とキルリアのここ最近の日課は、テンガン山へ足を運ぶことだった。
目当てはテンガン山で何度か見つかったことがあるという「めざめいし」だ。エルレイドへ進化を遂げるためには必ず必要なそれを、ふたりはずっと探しているのである。
毎日のように通ううち、複雑なテンガン山内部の安全なルートは自然と覚えてしまっていた。故郷の町を離れ、テンガン山の麓の街へ辿り着くまでに数多のバトルを経験してきたキルリアのレベルも高く、今までここらの野生のポケモンたちがふたりの脅威にはなり得ることはなかった。
だというのに、ふたりは今、危機的状況に陥っていた。
この辺りはかなり探したし、もっと奥の方に行ってみる? と、いつもより随分と奥の方を探索していたところ、大量発生したゴルバットの群れに運悪く遭遇してしまったのだ。
レベル差に戦闘経験の差もあって、一対一、いや例え五体一であってもキルリアは難なく勝利することができるだろう。だが、ふたりの目の前にいるゴルバットの数は三十を優に超えていた。
一匹のゴルバットでも人間やポケモンの血を大量に吸うというのに、あの数のゴルバットに集られたらどうなるか。負けたら最後、命を落としてしまうことは間違いなかった。
の指示は的確で隙がなく、キルリアは襲い来るゴルバットを少しずつ戦闘不能へ追い込んでいった。それでも、ゴルバットはまだまだ残っている。
キルリアはを背に庇いながら、三匹のゴルバットをまとめてサイケこうせんで薙ぎ払った。「こんらん」状態に陥った三匹のゴルバットが仲間のゴルバットたちに嚙みつき始めたのを見て、ふたりは目を合わせて頷く。
一瞬できたこの隙に、「いのちのしずく」で体力を回復することも忘れない。あとは群れの動きを予測して、数秒後に何匹かのゴルバットがいるであろう場所へ向けてサイコエネルギーの塊を放つ。「みらいよち」が正しければ、更に数匹のゴルバットが戦闘不能になるはずだ。
――けれど、それじゃあダメだ。
キルリアは額の汗を拭う。このままだと、数で圧倒的に有利な向こうが勝ってしまうだろうと思ったのだ。
それはきっと、も分かっていることだった。
目の前にはゴルバットの群れ。後ろには守るべきパートナー。それぞれを順番に見据えたあと、胸から提げたおまもりをそっと握ったキルリアは、随分と昔のことを思い出した。
テレビの前の、チルタリスの羽毛のようにふかふかなソファへ腰を下ろしたの、膝の上。そこが、日曜日の朝のラルトスの定位置だった。
ソファに陣取るの目当ては、朝の八時から放送されるアニメだ。登場するのはお姫様のサーナイトと、騎士であるエルレイド。そして二匹を助ける魔法使いのテブリムだ。
詳細なストーリーは殆ど覚えていないけれど、大まかなあらすじとしては、ピンチに陥るサーナイトをエルレイドが勇ましく助け出す、そんな内容だった。
「サーナイトは可愛いし綺麗だけど、エルレイドはかっこいいなあ」
アニメが終わってエンディングが流れると、ラルトスを抱き上げたは決まってそう口にした。
それにどうやらはサーナイトよりもエルレイドの方が好きらしく、今日はあのシーンのサイコカッターがよかった。インファイトがかっこよかった。サーナイトをおひめさま抱っこしていたのがよかった。といった調子で「本日のエルレイドのかっこよかったところ」を語るのだ。
ストーリーは覚えていないというのに、ヒーローの活躍を語る彼女の目が、宝石のようにキラキラと美しく輝いていたことをキルリアははっきりと覚えている。
成長したふたりは、やがて家の近所を探検するようになって、更に野生のポケモンたちともバトルをするようになった。そうして何度もバトルを繰り返すうちに、ラルトスはキルリアへと進化を遂げた。
その日の夜は、の両親が大きな苺の乗ったショートケーキを買ってきてくれて、進化のお祝いをしたのだ。余談だが、キルリアの好物がオレンのみからショートケーキへ変わったのは、この時のお祝いがきっかけである。
とふたり並んで行儀よく椅子に座り、ケーキを頬張る。口の端にクリームがついてる! なんてに言われたことも、キルリアは覚えていた。
