Hanada
 周りの景色に溶けて消えてしまいそうなほど、ひっそりと佇む一軒の小さな花屋。店内の窓際に並んだ色とりどりの花たちは、白いレースのカーテン越しに夏のあさのひざしを受け止めて気持ちよさそうに花開いている。

 いくつかのプランターを日の当たらない位置へ動かしたは、ぐうっと伸びをしてから息を吐いた。
 それから壁に掛けられたハネッコのかたちの時計に目を向けると、「もうこんな時間か」と小さく呟く。
頭から伸びる二枚の葉を左右に揺らして時を刻むハネッコは、もうすぐ八時になることを示していた。
 急がないと彼がやって来てしまう。そう思いながら、は足元に置いていたコダックのかたちのジョウロ、霧吹き、雑巾なんかを慌てて店の奥に片付けると、今度は急ぎ足で店先に向かった。

 店の外に出たは一度辺りを見回して、いつも通りの静かな夏の朝の風景を眺めると、水遣りの間だけ開けていた店の入口をしっかりと閉めて鍵をかけた。
 勿論鍵を閉める前に、入口の扉に「本日休業」のプレートがかかっていることを確認して。

 そうしてやるべきことを終えたは、レジカウンターの内側に置かれた丸椅子に腰を下ろした。

 開け放たれたいくつかの窓から店内にするりと舞い込む風は、早朝の空気を纏って少しひんやりとしている。
 暫くの間どこか落ち着きのない様子で窓の外を眺めていたは、不意に「あ」と声を漏らすと静かに立ち上がった。
 窓の向こう、晴れ渡る空を背にこちらへと向かってくる灰色の小さな影が見えたからだ。

 灰色の影は少しずつスピードを落とし、けれど真っすぐにの元へと向かってくる。が窓の前に立つと、やがて灰色の影は開け放たれたそこから滑るように店の中へと入りこんだ。そのまま狭い店内で器用に旋回し、レジカウンターの上にふわりと軽やかに着地する。

「おはよう、ムックル」

 の挨拶に、灰色の影――ムックルがすうっと目を細める。

 このムックルはいつだったか、近くの森で怪我をしていた所をが助けたポケモンだ。「他のポケモンと喧嘩でもしたの?」そんなことを言いながら、鞄から取り出したキズぐすりで手当てをし、森で採ったばかりのオレンのみをいくつか傍らに置いて立ち去った。
 そうしてムックルと別れただったが、驚いたのはその数日後に彼が店にやって来たからだ。

「あれっ、あなたこの前のムックルだよね。どうしてここが分かったの?」

 だって、あなたとは森で出会ったのに。花の手入れをする手を止めてが目を丸くしていると、ムックルはくちばしにくわえていた小さなクラボのみをの目の前置いた。

「ええと、これは私に?」

 ムックルが頷くので、はそれを手に取った。
 察するに、この前のお礼、ということなのだろう。随分と律儀なムックルだなあ。そんなことを考えながら、「ありがとう。それにしてもどうやって?」とは尋ねた。
 すると羽づくろいをしていたムックルは、店に並んでいた花をくちばしで指し示した。が頭の上にクエスチョンマークを浮かべると、ムックルは花に近寄って香りを嗅ぐような仕草を見せる。

「……匂い? 花の匂いで?」

 正解だと言うようにムックルは鳴いた。
 羽づくろいを再開したムックルを見つめながらは考える。一日の殆どを花に囲まれて過ごしているから自分では分からないけれど、ポケモンには辿ることが容易いような花の匂いがしたのだろう。だから、ここを突き止められたんだろうな。
 へえ、と感心して頷いたは、「クラボのみ、ありがとうね。せっかくだし育てようかな」と笑った。その言葉に、ムックルも目を細めて笑っているようだった。

 それからというものの、今日のようにムックルはこの花屋に遊びに来るようになった。
 それも遊びに来る内に花屋の定休日、というものを把握したのか、決まった曜日の決まった時間に訪れるのである。


 あの時助けた礼はもうもらったというのに、ムックルは遊びに来る度に何かを持ってくる。
 きのみ、綺麗な小石、小さなほしのかけら、赤や青のかけら。彼が持ってくるものは見たことのあるものもあれば、こんなの一体どこで? なんてものもあるので、はムックルが遊びに来るのは勿論のこと、彼が持ってきてくれるささやかなおみやげも楽しみだった。

