混濁する意識の中で、ふと、ゆらゆらと波の狭間を漂っているような感覚を覚えた。その感覚に呼び起こされるようにうっすらと眼を開けば、視覚は徐々に何もない空間の広がりを認識する。そうして眼の前に広がる何も無い光景を見た私はゆっくりと辺りを見回すと、私以外に何も存在しないこの場所で、一体何をしているのだろうと考えた。
そして何より、「私」は誰なのだろうか。自分自身のことや、どうしてここにいるのかを思い出そうとしても、記憶にまるで霞が掛かってしまっているようで、何一つ思い出すことが出来ない。
自身の存在を確かめるように両の手を広げ、まじまじと見つめてみる。するとほんの一瞬、両の手が血塗れに見えた。僅かに驚き、瞬きをした後に見つめ直すと手は血塗れになどなっておらず、安堵して息を吐く。そうして再びまどろみ始めた意識に身を委ねていると、不意にどこからか声が聞こえた。
「……ツー」
酷く気分の害されるような声だ。その声は静かな湖面のように穏やかだった私の心を少しずつ波立ててゆく。その声にあからさまな敵意を向けながら、私ははっきりとした口調で問い返した。
──お前は、誰だ。そして私は。
すると少しの間を置いて、その声は答えた。
「お前は、ミュウツーだ」
ミュウツー。その名を聞いて漸く私は「私」のことを思い出すことができた。私の名前は、ミュウツーだ。人間に作られた、そう、ポケモン。それと同時に、私の脳内に直接響く不愉快で仕方のないこの声の主を思い出した。私の記憶に誤りが無ければ、私を作りだした研究所の研究員の一人だったはずだ。
そこまで思い出すと途端に私の記憶に掛かっていた霞が晴れてゆき、それと同時に脳内に次々と忘れていた記憶が蘇る。
分厚い硝子の大きな試験管の中に満たされた培養液の中で、静かに呼吸を繰り返す私を見つめる研究員達の期待に満ちた眼差し、繰り返される実験と記録。それから人間の手によって作りだされた私の──、
一気に思い出したそれらに思わず顔を顰めると、研究員の声はもう一度私の名を呼んだ。
「……黙れ」
その声を止めようと忌々しげに呟くと、研究員の声は意外にもあっさりと止んだ。しかしその代わりに、今度は別の声がどこからか聞こえ始める。その声は、私の記憶上では聞いたことの無い声だった。
「──ねえ」
お前は誰だ、そう問い掛けようとすると、突如視界が揺らいだ。ねえ、ねえ、と私を呼ぶその声は止まない。お前は誰で、何故、私のことを呼んでいる?
「……お前は誰だ」
はっと眼を覚ますと、眼の前には広大な空が広がっていた。そこを細い雲がゆったりと流れてゆく。雲の輪郭をなぞるように眼を動かすと、あの、と控え目な声が聞こえた。声がした方へと僅かに顔を向けると、怖ず怖ずと私のことを見つめる人間の女の姿が眼に入る。
「気がついたみたいで、良かった。……ねえ、大丈夫?酷く魘されていたけれど」
少し困惑したような表情を浮かべながら、その女はそう尋ねた。その言葉を耳にした私は、魘されていたとはどういうことだろうかと眉間に皺を寄せる。するとその私の表情の動きで私が状況を理解出来ていないことを察したのか、困惑した表情のままで女は口を開いた。
「ええっと、ここにあなたが倒れていて、それを私が見つけたのだけれど……ずっと魘されていたの。だから大丈夫かなって思って、ずっと呼びかけていたんだ。そうしたら急に眼を覚ますから、びっくりした」
そう語る女の声は、先程私のことを呼んでいた声と同じものだった。どうやら、私はこの場所に倒れている間に、夢を見ていたらしい。
「ここは一体……」
思わずそう呟きながら起き上がろうとすると、身体に鈍い痛みが走った。そして女が慌てて私を制するように手を伸ばす。私は突然の痛みに思わず呻き、起き上がろうとした上半身を再び倒すこととなった。その際に背中に柔らかな感触を感じ、首を僅かに捻ると生い茂る草が見えた。
