トマトスライスにスモークきりみとアボカドを重ね、更にあかパプリカときパプリカ、バランスを崩さないように気をつけながらピーマンも乗せる。
たくさんの具材をバゲットで挟んで、星の形の可愛いピックをしっかり刺せば特製サンドウィッチの完成だ。
できたてのごちそうをバスケットに入れた私は軽い足取りで外へ出た。玄関の扉を開くと同時に早朝の冷えた空気が肌を刺し、少しだけ身震いする。
家の裏手には草むらが広がっている。背の高いものや低いものが雑多に生えた、なんの手入れもされていないものだ。
その中でも一際背の高い緑の塊から、赤から黄色へグラデーションがかった翅の一部が覗いている。それを見た私は思わずホッと息を吐いた。
私の足音を聞きつけたのか、気配を察したのか。太陽を思わせる鮮やかな色の翅がぴくりと動き、大きな草の塊が音を立てて揺れた。
「おはよう、ウルガモス」
草むらを掻き分けるようにして姿を現したウルガモスはこちらの言葉をちゃんと理解しているようで、返事のつもりなのか短く鳴いた。
翅を濡らす朝露を払うように体を震わせたウルガモスが、のそのそと緩慢な動作で目の前までやってくる。バスケットを傍らに置き、夜空のような深い濃紺の額にやさしく触れれば手のひらにすり寄られた。その仕草に胸がほんのりと温まる。
随分と前から家の裏手の草むらに棲みついているこのウルガモスは大人しい性格らしく、野生だというのに私がこうして触れても嫌がる素振りを見せないのだ。
「お腹空いてるよね?」
その言葉と共にバスケットを持ち上げると、ウルガモスはさっきよりも少しだけ大きな声で肯定するように鳴いた。
椅子の代わりになりそうな大きい石へ腰を下ろした私はバスケットを開く。ウルガモスはごちそうが待ちきれないのか、そわそわと落ち着きなく前脚を動かした。
「はい、どうぞ」
サンドウィッチを差し出されたウルガモスは、待ってましたと言わんばかりに勢いよく食べていく。見ていて気持ちのいい食べっぷりだ。早起きして作った甲斐がある。
その様子を眺めながら、私はこの子を見つけた時のことを思い出していた。
この辺りで見かける野生のポケモン――ホシガリスか、グルトンか、もしくは全く別のポケモンか――の悲鳴が家の裏から響いたのは、よく晴れた日の午後のことだ。
一体何事かと思って外に出てみれば、家の裏の草むらから野生のポケモンたちが慌てて逃げていくところだった。すぐ横をホシガリスたちが駆け抜けて、数羽のココガラは青い空へ散り散りになっていく。
どうやら草むらの向こうに何かがいて、「それ」から小さな野生のポケモンたちは逃げだしたようだった。
「な、なに……?」
思わずそう呟いた私は、目の前の草むらを前に身構えた。
そうして待つこと数分。目の前で揺れる草むらから何も現れないことに痺れを切らした私は静かに一歩を踏み出した。
正直言って未知の存在への恐怖しかないが、一体何がいるのかを確かめない訳にもいかない。だって、家のすぐ裏だし。
私はごくりと唾を飲み込んで、緑の草むらを掻き分けた。
恐る恐る覗いた緑の壁の向こう。――そこにいたのは大きな野生のウルガモスだった。
ヒュッと息を飲む。それから、「あ、終わった」と思った。
だって、野生のホシガリスにすら舐められてきのみをどろぼうされたことのある私が、ウルガモスなんてどうこうできる訳ないし。さっさと逃げた野生のポケモンたちの判断は正しかったのだ。
そんなことを考えながら、色々と諦めた私は強く目を閉じた。
――けれど。いつまで経っても何も起きなかった。
おかしいな。そう思いながら薄ら目を開くと、先程見た時と何ひとつ変わらないままウルガモスはそこにいた。
何も起きなかったことに安堵して息を吐くと、それに反応したのかウルガモスが「ぷお」と鳴いた。
ウルガモスが突然鳴いたことに驚いて肩が跳ねる。するとウルガモスもまた、私の反応に驚いたようだった。爆ぜる眩しい火の粉を思わせるような色の目が私のことを食い入るように見つめている。