そしてこの時、ふたりの様子を微笑ましそうに見ていた彼女の両親が、「そういえば」と切り出してこう言ったのだ。
「キルリアはどっちに進化するの?」
サーナイトか、エルレイドか。それを聞いたは大きな目を何度か瞬かせたあと、キルリアへ尋ねた。
「……うーん。キルリアはどっちがいい?」
キルリアに進化したばかりで次のことなんてまだ何も考えてなかった彼は面食らってしまって、ショートケーキの欠片を口へ運ぶのをやめた。
それから眉間にしわをキュッと寄せて、の顔を見た。
そこ、おれが選んじゃっていいの? そう思ったからだ。困惑したような表情を浮かべるキルリアの言いたいことが伝わったのか、はやわらかく微笑んだ。
「キルリアがなりたいすがたを選んで! エルレイドとサーナイト、どっちへ進化したって、あなたがわたしの大切なパートナーだってことは変わらないんだから!」
その言葉にキルリアの胸の奥がじんと熱くなる。どっちへ進化したって――どちらの姿になったって、あなたがわたしの大切なパートナーだってことは変わらない。そう、キルリアにとっても大切なパートナーであるに言ってもらえたことが、本当に嬉しかったのだ。
キルリアは胸へ響くの言葉をじっくり噛み締めてから、ケーキの欠片の乗ったフォークを皿の縁に置いた。椅子からぴょんと飛び下りて向かったのは、テレビの前だ。
テレビの前にはのお気に入りのエルレイドの人形が飾られている。ラルトスだった頃、日曜日の朝にが毎週欠かさず見ていたアニメのグッズだ。
随分と前に放送は終了してしまったが、今でもはその人形を大切にしていた。
彼女の宝物のひとつであるエルレイドの人形を指し示すと、同じように椅子から下りたがやって来て、キルリアの手を取った。
「エルレイドかあ……! じゃあ、一緒にがんばってめざめいしを見つけようね!」
サーナイトへ進化をするためにはレベルを上げればいい。今のようにバトルを繰り返していれば、いつか自然とサーナイトへ進化を遂げられるだろう。
けれど、エルレイドへ進化をするためには瞳のような眩さを秘めた不思議な石――めざめいしが必要なのだ。
こうしてふたりは、めざめいしを手に入れるべく旅へ出たのだった。
時が流れ、故郷からいくつか離れた町へふたりが辿り着いたある日のこと。キルリアはからあるものを渡された。
透明の袋と、キルリアのツノと同じ色のリボンでラッピングされたもの。それは、小さな石の欠片があしらわれたシンプルなおまもりだった。
リボンを解いて袋からおまもりを取り出したキルリアが、これは? と不思議そうにそれを持ちあげると、は胸を張って笑った。
「これはね、かわらずの石で作られたおまもりなんだって! めざめいしが見つかる前に、うっかりサーナイトへ進化しないようにどうかなって」
そんなものがあったなんて! とキルリアは驚いた。が言う通り、いつかうっかりサーナイトへ進化してしまったらどうしようかと思っていたのだ。
「ほら、後ろを向いて。つけてあげるね」
そうしてが微笑んで――。
がおまもりをくれた時の懐かしい光景をなぞるのをやめて、キルリアはあの日からずっと胸に提げ続けていたそれを握り直した。
「キルリア……?」
何をするのかと、目を見張ったがキルリアを呼んだ。静かに振り返ったキルリアは、スッと目を細めてとびきりの美しい笑顔を浮かべて見せる。
――サーナイトか、エルレイドか。おれは、本当はどっちでも良かったんだ。だって、どんな姿になったって、大切なパートナーだってことは変わらないってが言ってくれたから。
ただ、それでもふたつの未来からエルレイドへ進化をする未来を選んだのは。があのヒーローのことをかっこいいって言っていたように、進化したおれのことも、かっこいいって言ってくれるんじゃないかって思ったからだよ。
キルリアは指先にエネルギーを集めると、おまもりの紐を歪ませて無理やり捻じ切った。長いこと彼の白い胸元を飾っていたおまもりが地面に落ちて、乾いた音を立てる。
進化を遂げるための経験値は、もう随分と前から十分すぎるほど貯まっていた。ただ、それが姿かたちへ作用してしまわないよう「かわらずのいし」のおまもりで押し留めていただけだ。
