Hanada
 早朝の静かな海の桟橋に着くと、は一つのモンスターボールを取り出した。ボールの中のパートナーとも呼ぶべき存在は、鋭敏にもボール越しに潮の香りを嗅ぎ取ったのだろう。まるで催促するように、がたりとボールを揺らしてみせた。

 そんなパートナーには優しげな笑みを浮かべると、そっとボールを放った。ぽんと軽い音を立てて開いたボールから、静かな海へと姿を現したのはサメハダーだ。

「サメハダー、おはよう」

 が桟橋に座りながらそう呼び掛けると、海面から顔を出したサメハダーはその大きな口を開け、それからカチカチと鋭い牙を鳴らしてみせた。
 それがサメハダーなりの挨拶だと知っているは、柔らかく微笑む。それからサメハダーの額にそっと手を添えると、「今日もよろしくね」と笑みを浮かべたまま額から鼻先へと向かって優しく撫でた。
 するとサメハダーはくるりとその場で回り、ふん、と鼻を鳴らした後に、燃えるように爛々と光る赤い眼をぎょろりと動かす。


 もしもそのサメハダーの様子を海に棲むケイコウオやタッツー達が目にしていたら、獲物を探しているのだろうかと震えて姿を隠すだろう。
 だが、サメハダーと長い月日を重ねてきたには、それが決して彼が獲物を探しているのではなく、撫でられたことに対しての照れ隠しをしているのだと分かっていた。


 そしては桟橋に座ったまま少し上体を屈めると、海水を片手の手のひらで掬い上げ、それをサメハダーの顔に掛けた。サメハダーの青い体の表面を濡らした海水は、太陽の光をきらきらと反射してまた海に帰っていく。

 その間サメハダーは海水の冷たさに気持ち良さそうに眼を細めて大人しくしていたが、暫くした所でぶるりと身体を震わせた。途端に冷たい海水が辺りに飛び散る。

「きゃっ」

 突然のことに驚いたが声を上げると、サメハダーは赤い眼を細めてけらけらと笑った。キバニアの頃からずっと変わらない笑い方である。

「もう!」

 そう言いつつもの顔は笑顔だ。サメハダーが楽しそうにしていると、自然との顔も綻ぶのだ。


 そしてが再度サメハダーの額に手を添えようとすると、サメハダーが彼女の伸ばした右手を鼻先でつついた。鼻先でつつかれたことには一瞬首を傾げたが、すぐにサメハダーの言いたいことを理解すると口を開く。

「ああ、傷痕?」

 が尋ねるとサメハダーは少し申し訳なさそうに頷いた。

「大丈夫だよ。もう殆ど消えてるし」



 の右手には、今はもうすっかり薄れた傷痕があった。その傷痕は、彼がキバニアからサメハダーへと進化した時に付いた物だ。
 進化した翌日にこうして海へとボールから出された時、進化したことが嬉しくて、額を撫でようとしたの手に思い切り擦り寄ってしまったのである。
 サメハダーへと進化したばかりで、己の力がキバニアの頃よりも強くなったことをまだ実感していなかった為、の右手に鮫肌による擦り傷が付いてしまったのだ。

 その傷も時間が経つに連れてどんどん薄くなったが、サメハダーはそれでも傷痕が気になるらしく、時折こうしての傷痕を確認するように右手を鼻先でつつくのだ。

「あと少しすれば消えるだろうし、そんなに気にしなくてもいいのに」

 がそう言うとサメハダーは困ったような顔をしたが、おいで、と右手を差し出されると、素直にその手に身体をそっと寄せた。

 今ではもう自分の力がどれ程の物かを理解しているので、の手に擦り寄ろうとも傷は付かない。
 そして青い身体をが優しく撫でると、サメハダーはこの傷痕が早くちゃんと消えますように、と、また鼻先を寄せたのだった。



少しずつ薄れる傷痕に/20130502
加筆修正/20160915