「あなた、ポケモンなのに言葉が喋れるんだ。それから起きない方が良いと思うよ。酷い怪我をしているから」
言葉を発した私に驚いた様子を見せながら、女はそう言った。そして酷い怪我、という女の言葉を確かめるように私がゆっくりと右手を持ち上げて眼の前に翳すと、確かに私の右手は傷だらけだった。痛みによって首を余り動かすことが出来ない為分からないが、恐らく右手だけではなく全身がこんな状態なのだろう。酷い怪我を負った私には、自己再生をする力も残っていないようだった。
女は私の体の傷の一つ一つを確かめるように見つめながら、手当てをする為に薬を持ってくるね、と立ち上がった。女の服の裾が、風に柔らかくはためく。
「……必要ない」
「どうして?そんなに酷い怪我をしているのに?」
きょとんとした様子で女は私の顔を見つめた。
「この程度の傷、大したものでは無い」
最悪な気分の寝覚めを振り払うようにきっぱりと私がそう言い切ると、女は再び私の隣に腰を下ろして私の体にそっと手を伸ばす。
「起き上がることも出来ないくらい、酷い怪我をしているのに?」
「ぐっ……」
女の手が私の左手にそっと触れると、たったそれだけのことなのに傷が酷く熱を持った。まるで焼けるようなその痛みに思わず呻くと、女は慌てて触れた手を離す。
「わっ、触れただけで痛いの?ごめんね。……やっぱり、応急処置くらいは必要だと思うな。薬、取ってくるね」
「……勝手にしろ」
半ば諦めたような気持ちで私が言葉を吐き捨てると、女はうん、と笑顔で頷いて何処かへ駆けて行った。視界に入る空は忌々しい程に晴れ渡っている。
数分後、薬の入っているであろう鞄を手に、女は小走りで私の元に戻ってきた。そしてすぐ隣に座り込むと、手早く丁寧な手つきで私の傷の手当をしていく。
女が私の傷の手当てをしている間、私はただ真上に広がる空を見つめていた。風に流され漂う雲が、やけに遠く見える。
「とりあえず、こんなものかなあ。どこかまだ痛む所はある?」
空に向けていた意識を女へと向けると、女は心配そうな瞳で私の様子を伺っていた。
「……いや」
痛みを確かめるように右手を上げ、それから指先を動かす。痛みは先程よりも大分薄れていた。
「そう。それなら良かった」
残った薬や、空になった容器を鞄に戻すと女は立ち上がる。身体に走る痛みは先程よりも薄らいでいたので、私はなんとか上体を起こすことができ、更にそこで漸く周りの景色を見ることが出来た。
私が座っている場所はなだらかな丘のようになっており、背の低い草が生えていた。振り返った先には木々が立ち並び、森が広がっている。そして私が座っている所を下っていった遥か下には、こちらにも森が広がっており、その先には小さく街らしきものが見える。
「……お前は一体誰で、ここで何をしている」
暫く辺りの様子を眺めて分かったのだが、辺りには小さな建物が一軒建っているだけで、どうも人間が住む場所に適しているとはあまり思えない。そんな場所に、何故この女はいるのだろうと、ふと気になった私はそう尋ねた。
「そういえば、自己紹介がまだだったね。私は。この辺りのポケモンの生態系について調査をしているの」
そう言って、は笑った。それからあなたは、と、興味津々といった視線を私に向けながら問い掛けたので、それに私はただミュウツーだ、とだけ返す。
するとは私の名前を確かめるように呟いた後、驚いたような顔で私のことを見つめた。
「ミュウツー……、って、もしかして、あのミュウの遺伝子から……ってポケモン?」
「……そうだ」
私が頷いたのを見て、は大きく目を見開いた。そして、へえ、だとか、ふうん、と呟きながら、座ったままの私を観察するように見つめる。それはあまり良い気分では無かったが、エネルギーを使い果たして疲れていた私は、文句を言う気にもならず、ただその無遠慮な視線を受け止めていた。
