広いとは言い難い庭に置かれたシンプルなガーデンテーブルセット。その椅子に座ってはお気に入りの本を読んでいた。
二月にしては暖かな太陽の日差しがやさしく降り注いでいるので、寒さ対策は膝に厚手のブランケットをかけるだけで十分だ。おまけに、テーブルの上には湯気が立ち上る紅茶入りのマグカップも用意してある。
物語の切りがいいところで本を閉じ、はマグカップに手を伸ばした。
体の隅々まで熱を行き渡らせるようにゆっくり紅茶を飲みながら、夏と比べて緑が減った庭を眺める。どこからか耳に届くヤヤコマの囀りが心地よくて、自然と頬が緩んだ。
あとは、そう。彼が遊びに来てくれたらいいけれど。そんなことを考えながら、テーブルの上にマグカップを戻したは再び本を開く。
読書を再開して数分が過ぎた頃、めくろうとしたページに影が差したことに気がついたは顔を上げた。
いつの間にか、ガーデンテーブルの向かい側の少し高いところに黒い影のような姿が浮かんでいた。特徴的な青い目が逆光の中でも眩く輝いていて美しい。
随分前からこの庭へ姿を現すようになったポケモン、ダークライだ。
「ダークライ」
名前を呼ぶと、青い目に滲む優しい光が強くなった。白い髪のような頭の飾りが、風もないのにゆらゆらと波打っている。
「今日もね、ダークライが遊びに来ないかなって思っていたの」
だから会えて嬉しいよ。は微笑んで、閉じた本をテーブルの端に乗せる。
ダークライは暫しを見つめた後、テーブルの端へ乗せられた本を見て、次に中身が半分ほどになったマグへ目を向けた。そうして最後に、その隣にある黒い小さな紙袋へ興味深そうな眼差しを注ぐ。
「ああ、それ」
庭では本をよく読んでいるし、このマグカップもいつも使っているものだ。だからこの二つはダークライも何度か見たことがある。けれどこの黒い紙袋は、今日初めて見たものだから気になったようだ。
そう思ったは「今日、お店で見かけて買っちゃった」と口にしながら紙袋を手に取った。
バレンタインの季節はそこらで様々なチョコレートが販売されている。今日が立ち寄ったデパートにも催事場があり、これはそこの戦利品だ。
「ほら見て。可愛いでしょ」
は言葉を続けつつ、黒い紙袋から同じ色をした箱を取り出した。両手の手のひらに収まるサイズのものだ。白いリボンがかけられた箱の蓋と側面には赤と青の可愛らしい花がプリントされている。
の手のひらの上の箱をまじまじと観察したダークライは、むむ、と難しそうな表情を浮かべた後に頷いた。
可愛いとかは分からないものの、それでも気遣って頷いてくれるダークライの優しさに笑ったは、白いリボンを丁寧に解いて蓋に手をかける。
すると中に何が入っているのか気になったらしいダークライが少しだけ身を乗り出した。「じゃーん!」なんて言いながらが蓋を開けると、紅茶とはまた違う甘い匂いが微かに香る。
黒く小さな箱に収められたチョコレートは四粒だけ。けれど値段はゴージャスボールといい勝負のチョコレートたちをじっくり観察したは、ダークライへ箱を差し出した。
「食べてみる?」
ダークライが首を横に振ったので、は「だよね」と頷くと箱を差し出すのをやめた。庭へ遊びに来たダークライへきのみやジュースなんかを勧めて断られるのはいつものことだ。
なのでは気にする素振りも見せず、四つの中でも一番シンプルな丸い形のチョコレートを指先で摘み上げた。つややかな表面が宝石のようにキラキラと輝いている。
普段お目にかかることがないようなチョコレートを恐る恐る口に放り込んだは、なめらかで濃厚な味に目を輝かせて「お高い味がする……」と呟いた。
その様子を観察していたダークライが、青い目をすうっと細める。ダークライに笑われたことに気がついたは、釣られて頬を緩めた。
