ゴースと初めての友人

 が目を覚ましたのは、気を失ってから暫くした頃だった。


 何度か瞬きを繰り返した後、はっとした様子で上体を起こしたは、腰のベルトにつけていたモンスターボールを手に取ると、それを宙に向かって放った。
 ボン、という音と共に、赤い光が一匹のポケモンの姿を形作る。彼女の唯一の手持ち、チルタリスだ。
 ボールから飛び出したチルタリスは美しい声を響かせて、ふわりと軽やかに降り立った。

 屋敷に入る前にボールから出しておけばよかったと思いながら、立ち上がったは衣服の埃を払う。すると大きなくしゃみを一つしたチルタリスが、綿のような翼での髪や服、手足についた埃を拭う手伝いをしてくれた。

 ありがとう、と言いかけてチルタリスを見たは、そのジトッとした目に気が付いて苦笑した。

「チルタリスと一緒に入ればよかったね」

 チルタリスが頷く。そうしたら驚いて気絶しようと、倒れずにすんだかもしれないのだ。が空色の頭を撫でると、チルタリスはその手にすり寄った。先ほどとは違い、少し心配そうな目を向けられる。チルタリスが心配してくれているのだということを、は理解していた。

「……うん、大丈夫。ありがとう」


 今度こそちゃんと「ありがとう」を口にしたは、そういえば、と、辺りを見回した。先程のゴースはどうしたのだろう、と思ったからだ。
 もし、先程気を失った原因が正体不明の何かだとか、幽霊だったとしたら。彼女は間違いなく、目を覚ました時に屋敷を飛び出していただろう。
 けれど、先程見たものはゴースだ。未知のものではなく紛れも無いポケモンだったので、は怖いとは思わなかったのだ。


 が辺りを見回していると、服の裾をチルタリスが嘴で引っ張った。
 チルタリスの視線を辿ると、玄関から離れた場所にある柱の影から、ふわふわと薄紫色の体が見えていた。ガス状のそれは、不安定にゆらゆらと揺れている。

 チルタリスと顔を見合わせたは、一歩、二歩、柱へゆっくり近寄った。

「あの」

 がそうっと声をかけると、薄紫色のガスの揺らめきが大きくなった。そのまま反応を待っていると、ゴースがちらりと顔を覗かせる。元から大きな目を見開いて、ゴースはひどく驚いた顔をしていた。

「……えーっと。初めまして、こんにちは」

 野生のポケモンに話し掛けるってどうなんだろう。ここから出ていけって追い出されたらどうしよう。あれこれ考えながらが話し掛けると、ガス状の体を縮こまらせたゴースが俯いた。
 ゴースはちらちらと上目遣いでとチルタリスの様子を窺っている。それはまるで、イタズラをした子供が叱られるのを恐れているような、そんな様子に見えた。
 もしかしたら、ゴースは先ほど気絶させた──というより勝手に驚いて気絶しただけなのだが──ことを気にしているのかも。そう思ったは口を開く。

「まさか野生のポケモンがいるとは思わなかったから、さっきはその、驚いちゃって。私の方こそ驚かせちゃったかな?」

 ごめんね、と手を合わせると、俯いていたゴースが顔を上げた。その顔には、驚きでも申し訳なさそうなものでもない、安堵した表情が浮かんでいる。

「……それで、今日から私たちここに住むことになったんだけど……」

 ゴースはあんぐり、という表現がぴったりなほどに大きく口を開けた。人間の何倍もある、長い舌がよく見える。ころころと表情が変わって面白いなあ。なんて思いながらが見つめていると、ややあってケラケラ笑ったゴースは、二人の間をくるりと回った。どうやら歓迎してくれているようだ。

「私はで、この子は相棒のチルタリス。よろしくね」




 実の所、ゴースも突然やってきた人間に驚いたのだ。
 この古びた屋敷に棲みつくようになってから長いこと、人間なんて見たことがなかった。だというのに、今日は何だか珍しく人間の声がするぞと玄関にやって来てみれば、突然屋敷の玄関ホールに明かりが灯り、光に驚いて、更に目の前の人間に驚いてしまった。

 おどろかすつもりは一切なかったのだが、それでも自分のせいで気絶させてしまったのが何だか申し訳なくて、が起きるまで様子を窺っていたのである。
 柱の陰に隠れていたのは、今度は驚かしてしまわないようにするためだった。

 ゴースは楽しいことや面白そうなことは大好きだが、争いや面倒事は好きじゃないので、目を覚ましたが友好的な態度だったことに安堵した。「ここに住むことになった」と言われたのには驚いたが、特に拒絶する素振りを見せなかったのは、これは面白いことになりそうだ、と思ったからだ。

 他の奴らがどう思うかは知らないが、楽しいこと大歓迎! ゴースのにんまりとした笑みの意味を理解していないは、のんきにニコニコ笑っていた。



 その後、荷物は玄関ホールに置いたまま、間取り図を手にが屋敷をうろついていると、暇だったのかゴースがついてきた。

「今日寝る部屋を探しているんだけど、部屋がありすぎて」

 玄関ホールから伸びる廊下の奥で足を止め、間取り図を見つめたまま口にする。の言葉に、ゴースは長い舌を出して笑った。
 どの部屋も、ちょっと広すぎるのだ。しかし間取り図を見ても分かる通り、屋敷の部屋はどれも同じくらいに広い。それなら玄関に近い方がいいだろうか、とは思案する。

 悩んだ末に廊下を玄関ホールに向かって歩き出すと、その後ろをチルタリスとゴースがついてくる。
 廊下の一番手前の、右側の部屋。その扉の前に辿り着いたは、扉を開け、明かりをつけた。部屋に置かれた上品なデザインの調度品はすべて埃が降り積もっていて、明かりを受けた表面が白く見える。

「一番玄関に近いし、ひとまずここにしようかな。それよりさっさと今日寝る部屋の掃除をする方がよさそう」

 チルタリスとゴースが賛成するように鳴いた声が重なった。



 とチルタリス、二人がかりで掃除をすると、窓の外が暗くなる頃には、埃だらけだった部屋もまあまあ使える程度には綺麗になった。
 掃除用具を片付けて、スーツケースとボストンバッグを部屋に運び入れたは、まだ少し埃っぽいベッドにもたれかかっていたチルタリスに背を預けた。掃除の後洗って乾かしたふかふかの翼は、毛布代わりだ。

「このお屋敷、そこら中埃だらけだし、汚れているけれど……意外と好きになれそうかも」

 掃除を始めたらどこかへ行っちゃったけれど、ゴースという新しい友達も出来た訳だし。の言葉に、チルタリスは目を細める。

「……でも、これから忙しくなるね。とにかく掃除をしないといけないし」

 頑張ろうね、と呟くと、は大きな欠伸をする。今日一日、色んなことがあって体はくたくたになっていた。チルタリスはがぐっすり眠れるように、翼で彼女を包み込むと、静かに歌う。

「チルタリス、ありがと……」

 チルタリスの「うたう」は効果てきめんで、はすぐにすうすうと寝息を立て始めた。

 屋敷に来る前には怖いかも、なんて言ってたのになあ。そんなことを思いつつ、チルタリスも目を閉じる。

 窓の外では、眩い月が輝いていた。


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