進化を遂げる前までは捉えることの出来たあなたの姿を、今はもう捉えることが出来ない。
それが酷くもどかしかった。
の手が、私の頭を何度も何度もゆるゆると撫でている。手のひらから伝わる彼女のぬるい体温は、私の額を伝って全身へ、それからじわじわと浸透し、私のこころをゆっくりとやさしく温めていく。
それが何だかたまらなく心地よくて、私は頭のツノをふるふると動かした。喉も勝手にきゅうきゅうと鳴ってしまう。
ふふ、との嬉しそうに笑う声が聞こえた。続いて、ヌメイル、と私のなまえを呼ぶ声も。出逢った頃よりもずっと大人びた声だ。
私はその声から、何もない真っ暗な世界に「現在」のの姿を想像で描く。髪は伸びていて……、背丈は私よりも大きくて……。
──想像でしか彼女の姿を描けないのは、私が「現在」のの姿を知らないからだ。
何故なら、私のこの目は進化を遂げると同時に退化してしまったのである。
●●●
私とが出逢ったのは、私がまだヌメラだった頃だ。
当時、湿原で暮らしていた私は、毎日をのんびりと平和に過ごしていた。湿った葉っぱの上を這い、雨が降ったらニョロモたちと大合唱をして、気まぐれに泥水の中を転げ回ったり。本当に、平和だった。
けれど、そんなある日のこと。いつものように散歩をしていた私は、誤ってアーボとアーボックの群れの縄張りへと入り込んでしまったことがあった。
そこが群れの縄張りだと知らなかった私は、慌ててその場を離れようとした。しかし、突然縄張りへと入り込んだ上に、のろのろと動く私に腹を立てたアーボック達は、私をあっという間に取り囲んでしまった。
そして、私へと鋭い牙を向けたのだ。
湿原を通る人間たちに「最弱のドラゴンポケモンだ」と言われるだけあって、ヌメラである私はとても非力だった。
アーボック達の攻撃に成す術もなく、ただただ繰り返される攻撃に、震えているだけだった。
やがて私がぐったりとして動かなくなると、群れのリーダーであるアーボックが私の身体を湿原の隅に放り投げた。
放り投げられた泥濘の上で身体中の傷が痛み、更には身体に回った毒がまるで内部から身体を焼いているようで私は呼吸も上手く出来ずにいた。そしてぼんやりとし始めた頭で、ああ私はここで死ぬのだろうと思ったのだ。そうして眼を閉じかけた時、町のある方角から人間がやって来るのが見えた。それから倒れている私に気が付いたその人間は、慌てた様子で駆け寄ると声を掛けてきたのだ。
「あの、あなた、けがをしてるの?」
それが、だった。ミミロルの顔の形のポシェットを肩から提げ、その紐を不安気に握り締めながら私を見つめていた彼女の姿は、今でもはっきりと思い出すことが出来る。そしては私の前にしゃがみ込むと、恐る恐る私に手を伸ばした。しかし身体にの手がそっと触れた途端、私は声にならない悲鳴を上げてしまう。身体中の傷が痛んだのだ。驚いたは目を真ん丸に開くと、慌ててごめんなさいと謝る。そして何かを考え込むような素振りを見せた後、ぱっと顔を輝かせるとポシェットを開けた。
「……そうだ!わたし、いいものもってるの!」
がポシェットから取り出したのはキズぐすりだった。彼女はそれをぎゅうと握り締めると、おとなしくしていてね、と私の身体にキズぐすりを吹き掛ける。キズぐすりは吹き掛けられる度にちくちくと傷に染みたけれども、少しだけ痛みが和らぐのが分かった。しかし、すぐには顔を曇らせた。
「どうしよう、たりない……」
キズぐすり一つで治療するには、私の身体の傷は多すぎたのだ。は泣きそうな顔をすると、私の眼を見つめた。
「ねえ、いたいのがまんできる?」
身体中に回り、焼くような痛みを連れる毒で私の意識はもうほとんど薄れていた。それでも辛うじて頷いて見せる。何故かこの時、私はのことなど何一つ知らないと言うのに、この子ならきっと私を救ってくれるだろうと思ったのだ。
「わたし、がんばる。だから、いっしょにがんばって」
意識を手放す前、最後に聞いたのはのその言葉だった。