かわらずのいしが体から離れると同時に、キルリアの頭からつま先をエネルギーが一気に駆け抜けて、進化のためのエネルギーを受け入れたからだを眩い光が包み込む。
目の前の光景にが息を飲む一方で、呆気に取られていたゴルバットたちは、突如放たれた眩しい光に不愉快そうな喚き声を上げた。
眩い光が収まって、ほんの数秒後。進化を遂げたキルリア――サーナイトは、画面の向こうのサーナイトがそうしていたように、ドレスのようなからだの裾を美しくなびかせて礼をした。
何が起こったのか理解できないゴルバットたちが騒ぎ立てるが、雑音はサーナイトの耳に届かない。彼に聞こえるのは、目の前のの息遣いだけだ。
驚きに満ちた表情を浮かべる大切なパートナーへ微笑んで、サーナイトはその体を力強く抱き寄せる。
――おれから離れたら、だめだよ。
そうへ心の中で告げてから、敵へ鋭い眼差しを向けたサーナイトは、彼らが一斉に放った空気の刃を強力な光で相殺した。
光が苦手なゴルバットたちがマジカルシャインの眩さに怯んだ隙に、白い指先で何もない宙をなぞる。そうすれば、ゴルバットたちの背後の空間が捻じ曲がり、彼の頭の中で思い描いた通りの小さなブラックホールが生まれた。
敵を吸い込んで消滅させることができるような大きさではない。けれど、それは洞窟の中を自由に飛び回っていた敵の機動力を奪うには十分だった。
小さなブラックホールを中心に、散らばっていたゴルバットたちがじりじりと引き寄せられていく。思うように飛べなくなったゴルバットの群れの焦る声が大きくなった。
を抱き寄せる腕はそのままに、サーナイトはもう一方の腕を前へ伸ばした。
今しがたやってみて分かったことだけれども、ブラックホールを生み出すのはなかなかにエネルギーを使う。だというのに、サーナイトはまだまだからだの奥底から力が湧いてくるのが分かった。
――大切なパートナーの危険を察知しておいて、守れないようじゃあサーナイトへ進化した意味もないもんな。
ふ、と口元へ笑みを浮かべたサーナイトは、今できる限りのエネルギーを指先に集めると、まるで何かを握りつぶすかの如くその手を固く握りしめた。
キルリアの時とは比べ物にならない、空間すら歪んで見える威力のサイコキネシスが放たれて、空気がビリビリと振動する。いくつもの叫び声が洞窟内に響き渡った。
最大パワーのサイコキネシスを受けて起き上がるゴルバットは、一匹もいなかった。
恐らく、今までのふたりの冒険で一番の危機を乗り越えたあと。
力を使い果たしたサーナイトは、抱き寄せたままだったの体にズルズルともたれかかった。
本当なら涼しい顔でへ振り返って、怪我はないかと笑いかけたかった。あの騎士のエルレイドが姫のサーナイトへしていたように、彼女の体を抱きかかえて歩いてやりたい。
けれどどうにも疲れてしまって、それはできそうになかった。
――こんなボロボロの姿じゃなくて、かっこいいところを見せたかったんだけどなあ。それに、今までめざめいしを見つけるためにふたりで頑張ってきたのに、おれが全部無駄にしちゃったし。
そんなことを考えながら大きく息を吐き出したサーナイトは、黙ったままのの顔をゆっくりと覗き込んで、思わずギョッとしてしまった。
何だか肩のあたりが冷たいぞと思ったら、の目から大粒の涙が溢れていたからだ。彼女の涙が、サーナイトのからだを濡らしていたのだった。
「サ、サーナイト……!」
肩を大きく震わせたが泣き出したものだから、サーナイトは目をまるくして慌てふためいてしまった。こんな風に声を上げて泣く彼女を見るのは、初めてのことだった。
どうしたらいいのか分からず、とりあえず重たく感じる腕を持ち上げて彼女の体を抱きしめる。
けれど、の涙はなかなか止まってくれなかった。
幾分落ち着きを取り戻したにきずぐすりで手当てをしてもらい、肩を借りて安全な場所へと移動したところで、サーナイトはに抱きしめられた。
「守ってくれてありがとう」
外傷は綺麗になったものの、未だに疲労の残るからだを労わるようにやさしく背を撫でられる。サーナイトが頬をすり寄せると、耳元で「本当に、本当にありがとう」と声がした。