軈ては私を観察することに満足したのか、服の裾についていた細かな草を払いながら口を開いた。
「じろじろ見ちゃってごめんね。珍しいなあって思ったら、つい」
は申し訳無さそうに苦笑する。
「ポケモンの生態系を研究するにあたって色んな資料を目にしてきたけれど、ミュウツーについては本当に僅かな一文くらいしか読んだことがなかったんだ。だからまさかあなたがミュウツーだとは思わなかったし、ミュウツーの姿を見れるなんて思ってなかったよ」
あんまり嬉しそうに言うものだから、私はそうか、と適当に返事を返し、そうきらきらと瞳を輝かせて語るの顔を見上げていた。
「そういえば、ミュウツーはこの後どうするの?もう、どこかへ行っちゃうの?」
不意に尋ねられ、私はいや、と首を振った。傷は治りはしたものの、エネルギーを使い果たしている為どうしたものかと考えていた所だったのだ。
「……どこか人目につかない静かな場所で、暫くは体を休めようかと思う」
私がここらには洞窟でも無いだろうかと辺りを見回すと、それなら、とが口を開いた。
「……私の家に、来る?」
突然の提案に思わず私が呆気に取られていると、は言葉を続けて口にする。
「この辺りには滅多に人も来ないし、丁度いいかなあと思ったんだけれども」
私はの様子をぼんやりと眺めながら、彼女の言葉を頭の中で繰り返した。
生憎、静かで人気の無い場所を求めて移動するエネルギーも無いし、目の前のという人間はポケモンも連れていないようで、私にとって脅威になりそうな力も無さそうだ。それならば、利用させて貰おう。それにもしも邪魔になったとしたら、消してしまえばいい。そう考えた私は頷いた。
「それならば、そうさせて貰おう」
暫くした後に、はこの辺りの生態系を調査する為に住んでいるという建物へと案内をしてくれた。それは先程、辺りを見回した時に見えた建物だった。少し古ぼけた壁には蔦が這っている。中は見かけによらず広く、本や瓶の並んだ棚がそこらにあった。一番陽の当たる窓際には大きな机が置かれ、その上には様々なメモのようなものが散らばっている。
「散らかっていてごめんね。まさか急に誰かが来ることになるなんて」
恥ずかしそうに慌ててメモを片付けるは、そういえば、と口を開いた。
「ミュウツーは、どうして傷だらけであんな所に倒れていたの?」
あちこちに散らばるメモをかき集めて机の上でとんとんと整えながら、はそう尋ねた。
の質問に私はふと、先程の場所で気を失う前のことを思い出す。眼が覚めた当初は曖昧だった記憶も、今でははっきりしていた。
「……あの場所で倒れる前、私はハナダの洞窟にいた」
「ハナダ?ハナダってことは、カントー地方かあ。なかなか遠いね」
の相槌に曖昧に頷きながら、私はハナダの洞窟にいるよりもずっと前のことを思い出していた。
ハナダの洞窟にいた時のそれよりも前、私はある研究所にいた。いたというよりは、その研究所で生まれたいう方が正しいだろう。
生まれたばかりの私は、培養液のようなものに満たされた分厚い硝子の大きな試験管の中で眼を覚ました。幼い私は無知で、何も知らない。ただ一つ分厚い硝子越しに分かったのは、研究所の研究員達が私の誕生に歓喜しているということだった。私に注がれる、期待に満ちた眼差し。
それを見てただ、ああ自分は望まれて生まれたのだと思った。
それからの日々は、毎日が大量の実験の繰り返しだった。繰り返される実験と記録の意味は分からなかったが、私が持つ力を示す度に研究員達は喜ぶので、私はただ指示されるままに従っていた。
そして実験や観察の合間に、無知な私に研究員が様々なことを教えてくれた。私の名前、私がミュウという幻のポケモンの細胞から人工的に作りだされたこと、私の持つ力、この世界のこと、この世界に暮らすポケモンのこと。