そして私はの手によってポケモンセンターへと運び込まれ、一命をとりとめた。あと少しでも遅れていたら危なかったのだということを教えてくれたのは、泥と落ち葉と汚れだらけになっただ。どうして彼女がそんな格好になっていたかというと、はぼろぼろになった私を抱えて近くの町まで走ってくれたのである。私が倒れていた湿原の場所は町の傍だったとは言えど泥濘だらけで足場が悪く、その途中で転んだりもしたらしい。そのための膝小僧は擦り剥けてしまっていたが、私の身体にアーボックによる傷以外が無かったのは、彼女が転んだりしても私を庇ってくれたからだ。
「急いでいたとは言え、走ってヌメラの身体を下手に動かしたら余計に毒が回っちゃうのにね。私、あの時湿原にポケモンを捕まえに来てたから、空っぽのボールを一つ持ってたの。気が動転しちゃってすっかり忘れていたけれど……だからそれに入れて運んであげれば良かったのにって後から思ったよ」
は私がヌメイルに進化した時、ふとした拍子に始まった思い出話の合間にそう言ったけれど、幼い子供にはそんなことは勿論分からないだろうし、何より彼女が私を助けようと一生懸命になってくれたことが嬉しかったので、それを聞いた時に私は笑った。私の笑い声に、も困ったように笑い声を漏らしたのを覚えている。
とにかくそうして一命をとりとめた私は、のポケモンとして暮らすことになったのだ。それからの毎日はポフレという甘いお菓子を食べたり、一緒に泥だらけになって遊んでの母親に呆れられたり、野生のポケモンとバトルをしてみたりと毎日が目新しいことの連続で、私はずっと笑っていた気がする。との毎日が楽しいからというのはもちろんのこと、何より彼女のきらきらと輝く笑顔を見る度に、私も釣られてふにゃりと笑ってしまうのだ。
しかし野生のポケモンとのバトルを重ねていくうちに少しずつ私は成長をし、ある時遂に進化を遂げる。幼かったも随分と大人び、私を連れて旅に出るようになり、泥だらけになって遊ぶことが無くなってから大分時間が過ぎた日だった。
この時の、眩い光に包まれる私を驚きと感動に満ちた瞳で見つめていたの顔は今でも鮮明に覚えている。それと同時に、私の中でのの姿の成長はこの時のまま止まってしまった。──身体が燃えるように熱く、底知れない力が沸き上がるのを感じて次に眼を開けた時、私の視界は真っ暗になっていたのである。
突然見えなくなってしまった視界にパニックを起こした私がわあわあと騒ぐと、慌ててが私の身体に抱きついた。
「ヌメラ!……じゃなくて、ヌメイル、どうしたの!?」
の声に少しだけ落ち着きを取り戻した私が辺りを見回すように首を動かすと、彼女は私の様子がおかしいことに気が付いたらしい。少しの間を置いてからは、もしかして見えないの、と僅かに震える声で尋ねた。それに私が頷くとは驚いた声を上げ、慌ててボールに私を戻してポケモンセンターへと向かったのだ。ヌメラが進化を遂げてヌメイルへと成長すると視覚器官が退化してしまうんです、とジョーイさんから説明を受けたは、私の身体に異常がないことに安堵した反面、どこか少し悲しそうだった。
せっかくヌメラと色んな所を見たいねって旅に出たのに、これじゃあ私ばかり色んなものを見ちゃって申し訳ないというか……、そうはその日の夜こぼしたが、私は努めて明るく笑った。と同じものを見れなくなることは残念だし悲しかったけれども、強くなった分彼女の力になれると思ったのだ。するとそんな私の様子を見たは、私の頭をゆるりと撫でた。
「せっかく進化できたのに、暗いことを言ってごめんね。ヌメイルに進化したんだから、次はヌメルゴンに進化すれば良いんだもんね!」
らしい前向きな発言に私が何度も頷くと、彼女がふふ、と笑い声を漏らしたのが聞こえた。そしての笑顔は見えないが、私もいつものように釣られて笑ったのだった。
退化した視界を補うように、私の角はレーダーのように辺りの空気を察知することが得意になった。の行動による僅かな空気の流れを拾うことが出来るので、彼女がどの辺りにいるのかも分かるし、笑っているのかも、悲しんでいるのかも分かるのだ。
