Hanada
 ドラメシヤと出会った日のことはよく覚えている。あれはそう、嵐が過ぎ去った翌日のことだった。
 雨を呼ぶ伝説のポケモンが大暴れしたかのような雨風を思い出しながら、酷い嵐だったなあ。家の周りはどうなっているだろう。そう思って外の様子を見に出たら、ボロボロになったドラメシヤが物干し竿で干される布団の如く家の傍の柵に引っかかっていたのだ。どうやら昨日の雨風でどこからか飛ばされてきたらしい。
 私の存在に気がついたドラメシヤが、弱々しく瞬きをする。どこからどう見てもその姿はすっかり弱りきっていて、放っておいたら力尽きてしまうだろう。そう思った私は、家の中へ連れ帰って手当てをするべく小さな体を抱き上げた。ドラメシヤが私を見上げて、キュウと不安そうな鳴き声を上げる。

「大丈夫。すぐに治してあげるからね」

 敵意がないことを感じ取ったのか、はたまた単に抵抗する力が残っていなかったのか。暴れることも、嫌がることもせずに家で大人しく手当てを受けたドラメシヤは、数日もすればあっという間に元気になった。
 そしてこれがきっかけで心を開いたのか、ドラメシヤは私の家に棲みついたのだった。

 それからというものの、ドラメシヤが常に私の頭や肩にくっつきたがるので、私たちはどこへ行くにも一緒になった。
 だから朝起きて瞼を開けるとまず目に入るのはドラメシヤの寝顔だったし、一日の終わり、ベッドの上で瞼を閉じる寸前に見えるものはこちらをじっと見つめるドラメシヤのつぶらな瞳だった。
 私はドラメシヤが片時も離れない理由を、「ドラメシヤという種族が一匹では子供にも負けるくらい非力なポケモンだから」だと思っていた。
 野生の個体は群れで暮らし、協力してお互いを鍛えて身を守る。でも、私のパートナーであるこの子はそのための仲間がいない。だから、自身の身を守る手段として私から片時も離れないのだと、そう思っていたのだ。

 その認識がどうやら間違っているらしいということに気がついたのは、ドラメシヤがドロンチへと進化を遂げてから数日後のことだった。
 進化を遂げて「一匹じゃ子供にも負けるくらいの非力なポケモン」ではなくなったのに、ドロンチはそれからも今まで通りに私の頭や肩へしがみついた。だからある日、いつもと同じように私の頭へしがみついた時に尋ねたのだ。

「ドロンチになったのに。そこがお気に入りなの?」

 宙に浮いているので大したものではない、けれどドラメシヤの時よりも少しだけ増した重み。それを頭のてっぺんで感じながら見上げると、身を乗り出したドロンチが私を見つめ返した。その顔には「ここが自分の定位置ですけど、何か問題でも?」なんて言葉が聞こえてきそうな表情が浮かんでいる。
 そこで私はようやく気づいたのだ。まさかこのドロンチはただの甘えん坊だったのでは、と。


「ぐ、苦しい……」

 ぎゅうぎゅうと巻きつかれているような息苦しさで目を覚ました。
 原因は分かっている。今日はテーブルシティへ出かける予定があるというのに未だ起きられずにいる私を起こすため、布団へ潜り込んだドラパルトがまとわりついているからだ。
 ドラパルトという種族の平均より随分と大きな体をしているのに、ドラメシヤの頃から変わらないじゃれ方をされるのでたまったものじゃない。
 目を開けてなんとか両手で目の前のもの――薄いクリーム色の胸元を押し返す。昔から変わらず、目が覚めてまず目に入るものはこの子だ。

「おはよう」

 私に押されてほんの少しだけ離れたドラパルトの顎の下に手を伸ばし、そこをやさしく撫でる。
 するとドラパルトは私の鼻をかぷりと噛んでから、ジトッとした視線を寄越した。左右のツノの中の二匹のドラメシヤは呆れたような目でこちらを見ている。彼らは私へ起きるのが遅い、と言いたいのだろう。

「起きます。起き……うええ」

 痺れを切らしたドラパルトが、私の瞼と鼻の頭、それに口を余すことなく舐め回す。ドラパルトが私を布団から追い出すための必殺技だ。
 こうも顔を涎まみれにされてしまったからには、この子の思惑通り素直にさっさと起きて洗うしかない。私が唸りながら布団から抜け出すと、満足そうな表情を浮かべたドラパルトはようやく離れたのだった。



 予定よりも随分と遅くなったものの、無事にテーブルシティのデリバードポーチや缶の大将で買い物を済ませた私たちは街の東側の広場にいた。通りを歩いていたら甘いクレープの匂いが漂ってきて、それに見事誘われてしまったのだ。
 あまいミツに誘われて木に集まる虫ポケモンの気持ちが今なら少し分かるかも。そんなことを考えながら、あまいかおりで獲物を誘き寄せるカントークレープのメニューの前で足を止めた。

「どれがいい?」

 ドロンチから進化しても定位置――私の肩に掴まっているドラパルトへ振り返る。買い物袋を提げた長い尾を揺らしたドラパルトは、身を乗り出してメニューの写真をじっくり見比べるといちごホイップクレープを指さした。