その声を聞きながら、サーナイトはこうしてふたりが無事でいるのだから、自分の選択は間違いじゃなかったのだと肩から力を抜いた。
「それから、進化おめでとう……! めざめいし、見つけられなくてごめんね」
そう口にしたの表情からは、進化を素直に祝いたい気持ちと、パートナーの望みを叶えられなかったことへの罪悪感が読み取れた。そんな彼女の背に、やさしく目を細めたサーナイトはゆっくり手を回して首を振る。
そのまま静かに抱き合っていると、ややあって、自身の目尻に残る涙を指先で拭ったが「ねぇ」と切り出した。
「……昔一緒に見てたアニメ、覚えてる? お姫様のサーナイトと、騎士のエルレイドが出てきたやつ」
何故今その話を? そう思いながらもサーナイトは頷いた。の指が、サーナイトの胸元の赤いプレートに触れる。サーナイトの視線も、自然とそこへ向いた。
「進化したあとのサーナイトは綺麗で……なのに、戦っている時はすっごくかっこよかったよ。あのお姫様のサーナイトみたいにかわいくて綺麗で、あの騎士のエルレイドみたいにかっこよくて。私の自慢のパートナーは世界一、だね」
望んでいた以上の言葉が耳に届き、サーナイトは勢いよく顔を上げる。――そして。はにかんだの顔を目にした彼は、ハッと息を呑んだ。
自身へと向けられた、宝石のようにキラキラと輝く美しい瞳。彼の記憶に色濃く残っている、幼い頃のが何度も見せてくれた輝き――自分がエルレイドへ進化を遂げた時にも同じものを見られたらと願っていたものが、そこにあったのだ。
――は、おれが望むものになれなかったと思っているようだけど。いつかに、そんなことなかったんだって伝わりますように。
だっておれは、がこうして笑ってくれるなら、何を選んだってそれが正解だったんだって思えるのだから。
胸に込み上げてくる言いようのない満ち足りた気持ちにサーナイトは泣きたくなるのを我慢して、くしゃっと顔を歪めたあと、花がほころぶように笑ってみせた。
(世界で一番美しい花が咲く理由/20241015)
お題箱の「よろしければサーナイトのお話をお願いします…!!」より。
目当てはテンガン山で何度か見つかったことがあるという「めざめいし」だ。エルレイドへ進化を遂げるためには必ず必要なそれを、ふたりはずっと探しているのである。
毎日のように通ううち、複雑なテンガン山内部の安全なルートは自然と覚えてしまっていた。故郷の町を離れ、テンガン山の麓の街へ辿り着くまでに数多のバトルを経験してきたキルリアのレベルも高く、今までここらの野生のポケモンたちがふたりの脅威にはなり得ることはなかった。
だというのに、ふたりは今、危機的状況に陥っていた。
この辺りはかなり探したし、もっと奥の方に行ってみる? と、いつもより随分と奥の方を探索していたところ、大量発生したゴルバットの群れに運悪く遭遇してしまったのだ。
レベル差に戦闘経験の差もあって、一対一、いや例え五体一であってもキルリアは難なく勝利することができるだろう。だが、ふたりの目の前にいるゴルバットの数は三十を優に超えていた。
一匹のゴルバットでも人間やポケモンの血を大量に吸うというのに、あの数のゴルバットに集られたらどうなるか。負けたら最後、命を落としてしまうことは間違いなかった。
の指示は的確で隙がなく、キルリアは襲い来るゴルバットを少しずつ戦闘不能へ追い込んでいった。それでも、ゴルバットはまだまだ残っている。
キルリアはを背に庇いながら、三匹のゴルバットをまとめてサイケこうせんで薙ぎ払った。「こんらん」状態に陥った三匹のゴルバットが仲間のゴルバットたちに嚙みつき始めたのを見て、ふたりは目を合わせて頷く。
一瞬できたこの隙に、「いのちのしずく」で体力を回復することも忘れない。あとは群れの動きを予測して、数秒後に何匹かのゴルバットがいるであろう場所へ向けてサイコエネルギーの塊を放つ。「みらいよち」が正しければ、更に数匹のゴルバットが戦闘不能になるはずだ。
――けれど、それじゃあダメだ。
キルリアは額の汗を拭う。このままだと、数で圧倒的に有利な向こうが勝ってしまうだろうと思ったのだ。
それはきっと、も分かっていることだった。
