Hanada
外ではしとしとと雨が降っている。その静かな雨音を子守唄に、窓際に置かれたクッションの上ではキバゴがくうくうと寝息を立てて昼寝をしている。リビングのテーブルの前に座り、ひたすらノートパソコンのモニターを見詰めているの後姿を、クレッフィは集めたお気に入りの鍵を揺らしながら眺めていた。ノートパソコンのモニターには何やら難しそうな数字とグラフが所狭しと並んでいる。クレッフィにはそれが何なのかはさっぱり分からなかったが、はここの所ずっとそれらと睨み合っては難しい顔をしているのだ。時折溜息を吐いたり、ううんと唸っている様子から何となく切羽詰まっているらしいとクレッフィは思った。



クレッフィがの後姿を眺めてから暫くがした頃だ。の手元にあったペンが肘に当たったのか、ころりと転がるとテーブルから落ちた。それを拾おうとクレッフィが床に落ちたペンに近付くと、もペンを拾おうとして手を伸ばす。その時がクレッフィへと目を向けて大丈夫、ありがとうと笑ったのだが、その顔を見てクレッフィはぎょっとしてしまった。何故なら笑ったの顔色は悪く、目の下にもうっすらと隈が出来ていたのである。クレッフィが驚いた様子に気が付かなかったのか、ペンを拾い上げたは再びノートパソコンへと向かった。クレッフィはそんなのことを暫しじっと見詰めていたが、何かを思いついたかのようにぱっと顔を明るくすると、しゃんしゃんと鍵を鳴らしながらとノートパソコンの間に浮かび上がる。

「こら、クレッフィ。画面が見えないよ」

が少し困ったような顔で言うと、クレッフィは首を傾げた。どうやら退くつもりは無いらしい。いつも大人しくしていて一度も仕事の邪魔をしたことがないのに、今日は一体どうしたのだろうかとも釣られて首を傾げると、クレッフィはしゃんしゃんと鍵を揺らしてにこりと笑う。それから鍵を抱えるようにしている両手を解くと、一つの鍵をするりとテーブルの上に落とした。

クレッフィは鍵を集める習性があるためこの家中の鍵を持ち歩いているが、この小さな銀色の比較的新しい鍵は食器棚の鍵だ。以前、まだ幼かったキバゴが遊んでいる時に食器棚を荒らしたことがあったため、が鍵を取り付けたのである。その食器棚の鍵を急に置かれたは、それを拾い上げるとクレッフィを見つめた。

「食器棚の鍵が、どうかした?」

が尋ねるとクレッフィは漸くとノートパソコンの間から退いて、それから食器棚の前へと移動した。食器棚の鍵を持ったまま、も食器棚の所へと向かう。

「……開けろってこと?」

クレッフィは頷く。クレッフィの意図が掴めないまま、は銀色の小さな鍵を食器棚の扉へと差し込んだ。小さな音を立てて食器棚の扉が開くとクレッフィは何かを探すように上から下まで見回し、そしてある場所に眼を止めた。そしてそのお目当ての物に近付いて、にこれを探していたんだと伝えるようにの顔をじっと見つめる。その視線に気が付いたは、クレッフィの探していた物を手に取った。

「このティーカップがどうしたの?」

それはシックなデザインの、のお気に入りのティーカップだった。クレッフィはの手にあるティーカップを見て何度も頷くと、次に食器棚の引き出しをこつこつと鍵を持ったままの右手で叩いた。はクレッフィの意図を掴むことが出来ず、不思議に思いながらも引き出しをそっと開ける。開いた引き出しの中を覗き込んだクレッフィは、引き出しに入っているある物を見つけるとその上でしゃんしゃんと鍵を鳴らした。

「これ…」

クレッフィに指し示されてが手に取ったのは、紅茶の缶だ。前はよく暇を見つけてはこの紅茶をこのお気に入りのティーカップに淹れて飲んでいたが、最近は仕事尽くめですっかり飲む機会も無くなっていた。がクレッフィに目を向けると、クレッフィは眼を細めてからの周りをくるくると回る。何と無くクレッフィの言いたいことが分かったは、クレッフィを見つめると釣られるように笑った。

「……そうだね、たまには休まないと駄目だよね」

の言葉に何度もクレッフィは頷くと、に早く紅茶を淹れるようにと催促するかの如くキッチンへと移動する。

「クレッフィ、ありがとう」

ここの所仕事ばかりで疲れた顔をしていたが笑うのは久しぶりだ。久しぶりに見たの明るい笑顔にクレッフィは嬉しそうにしゃんしゃんと鍵を揺らして笑う。クレッフィの嬉しそうな姿に顔を更に綻ばせたは、早速紅茶を淹れるべく準備を始めたのだった。



(癒しの鍵/20131027)