明くる日の昼下がり、はニビシティの科学博物館を訪れていた。目的は勿論、あのポケモンから預かった謎の水晶を調べてもらうためだ。
 化石や鉱石といった様々な展示物に目を惹かれながらも、は化石の復元を受け付けているカウンターがある館内の奥へとまっすぐに向かった。

 目当てのカウンターまであと数メートル、というところでは「あれ?」と思った。そこに、目の冴えるようなアイスブルーの髪が見えたからだ。
 アイスブルーの髪に、清潔感の漂うスーツの着こなし。スラッとした佇まいのその青年は、どこかで見たことがあるように思えた。
 ええっと、どこで見たことがあるんだろう。記憶を手繰り寄せながらカウンターへ近付くと、青年の話し声が聞こえた。

「人生を捧げてその道を極めた人はやはり一味違うね。しかし情熱だけならぼくも負けてないけどね」

 展示物の手入れをしているらしい職員と談笑していた青年が、の気配に気がついたのか顔を上げた。ぱちりと目があって、は咄嗟に会釈をする。すると青年は人の良さそうな顔で微笑んだ。

「あの」

 肩から提げた鞄の肩紐を握りしめたが職員に声をかけたのと、奥の机の上の内線が鳴ったのは同時のことだった。
 椅子から立ち上がった職員は、申し訳なさそうな顔を見せると慌てて内線を取りに向かう。
 肩透かしを食らってしまったは息を吐いた。そうしていつの間にか緊張していた体から力を抜くと、静かに鞄を開く。
 ハンカチで包んだ謎の水晶を取り出すと、すぐ傍に立つ青年の視線が手元に向けられたのが分かった。

「おや? きみが持っているそれは……」

 話しかけられるとは思っていなかったので、は少しだけ驚いた。しかしすぐに「よかったら、見てみます?」とハンカチを取り払った。もしかしたら何か分かるかもしれない。そんな期待を抱いたからだ。
 青年の目が分かりやすい程にまるくなって、宝石のような輝きを宿す。

「不思議な石だ……。岩の中で何かが輝いている……。素敵な秘密を隠すような奥ゆかしさだ……!」

 興奮した様子で言葉を口にする青年に、は思わず笑ってしまった。

「不思議な石ですよね。でもこれ、何なのかさっぱり分からなくて」

 の手のひらの上で、謎の水晶が己の存在を主張するかのようにきらりと光った。
 顎に手を当てて頷いた青年が、「この石は専門家に見てもらうべきだと思うよ」と職員へと目を向ける。その視線の先では、タイミングよく職員が内線の受話器を置いたところだった。

「やあ、お待たせ。それで今日は……」

 戻ってきた職員がの手元へ目を向ける。化石の復元かな? なんてフランクな話し方をする職員に、は謎の水晶を差し出した。

「化石なのかどうか……。これが何か知りたくて。見ていただけますか?」

 先程まで手入れをしていた展示物を慎重に片付けた職員は、から謎の水晶を受け取ると「ふむ」と頷いた。

「調べてみるよ。ちょっと待ってて」



 自然な流れで、謎の水晶を調べてもらう間は青年と館内の展示物を眺めていた。
 大きな標本は貸出中とのことで普段よりも館内の展示物は少ないらしいが、それでも時間を潰すのには困らないくらいの様々な物が展示されている。

「そういえば、ポケモンに詳しかったりします?」

 いくつかの石が飾られたショーケースの前にやって来たところで、はふと思ったことを口にした。
 近くのお月見山で見つかったという大きなつきのいしへ注がれていた青年の視線が、ゆっくりへと移る。

「うーん、そうだな。様々なポケモンと触れ合う機会は多いから、それなりに詳しい方かな」
「それじゃあ、もし知っていたら教えてほしいんですけど……。体が青と白で、目が赤色。空が飛べて……。あとは不思議な力が使えるって言ったら思い浮かぶポケモンはいますか?」

 言葉を聞き終えた青年は、「ラティオスかな」との知らない名を口にした。

「ラティオス?」

 が聞き返すと、青年は頷く。

「主にホウエン地方に棲息しているけれど、あまり人前には姿を見せないポケモンだね。ちなみに、エスパー、ドラゴンタイプのポケモンだよ」

 ラティオス。あまり人前には姿を見せない、エスパー、ドラゴンタイプのポケモン。家で留守番をしているあのポケモンは、この青年が導き出してくれた答えの通りラティオスなのだろうか。

 暫しの間が考え込んでいると、青年から「ラティオスがどうかしたのかい?」と声がかかった。は言い淀む。

 僅かな時間を共にしただけだが、目の前の青年が善良な人間であるということは分かる。それでも、あのポケモンのことを他人へ話していいのかには分からなかった。
 せっかく親切に話を聞いてくれたけれど、どうしよう。鞄の肩紐をぎゅっと握りしめて俯いていると、「おや?」というやわらかな声がの耳に届いた。

「どうやら調べ終わったみたいだね」

 青年の言葉には顔を上げる。彼の視線の先──館内奥のカウンターの向こう。そこで謎の水晶を預けた職員がきょろきょろと辺りを見回しているのが見えた。

「あ、本当だ」
「よかったら、ぼくも一緒にあの謎の水晶の正体を聞いてもいいかな?」
「もちろんです」

 が頷くと青年は「嬉しいな」と言って歩き出した。
 質問の答えに困っていることを察して話を変えてくれたであろう青年の気遣いと、タイミングよく謎の水晶を調べ終えてくれた職員。二人に心の中で感謝しながらは青年の背を追った。


