ユキメノコは怒っていた。それはもう、本当に本当に怒っていた。その怒りの凄まじさは、うっかりこの小さな町一帯を氷漬けにしてしまいかねないほどのものである。
今日は待ちに待った大好きなとカフェに行く予定の日だ。
甘いものが好きなユキメノコはこの日を本当に楽しみにしていて、カレンダーに赤いマーカーで丸をつけて今日までの日付けを数えていたし、昨日に至っては目が冴えてしまってなかなか寝付けなかった。に「すまほ」でカフェのメニューを何回も見せてもらい、どのメニューを頼むべきかもよく吟味もして、準備は万端だった。
だというのに! ユキメノコは目の前の、すべての原因である男──の弟をにらみつけた。
「……なんか、ユキメノコがすげぇ睨んでくる」
「そりゃあね。この子、カフェに行くのをすごい楽しみにしてたんだから」
話は遡ること数時間前。カフェに行こうとふたり揃って家を出たところでのスマホが鳴った。「ちょっと待っててね」と声をかけられたユキメノコは大人しく頷いて、これから食べる予定のアイスクリームとホイップがたっぷり乗ったパンケーキに思いを馳せる。
大好きなと、大好きな甘いものを食べに行く。そんな幸せと幸せの掛け算にユキメノコがウキウキしていると、突然「えっ!?」という驚いた声が響いた。飛び上がって振り返るとが「まじかー……。大丈夫?」と口にして、困ったような表情を浮かべるのが見えた。
何だか雲行きが怪しくなってきたのを感じとったユキメノコは、祈るような気持ちでを待つ。通話を終えたはスマホを鞄にしまうと、屈んでユキメノコと目を合わせた。そして。
「ユキメノコ、ごめんね。弟が風邪を引いちゃって熱があるみたい。それで……弟の家に行ってもいい?」
ユキメノコは、目の前が真っ暗になった。
そうして、現在。が作ったおかゆを食べる弟をユキメノコはずっと睨んでいるのだった。
嫌がらせで部屋の中にこなゆきでも降らせてやりたいところだったが、この男の病状が悪化したらが困る。そう思ってユキメノコは何とかギリギリのところで怒りをこらえていた。
「でも本当、姉ちゃんが来てくれて助かった」
冷蔵庫も空っぽだったし。そう枯れた声で弟が言うと、は溜め息をついた。
「まったく。それ食べたら薬飲んで、大人しく寝てなさいよ」
「うん、そうする。ユキメノコもさ、本当にごめん」
大人しく頷いた弟を見ては安堵したように笑ったが、ユキメノコの怒りはちっとも収まりそうになかった。この男はとの幸せな時間の邪魔をしたのだから、呪いのひとつでもかけてやりたい。そんな気分だった。
数年に一度あるかないかの猛吹雪の日──ユキメノコがの家を訪れたあの日。ユキメノコの目的はこの弟だった。
猛吹雪の日よりも少し前、この小さな町にこっそり遊びに来ていたユキメノコは、その時たまたま見かけたの弟に一目惚れをしてしまったのだ。
余談だが、この時のことを思い出す度にユキメノコは過去の自分にシャドーボールを食らわせたくなる。
ユキメノコがの弟に一目惚れをしてしまったその日、彼は旅行の土産をに届けるために町を訪れていた。
そんなことも知らずにこっそり後をつけたユキメノコは、彼がの家に入るところを見てその家が弟の家であると勘違いした。
そしてあの猛吹雪の日。人目につかないように町へとやって来たユキメノコは、一目惚れをした男を氷漬けにして自分の棲む雪山へ連れて帰るつもりだった。
ところが、だ。扉を開けたのは、その家に住むだった。
意中の相手を氷漬けにする気満々で待ち構えていたら、全くの別人が出てきたものだからユキメノコは心底驚いた。
──ええっと、彼は家の中にいるのかしら? この女はあのひとの恋人? 邪魔なら消してしまえばいいかしら?
