Hanada
 ポケモンの中では珍しく、テレパシーによって人間とも会話をすることができる。だというのに、ダークライはあまり多くの言葉を口にしない。それは普段関わりがない相手ならともかく、長いこと一緒に過ごしている私に対してもそうだ。
 随分と内気な彼曰く、私と過ごした年月よりもずっと長い時間をただひとりで過ごしていたので、誰かと会話をする、ということ自体がそもそも得意ではないらしい。
 なのでダークライが私に何か伝えるべきことがある時は、他の手持ちの子――エンペルトやミミロップ、ロズレイドといったテレパシーが使えない子たちと同じように、目を見つめたり、頷いたりといった身振り手振りが多かった。
 しかしその動作すらも他の子に比べるとひかえめで、おまけに表情の変化も少ないため、私は時々ダークライが何を考えているのかが分からなくなってしまう。今だってそうだ。

 早朝の、少しだけツンとする冷えた空気の中。ダークライは私の手を遠慮がちに引いてどこかへ向かっていた。きっと軽く力を込めて払ったら、この手は何の抵抗もなく離れていってしまうのだろう。

「どこに行くの?」

 間違っても離れていくことがないように、夜を思わせる色の手をやわく握る。私の問いかけに振り返ったダークライのターコイズブルーの目には、少しだけ困ったような色が滲んでいた。
 行き先くらい教えてくれてもいいんだけどな。そう思いはしたものの、恐らくこのまま何も言わずについてきて欲しいのだということを察した私はそれ以上何も聞かなかった。たった一言だけ問いかけてそれ以上は追及しない私に安心したのか、息を吐いたタークライはまた前を向く。
 こっそりと後ろを振り返ると、旅の途中で立ち寄った町外れの小さなコテージはもう見えなくなっていた。
 


 目が覚めたのはいつもより随分と早い時間だった。閉められた窓のカーテンの隙間から覗く空が、まだ夜の紺碧を色濃く残している。
 微かに花の香りのするやわらかなベッドから起き上がり、サイドテーブルの上のボールに目を向ける。中にポケモンが入っているボールが三つと、空っぽになっているボールが一つ。空っぽのボールはダークライのものだ。
 ダークライは眠っているものに無差別に悪夢を見せてしまう力を持っているので、いつも夜から朝にかけてこうしてどこかへ散歩に出かけている。朝日が昇ってみんなが起きる頃になるとどこからともなく姿を現すのだ。

 三つのボールを暫くの間観察して、エンペルトたちはまだまだ深い眠りの中にいることを確認する。物音を立てないように気をつけながら、カーディガンを一枚羽織った私はコテージの外に出た。


 コテージの外はもやでうっすらと白くけぶっていた。昨日の夕方、ここへ到着した際には近くに海が見えたはずだけれども、薄暗く、おまけにもやで視界の悪い今海は見えない。ただ、微かに潮騒が聞こえるだけだ。
 ぐっと伸びをして冷えた空気を吸い込むと、ほんの少しだけ残っていた眠気がたちどころに消えていく。
 ダークライはどの辺りを散歩しているのだろう。そう思って辺りを見回していると、視界の端、コテージから少し離れたところにある背の高い木の影がゆらめいたように見えた。

 ダークライ? そう呼びかけようとしたのに、それよりも先に「?」と聞きなれた声がテレパシーで届いた。
 思わず驚いて固まる私の目の前で、街灯に照らされた木の影が濃くなった。大きく揺らめいたかと思うと、ほんの瞬きの間によく見知ったかたちへと変わっていく。
 木の影から音もなく姿を現したダークライに駆け寄って「おはよう」と声をかけると、彼は何度か瞬きを繰り返したあとに小さく頷いた。
 どうやらダークライも驚いているようだった。もやの中でもはっきりときらめく目が僅かに見開かれている。恐らく、私がいつもよりも随分と早い時間に起きていたからだろう。

「何があった」

 傍から聞けば、問い詰めているようにも聞こえてしまうダークライの声が響く。けれどこれは他者と関わることが得意ではないダークライの、彼なりの心配をしている時の声だ。
 私は首を振って、夜の色の手をそっと取る。ダークライの肩が少しだけ跳ねた。