こちらが聞かずとも向こうがたくさんのことを勝手に話し続けるので、知識だけは勝手に増えてゆく。そうして私はたくさんのことを少しずつ知っていったが、ただ一つ、分からないことがあった。
私の存在する理由。それだけが、どうしても分からなかった。私の力を必要としているというのは理解できたが、何故この人間達は私の力が必要なのだろうか。私は何の為に生み出され、何の為に生きているのだろう。そればかりを考えるようになっていたのだ。
だがある日、私は研究員達の話を偶然聞いてしまう。その時の私は試験管の中でただ静かに眼を閉じていたのだが、研究員達はそれを見て、私が眠っていると判断したのだ。
「……ミュウツーの、極限まで高められた戦闘力。これをどう利用するかが楽しみだな」
「ミュウツーの戦闘力を知れば、多大な資金を提示する所もあるだろう」
私が作られた理由。それは、この人間達に利用される為だったのだろうか。 そう考えると胸が僅かに軋むような痛みを覚えたが、それもすぐ後にやってきた怒りの感情で塗りつぶされてゆく。すると私を取り巻く周りのもの、この世界そのものが汚く濁って見え、一気に言い知れぬ大きな力が沸き上がるのが分かった。
徐に眼を開けると、研究員達は驚いた様子でこちらを見つめた。その様子に、自然と口の端が上がる。体には私の力を制御する為の無数のケーブルが繋がれていたが、腕をたった一振りしただけでケーブルは全て千切れ、私を閉じ込めていた分厚い硝子は粉々に砕け散った。ほんの数分前に、私をどう利用するかで笑みを零していた研究員達の顔がさっと青褪める。それを鼻で笑い、指先にほんの少し力を込めて空間をなぞるだけで、何も無いその空間からは衝撃波が生まれた。
「ミュウツー!」
「おい!やめ……」
衝撃波を受けた研究員たちが最後まで言葉を紡ぐことは無く、壁に強く身体を打ち付け倒れた。騒ぎを聞いて駆けつけた他の研究員達が私をどうにか抑えようとするが、私の極限まで高められた力の前には何も出来ず、次々と倒れてゆく。
辺りに倒れた研究員達を冷たく一見した後、私は私を作り出した研究所の全てを恨むように次々と破壊した。頑丈な造りであろうと、壁も柱も設備も全てがただ腕を一振りするだけで捻れて崩れる。
「……はは」
瓦礫へと姿を変えていく研究所と、それに埋もれて見えなくなっていく研究員達やこの研究所が夢見ていた輝かしい未来を見て、思わず乾いた笑いが込み上げる。それと同時に、私は自身の力の巨大さを再確認したのだった。
そうして一夜にして廃墟と化してしまった研究所を後にした私は、一度に力を使い過ぎて疲労した身体を休めるべく、研究所から遠く離れた土地で偶然眼をつけたハナダの洞窟へと身を隠した。
ハナダの洞窟は野性のポケモンのレベルも高く、滅多にトレーナーもやって来ない。その上危険な洞窟の奥底となれば、尚更だ。私は誰にも介入されることの無いその場所が気に入り、そこで数年を過ごした。
しかしそんなある日のこと、ハナダの洞窟の奥底の私の眠る場所に訪れたトレーナーがいた。ハナダの洞窟の奥底に、珍しいポケモンがいるのだという噂が少しずつ流れているということを知っていなかった訳では無かったが、こうして実際にトレーナーがやって来たのは初めてだった。ぎらぎらとした獣のような闘争心を剥き出しに、しっかりと鍛えられたポケモンを引き連れたそのトレーナーは、私を捕らえようとしたのだ。
野生としての勘で、私はこのトレーナーと全力で戦わねばなるまいと感じた。トレーナーがボールを投げ、鍛え上げられたポケモンが姿を現すと同時に、私は攻撃を仕掛ける。
洞窟の奥底の地底湖、その真ん中の小島で、トレーナーのポケモンの技と、私の放った技が激しい音を立ててぶつかった。