視界を失ってもとの旅に大した支障は無かったけれど、ただ一つ残念なことは彼女の姿を捉えることが出来ないことだった。私の中でのの姿は、進化を遂げたあの日のままなのだ。だから、私は早くもう一度進化を遂げたかった。想像での姿を描くのでは無く、この眼で彼女の姿を見たかったのである。
「……ヌメイル、ヌメイル」
に揺すられてはっとすると、彼女がくすくすと笑った。どうやらに甘えながらいつの間にか昼寝をしてしまっていたらしい。と出逢った時の懐かしい夢を見たなあと首を捻ると、彼女はどうしたのかと尋ねた。それに対して私は何でも無いのだと首を振る。
「それなら良いけれど」
彼女が不思議そうに首を傾げたのが分かったので、私はの腕に擦り寄った。は私の身体を引き寄せると、優しい手付きで首を撫でる。こうしていたらまた眠ってしまいそうだ。そう思いながら私は欠伸を一つ溢したのだった。
●●●
その日はと旅を続けて、一度私の故郷でもある湿原に帰って来た日だった。雨が降る中、何一つ変わらない懐かしい空気を私はボールの中で敏感に感じ取る。ここでと出逢ったんだよね、そう思うと彼女も同じことを口にした。
「ここでヌメラだったヌメイルと出逢ったんだよね。懐かしいや」
何だか心が通じあっているのを実感して、思わず私はボールをガタガタと揺らす。するとは私をボールから出した。
「どう?懐かしい?」
差し出された手のひらに頬を寄せ、私はきゅう、と喉を鳴らしながら頷いた。それにが笑ったのを空気で感じながら、私ははっと顔を上げる。どうしたのかと尋ねるを他所に、私は角を頻りに動かした。何だかとても嫌な気配がしたのだ。この気配を、私は知っている。
「あ……!」
が声を上げる。鋭い威嚇音に、するすると叢の間を掻き分けるような音。これは間違いなく、アーボックだ。
「ヌメイル、りゅうのはどう!」
の指示を聞きながら、私は角でアーボックのおおよその位置を探る。右方向、岩と叢の陰だ。そこへ向けて技を撃つと、アーボックが唸る声が聞こえた。
「ヌメイル、アーボックがそのまま向かってきてるからね!……だくりゅう!」
の言う通りアーボックはそのまま真っ直ぐに私へと向かって来たようなので、私はそれを押し流すようにだくりゅうを起こした。湿原の濁った泥水に勢いよく押し流されたアーボックは、大きな岩に身体を叩き付けると眼を回す。
「び、びっくりした……!ヌメイル、ありがとう!」
アーボックが眼を回したのを確認したはそう言って駆け寄ると、私の身体を抱き締める。その心地好さに眼を閉じると、私は急に身体が熱く燃えるようになるのを感じた。この底知れない力が沸き上がるような感覚は、覚えがある。私はへと顔を向けた。彼女も今から何が起こるのか分かったようで、泣きそうなのが分かる。
「ヌメイ、ル……」
感極まって上手く言葉に出来ないのか、の私を呼ぶ声は少し頼り無いものだった。それに私はいつものように笑ってみせる。するとも、それに釣られて笑った。
──ねえ、と旅を続けて色んなことがあったけれど、ここまで胸が一杯になったのは初めてかもしれない。だって漸く、大好きな、かけがえのないパートナーであるあなたの今の姿を見ることが出来るのだから。 この進化を遂げた時、は一体どんな顔をしているのだろう。笑っているのかな、泣いているのかな。そして真っ暗だった世界が光を取り戻したら、どれ程眩しいことだろう。ああでも先ずは進化を遂げた身体で、ありがとうという言葉の代わりに、あなたのことを抱き締めたいや。
そう、たくさんの希望と思いを胸に抱きながら、私は自分の身体を包む温かな光に身を任せたのだ。
(私の知らない君に会いたい/20141126)
それが酷くもどかしかった。
の手が、私の頭を何度も何度もゆるゆると撫でている。手のひらから伝わる彼女のぬるい体温は、私の額を伝って全身へ、それからじわじわと浸透し、私のこころをゆっくりとやさしく温めていく。
それが何だかたまらなく心地よくて、私は頭のツノをふるふると動かした。喉も勝手にきゅうきゅうと鳴ってしまう。
ふふ、との嬉しそうに笑う声が聞こえた。続いて、ヌメイル、と私のなまえを呼ぶ声も。出逢った頃よりもずっと大人びた声だ。