混乱しながらあれこれ考えている内に運よく家に上がることができたものの、家の中を見回してもそれらしき影は見えない。焦りが募り、どうしようもなく泣きたくなったその時。に差し出されたのが甘いホットミルクだった。
熱いものは苦手なので冷ましてしまったが、その甘さはとても好きだと思った。
何とか気持ちを落ち着かせることができておかわりまで飲み干した後、さてこれからどうしようかと考え込むユキメノコにが言った。「何か困っているの? 私が助けてあげることはできる?」と。
ここにいれば、あのひとに逢えるのかしら。そう思ったユキメノコは散々悩んだ末に頷いて、の家に棲みついた。
一目惚れをした相手──の弟に会ったのは、それから二年もすぎた頃だった。この町で暫く暮らすことになったから、との家を弟が尋ねてきたのだ。
「前に来た時に小さいけどいい町だなーって思ったんだよな」
「めっちゃ良いとこじゃん! って何度も言ってたけど、まさか引っ越してくるとは思わなかったわ」
「丁度次の仕事先もこっちの方でさ、何かと都合がよかったんだよ」
そんなやり取りをする姉弟を見て、ようやくユキメノコはあの猛吹雪の日の真実を知ることができた。に弟がいるのはこの二年間で何となく理解していたが、彼女の弟イコールあのひとだとは思わなかったのだ。
──それよりも、だ。
ユキメノコはに親しげに話しかける弟を見て、イライラするのを感じた。
一目惚れをした時の淡いときめきなんてものは、二年という月日でとうに失せていたのだ。
それに何より、あの日手を差し伸べてくれたを、共に時を重ねるのことを、ユキメノコは深く愛するようになっていた。なので、と親しげに話す人間は身内と言えど心底邪魔だと思ったのだ。
確かに二年前には雪山に連れて帰りたいと思ったはずなんだけど。そう思いながら睨んでいると、ユキメノコの鋭い視線に気がついた弟が口を開いた。
「おっ、このポケモンが姉ちゃんがよく自慢してたユキメノコか。よろしく」
差し出された手に、ユキメノコはつららのひとつでも落としたい気分になった。
今となっては消し去りたい事実でしかないけれど、この弟に一目惚れをしてしまったからあの日と出逢えた訳で……。いやでもとの時間を邪魔するのは許せない……。
過去のことを思い出し、そんな複雑な思いにユキメノコが唸っていると弟が口を開いた。
「ははは。ユキメノコ、お前面白い顔してるぞ」
本当にこいつ、一度氷漬けにしてマニューラの縄張りのど真ん中にでも捨ててやろうか。そんなじっとりとした怨念を込めた視線をユキメノコが向けると、の弟は「ひっ」と悲鳴を上げた。
「た、魂まで氷漬けにされて山奥に連れてかれる……」
誰があんたなんか。ユキメノコはべぇっと舌を出すとの服の袖を引く。するとは「予定より大分遅くなっちゃったけど、カフェに寄って帰ろうね」と言ってユキメノコの白くて小さな指先をやさしくきゅっと握り返した。
小さな町一帯を凍らせかねない怒りがようやく少しだけ収まったユキメノコは大人しく頷く。
「ほんっと、ユキメノコは姉ちゃんのことが好きなんだなあ」
おかゆを食べ終えた弟が感心した表情で笑った。そうなの、可愛いでしょ。なんて自慢するの声を聞きながら、ユキメノコはフンと鼻を鳴らす。
──ええそうよ。私が氷漬けにしてまでほしいと思う魂は、ただひとりだけ。それ以外なんていらないの。
(それ以外いらない/20221113)
今日は待ちに待った大好きなとカフェに行く予定の日だ。
甘いものが好きなユキメノコはこの日を本当に楽しみにしていて、カレンダーに赤いマーカーで丸をつけて今日までの日付けを数えていたし、昨日に至っては目が冴えてしまってなかなか寝付けなかった。に「すまほ」でカフェのメニューを何回も見せてもらい、どのメニューを頼むべきかもよく吟味もして、準備は万端だった。
だというのに! ユキメノコは目の前の、すべての原因である男──の弟をにらみつけた。
「……なんか、ユキメノコがすげぇ睨んでくる」
「そりゃあね。この子、カフェに行くのをすごい楽しみにしてたんだから」
話は遡ること数時間前。カフェに行こうとふたり揃って家を出たところでのスマホが鳴った。「ちょっと待っててね」と声をかけられたユキメノコは大人しく頷いて、これから食べる予定のアイスクリームとホイップがたっぷり乗ったパンケーキに思いを馳せる。
大好きなと、大好きな甘いものを食べに行く。そんな幸せと幸せの掛け算にユキメノコがウキウキしていると、突然「えっ!?」という驚いた声が響いた。飛び上がって振り返るとが「まじかー……。大丈夫?」と口にして、困ったような表情を浮かべるのが見えた。
何だか雲行きが怪しくなってきたのを感じとったユキメノコは、祈るような気持ちでを待つ。通話を終えたはスマホを鞄にしまうと、屈んでユキメノコと目を合わせた。そして。
「ユキメノコ、ごめんね。弟が風邪を引いちゃって熱があるみたい。それで……弟の家に行ってもいい?」
ユキメノコは、目の前が真っ暗になった。
そうして、現在。が作ったおかゆを食べる弟をユキメノコはずっと睨んでいるのだった。
嫌がらせで部屋の中にこなゆきでも降らせてやりたいところだったが、この男の病状が悪化したらが困る。そう思ってユキメノコは何とかギリギリのところで怒りをこらえていた。
「でも本当、姉ちゃんが来てくれて助かった」
冷蔵庫も空っぽだったし。そう枯れた声で弟が言うと、は溜め息をついた。
「まったく。それ食べたら薬飲んで、大人しく寝てなさいよ」
「うん、そうする。ユキメノコもさ、本当にごめん」
大人しく頷いた弟を見ては安堵したように笑ったが、ユキメノコの怒りはちっとも収まりそうになかった。この男はとの幸せな時間の邪魔をしたのだから、呪いのひとつでもかけてやりたい。そんな気分だった。
数年に一度あるかないかの猛吹雪の日──ユキメノコがの家を訪れたあの日。ユキメノコの目的はこの弟だった。
猛吹雪の日よりも少し前、この小さな町にこっそり遊びに来ていたユキメノコは、その時たまたま見かけたの弟に一目惚れをしてしまったのだ。
余談だが、この時のことを思い出す度にユキメノコは過去の自分にシャドーボールを食らわせたくなる。
ユキメノコがの弟に一目惚れをしてしまったその日、彼は旅行の土産をに届けるために町を訪れていた。
そんなことも知らずにこっそり後をつけたユキメノコは、彼がの家に入るところを見てその家が弟の家であると勘違いした。
そしてあの猛吹雪の日。人目につかないように町へとやって来たユキメノコは、一目惚れをした男を氷漬けにして自分の棲む雪山へ連れて帰るつもりだった。
ところが、だ。扉を開けたのは、その家に住むだった。
意中の相手を氷漬けにする気満々で待ち構えていたら、全くの別人が出てきたものだからユキメノコは心底驚いた。
──ええっと、彼は家の中にいるのかしら? この女はあのひとの恋人? 邪魔なら消してしまえばいいかしら?