「ううん、何もないけれど。いつもより早く目が覚めちゃった。それでダークライはどこかなって外に出てきたところだったの」

 私の言葉に「そうか」とだけ呟いたダークライは別に何もなかったことに安心したのか、ややあってから肩の力を抜いた。
 こうして些細なことでも気にかけてくれるダークライのやさしいところが一等好きな私は、ついつい頬をゆるめてしまう。すると私の顔を見たダークライはふいと目を逸らし、散々視線をさ迷わせた後に私の後ろに視線を向けた。釣られて私も振り返る。
 私とダークライ、ここにいるふたり以外は未だ朝を迎えていないコテージ。もやの中でひっそりと佇むそこを見つめていると、ダークライが言葉を発した。

「……少し、散歩に行かないか」

 非常に珍しいダークライからの提案に、私はまた驚いたのだった。



 そうして今、私はダークライに手を引かれて歩いている。

 コテージに戻ったところ、他の子たちはまだまだ起きそうになかった。そのため「ダークライとさんぽに行ってくるね」という書き置きを残してきたのが二十分ほど前のこと。コテージからはそれなりに離れたところまで歩いて来たけれど、目的地は依然として分からないままだった。
 ダークライは私をどこへ連れていこうというのか。辺りを見回すと、少しずつ朝の色に変わりつつある空の下、目を覚ました頃よりも随分と薄れたもやの向こうに海が見えた。きっと、もうすぐ地平線の向こうから太陽が顔を覗かせるだろう。

 特に会話もなく歩くこと、更に少し。
 もやが晴れて海もはっきり見えるなあ、なんて思っていると不意にダークライが歩みを止めた。海へ目を向けていた私も足を止める。「どうしたの?」そう言いながら前を見た私は息を飲んだ。
 振り返ったダークライが、そっと目を細める。

 彼の背の向こうに見えたのは、美しい花畑だった。

 海を望むなだらかな丘。それが一面、白く可憐な花で埋め尽くされている。言葉を失って暫し立ち尽くした後、私はダークライに手を引かれながら真っ白に染まる丘を登った。

「すごいね。海と空以外は花しか見えないや」

 丘の途中で足を止めて辺りを見回す。
 地平線の彼方からようやく顔を出した太陽が眩しくて、思わず目を細めた。地平線付近の朝の色に染まった空と、その色を映して揺れる海。夜と朝の入り交じる中ではっきりと存在を主張する白い花々。まさに絶景という言葉がぴったりの美しい風景だ。

「気に入ったか」

 私の顔を覗き込んだダークライが、潮騒に掻き消されてしまいそうなほどの声で問う。

「うん。とっても」

 私が大きく頷くと、ダークライも満足そうに頷いた。

 今度は私がダークライの手を引いて丘の頂上に立った。
 空と海が少しずつ朝の日差しに染まっていく。丘を埋め尽くす白い花が、その輪郭をやわらかなオレンジに縁取られてキラキラと輝いた。
 夜の色の手を離し、風に遊ぶ髪を撫でつける。そのとなりでダークライは身を屈めると白い花を一輪手折った。彼の行動を観察していると、ターコイズブルーの目と視線がぶつかる。一瞬惑う素振りを見せてからそっと目を伏せたダークライは、何も言わずに花を持っていない方の手で私の左手を取った。

「ダークライ?」

 散歩に行こうと誘われたことも、手を引かれたことも。こうして今、やさしく手を取られていることも。彼らしくない行動の連続に驚いてばかりの私を他所に、ダークライは私の左手の薬指に白い花をくるりと巻いた。それはまるで――。

「……指輪みたい」

 一輪の小さな花が咲いた左手を空にかざすと、すぐとなりから「そう、だな」という言葉が届いた。
 つい口からこぼれた言葉。それをまさか肯定されるとは。予想外のことに私は息を飲んだ。心臓が煩いくらいに早鐘を打ち始めたのが分かる。薬指を飾る白い花がやけに眩しく見えるのも、自分の頬がやたらと熱く感じるのも、きっと朝の日差しのせいだけではないのだろう。