目の前にはゴルバットの群れ。後ろには守るべきパートナー。それぞれを順番に見据えたあと、胸から提げたおまもりをそっと握ったキルリアは、随分と昔のことを思い出した。
テレビの前の、チルタリスの羽毛のようにふかふかなソファへ腰を下ろしたの、膝の上。そこが、日曜日の朝のラルトスの定位置だった。
ソファに陣取るの目当ては、朝の八時から放送されるアニメだ。登場するのはお姫様のサーナイトと、騎士であるエルレイド。そして二匹を助ける魔法使いのテブリムだ。
詳細なストーリーは殆ど覚えていないけれど、大まかなあらすじとしては、ピンチに陥るサーナイトをエルレイドが勇ましく助け出す、そんな内容だった。
「サーナイトは可愛いし綺麗だけど、エルレイドはかっこいいなあ」
アニメが終わってエンディングが流れると、ラルトスを抱き上げたは決まってそう口にした。
それにどうやらはサーナイトよりもエルレイドの方が好きらしく、今日はあのシーンのサイコカッターがよかった。インファイトがかっこよかった。サーナイトをおひめさま抱っこしていたのがよかった。といった調子で「本日のエルレイドのかっこよかったところ」を語るのだ。
ストーリーは覚えていないというのに、ヒーローの活躍を語る彼女の目が、宝石のようにキラキラと美しく輝いていたことをキルリアははっきりと覚えている。
成長したふたりは、やがて家の近所を探検するようになって、更に野生のポケモンたちともバトルをするようになった。そうして何度もバトルを繰り返すうちに、ラルトスはキルリアへと進化を遂げた。
その日の夜は、の両親が大きな苺の乗ったショートケーキを買ってきてくれて、進化のお祝いをしたのだ。余談だが、キルリアの好物がオレンのみからショートケーキへ変わったのは、この時のお祝いがきっかけである。
とふたり並んで行儀よく椅子に座り、ケーキを頬張る。口の端にクリームがついてる! なんてに言われたことも、キルリアは覚えていた。
そしてこの時、ふたりの様子を微笑ましそうに見ていた彼女の両親が、「そういえば」と切り出してこう言ったのだ。
「キルリアはどっちに進化するの?」
サーナイトか、エルレイドか。それを聞いたは大きな目を何度か瞬かせたあと、キルリアへ尋ねた。
「……うーん。キルリアはどっちがいい?」
キルリアに進化したばかりで次のことなんてまだ何も考えてなかった彼は面食らってしまって、ショートケーキの欠片を口へ運ぶのをやめた。
それから眉間にしわをキュッと寄せて、の顔を見た。
そこ、おれが選んじゃっていいの? そう思ったからだ。困惑したような表情を浮かべるキルリアの言いたいことが伝わったのか、はやわらかく微笑んだ。
「キルリアがなりたいすがたを選んで! エルレイドとサーナイト、どっちへ進化したって、あなたがわたしの大切なパートナーだってことは変わらないんだから!」
その言葉にキルリアの胸の奥がじんと熱くなる。どっちへ進化したって――どちらの姿になったって、あなたがわたしの大切なパートナーだってことは変わらない。そう、キルリアにとっても大切なパートナーであるに言ってもらえたことが、本当に嬉しかったのだ。
キルリアは胸へ響くの言葉をじっくり噛み締めてから、ケーキの欠片の乗ったフォークを皿の縁に置いた。椅子からぴょんと飛び下りて向かったのは、テレビの前だ。
テレビの前にはのお気に入りのエルレイドの人形が飾られている。ラルトスだった頃、日曜日の朝にが毎週欠かさず見ていたアニメのグッズだ。
随分と前に放送は終了してしまったが、今でもはその人形を大切にしていた。
彼女の宝物のひとつであるエルレイドの人形を指し示すと、同じように椅子から下りたがやって来て、キルリアの手を取った。
「エルレイドかあ……! じゃあ、一緒にがんばってめざめいしを見つけようね!」
サーナイトへ進化をするためにはレベルを上げればいい。今のようにバトルを繰り返していれば、いつか自然とサーナイトへ進化を遂げられるだろう。
けれど、エルレイドへ進化をするためには瞳のような眩さを秘めた不思議な石――めざめいしが必要なのだ。