私はその声から、何もない真っ暗な世界に「現在」のの姿を想像で描く。髪は伸びていて……、背丈は私よりも大きくて……。
──想像でしか彼女の姿を描けないのは、私が「現在」のの姿を知らないからだ。
何故なら、私のこの目は進化を遂げると同時に退化してしまったのである。
私とが出逢ったのは、私がまだヌメラだった頃だ。
当時、湿原で暮らしていた私は、毎日をのんびりと平和に過ごしていた。湿った葉っぱの上を這い、雨が降ったらニョロモたちと大合唱をして、気まぐれに泥水の中を転げ回ったり。本当に、平和だった。
けれど、そんなある日のこと。いつものように散歩をしていた私は、誤ってアーボとアーボックの群れの縄張りへと入り込んでしまったことがあった。
そこが群れの縄張りだと知らなかった私は、慌ててその場を離れようとした。しかし、突然縄張りへと入り込んだ上に、のろのろと動く私に腹を立てたアーボック達は、私をあっという間に取り囲んでしまった。
そして、私へと鋭い牙を向けたのだ。
湿原を通る人間たちに「最弱のドラゴンポケモンだ」と言われるだけあって、ヌメラである私はとても非力だった。
アーボック達の攻撃に成す術もなく、ただただ繰り返される攻撃に、震えているだけだった。
やがて私がぐったりとして動かなくなると、群れのリーダーであるアーボックが私の身体を湿原の隅に放り投げた。
放り投げられた泥濘の上で身体中の傷が痛み、更には身体に回った毒がまるで内部から身体を焼いているようで私は呼吸も上手く出来ずにいた。そしてぼんやりとし始めた頭で、ああ私はここで死ぬのだろうと思ったのだ。そうして眼を閉じかけた時、町のある方角から人間がやって来るのが見えた。それから倒れている私に気が付いたその人間は、慌てた様子で駆け寄ると声を掛けてきたのだ。
「あの、あなた、けがをしてるの?」
それが、だった。ミミロルの顔の形のポシェットを肩から提げ、その紐を不安気に握り締めながら私を見つめていた彼女の姿は、今でもはっきりと思い出すことが出来る。そしては私の前にしゃがみ込むと、恐る恐る私に手を伸ばした。しかし身体にの手がそっと触れた途端、私は声にならない悲鳴を上げてしまう。身体中の傷が痛んだのだ。驚いたは目を真ん丸に開くと、慌ててごめんなさいと謝る。そして何かを考え込むような素振りを見せた後、ぱっと顔を輝かせるとポシェットを開けた。
「……そうだ!わたし、いいものもってるの!」
がポシェットから取り出したのはキズぐすりだった。彼女はそれをぎゅうと握り締めると、おとなしくしていてね、と私の身体にキズぐすりを吹き掛ける。キズぐすりは吹き掛けられる度にちくちくと傷に染みたけれども、少しだけ痛みが和らぐのが分かった。しかし、すぐには顔を曇らせた。
「どうしよう、たりない……」
キズぐすり一つで治療するには、私の身体の傷は多すぎたのだ。は泣きそうな顔をすると、私の眼を見つめた。
「ねえ、いたいのがまんできる?」
身体中に回り、焼くような痛みを連れる毒で私の意識はもうほとんど薄れていた。それでも辛うじて頷いて見せる。何故かこの時、私はのことなど何一つ知らないと言うのに、この子ならきっと私を救ってくれるだろうと思ったのだ。
「わたし、がんばる。だから、いっしょにがんばって」
意識を手放す前、最後に聞いたのはのその言葉だった。
そして私はの手によってポケモンセンターへと運び込まれ、一命をとりとめた。あと少しでも遅れていたら危なかったのだということを教えてくれたのは、泥と落ち葉と汚れだらけになっただ。どうして彼女がそんな格好になっていたかというと、はぼろぼろになった私を抱えて近くの町まで走ってくれたのである。私が倒れていた湿原の場所は町の傍だったとは言えど泥濘だらけで足場が悪く、その途中で転んだりもしたらしい。そのための膝小僧は擦り剥けてしまっていたが、私の身体にアーボックによる傷以外が無かったのは、彼女が転んだりしても私を庇ってくれたからだ。
「急いでいたとは言え、走ってヌメラの身体を下手に動かしたら余計に毒が回っちゃうのにね。私、あの時湿原にポケモンを捕まえに来てたから、空っぽのボールを一つ持ってたの。気が動転しちゃってすっかり忘れていたけれど……だからそれに入れて運んであげれば良かったのにって後から思ったよ」