「ダークライって、左手の薬指にする指輪の意味を……」

 となりに浮かぶダークライへ振り返る。はたしてこの花の意味は私が思い浮かべている通りのものなのか。それとも、ただ単に何も知らない彼がきまぐれに贈っただけなのか。
 ダークライは視線をさ迷わせた後、こくりと小さく頷いた。

が教えてくれたから、知ってる」

 私が教えてくれたから。その言葉に思い当たるものがあった。
 いつだったかは覚えていない、ある昼下がり。私はスマホでドラマの最終回を見ていた。紆余曲折を経て、主人公が長いこと想い続けたヒロインとようやく結ばれる、そんな感動としあわせいっぱいの最終回だ。
 ダークライは私があまりにも集中しているのが気になったらしく、「何を見ている」と聞いてきた。

「ドラマだよ。今ね、すっごくいいところなの」

 今は主人公とヒロインの二人が向き合ってお互いの想いを吐露する場面だ。ダークライにも見えるようにスマホを傾ける。ふうん? と相槌を打ったダークライは、私のすぐとなりに移動するとスマホを覗き込んだ。
 私と違ってこの物語を始まりから追っていた訳ではないし、仮に追っていたとしても彼がその内容のすべてを理解できるのかは分からなかった。
 だから私は、ダークライが数分もしない内にすぐそこで遊んでいるエンペルトたちの元へ行くか、ひとりでふらっと散歩に行くかも。そう思ったのだけど。
 ダークライは意外にも、最後まで一緒にドラマを見ていたのだった。

「やっとくっついた……。この二人、すれ違い多すぎでしょ。見ていて何回も不安になっちゃったよ」

 主人公が想いを告げ、指輪をヒロインの左手の薬指にはめる。そうして完璧なタイミングでドラマの主題歌が流れ始めたスマホを膝の上に置いた私は、「どうだった?」とダークライへ尋ねた。

 ダークライは腕を組み、何やら考え込んでいるようだった。そのまま待つこと数十秒。返ってきた感想は「よく分からなかった」というものだった。素直で、けれど予想通りのもので思わず笑ってしまう。「ところで」ダークライが言葉を続けたので、私は笑うのを止めると首を傾げた。ダークライは私の膝の上のスマホに視線を移す。

「指輪を贈るのには何か特別な意味があるのか」

 ダークライからの質問に、そこが気になったのかと少し驚いてしまった。けれどすぐに、ああでも、と思う。
 自分のパートナーに指輪を贈るという行動は、人間にしか見られない行動かもしれない。ポケモンの中でそんな習性があるというのは聞いたことがないし……。だからそれについて、ポケモンであるダークライが疑問に思うのは当然なことなのかもしれない。そうあれこれ考えながら私は答えた。

「ええっと……指輪を贈るのに、というよりかは左手の薬指にする指輪に意味があって──」



 ダークライは不安そうな表情で私のことを見つめていた。美しい色の瞳が揺らいでいる。
 無口で必要最低限の言葉以外を口にしない。自身の感情を顕にすることも滅多にない。そんな彼が、分かりやすいかたちで伝えてくれた気持ち──左手の薬指に咲く花に、右手でそっと触れる。

「ダークライ」

 名前を呼ぶと、夜の色の肩がぴくりと跳ねた。私よりも随分と体温の低いからだに手を添える。未だ揺らぐ瞳をまっすぐに見つめ返して、一歩を踏み出す。「少し、屈んでくれる?」私の言葉にダークライは惑って、不思議そうにしながらも素直に屈んでくれた。静かに息を吐いて、彼の額に自分の額を触れさせる。そうしてもう一度、囁くように名前を呼んだ。続けて、贈られた気持ちの答えを告げる。

「ありがとう。すっごく嬉しい」

 私の言葉にダークライは何度も瞬きを繰り返す。先程まで不安そうに揺らいでいたのが嘘のような、朝の光にきらめくターコイズブルーの目が細められた。



 もうそろそろみんなが起きる頃だからと、私とダークライは朝の散歩を終わりにしてコテージに戻ることにした。
 なだらかな丘を下っている途中、繋いでいた手──私の左手をダークライが右手で持ち上げた。持ち上げられた私の左手の薬指にはまだ、白い花が咲いている。けれど、彼が摘んだ時に比べて大分元気はなくなってしまっていた。