 
「やあやあお待たせ! 少し手間取ったけどばっちり調べてきたよ! これはこころのしずくという不思議な力を持った水晶の玉だよ」

 余分なものが取り払われ、つるりとした球体へとかたちを変えた水晶。それがカウンターの上にそっと置かれる。
 がこころのしずくを覗き込むと、中で溶け合ういくつもの青色が風に吹かれた水面のようにゆらゆらと波打った。その美しさに目を奪われているの横で、青年が口を開く。

「こころのしずくはラティアスやラティオスの魂が結晶になったと言われているもの……彼らの潜在能力を引き出す力があるんだ」
「……ラティアス?」

 はこころのしずくへ注いでいた視線を青年へと移す。穏やかな眼差しをへ向けながら、青年が言葉を続けた。

「ラティアスはラティオスと共通点の多いポケモンだよ。ラティオスが青色で、ラティアスは赤色。ラティオスと同じエスパー、ドラゴンタイプのポケモンなんだ」

 が相槌を打つと、青年の視線は再びこころのしずくへ戻った。

「彼らとこころのしずくは魂が呼び合うと言われている……。どうしてこころのしずくがカントーにあるのかは分からないけど、ラティアスやラティオスをこの土地に引き寄せるだろうね」

 ラティアスやラティオスを引き寄せるだろうという青年の言葉には小さく息を飲んだ。
 あの日──嵐の日。傷の原因は分からないけれど、ラティオスかもしれないあのポケモンがいたのは近くの森にあったこころのしずくに引き寄せられたから?
 が難しい顔で思案していると、青年がふっと微笑んだ。

「きみはどうやらラティオスと何か不思議な縁があるようだね」
「……えっと、はい。多分、ラティオスなんだと思います」

 ラティオスらしきポケモンについて尋ねたこと。それと彼らを引き寄せるというこころのしずくを持っていたこと。
 その事実を前にはぐらかすのは無理がある。そう思ったは素直に頷いた。

「ラティオスは人の言葉を理解する知能がとても高いポケモンだ。争いを好まない優しい性格で、同じように優しい心の持ち主にしかなつかない。きみがラティオスを心から信用すれば、きっとラティオスもそれに全力で応えてくれると思うよ」

 青年の言葉をゆっくりと心の中で繰り返してからは口を開いた。

「あの、色々と教えていただけて助かりました。ありがとうございます」
「これくらい、どうってことないさ。……ホウエンのポケモンリーグを留守にしすぎたかもしれない。じゃあぼくは失礼するよ」

 くるりと背を向けた青年が、博物館の入口へ向かって歩き出す。その背を見つめながらは首を傾げた。

「ホウエンのポケモンリーグって……」
「いやあ。まさかホウエンのリーグチャンピオンが急に来るとはね! さすがに驚いたよ」

 の呟きが耳に届いたのか、展示物の手入れを再開していた職員が相槌を打つ。
 それを聞いて、どこかで見たことのある青年の正体にようやく辿り着くことができたは思わず声を上げそうになったのだった。


 
 
 帰宅したが「ただいま」と口にすると、すぐさま部屋の奥からポケモンが姿を現した。
 今日はちゃんと留守番をしていてくれてよかった。そう思いながら、は擦り寄ってきたポケモンの両頬を手のひらで優しく包み込む。ポケモンの喉がきゅうと鳴った。
 暫くポケモンと戯れた後、白くなめらかな頬を解放したは「ねえ」と呼びかけた。心地よさそうに目を閉じていたポケモンが不思議そうに首を傾げ、まっすぐにのことを見つめ返す。

「ラティオス」

 彼のものかもしれない、今日知った名前。それに期待を滲ませては呼んだ。

 ──すると。途端に赤い目が分かりやすいほどまるくなった。何度も何度も瞬きを繰り返す。
 そこに言葉はないのに、は彼が「どうして?」と驚いているのが分かった。

「町の博物館で、偶然知ったの。……あってた?」

 くおんと鳴き声を上げ、ポケモンが大きく頷く。が微笑むとポケモン──ラティオスも嬉しそうにその場で小さく宙返りをした。
 ラティオスと出会ってからそれなりの時間が過ぎた。だというのに、彼がどこから来たのか、どうしてあの夜傷だらけだったのか、それどころか名前さえも分からない。そんな状態からようやく前進できたのだ。
 がほっと息を吐いて喜びを噛み締めていると、ラティオスが鞄を指先でつついた。

「……そうだった!」

 あの謎の水晶、こころのしずくっていうものだったんだね。そんなことを言いながら、鞄から取り出した水晶をラティオスへ差し出そうとしたは「あれ?」と首を傾げた。
 ラティオスの視線がこころのしずくからの顔へと移る。

「こんな色だったっけ」

 科学博物館で見た時は、確かに深い藍色をしていたはずだった。だというのに、今の手のひらの上にあるこころのしずくは明るい水色に染まっている。
 例えて言うのなら、リゾート地の特集なんかで見かける南国の海の浅瀬の色だ。
 ケイコウオが優雅に泳いでいて、タマンタが陽気に跳ねて、サニーゴがゆったりと散歩をしている、そんな明るい海の色。

 いくつもの青が混ざりあっていたけれど、時間によって色が変わるとか? そんなことある?
 ううんと唸るの横で、こころのしずくを覗き込んだラティオスは嬉しそうに目を細めている。
 その様子にどうやら問題はなさそうだと判断したは、改めてラティオスにこころのしずくを差し出した。

 ところが、その手はラティオスに優しく押し戻されてしまった。

「……んん?」

 ラティオスはの顔をじっと見つめ、静かに目を伏せると首を振る。

「やっぱりこれは私が持っていた方がいいの?」

 ためらう素振りもなくラティオスが頷く。は迷ったものの、「本来の持ち主のラティオスがそう言うなら」と大人しく従うことにした。


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