こうしてふたりは、めざめいしを手に入れるべく旅へ出たのだった。
時が流れ、故郷からいくつか離れた町へふたりが辿り着いたある日のこと。キルリアはからあるものを渡された。
透明の袋と、キルリアのツノと同じ色のリボンでラッピングされたもの。それは、小さな石の欠片があしらわれたシンプルなおまもりだった。
リボンを解いて袋からおまもりを取り出したキルリアが、これは? と不思議そうにそれを持ちあげると、は胸を張って笑った。
「これはね、かわらずの石で作られたおまもりなんだって! めざめいしが見つかる前に、うっかりサーナイトへ進化しないようにどうかなって」
そんなものがあったなんて! とキルリアは驚いた。が言う通り、いつかうっかりサーナイトへ進化してしまったらどうしようかと思っていたのだ。
「ほら、後ろを向いて。つけてあげるね」
そうしてが微笑んで――。
がおまもりをくれた時の懐かしい光景をなぞるのをやめて、キルリアはあの日からずっと胸に提げ続けていたそれを握り直した。
「キルリア……?」
何をするのかと、目を見張ったがキルリアを呼んだ。静かに振り返ったキルリアは、スッと目を細めてとびきりの美しい笑顔を浮かべて見せる。
――サーナイトか、エルレイドか。おれは、本当はどっちでも良かったんだ。だって、どんな姿になったって、大切なパートナーだってことは変わらないってが言ってくれたから。
ただ、それでもふたつの未来からエルレイドへ進化をする未来を選んだのは。があのヒーローのことをかっこいいって言っていたように、進化したおれのことも、かっこいいって言ってくれるんじゃないかって思ったからだよ。
キルリアは指先にエネルギーを集めると、おまもりの紐を歪ませて無理やり捻じ切った。長いこと彼の白い胸元を飾っていたおまもりが地面に落ちて、乾いた音を立てる。
進化を遂げるための経験値は、もう随分と前から十分すぎるほど貯まっていた。ただ、それが姿かたちへ作用してしまわないよう「かわらずのいし」のおまもりで押し留めていただけだ。
かわらずのいしが体から離れると同時に、キルリアの頭からつま先をエネルギーが一気に駆け抜けて、進化のためのエネルギーを受け入れたからだを眩い光が包み込む。
目の前の光景にが息を飲む一方で、呆気に取られていたゴルバットたちは、突如放たれた眩しい光に不愉快そうな喚き声を上げた。
眩い光が収まって、ほんの数秒後。進化を遂げたキルリア――サーナイトは、画面の向こうのサーナイトがそうしていたように、ドレスのようなからだの裾を美しくなびかせて礼をした。
何が起こったのか理解できないゴルバットたちが騒ぎ立てるが、雑音はサーナイトの耳に届かない。彼に聞こえるのは、目の前のの息遣いだけだ。
驚きに満ちた表情を浮かべる大切なパートナーへ微笑んで、サーナイトはその体を力強く抱き寄せる。
――おれから離れたら、だめだよ。
そうへ心の中で告げてから、敵へ鋭い眼差しを向けたサーナイトは、彼らが一斉に放った空気の刃を強力な光で相殺した。
光が苦手なゴルバットたちがマジカルシャインの眩さに怯んだ隙に、白い指先で何もない宙をなぞる。そうすれば、ゴルバットたちの背後の空間が捻じ曲がり、彼の頭の中で思い描いた通りの小さなブラックホールが生まれた。
敵を吸い込んで消滅させることができるような大きさではない。けれど、それは洞窟の中を自由に飛び回っていた敵の機動力を奪うには十分だった。
小さなブラックホールを中心に、散らばっていたゴルバットたちがじりじりと引き寄せられていく。思うように飛べなくなったゴルバットの群れの焦る声が大きくなった。
を抱き寄せる腕はそのままに、サーナイトはもう一方の腕を前へ伸ばした。
今しがたやってみて分かったことだけれども、ブラックホールを生み出すのはなかなかにエネルギーを使う。だというのに、サーナイトはまだまだからだの奥底から力が湧いてくるのが分かった。
――大切なパートナーの危険を察知しておいて、守れないようじゃあサーナイトへ進化した意味もないもんな。
ふ、と口元へ笑みを浮かべたサーナイトは、今できる限りのエネルギーを指先に集めると、まるで何かを握りつぶすかの如くその手を固く握りしめた。