「いちごホイップクレープね」

 確認するとドラパルトが少し弾んだ声で返事をする。悩んだ末に自分のものはチョコホイップクレープに決めると、店員へ注文を伝えた。
 笑顔でオーダーを受けた店員が、お玉でクレープのタネをすくい上げて丸い鉄板に落とす。それをトンボで薄く伸ばして焼いていく様を、ドラパルトは食い入るように見つめている。
 バトルの時とは全く違う、鋭い光が宿っていない穏やかな瞳。それが忙しなく動いているのが何だかおかしくて、私はこっそりと笑った。

 数分後、できたてのクレープを受け取った私たちは近くのベンチへ並んで座った。とは言っても、ドラパルトは私の隣に浮かんでいるのだけど。
 ドラパルトは荷物を下ろしたことで空いた尻尾の先を私のクレープを持っていない腕へ絡めて、目の前のごちそうに大きな口でかぶりついた。こんな時でも触れていないと落ち着かないらしい甘えん坊を暫し眺めたあと、私もチョコホイップクレープへかぶりつく。甘すぎなくて食べやすい味のチョコレートホイップに思わず頬がゆるんだ。

 ドラパルトのツノから抜け出したドラメシヤたちに横からクレープをつつかれていると、どこからか「あれ、?」と声がかかった。突然呼びかけられて驚きつつも、聞き覚えのある声のした方へ振り返る。

「やっぱりだ!」
「……えっ! うそ。すごい偶然じゃない?」

 そこにいたのは昔からの付き合いで、けれど数年前に仕事でガラル地方へ旅に出た友人だった。
 それも仕事――ポケモンの生態調査が忙しいらしく、中々連絡がつかずにいた友人だ。その彼女とまさかこうして再会できるとは思いもしなかったので、私は目の前の存在を確かめるように何度も瞬きを繰り返す。
 そんな私の様子に微笑んだ友人が、ドラパルトを一瞥してからドラパルトとは反対側の私の隣へ腰を下ろす。

「いつこっちに帰ってきたの?」
「ほんの数日前。休暇で帰ってきた!」
「ていうか、帰ってくるなら連絡してよー」

 私がわざとらしく口を尖らせると、友人が肩を竦めた。

「スマホ、ワイルドエリアで遭遇した野生のジュラルドンに粉々にされちゃってさあ」
「こ、粉々って。……踏まれでもしたの?」

 ジュラルドンにうっかり踏まれてぺしゃんこになってしまったスマホを想像する。すると友人は首を振った。

「ジュラルドンって、ああ見えて体重は四十キロ前後しかないんだ。だから踏まれたくらいじゃそうならないかな」
「へぇ。どっしりしてるように見えて意外と軽いんだ」

 それならどうしてだろう? クレープを食べるのも忘れてどういうことかと考える。真剣に悩んでいると、肩を揺らして笑った友人は口を開いた。

「ジュラルドン同士の縄張り争いを記録してたんだけど、そうしたら偶然こっちにてっていこうせんが飛んできて」
「何それ怖すぎる」
「それで慌てて避難したら、落としたスマホが粉々になっちゃったんだよね。スマホに入ってたロトムは逃げてくれたから無傷だったけど、連絡先とかも全部なくなっちゃった」

 ケラケラ笑いながら言われたものの、想像していたよりも遥かに壮絶な理由に私は引きつった表情で相槌を打つ。友人は何てことない顔で「そういう訳で、また連絡先教えてよ」とスマホを取り出した。
 それを断る理由は当然ないので、クレープをドラメシヤへ渡して鞄からスマホを取り出す。そうして連絡先の交換をしていると、私のスマホに影が差した。いつの間にかクレープを食べ終えたらしいドラパルトが上から覗いてきたからだ。
 ドラパルトからクレープの包み紙のごみを受け取っていると、友人がスマホへ向けていた視線をドラパルトへ移した。

「それにしても、この子は相変わらずだね! まあ、そのお陰でさっきもに気づくことができたんだけど」
「どういうこと?」
「この子はドロンチ……、いや、ドラメシヤの頃からにべったりだったじゃない? だからさっきも、ドラパルトをくっつけてるトレーナーがいるなー。だったりしないかなーって思ったら案の定だった」
「くっつけてるって」

 長い付き合いである彼女は当然、今と何ら変わらないドラパルトのドラメシヤ時代の様子を知っている。私にべったりなドラメシヤについては彼女に散々からかわれたものだ。
 そのまま友人と談笑を続けていると、隣で大人しく浮かんでいたドラパルトが私の頭に伸し掛かった。伸し掛かったとはいっても、当然重みは殆ど感じない。
 どうやらドラパルトはそろそろ自分に構えと言いたいようだ。それを見た友人が立ち上がる。