混乱しながらあれこれ考えている内に運よく家に上がることができたものの、家の中を見回してもそれらしき影は見えない。焦りが募り、どうしようもなく泣きたくなったその時。に差し出されたのが甘いホットミルクだった。
熱いものは苦手なので冷ましてしまったが、その甘さはとても好きだと思った。
何とか気持ちを落ち着かせることができておかわりまで飲み干した後、さてこれからどうしようかと考え込むユキメノコにが言った。「何か困っているの? 私が助けてあげることはできる?」と。
ここにいれば、あのひとに逢えるのかしら。そう思ったユキメノコは散々悩んだ末に頷いて、の家に棲みついた。
一目惚れをした相手──の弟に会ったのは、それから二年もすぎた頃だった。この町で暫く暮らすことになったから、との家を弟が尋ねてきたのだ。
「前に来た時に小さいけどいい町だなーって思ったんだよな」
「めっちゃ良いとこじゃん! って何度も言ってたけど、まさか引っ越してくるとは思わなかったわ」
「丁度次の仕事先もこっちの方でさ、何かと都合がよかったんだよ」
そんなやり取りをする姉弟を見て、ようやくユキメノコはあの猛吹雪の日の真実を知ることができた。に弟がいるのはこの二年間で何となく理解していたが、彼女の弟イコールあのひとだとは思わなかったのだ。
──それよりも、だ。
ユキメノコはに親しげに話しかける弟を見て、イライラするのを感じた。
一目惚れをした時の淡いときめきなんてものは、二年という月日でとうに失せていたのだ。
それに何より、あの日手を差し伸べてくれたを、共に時を重ねるのことを、ユキメノコは深く愛するようになっていた。なので、と親しげに話す人間は身内と言えど心底邪魔だと思ったのだ。
確かに二年前には雪山に連れて帰りたいと思ったはずなんだけど。そう思いながら睨んでいると、ユキメノコの鋭い視線に気がついた弟が口を開いた。
「おっ、このポケモンが姉ちゃんがよく自慢してたユキメノコか。よろしく」
差し出された手に、ユキメノコはつららのひとつでも落としたい気分になった。
今となっては消し去りたい事実でしかないけれど、この弟に一目惚れをしてしまったからあの日と出逢えた訳で……。いやでもとの時間を邪魔するのは許せない……。
過去のことを思い出し、そんな複雑な思いにユキメノコが唸っていると弟が口を開いた。
「ははは。ユキメノコ、お前面白い顔してるぞ」
本当にこいつ、一度氷漬けにしてマニューラの縄張りのど真ん中にでも捨ててやろうか。そんなじっとりとした怨念を込めた視線をユキメノコが向けると、の弟は「ひっ」と悲鳴を上げた。
「た、魂まで氷漬けにされて山奥に連れてかれる……」
誰があんたなんか。ユキメノコはべぇっと舌を出すとの服の袖を引く。するとは「予定より大分遅くなっちゃったけど、カフェに寄って帰ろうね」と言ってユキメノコの白くて小さな指先をやさしくきゅっと握り返した。
小さな町一帯を凍らせかねない怒りがようやく少しだけ収まったユキメノコは大人しく頷く。
「ほんっと、ユキメノコは姉ちゃんのことが好きなんだなあ」
おかゆを食べ終えた弟が感心した表情で笑った。そうなの、可愛いでしょ。なんて自慢するの声を聞きながら、ユキメノコはフンと鼻を鳴らす。
──ええそうよ。私が氷漬けにしてまでほしいと思う魂は、ただひとりだけ。それ以外なんていらないの。
(それ以外いらない/20221113)