Hanada
 巣穴の入り口をすっぽり隠すしげみの隙間から朝の冷えた空気が入りこみ、赤茶色の毛の先をそろりと撫でました。
 巣穴の奥で丸くなってまどろんでいたクスネは、寝返りを打ってから前足を揃えて上体を起こします。

 なんだ、もう朝かい。そんなことを思いながら、クスネは大きなあくびをひとつこぼしました。
 重たいまぶたをこすり、前足をぺろりと舐めると顔やしっぽの毛繕いをします。
 何度も鼻先やしっぽを撫でつけて満足のいくまで毛繕いをしたあと、クスネは巣穴の入り口をうまく隠してくれているしげみから顔を覗かせました。

 濡れた鼻先を冷えた空気がくすぐって、思わずくしゃみが出そうになります。それを何とかこらえると、周りに誰もいないことを確認して巣穴から駆け出しました。
 巣穴が他のポケモンに見つかってしまわないよう、そこから続く足跡を尻尾で払うことも忘れません。

 巣穴からずいぶんと離れたところでクスネは足を止めました。
 どこからか森一番のおしゃべりなムックルたちの声が聞こえたからです。耳をぴんと立てて澄ませると、ムックルたちはどうやらさほど遠くない場所にいるということが分かりました。
 よし、ついてるぞ。舌なめずりをしたクスネは、物音を立てないように気を配りながらそろそろと歩きだしました。

 ムックルたちのいる場所のすぐ近くの草むらまでやって来たクスネは、緑の葉の隙間を金色の目で覗きました。草むらの向こうで、ムックルたちがピイピイとおしゃべりしながら色とりどりのきのみをつついているのが見えます。
 いち、にい、さん……よし、他にはいないな。クスネはムックルの数を確認すると、三日月のように目を細めました。
 ムックルというポケモンは群れをなすことで個々の弱さを補うポケモンです。三羽なら、万が一のことがあってもクスネ一匹でもまだどうにかなる数でした。それ以上だと、反撃されて痛い目にあってしまう可能性が高いのです。

 クスネは辺りを見回して小さな石を探しました。そして手頃な石ころを見つけると、それをくわえて草むらの近くまで戻りました。
 ムックルたちはまだおしゃべりに夢中になっています。
 よおく狙いをつけたクスネは、後ろ足でムックルたちの近くの草むらへ石ころを蹴り飛ばしました。石ころが音を立てて草むらに吸い込まれると、ムックルたちはおしゃべりをやめました。
 突然の物音に驚いて、三羽の目がまんまるになっているのが見えます。
 クスネがそのままじっとしていると、三羽の好奇心旺盛なムックルは物音の正体を確かめるべく草むらに姿を消しました。
 
 クスネは隠れていた草むらから飛び出すと、急いできのみにかぶりつきました。ムックルたちのやかましい声はまだ草むらの向こうです。
 どうやら「この辺で物音がしたよ」「一体何かしら」そんな会話をしているようでした。
 オレンのみを二つほど食べたクスネは、残りのいくつかをできるだけ口にくわえると大急ぎでその場を離れました。
 もちろん、足跡を尻尾で綺麗に消し去ることも忘れませんでした。

 無事に巣穴の前へと辿り着いたクスネは、口にくわえていたきのみを地面に置きました。
 戦利品は全部で三つ。小さなオレンのみが二つと、それからオレンのみとは少し違うきのみが一つです。
 オレンのみとは違うきのみを見て、クスネは大きな目をぱちりと瞬かせました。
 
 それは青色のぼんぐりのみでした。あさのひざしを受けて、ぴかぴかつやつやと輝いています。
 けれどぼんぐりのみは皮が固くて、味はいまいち。とても食べられるものではありません。
 どうやらムックルたちがきのみを集めた際、間違えて採ってきたもののようでした。それを更に、急いでいたクスネが持ってきてしまったのです。
 二つのオレンのみをゆっくりと食べながら、クスネはぼんぐりを眺めました。ちょいちょいと前足で転がすと、その度にぼんぐりのつやつやで固い表皮がぴかぴかと光を照り返します。