「なんて言ったらいいのか分からなくて。でもすっごく美味しいよ」
残っていた紅茶を飲み干して、次に摘んだチョコレートは金箔が散らされた四角いチョコレートだ。はそれをひょいと口に放り込む。
「……う」
もごもごと口を動かしたは、思わず顔をしかめてから呻き声をもらしてしまった。一体何事か、とダークライがその顔を覗き込む。
「うーん。苦手な味だった」
顔をしかめたまま、は蓋を閉じると箱をひっくり返した。裏面には成分表のシールが貼られている。
「これ、もう一個苦手な味が入ってるなあ」
成分表に目を通したが呟くと、ダークライは「何で確認しなかったんだ」と言わんばかりの呆れた表情を浮かべて肩を竦めた。
テーブルの上に箱を置いて再度蓋を開けたは、一瞬ためらってから半球形のチョコレートを手に取った。食い入るように見つめて、覚悟を決めたような顔でそれを口に放り込む。
口の中に広がる予想通りの苦手な味に何とも言えない顔をしたは、未だ呆れた目を向けるダークライに「この箱を見て即決しちゃったんだよねぇ」と苦笑した。
「ほら、黒い箱に赤と青の小さな花がプリントされてるでしょ。それでリボンが白だったから、ダークライの色だなって思ったら」
どうしても欲しくなっちゃって。
そこまで言い切って、はハッとした。何だか自分は今とてつもなく恥ずかしいことを喋ったぞ、と気づいたからだ。
──チョコの箱を見て、ダークライを連想して即決したとか。何かこれ、遠回しにダークライのことを好きって言っちゃってない?
焦ったがダークライを見遣ると、青い目は分かりやすいほどにまるくなっていた。
「えーっと、その」
何と言い訳をするかが悩んでいる間に、ダークライはチョコレートの箱へ手を伸ばした。四つあったチョコレートの最後の一つを夜の色の指先が掬い上げる。ハートの形のチョコレートだ。
それ、どうするんだろう。がダークライの指先から顔へ視線を移動すると、美しい青色がまた細くなる。
そして、ダークライはの口元へチョコレートを差し出したのだった。
まさか「あーん」をされるなんて思いもよらず、混乱したの視線はダークライの顔と差し出されたチョコレートを何度も往復する。それを見たダークライが、食べないのか? と言いたげに首を傾げた。
食べるまでこの手が引っ込むことはなさそうだと観念したは、夜の色をした指先に顔を近づけるとハートの形のそれを口に含んだ。
四つの中でも、一際甘い香りのするチョコレートだった。
じっと見つめてくる青い目をちらちらと見ながら、は必死に口を動かす。
多分、いや間違いなく美味しいはずのチョコレートの味は正直、何も分からなかった。
「……ごちそうさまでした」
チョコレートを食べ終えたナマエは俯いた。自分の顔が真っ赤になっていることは分かりきっているので、なかなか顔を上げられない。
ほんの不注意で自ら暴いてしまったダークライへの好意。それに対する答えを、ハートの形のチョコレートを食べている間ずっとまっすぐに向けられていた視線の中に見つけてしまったからだ。あんなに熱を帯びた目を向けられて気づかないほど、は鈍感ではなかった。
いつまでも俯いたままの視界に夜の色の指先が伸びて、そうっと顎を掬った。驚いて固まったの唇にダークライの指が触れて、そのまま優しく拭われる。がダークライの指先に目を向けると、そこには微かにチョコレートがついていた。
「はああ……」
分かりやすいほど大きなため息を吐いてから、はテーブルの上に置いたままのダークライと同じ色の箱を見遣る。
──この可愛い箱は大切に取っておいて、小物でも入れるのに使おうと思っていたのに。
見る度に今日のことを思い出しそう。まだ赤いままの顔でが呟くと、その隣でダークライは楽しそうに笑ったのだった。