お互いに無言のまま見つめあったあと、私は恐る恐る口を開いた。
「あ、じゃ、じゃあ私はこれで……」
刺激してしまわないようにゆっくりと後ずさる。ウルガモスはぴくりとも動かない。
そのまま慎重に後退し、ウルガモスから数メートル離れたところで私は勢いよく踵を返すと家へと駆け込んだのだった。
明日にはどうか、ウルガモスがそこからいなくなっていますように。そう思いながら。
ところが。次の日になってもウルガモスはそこにいた。
さすがにもういないよね? そんな祈るような気持ちで家の裏の草むらを見に行ったら、赤と黄色の鮮やかな翅が草むらから覗いていたのだ。
「まだいる!」
思わず声を上げると、草むらが揺れてのそのそとウルガモスが姿を現した。
心の中で悲鳴を上げる私を他所に、ウルガモスはこちらを見ると「ぴ」と鳴いた。巨躯に似つかわしくない、何だか気の抜けてしまう声だ。
「そもそも、何でこんなとこにウルガモスがいるのよ……」
がっくりと肩を落とした私は俯いた。
家の裏にめちゃくちゃ大きなウルガモスがいるとか、冗談じゃない。今は大人しくしているけれど、いつ暴れるかも分からないし。炎でも吐かれたらおしまいだ。
何かの拍子にウルガモスが吐いた炎でうっかり家や草むらが燃えたりする、なんて不吉なことを散々想像したあと。
顔を上げるとすぐ目の前にウルガモスがいたものだから、私は声にならない悲鳴をあげて尻もちをついた。良からぬことを考えている間に、ウルガモスが私の目の前までやって来ていたのだ。
尻もちをついた私のことを、ウルガモスは静かに見下ろした。足に力が入らず立てなくなってしまった私は、何を考えているのかさっぱり読めないウルガモスの目を見つめ返す。
いや、それにしても大きいな。というか昨日は気づかなかったけれど、体が大きすぎて飛べてないじゃん……。なんなら地を這ってるんですけど。
そんなことを考えていると、どこからか「ぐう」と大きな音が鳴った。
「……ん?」
私が首を傾げるとウルガモスも同じように首を傾げる。また、ぐう、と音が鳴った。
「……あなた、お腹が空いてるの?」
ウルガモスはぴぃぴぃと鳴いた。
――もしかしたら、このウルガモスはお腹が空いてここから動けないのかも。だとしたら、お腹がいっぱいになればどこかへ行くかもしれない。
ふと浮かんだそんな考えに、目の前がパッと明るくなる。私はよろよろと立ち上がると、不思議そうに首を傾げたウルガモスへ「ちょっと待ってて」と残して家の中へ戻った。
丁度数日前に缶の大将で大量に食材を買っていたので、ウルガモスのお腹を満たせるくらいのサンドウィッチを作ることはできるはずだと考えたのだ。
買い込んでいた食材の半分近くを使ってできあがったボリューム満点のサンドウィッチ。それを差し出すと、ウルガモスは目を輝かせた。どうやら目の前のごちそうに喜んでいるらしい。
ちょっと可愛いじゃん。ちょっとだけね。なんて思いながら、サンドウィッチを食べ始めたウルガモスを観察する。
……いや、ウルガモスだよね? テレビや本でしか見たことがないけれど、ウルガモスって実物は思っていたよりもずっと大きいんだなあ……。この子は大きすぎる気がするけれど。体が大きすぎるからか飛べてないし。それで大丈夫なのかな。
そうあれこれと私が考えている間に、ウルガモスはサンドウィッチを食べ終えてしまった。
「どう? お腹いっぱいになった?」
私の問いかけにウルガモスが満足そうに首を縦に振る。お腹が空いているのかを確認したときにも思ったけれど、どうやらウルガモスというポケモンは人間の言葉も理解できるかしこいポケモンらしい。
ウルガモスの反応に頷いた私は、「それならよかった。じゃ、元気でね」なんて声をかけるとすぐに家の中へ戻った。 変に懐かれても困ると思ったのだ。