 これは、いいものを手に入れたぞ。クスネはそう思いました。
 何故ならクスネはぴかぴか光るものが大好きで、そういったものを集めていたのです。

 巣穴に潜ったクスネは、一番奥に体を寄せました。そこにはクスネが今までに集めた宝物が山積みになっています。
 何かのあかいかけら。空から落ちてきたかのような、お星さまによく似たぴかぴかの石。それからにんげんのすみかの近くで拾ったゴージャスなボール。その他にも、たくさん。それらのてっぺんに青色のぼんぐりの実を置いたクスネは、満足そうに目を細めました。



 お昼頃、クスネは再び巣穴を抜け出しました。おなかが空いたので、また何か食べ物を探そうと思ったのです。

 長いこと食べ物を求めて森の中を歩いていたクスネは、足を止めると鼻をひくりと動かしました。風に乗って、どこからか嗅ぎ慣れないにおいがしたのです。
 それはクスネにとって恐ろしい火や鉄の匂いではありませんでした。ぐうぐうと鳴るおなかを刺激する、とてもいいにおいです。
 においに誘われて、クスネは駆け出しました。
 
 森を抜けて小道を走っていくと、小さな家が見えました。
 どうやら、あそこからのようだ。
 ふんふんと鼻を動かしたクスネはそう思いました。くさむらに身を隠しながら、そろりそろりと近づきます。
 いいにおいが強くなるにつれて、ぺこぺこのおなかの音も大きくなるようでした。
 
 庭先には一人のにんげんのすがたが見えました。
 クスネはにんげんに見つからないように警戒をしながら、庭を囲む柵の周りをぐるりと歩き回ります。そうして一部だけ板がぐらぐらしているところを見つけると、その隙間からこっそり庭の中へ忍び込みました。

 庭にはたくさんの緑があって、クスネが身を隠すのに丁度いい背丈の草もありました。そこに身を隠したクスネは、そっと顔を覗かせました。
 庭先に置かれたテーブルのその上に、お皿とカップが置かれているのが見えます。いいにおいは確かにそこから漂ってきていました。
 にんげんはテーブルとお揃いのデザインのイスに座り、一息ついているようです。くさむらから顔を覗かせているクスネにはこれっぽっちも気付いていません。
 何とかしてあのいいにおいのする何かを食べたいと、クスネは舌なめずりをしました。おなかもクスネを急かすようにぐうぐう大きく鳴りました。

 そのまましばらく様子を伺っていると、にんげんがカップを手に取りました。続けて、イスから立ち上がります。そして、テーブルから離れたにんげんは家の中へすがたを消しました。

 しめた! このチャンスを逃すまいと、クスネはくさむらから飛び出しました。そのまま勢いよくイスに飛び乗ってテーブルの端に前足をかけると、平たいお皿の上のいいにおいがするものを見つめました。
 小麦色のまあるいものは、クスネが見たことのないものでした。
 鼻を近づけて何度かにおいを嗅いで、どうやら毒はなさそうだということを確認すると、恐る恐るかじりつきました。いつもならもっと用心深いクスネですが、今はあまりの空腹でそれどころではなかったのです。
 まあるい何かはさくりと軽い音を立てて簡単に砕けました。ほんのりとした甘さは丁度よく、森の中では味わったことのない美味しさです。

 こりゃあ、うまい。感動したクスネは、あっという間にお皿の上にあった「小麦色のまあるいもの」を平らげてしまいました。
 家の扉の開く音が聞こえたのは、その時です。驚いて全身の毛を逆立てたクスネは慌ててイスから飛び降りると、くさむらに飛び込みました。
 こんなに急いでも、自分の足跡を尻尾で消し去ることは忘れません。

 カップを手に戻って来たにんげんは、テーブルの上の空っぽになったお皿を見ると目をまるくしました。

「あれ?」

 不思議そうに首を傾げたにんげんを見て、クスネはシシシと笑いました。
 それから、見つかる前に帰ろうと、ぐらぐらしている柵の隙間から森へ向かって駆け出したのでした。