(20230216/ハッピーバレンタインでした)
二月にしては暖かな太陽の日差しがやさしく降り注いでいるので、寒さ対策は膝に厚手のブランケットをかけるだけで十分だ。おまけに、テーブルの上には湯気が立ち上る紅茶入りのマグカップも用意してある。
物語の切りがいいところで本を閉じ、はマグカップに手を伸ばした。
体の隅々まで熱を行き渡らせるようにゆっくり紅茶を飲みながら、夏と比べて緑が減った庭を眺める。どこからか耳に届くヤヤコマの囀りが心地よくて、自然と頬が緩んだ。
あとは、そう。彼が遊びに来てくれたらいいけれど。そんなことを考えながら、テーブルの上にマグカップを戻したは再び本を開く。
読書を再開して数分が過ぎた頃、めくろうとしたページに影が差したことに気がついたは顔を上げた。
いつの間にか、ガーデンテーブルの向かい側の少し高いところに黒い影のような姿が浮かんでいた。特徴的な青い目が逆光の中でも眩く輝いていて美しい。
随分前からこの庭へ姿を現すようになったポケモン、ダークライだ。
「ダークライ」
名前を呼ぶと、青い目に滲む優しい光が強くなった。白い髪のような頭の飾りが、風もないのにゆらゆらと波打っている。
「今日もね、ダークライが遊びに来ないかなって思っていたの」
だから会えて嬉しいよ。は微笑んで、閉じた本をテーブルの端に乗せる。
ダークライは暫しを見つめた後、テーブルの端へ乗せられた本を見て、次に中身が半分ほどになったマグへ目を向けた。そうして最後に、その隣にある黒い小さな紙袋へ興味深そうな眼差しを注ぐ。
「ああ、それ」
庭では本をよく読んでいるし、このマグカップもいつも使っているものだ。だからこの二つはダークライも何度か見たことがある。けれどこの黒い紙袋は、今日初めて見たものだから気になったようだ。
そう思ったは「今日、お店で見かけて買っちゃった」と口にしながら紙袋を手に取った。
バレンタインの季節はそこらで様々なチョコレートが販売されている。今日が立ち寄ったデパートにも催事場があり、これはそこの戦利品だ。
「ほら見て。可愛いでしょ」
は言葉を続けつつ、黒い紙袋から同じ色をした箱を取り出した。両手の手のひらに収まるサイズのものだ。白いリボンがかけられた箱の蓋と側面には赤と青の可愛らしい花がプリントされている。
の手のひらの上の箱をまじまじと観察したダークライは、むむ、と難しそうな表情を浮かべた後に頷いた。
可愛いとかは分からないものの、それでも気遣って頷いてくれるダークライの優しさに笑ったは、白いリボンを丁寧に解いて蓋に手をかける。
すると中に何が入っているのか気になったらしいダークライが少しだけ身を乗り出した。「じゃーん!」なんて言いながらが蓋を開けると、紅茶とはまた違う甘い匂いが微かに香る。
黒く小さな箱に収められたチョコレートは四粒だけ。けれど値段はゴージャスボールといい勝負のチョコレートたちをじっくり観察したは、ダークライへ箱を差し出した。
「食べてみる?」
ダークライが首を横に振ったので、は「だよね」と頷くと箱を差し出すのをやめた。庭へ遊びに来たダークライへきのみやジュースなんかを勧めて断られるのはいつものことだ。
なのでは気にする素振りも見せず、四つの中でも一番シンプルな丸い形のチョコレートを指先で摘み上げた。つややかな表面が宝石のようにキラキラと輝いている。
普段お目にかかることがないようなチョコレートを恐る恐る口に放り込んだは、なめらかで濃厚な味に目を輝かせて「お高い味がする……」と呟いた。
その様子を観察していたダークライが、青い目をすうっと細める。ダークライに笑われたことに気がついたは、釣られて頬を緩めた。
「なんて言ったらいいのか分からなくて。でもすっごく美味しいよ」