そのトレーナーとの戦いは、炎が赤々と燃えて風が空気を裂くように舞い、鼓舞するかのような咆哮が轟き、水飛沫が上がり、砂塵が立ち上り、時には凍て付くような寒さの吹雪が視界を覆う、滅茶苦茶とも言えるものだった。
全力と全力がぶつかるその戦いは一晩中続き、当然ながらどちらも体力の限界は近付いてゆく。そうしてあと一撃で、勝敗が決まる。そんな時、最初に耐えられなくなったものがあった。
それは、ハナダの洞窟だった。突如物凄い地鳴りがしたかと思うと、天井が音を立てて崩れ始めたのだ。崩壊した天井の瓦礫が地底湖に落ちる度に、ざんざんと大雨のような水飛沫が上がる。
このままここにいたら間違いなく死ぬだろう。そう判断した私は、残っていた力で何とか洞窟を抜け出した。私がいた場所は洞窟の一番深い奥底だったので、残り少ない体力で洞窟を抜け出せたのは奇跡に等しい。それから私は洞窟を何とか抜け出した後、宛ても無く彷徨い、やがて辿り着いた場所がこの場所だったのだ。
「ミュウツー?」
昔のことを思い出していると、がこちらを心配そうに見つめていた。
「ハナダの洞窟で、トレーナーと戦っていたら洞窟が崩れたんだ。それから宛ても無く彷徨っていたら、偶然ここへと辿り着いた」
ハナダの洞窟へとやってくる前の、私が生まれた研究所について詳しくは口にしなかったが、は然して気にしない様子でふうん、と頷いた。
「やっぱり珍しいポケモンだと、トレーナーに狙われたりするんだね」
そう言った後に、はあっと声を上げた。
「いや、別に私はミュウツーを捕まえようだとか思っていないからね!?」
ポケモントレーナーじゃないし……、と慌てて付け足すは、見るからに貧弱そうで、ハナダの洞窟を訪れたあのトレーナーとは正反対に見える。
「それくらい、見れば分かる。それに私を捕まえるならば、私が気絶していた時にでもボールを投げているだろう」
「ああ、確かに」
「……思い付かなかったのか?」
「いや、すごい傷を負っていたし、そんなこと考え付かなかったよ……」
そう言いながら、は片付けた机の椅子を引いて手招きをした。
「さっきは応急処置しかしなかったからね。ちゃんと手当をするよ」
再度傷薬を吹きかけられ、それでも治りきらなかった傷に丁寧に巻かれた包帯を満足そうに見つめ、これで良し、とは頷いた。
「少し休んだらどう?」
傷薬と包帯やガーゼを片付けながら、が言う。そうしようかと考えたが、がちょっと私は風に当たろうかな、と玄関へと向かったので、何も言わずに釣られるように私も外へと出た。少し前を歩くは、呑気に鼻歌を歌っている。
そうしての後をついて辿り着いたのは、海が見える丘だった。少し暮れ始めた空に、それから広く静かに揺れる海が良く見える。
「綺麗だよね……。私、この景色が好きなの」
は眩しそうに目を細めその景色を眺めているが、私にはただそこに空と海がある、という風にしか思えなかった。
「……綺麗、か」
「ミュウツーは、そう思わない?」
に目を向けられて、私は思わずその瞳をまじまじと見つめた。
今までに見たことがないような、私を見る瞳。私の力に待望する眼差しではなく、利用してやろうという欲に塗れた目でも、はたまた怯えるでもなく、私を捕らえようとしたあの闘争心を剥き出しにしたぎらつく獣のような目でも無く。ただ、純粋な瞳。その瞳に私は何故か、今までに感じたことの無い恐怖のようなものを覚えた。
「悪いが、いまいち分からない」
言い知れぬ、恐怖に似たその何かを隠すように何とかそう告げると、は少し残念そうな表情を浮かべた。
「……そっか」
だがそれもほんの僅かの間で、はまた空と海を眺めだす。
それから暫くして少しずつ星が瞬き出した頃、その星と地平線の彼方へ半分以上その身を潜めた太陽を見て、はまた綺麗だと感嘆の声を漏らしたが、やはり私には綺麗だというものがいまいち分からなかった。