キルリアの時とは比べ物にならない、空間すら歪んで見える威力のサイコキネシスが放たれて、空気がビリビリと振動する。いくつもの叫び声が洞窟内に響き渡った。
最大パワーのサイコキネシスを受けて起き上がるゴルバットは、一匹もいなかった。
恐らく、今までのふたりの冒険で一番の危機を乗り越えたあと。
力を使い果たしたサーナイトは、抱き寄せたままだったの体にズルズルともたれかかった。
本当なら涼しい顔でへ振り返って、怪我はないかと笑いかけたかった。あの騎士のエルレイドが姫のサーナイトへしていたように、彼女の体を抱きかかえて歩いてやりたい。
けれどどうにも疲れてしまって、それはできそうになかった。
――こんなボロボロの姿じゃなくて、かっこいいところを見せたかったんだけどなあ。それに、今までめざめいしを見つけるためにふたりで頑張ってきたのに、おれが全部無駄にしちゃったし。
そんなことを考えながら大きく息を吐き出したサーナイトは、黙ったままのの顔をゆっくりと覗き込んで、思わずギョッとしてしまった。
何だか肩のあたりが冷たいぞと思ったら、の目から大粒の涙が溢れていたからだ。彼女の涙が、サーナイトのからだを濡らしていたのだった。
「サ、サーナイト……!」
肩を大きく震わせたが泣き出したものだから、サーナイトは目をまるくして慌てふためいてしまった。こんな風に声を上げて泣く彼女を見るのは、初めてのことだった。
どうしたらいいのか分からず、とりあえず重たく感じる腕を持ち上げて彼女の体を抱きしめる。
けれど、の涙はなかなか止まってくれなかった。
幾分落ち着きを取り戻したにきずぐすりで手当てをしてもらい、肩を借りて安全な場所へと移動したところで、サーナイトはに抱きしめられた。
「守ってくれてありがとう」
外傷は綺麗になったものの、未だに疲労の残るからだを労わるようにやさしく背を撫でられる。サーナイトが頬をすり寄せると、耳元で「本当に、本当にありがとう」と声がした。
その声を聞きながら、サーナイトはこうしてふたりが無事でいるのだから、自分の選択は間違いじゃなかったのだと肩から力を抜いた。
「それから、進化おめでとう……! めざめいし、見つけられなくてごめんね」
そう口にしたの表情からは、進化を素直に祝いたい気持ちと、パートナーの望みを叶えられなかったことへの罪悪感が読み取れた。そんな彼女の背に、やさしく目を細めたサーナイトはゆっくり手を回して首を振る。
そのまま静かに抱き合っていると、ややあって、自身の目尻に残る涙を指先で拭ったが「ねぇ」と切り出した。
「……昔一緒に見てたアニメ、覚えてる? お姫様のサーナイトと、騎士のエルレイドが出てきたやつ」
何故今その話を? そう思いながらもサーナイトは頷いた。の指が、サーナイトの胸元の赤いプレートに触れる。サーナイトの視線も、自然とそこへ向いた。
「進化したあとのサーナイトは綺麗で……なのに、戦っている時はすっごくかっこよかったよ。あのお姫様のサーナイトみたいにかわいくて綺麗で、あの騎士のエルレイドみたいにかっこよくて。私の自慢のパートナーは世界一、だね」
望んでいた以上の言葉が耳に届き、サーナイトは勢いよく顔を上げる。――そして。はにかんだの顔を目にした彼は、ハッと息を呑んだ。
自身へと向けられた、宝石のようにキラキラと輝く美しい瞳。彼の記憶に色濃く残っている、幼い頃のが何度も見せてくれた輝き――自分がエルレイドへ進化を遂げた時にも同じものを見られたらと願っていたものが、そこにあったのだ。
――は、おれが望むものになれなかったと思っているようだけど。いつかに、そんなことなかったんだって伝わりますように。
だっておれは、がこうして笑ってくれるなら、何を選んだってそれが正解だったんだって思えるのだから。
胸に込み上げてくる言いようのない満ち足りた気持ちにサーナイトは泣きたくなるのを我慢して、くしゃっと顔を歪めたあと、花がほころぶように笑ってみせた。
(世界で一番美しい花が咲く理由/20241015)
お題箱の「よろしければサーナイトのお話をお願いします…!!」より。