「戻る前に、完全にしおれてしまいそうだ」
「そうだね」

 せっかくダークライが贈ってくれたのに残念だな。そう思ったものの、すぐに私は「そうだ」と口を開いた。

「……この指はずっと空けておくから、また、私に花を贈ってくれる?」

 ダークライは目を見開いて、それからすぐに頷いた。ふたりで顔を見合せて、どちらからともなく笑いあう。

 聞き慣れた声が耳に届いたのは、その時だ。数十メートル先の丘の麓。そこにエンペルトたちがいたのだ。どうやら彼らはとうに起きていて、私とダークライをここまで探しに来てくれたようだった。
 ダークライの手を引いて、なだらかな丘を駆け下る。エンペルトたちの元へ辿り着き、「みんな、おはよう。迎えに来てくれてありがとう」と言ったところで私は三匹が目を見開いていることに気がついた。

「……え? 何?」

 どうかした? と聞こうとして私は気がついた。私とダークライはしっかりと手を繋いだままだったのだ。
 他の子たちならともかくとして、誰かと積極的に関わりにいくようなタイプではないダークライが私と手を繋いでいる。それが余程珍しかったらしい。
 一体何があったの? とでも言いたげな顔で、三匹にまじまじと見つめられる。

「たまにはね! こういうのもいいかなあーって……」

 ほら! コテージに戻って朝ごはんにしなきゃ! そう言って誤魔化そうとしたところで、私たちのことを観察していたミミロップが急に声を上げた。「な、何?」恐る恐る尋ねると、離すタイミングを完全に見失ったせいで繋いだままの手をミミロップに持ち上げられる。エンペルトとロズレイド、二匹もあっと声を上げた。

 左手の薬指を飾る白い花。それにみんなは気がついたのだ。
 数秒の沈黙の後、三匹は顔を見合わせた。かと思えば今度は問い詰めるような視線を寄越される。

「……ダークライがくれたんだよ」

 観念して正直に告げた。
 左手の薬指の指輪の意味。ダークライのようにその意味を知らずとも、「あのダークライが花を贈った」「いつもなら絶対にありえないのに、手を繋いでる」というこの状況を見てにんまりと笑った彼らが、次にどんな反応をするかは分かっている。

 数秒後、わっと歓声が上がった。騒がしいくらいに囃し立てられる。予想通りのみんなの反応に、たまらず私は繋いだままだった手を離し、自分の真っ赤になっているであろう顔を覆い隠そうとした。

 しかしそれができなかったのは、ダークライが私の手を離してくれなかったからだ。それどころか、まるで離れるなと言うかのように私の手をしっかりと握り直したのだった。
 一連の流れを見ていたミミロップが、ぴゃっと鳴き声を上げて踊るように飛び跳ねた。エンペルトは腕を組んで満足そうに頷いている。ロズレイドはにっこり笑うと美しいブーケの両手を振り上げた。
 そっと風が吹いて、いくつもの花びらが軽やかに舞い上がる。空高く舞った花びらは、私たちふたりに雨のようにやさしく降りそそいだ。



 熱を持った顔を隠すように俯いていると、小さな声でダークライに名前を呼ばれた。
 どうしてこういう時に限って手を離してくれないの。そんな文句のひとつでも言ってやろうかと顔を上げた私は、彼の顔を見て息を飲んだ。ダークライが大切なものを見るような、やさしい眼差しを私へ向けていたからだ。

 私とダークライ、見つめ合うふたりの間に言葉はない。
 けれど、花の雨と朝の日差しの中で何よりも美しくきらめくターコイズブルーが確かに「幸せだ」と語るので、私はせめてもの照れ隠しに夜色の手のひらを強く握り返したのだった。




(その愛は花でできていた/20221025)
お題箱の「シャイで無口なダークライさんが頑張って自分のトレーナーに想いを告げ、見事両想いになった所を他の手持ちに祝福されるお話」「ダークライでハッピーエンドのお話を…」より。