 あの日から、クスネはちょくちょくにんげんの家を訪れるようになっていました。
 にんげんが毎日いる訳ではありませんが、いる時は大抵何か美味しいものをテーブルの上に置いているのです。隙を見ては甘いごちそうをつまみ食いするのが、クスネの日課となっていました。

 この日も同じように庭へ忍び込んだクスネは、おや? と思いました。何故ならその日はテーブルの下にお皿が置かれていたのです。
 それにいつもは白く平たいお皿でしたが、テーブルの下に置かれているお皿は赤色で、それに少しだけ深さがあります。まるでクラボのみのような赤色は、お昼のやわらかな太陽の日差しを受けて眩しく光を照り返していました。
 近くににんげんのすがたは見えません。

 警戒しなければならないと思いつつも、クスネはぴかぴかの赤色のお皿が気になって仕方ありませんでした。
 随分と悩んだあと、クスネはいつもよりも念入りに辺りの様子をさぐり、それからそろそろとテーブルへ近付きました。赤色のお皿を覗き込むと、見慣れた小麦色のまあるいものがいくつか入っています。
 毒? それとも罠? 怪しく思ったクスネが鼻を近づけても、いつもつまみ食いをしているごちそうとは何ら変わりのない、とてもいいにおいです。
 悩んだ末に、おなかがぺこぺこだったクスネはそれにかじりつきました。やっぱりいつも通りの美味しい味です。
 そうして安心したクスネが二つめを口にくわえた時でした。

「あっ! いた!」

 突然にんげんの声が聞こえたのです。
 驚いたクスネは、小麦色のまあるいものの欠片を飲み込んでしまいました。それが喉につっかえてしまったクスネが何度もげぇげぇと息を吐いていると、にんげんの駆け寄ってくる足音が聞こえました。

「ほら、お水を飲んで」

 クスネの元へやって来たにんげんが、赤いお皿の横にもう一つ深いお皿を置きました。そこには水がたっぷり入っていて、日の光を受けてキラキラと輝いています。
 クスネは慌ててそれをガブガブと飲みました。

「……大丈夫?」

 にんげんに話しかけられたクスネは咄嗟にテーブルの下で縮こまるとうなり声を上げました。
 するとにんげんはじりじりと後退りをして、クスネから十分に離れたところでしゃがみました。

「驚かせてごめんね。庭へ遊びに来る子がどんな子なのか、ずっと気になっていたの」

 にんげんはクスネのことを見つめてニコニコと笑っています。
 クスネは唸りながら水が入ったお皿に近づくと、もう一度水をガブガブ飲みました。そこでようやく喉の違和感はなくなりました。

「クッキー、まだ残ってるでしょ。食べていいよ。あなたのために焼いたんだから」

 クスネとの距離を保ったまま、にんげんは赤いお皿を指さしました。
 どうやら、小麦色のまあるいごちそうは「クッキー」というようです。

 誰がこんなもの。
 今まで散々つまみ食いをしましたが、にんげんに見つかったとなれば話は別です。クスネは鋭い眼差しをにんげんへ向けました。
 ところが。いじっぱりなクスネとは違って素直なおなかはぐうと鳴りました。

「……ふふ」

 クスネのおなかの声はしっかりにんげんの耳に届いたようでした。
 クスネは恥ずかしさを隠そうと吠えてみせます。しかし、それに合わせておなかもぐうぐうと大きな音で鳴りました。
 にんげんが更に笑ったので、クスネは吠えるのをやめました。こうなってしまっては威嚇しても無駄だと思ったのです。
 なので、じっとりした目でにんげんを睨んでから目の前のごちそうにかぶりつきました。
 それは、やっぱり美味しい味でした。
 
「綺麗に食べてくれてよかった。またおいで」

 食べ終えたあと、そそくさと立ち去ろうとするクスネの背中にそんな声が届きました。
 誰が! にんげんへ振り返ったクスネはイーッと牙を見せて、最後に舌を出すと森へ向かって駆け出したのでした。