「さて、そろそろ行こうかな」

 ドラパルトをくっつけたまま釣られて立ち上がった私は、すぐ近くにあったゴミ箱へクレープの包み紙を捨ててから友人へと振り返る。

「もうちょっとゆっくりしていけばいいのに」
「このあと仕事の関係でアカデミーへ行かなきゃいけなくって。とご飯とか行きたかったなあー」

 今日が休日最後とのことで、用事を済ませたら友人はまたすぐにガラルへ戻るらしい。

「次、こっちに来る時は時間作ってよ」

 私の言葉に友人が勢いよく頷いた。私たちのやり取りを見ていたドラパルトが、退屈そうな声で鳴く。

「あはは。私がを取っちゃったからつまらなかったよね。ごめんねドラパルト」

 友人がドラパルトの額へ手を伸ばし、そうっと触れる。ドラパルトはその手のひらを大人しく受け入れて、いつもより少しだけ不機嫌そうな声で鳴いた。
 それから中央の広場でアカデミーへ向かう友人を見送った私たちは、帰路についたのだった。



 寝る時間になって、私はベッドに腰を下ろすとドラパルトを呼んだ。ドラパルトはまだちょっとだけふてくされた様子で部屋の真ん中に浮かんでいたけれど、大人しく私の前にやって来る。

「おいで」

 そう言って手を広げて待つと、ややあってドラパルトはその大きな体を私の手の中に滑り込ませた。
 
「まだ拗ねてるの?」

 腕を回して背中を撫でると視界の端でドラパルトの長い尾がゆらゆらと揺れた。ドラパルトがそのまま体重を預けてきたので、支えきれずよろめいた私はベッドへ仰向けに倒れてしまう。
 ドラパルトはするりと私の手の拘束から抜け出すと、小さく鳴いてから私の鼻の頭を噛んだ。続けてぐりぐりと鼻先を押し付けてくるドラパルトを抱きしめながら、私はテーブルシティの中央広場へ向かう途中で友人から言われた言葉を思い出していた。

『ドラパルト族の求愛行動に相手の体に尻尾を絡めるっていうのがあったっけ。私の調査対象にはドラパルト族がいないから、あまり詳しくはないけれど。ドラパルトがのこと大好きなのが伝わってきて微笑ましかったなあ』

 歩く私の肩に前足で掴まって、長い尻尾で買い物袋を持つドラパルト。その姿を見ていた友人が、『そういえばさっき、クレープを食べてる時に思い出したんだけど』と切り出して口にしたのがその言葉だった。

 その時は深く考えずに「へぇ、そうなんだ」なんて相槌を打ったけれど、今になって何となく気になった私は枕元に置いていたスマホを手に取った。ドラパルトの大きな体に手を回したまま「ドラパルト 求愛行動」と検索をして、表示された検索結果のページを上から適当に選び、開く。
 ――そこには確かに友人の言葉通り、ドラパルト族の求愛行動のひとつとして「相手の体に尻尾を絡める」と記載されていた。問題はそれが「番と決めた相手の体に尻尾を絡める」と書かれていることだ。その他には相手の鼻や首を噛む、とも書かれている。
 それを読む私は今まさにドラパルトに首を甘噛みされていた。ちゃんと加減をしているらしく痛みはない。ただくすぐったいだけだ。まさか、ね。そんなことを考えながら名前を呼ぶ。

「ドラパルト」

 私の声に反応して、すぐにまっすぐな視線が向けられる。それをしっかりと受け止めて、私は口を開いた。

「ドラパルトって、私のこと好きだよね」

 目を瞬かせたドラパルトが呆れたような表情を浮かべる。今更? そう言いたげな顔だ。顎に手を伸ばして、そうっと撫でる。途端にとろりと蕩けた表情を浮かべたドラパルトの喉がきゅうと鳴った。

「……でもそれって、例えば兄弟とか、友達に向けるような“好き”……だよね?」

 私の問いかけに、一呼吸置いてからドラパルトの目がまるくなる。けれどそれはすぐに三日月のように細くなった。
 ぴったりと寄り添っていたドラパルトは起き上がって私を見下ろすと、口の端を上げて笑い声を上げるように鳴いた。けれど、その目には鋭い光が宿っていて一切笑っていない。

「だって、私とドラパルトは」

 種族が違うからと口にするよりも先にドラパルトの顔が近づいてきて、そのまま唇に噛みつかれた。首を傾げて私の顔を覗き込むドラパルトの目が、さっきと違って笑っている。
 そんなことは大した問題じゃない。それがどうかしたのか。そう問われているように思えてしまうのは気のせいなのだろうか。
 驚きと困惑で動けずにいる私の額へ自身の額をそっと触れさせたドラパルトが甘く鳴く。長いこと一緒にいたのに知らなかったドラパルトの私への執着心が垣間見えて、背筋がぞくりと震えた。

 友人や私の思っていた「好き」と、ドラパルトが私へ向けている「好き」のベクトルに大きな違いがあったこと。ドラパルトが私に常にくっついたのは甘えん坊だからだった訳じゃなく、私や周囲へ自分の番であると知らしめるためにただそうしていただけだったこと。
 それらを今になって私は理解したのだった。

(魂の入れ物のかたちが違うだけ/20230918)