明日にはウルガモスもいなくなってるだろう。サンドウィッチをくれた人間の家をうっかり燃やすことは……さすがにない、だろうし。
だからこれでこの件はめでたしめでたし――だと思ったのだけど。
「ま、まだいるの!?」
次の日の早朝、家の裏の草むらの前で私は声を上げた。緑の草の塊から、最早見慣れてしまった翅が覗いていたからだ。
呆然とする私の前に、ウルガモスが草むらの向こうからゆっくりと姿を現した。
「はあ……」
体から力が抜けてしまい、思わずその場で膝を抱えて座り込んでしまった。のっしのっしとウルガモスが近寄ってくるが、もう何も反応する気にもなれない。
「ここが気に入ったの?」
ぷお? と鳴いたウルガモスが首を傾げる。こちらの気持ちを知らないのんきな声に、もう一度ため息が漏れた。
「あー……。いいや、朝ごはんにしよう。お腹空いてる?」
やっぱり私にはウルガモスなんてポケモンをどうこうするのは無理だったのだ。観念した私の問いかけに、ウルガモスは嬉しそうに三対の翅を羽ばたかせた。
こうして、この野生のウルガモスは私の家の裏の草むらに棲みついたのだった。
ウルガモスはサンドウィッチが足りなかったのか、空になったバスケットを鼻の先に引っ掛けてひっくり返した。器用なことをするものだ。
最初の頃は一回の食事にひとつのサンドウィッチで満足そうにしていたのに、最近はこうしておかわりを要求するようになった。おまけにピクルスを入れたらあからさまにしょんぼりしたりと、さりげなくサンドウィッチの内容に注文をつける始末だ。
こいつめ。そうは思ってもなんやかんやでウルガモスのリクエストに応えてしまうし、毎朝この子がこの場所にいるのか心配になってしまうので、我ながら随分と絆されてしまったよなあと思う。
「はいはい、おかわりね。でもさあ、ウルガモスはその……。少し……太り過ぎじゃない?」
ひっくり返された空のバスケットを直し、ウルガモスの首へ手を伸ばして太陽のようにあたたかなふわふわの毛に触れる。続けて、私は長いこと気になっていた疑問を投げかけた。
「体が大きすぎて飛べないじゃない。困らないの?」
ウルガモスは首を傾げてから頷いた。どうやら本人は自身が飛べないことを何も気にしていないらしい。
ふうんと相槌を打って極上の毛並みを堪能していると、ウルガモスがもぞもぞと体を動かした。
撫ですぎてしまっただろうか。そう思って首を撫でる手を止める。すると、ウルガモスは後ろ脚に力を込めて、尻尾でバランスを取るようにして立ち上がった。
地を這うようにして歩く姿は毎日見ているけれど、後ろ脚と尻尾で立ち上がるところを目にするのは初めてだ。元から随分と大きい体が、こうして立ち上がられると更に迫力が増して見える。
そんなことできたんだ? なんて口にしながら目を瞬かせていると、ウルガモスは私の顔をじっと見降ろした。
ウルガモスの感情を表情から読み取ることは難しい。けれど、心なしかその顔は得意そうに見える。
飛べないけれど、その代わりにこうして立てるし? ウルガモスがそう言っているように見えて、私はふっと笑ってしまった。
一歩を踏み出して大きな体に寄りかかる。ウルガモスは僅かに驚く素振りを見せたものの、私の体を前脚でしっかりと抱きとめてくれた。
そもそも飛べないウルガモスっているのだろうか。というかこんな大きな体を支えてバランスを取れるような尻尾がウルガモスにはあったっけ。それにやっぱり、体の造りが違うというか、大きすぎじゃない?
そんな風に疑問に思うことはいっぱいある。けれどこの子が何であれ、私の中ではかけがえのない存在になっているのだ。私はいくつもの疑問を頭の隅に追いやると、白いふわふわの体に顔をうずめた。
――あと少しだけ、この朝の日差しのようなぬくもりを堪能したら、サンドウィッチのおかわりを作ろう。
最後の仕上げに使うピックはハートの可愛いやつで。
(まだ知らない太陽の名前/20231112)
チヲハウハネのお話でした。