 今日ムックルが持ってきてくれたのは、淡いクリーム色をした小さな貝殻だった。この辺りから海まではそれなりの距離があることを考えると、わざわざ探しに行ってくれたのだろう。くちばしにくわえていたそれをレジカウンターの上に置いて、ムックルは羽づくろいを始めた。

「わあ、綺麗な貝殻だね。ありがとう」

 貝殻を手に取ってまじまじと観察する。店の照明にかざすと、貝殻の表面はきらりと光を反射した。

「相変わらず、ムックルは私の見たことのないものを見つけるのが上手だなあ」

 そう言うとムックルが得意げに胸を張ったので、は思わず笑ってしまった。

「あ、そうだ!」

 ふと何かを思い出したは、貝殻をレジカウンターの上に置くと店の奥に向かった。
 店の奥には一つの花瓶があって、そこには一本の花が活けられている。目を引く鮮やかな黄色の、花びらの先が少しカールしている可愛らしい花だ。
 それを手に取ったは、花の茎を丁度いいであろう長さにカットしてムックルの元へと戻った。羽づくろいを終えたらしいムックルのまるい目が、に向けられている。

「はい、今日はこの花。貝殻、ありがとうね」

 はムックルが何かをくれる度に、こうして一輪の花をお礼として渡している。それは以前、ムックルに「いつものプレゼントのお礼がしたい」と伝えたところ、彼が花を欲しがったからだった。
 の差し出した黄色の花をじっと見つめたムックルは、嬉しそうに目を細めるとくちばしで花をくわえた。

「よかったら、また遊びに来て」

 灰色の翼を広げたムックルに声をかける。花をくわえたまま、ムックルは頷いた。
 来た時と同じように窓から滑るように出ていった灰色の後ろ姿を見送って、はそっと微笑んだ。


「……あ!」

 ムックルが飛び立ってすぐ、は店の外に一つだけ、鉢を置いたままにしていたことを思い出した。急いでいたからかすっかり忘れてしまっていたのだ。
 以前片付け忘れたプランターの苗を野生のポケモンに食まれてしまったことがある。また食まれては大変だと、は慌てて鍵を開けると外に出た。


 鉢は最後に見た時のままそこにあった。可愛らしい小さな苗が気持ちよさそうに風に揺れている。大切に育てている苗が無事だったことに安堵して、それを持ち上げたはふと顔を上げた。

「……あれ?」

 つい先ほどムックルが飛び去った方向には森がある。怪我をしていたムックルと出会った森だ。そちらへと目を向けたは、鉢を抱えたまま首を傾げた。
 何故なら森に続く道の先を、一匹の見慣れないポケモンが歩いていたからだ。
 黒と赤の、少し大きなポケモン。それだけならは「見たことのないポケモンだなあ」と思うくらいで別段気に留めることもなかったのだが、問題はそうではなかった。

 何故そのポケモンの手に、がムックルに渡したはずの、少し遠くからでも分かる鮮やかな黄色の花が握られているのか。

「……なんで?」

 眉間にしわを寄せて、は暫し立ち尽くしていた。


 後日調べて分かったことは、あの黒と赤の少し大きなポケモンはゾロアークというポケモンで、いっぺんに大勢の人に幻を見せる――相手を化かす力を持っているポケモンだということだった。

「ゾロアーク、ね」

 次に彼が遊びに来るのはまた一週間後の定休日だ。いつものように窓の前で出迎えて、いつものように挨拶をして。それから「ムックル」では無く「ゾロアーク」と呼んだら彼はきっと「どうして分かったのか」なんて驚くだろう。
 初めてムックルが店を訪れた日に、「どうしてここが分かったの」と、とても驚かされたことを思い出しながらは口元に弧を描く。
 ――ああ、でも。きっと彼はまた何か素敵なおみやげを運んできてくれるだろうから、それまでに黒と赤いからだ、翡翠色の目をした彼に似合う色の花を選んでおこう。自分の選ぶ花の色が、彼に似合うと良いのだけれども。


夏の幻とその色は/20100807
ゾロアーク映画出演おめでとう!

加筆修正/20140818
加筆修正/20211203