残っていた紅茶を飲み干して、次に摘んだチョコレートは金箔が散らされた四角いチョコレートだ。はそれをひょいと口に放り込む。
「……う」
もごもごと口を動かしたは、思わず顔をしかめてから呻き声をもらしてしまった。一体何事か、とダークライがその顔を覗き込む。
「うーん。苦手な味だった」
顔をしかめたまま、は蓋を閉じると箱をひっくり返した。裏面には成分表のシールが貼られている。
「これ、もう一個苦手な味が入ってるなあ」
成分表に目を通したが呟くと、ダークライは「何で確認しなかったんだ」と言わんばかりの呆れた表情を浮かべて肩を竦めた。
テーブルの上に箱を置いて再度蓋を開けたは、一瞬ためらってから半球形のチョコレートを手に取った。食い入るように見つめて、覚悟を決めたような顔でそれを口に放り込む。
口の中に広がる予想通りの苦手な味に何とも言えない顔をしたは、未だ呆れた目を向けるダークライに「この箱を見て即決しちゃったんだよねぇ」と苦笑した。
「ほら、黒い箱に赤と青の小さな花がプリントされてるでしょ。それでリボンが白だったから、ダークライの色だなって思ったら」
どうしても欲しくなっちゃって。
そこまで言い切って、はハッとした。何だか自分は今とてつもなく恥ずかしいことを喋ったぞ、と気づいたからだ。
──チョコの箱を見て、ダークライを連想して即決したとか。何かこれ、遠回しにダークライのことを好きって言っちゃってない?
焦ったがダークライを見遣ると、青い目は分かりやすいほどにまるくなっていた。
「えーっと、その」
何と言い訳をするかが悩んでいる間に、ダークライはチョコレートの箱へ手を伸ばした。四つあったチョコレートの最後の一つを夜の色の指先が掬い上げる。ハートの形のチョコレートだ。
それ、どうするんだろう。がダークライの指先から顔へ視線を移動すると、美しい青色がまた細くなる。
そして、ダークライはの口元へチョコレートを差し出したのだった。
まさか「あーん」をされるなんて思いもよらず、混乱したの視線はダークライの顔と差し出されたチョコレートを何度も往復する。それを見たダークライが、食べないのか? と言いたげに首を傾げた。
食べるまでこの手が引っ込むことはなさそうだと観念したは、夜の色をした指先に顔を近づけるとハートの形のそれを口に含んだ。
四つの中でも、一際甘い香りのするチョコレートだった。
じっと見つめてくる青い目をちらちらと見ながら、は必死に口を動かす。
多分、いや間違いなく美味しいはずのチョコレートの味は正直、何も分からなかった。
「……ごちそうさまでした」
チョコレートを食べ終えたナマエは俯いた。自分の顔が真っ赤になっていることは分かりきっているので、なかなか顔を上げられない。
ほんの不注意で自ら暴いてしまったダークライへの好意。それに対する答えを、ハートの形のチョコレートを食べている間ずっとまっすぐに向けられていた視線の中に見つけてしまったからだ。あんなに熱を帯びた目を向けられて気づかないほど、は鈍感ではなかった。
いつまでも俯いたままの視界に夜の色の指先が伸びて、そうっと顎を掬った。驚いて固まったの唇にダークライの指が触れて、そのまま優しく拭われる。がダークライの指先に目を向けると、そこには微かにチョコレートがついていた。
「はああ……」
分かりやすいほど大きなため息を吐いてから、はテーブルの上に置いたままのダークライと同じ色の箱を見遣る。
──この可愛い箱は大切に取っておいて、小物でも入れるのに使おうと思っていたのに。
見る度に今日のことを思い出しそう。まだ赤いままの顔でが呟くと、その隣でダークライは楽しそうに笑ったのだった。
(20230216/ハッピーバレンタインでした)