その日もいつも通りひっそりと海底洞窟の奥底に身を潜めていたが、このいつも静まり返っている海底洞窟内では珍しい物音が聞こえたので、神経を研ぎ澄ませるようにしてその物音に意識を集中させた。海の中はただ無音で、その遠くから聞こえる聞きなれない物音だけが頭の中に響く。最初は洞窟の入り口から海に棲む他のポケモンが迷い込んでしまったのかと思ったのだが、どうやら違うらしい。その音は迷うことなく、まっすぐに私のいる最奥のこの場所へと向かってきているのだ。
まさか。そう思って海底洞窟の海の底から海面を見上げる。洞窟の天井の所々空いた隙間から射す小さな光が、海面できらきらと揺れて光っているのが見えた。足音だと思われるその音はもうすぐそこまで近付いている。そして、私のいる場所の傍で、ぴたりと止まった。
「カイオーガ、こんにちは」
そして聞こえたのは、凡そ十年前に聞いた懐かしいの声だった。
海面からゆっくりと顔を出すと、眼の前に立っていた人間が勢いよく上がった水飛沫にわあ、と声を上げながら後退った。そこにいたの姿を眼にした私は、思わず驚く。当然のことと言えばその通りなのだが、約十年前の姿よりもが大分大人びていたからだ。は私の姿を見るとぱっと顔を輝かせた。
「久しぶり、だね」
いつぞやの日と同じやり取りに、私は思わず小さく牙を見せて笑った。も釣られたかのように顔を綻ばせる。
「やっとホウエン地方に帰って来られたよ。もう、聞いてほしいことがたくさんあるんだから!」
そう言っては私の眼の前にあった岩に腰を下ろすと、様々な事を話し出した。ホウエン地方を出てまずはカントー地方に行ったこと。そこでもジムバッジを集め、カントー地方のポケモンリーグにも挑戦したこと。その次にはジョウト地方を巡る予定だったが、知り合いに会う予定が出来て先にシンオウ地方という土地に行ったこと。シンオウ地方の次にはカントー地方の次に行く予定だったジョウト地方へ行き、その次にはイッシュ地方、更にはカロス地方へも行ったのだという。そしてカロス地方からホウエン地方へと帰ってきたらしい。五つもの地方を巡り、それぞれの地方のジムを全て回って来たのだから驚きである。
「本当はもっと早く帰ってくるつもりだったんだけれども、思ったより時間掛かっちゃって」
それぞれの地方で見たのだという様々なポケモンやトレーナーのことを話しながらころころと表情を変えるを見ていると、その視線に気がついたらしくが話すのを止めて首を傾げた。
「あれ、どうかした?」
その言葉に私は首を振った。波が音を立ててさざめく。ただ、またこうしてに逢うことができてよかった、そう漠然と思ったのだ。私が首を振ったのを見ると、は懐かしいや、と呟いた。一体何のことだろうかとの顔を見つめると、は口を開く。
「ホウエン地方を旅立つ前にカイオーガと逢った時に話したことを思い出したの、あの時もこうやって少しの間だったけれど話したなあって」
昔を懐かしむようには目を閉じる。そういえば、が旅立つ前にこの場所へとやって来た時、今と同じように岩の上に座るとこうして話したことを思い出す。長い月日が流れているのに、と出逢った時のこと、と話したことをこうも鮮明に思い出せるのはどうしてだろうか。そんなことを考えていると、不意にが私に向かって手を伸ばした。
「……そういえばね、ホウエン地方に帰ってきて、もしまたカイオーガと逢うことができたら、カイオーガにちゃんと触れてみたいって思っていたの。カイオーガが嫌じゃなかったら、触れてみてもいい?」
のその申し出を断る理由は見当たらなかった。その為私が頷くと、は穏やかな表情を浮かべ、その伸ばした手をより一層私の方へと伸ばす。その手のひらに触れるよう私が海面から僅かにへと顔を近付けると、の手のひらが私の額へとそっと触れた。
私の額へと触れた瞬間にはびくりと肩を揺らしたが、そのまま触れた手は離さずに人差し指だけをまるで擽るかのように動かす。私が何も言わずにじっとしていると、は軈て人差し指だけではなく、手のひら全体で私の額をそっと撫で出した。まるで壊れ物を扱うかのような優しく繊細な手付きに、何だかむず痒くなってしまう。
思わず眼を伏せ、こんなに穏やかな気持ちは、きっとに出逢わなければ知らずにいたのだろうと思った。凡そ十年前、が現れて私を救い、絶対にまた逢いに来ると言ったから、私はこうして今までずっとこの場所にいたのだ。そうでなければまた深い眠りに就いていたか、二度とあのような災害を引き起こしてしまわないように、この地を離れて深い海の奥底のどこかへと姿を消していただろう。
「……あっ!」
に触れられながら眼を閉じていた所、突然大きな声を上げて彼女が立ち上がった。驚いた私が思わずぐるると低い声を上げると、もまた驚いた顔のまま私に目を向ける。
「大切なことを言うのを忘れてたの!」
そう言って私へと向き直ったが、雨が上がった後の空のような、晴れやかな笑顔を私に向けると口を開く。
「ただいま、カイオーガ」
それを聞いた私は、ふっと息を吐いて笑う。そして言葉は違えど、伝わるようにと祈りながら彼女に向けてこう言ったのだ。
おかえり、。
ORASリメイクおめでとう!