。

 そしてもう街に着くという頃、どうしてついて来ていたのか、とが質問すると、ゲンガーはニヤリと怪しい笑みを浮かべた。その笑みは、屋敷でわざと壁から目の前に姿を現して驚かしてきた時の笑みによく似ている。

「……悪戯は、程々にね」

 がそう言うと、ゲンガーは聞いているのかいないのかケラケラと笑う。その様子に、は思わず大丈夫だろうかと不安になったのだった。



 商店街にあるスーパーで買い物をしている間、意外にもゲンガーは大人しかった。

 スーパーの中は他にもポケモンを連れ歩いている人がいたのだが、ゲンガーは悪戯をすることもなく、他のポケモンを興味津々といった様子で眺めていただけだったのだ。

 どうやらゲンガーはただ単に街に来たかっただけみたいだ。
 ゲンガーの様子を眺め、そう思いながら口元に笑みを浮かべたはビニールの袋に買った物を手際よく詰めていく。そしてゲンガーに「行こう」と声を掛けるとスーパーを出た。


「ねえ、ゲンガー」

 買い物を終えての帰り道、はゲンガーを呼ぶと足を止めた。二つの買い物袋を一度置き、片方の袋の中からあるものを取り出す。

「今日はありがとう。……みんなには秘密だよ」

 しーっ、と右手の人指し指を口に当て、左手であるものを差し出す。
 ゲンガーにが渡したもの。それは、鮮やかな水色をした棒付きの大きな飴だった。先程スーパーで、彼が見ていない内にこっそりと買ったのだ。

 ゲンガーは驚いた顔をしたが、の手からそれを受け取ると、嬉しそうに口に啣える。にこにことした顔で飴を頬張るゲンガーの可愛さにが小さく吹き出すと、ゲンガーは慌てて顰めっ面をしたが、すぐににこにことした顔に戻るのがまた可笑しい。

「さ、帰ろう」

 が買い物袋を再度手に持つと、驚くことにゲンガーが彼女の両手に一つずつある袋のうちの一つを手に持った。どうやら持ってくれるらしい。

 それから飴を啣えたゲンガーは左手で袋を持ち直すと、空いた右手での同じく空いている左手を握った。
 突然のひやりとした冷たさには驚いたが、すぐに笑顔を浮かべる。


 今日はゲンガーと少しは仲良くなれたんじゃないかな。そんなことを考えながら、みんな待ってるね、と夕暮れの中ゲンガーとは二人、帰路を急いだ。


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