は私がヌメイルに進化した時、ふとした拍子に始まった思い出話の合間にそう言ったけれど、幼い子供にはそんなことは勿論分からないだろうし、何より彼女が私を助けようと一生懸命になってくれたことが嬉しかったので、それを聞いた時に私は笑った。私の笑い声に、も困ったように笑い声を漏らしたのを覚えている。
とにかくそうして一命をとりとめた私は、のポケモンとして暮らすことになったのだ。それからの毎日はポフレという甘いお菓子を食べたり、一緒に泥だらけになって遊んでの母親に呆れられたり、野生のポケモンとバトルをしてみたりと毎日が目新しいことの連続で、私はずっと笑っていた気がする。との毎日が楽しいからというのはもちろんのこと、何より彼女のきらきらと輝く笑顔を見る度に、私も釣られてふにゃりと笑ってしまうのだ。
しかし野生のポケモンとのバトルを重ねていくうちに少しずつ私は成長をし、ある時遂に進化を遂げる。幼かったも随分と大人び、私を連れて旅に出るようになり、泥だらけになって遊ぶことが無くなってから大分時間が過ぎた日だった。
この時の、眩い光に包まれる私を驚きと感動に満ちた瞳で見つめていたの顔は今でも鮮明に覚えている。それと同時に、私の中でのの姿の成長はこの時のまま止まってしまった。──身体が燃えるように熱く、底知れない力が沸き上がるのを感じて次に眼を開けた時、私の視界は真っ暗になっていたのである。
突然見えなくなってしまった視界にパニックを起こした私がわあわあと騒ぐと、慌ててが私の身体に抱きついた。
「ヌメラ!……じゃなくて、ヌメイル、どうしたの!?」
の声に少しだけ落ち着きを取り戻した私が辺りを見回すように首を動かすと、彼女は私の様子がおかしいことに気が付いたらしい。少しの間を置いてからは、もしかして見えないの、と僅かに震える声で尋ねた。それに私が頷くとは驚いた声を上げ、慌ててボールに私を戻してポケモンセンターへと向かったのだ。ヌメラが進化を遂げてヌメイルへと成長すると視覚器官が退化してしまうんです、とジョーイさんから説明を受けたは、私の身体に異常がないことに安堵した反面、どこか少し悲しそうだった。
せっかくヌメラと色んな所を見たいねって旅に出たのに、これじゃあ私ばかり色んなものを見ちゃって申し訳ないというか……、そうはその日の夜こぼしたが、私は努めて明るく笑った。と同じものを見れなくなることは残念だし悲しかったけれども、強くなった分彼女の力になれると思ったのだ。するとそんな私の様子を見たは、私の頭をゆるりと撫でた。
「せっかく進化できたのに、暗いことを言ってごめんね。ヌメイルに進化したんだから、次はヌメルゴンに進化すれば良いんだもんね!」
らしい前向きな発言に私が何度も頷くと、彼女がふふ、と笑い声を漏らしたのが聞こえた。そしての笑顔は見えないが、私もいつものように釣られて笑ったのだった。
退化した視界を補うように、私の角はレーダーのように辺りの空気を察知することが得意になった。の行動による僅かな空気の流れを拾うことが出来るので、彼女がどの辺りにいるのかも分かるし、笑っているのかも、悲しんでいるのかも分かるのだ。
視界を失ってもとの旅に大した支障は無かったけれど、ただ一つ残念なことは彼女の姿を捉えることが出来ないことだった。私の中でのの姿は、進化を遂げたあの日のままなのだ。だから、私は早くもう一度進化を遂げたかった。想像での姿を描くのでは無く、この眼で彼女の姿を見たかったのである。
「……ヌメイル、ヌメイル」
に揺すられてはっとすると、彼女がくすくすと笑った。どうやらに甘えながらいつの間にか昼寝をしてしまっていたらしい。と出逢った時の懐かしい夢を見たなあと首を捻ると、彼女はどうしたのかと尋ねた。それに対して私は何でも無いのだと首を振る。
「それなら良いけれど」
彼女が不思議そうに首を傾げたのが分かったので、私はの腕に擦り寄った。は私の身体を引き寄せると、優しい手付きで首を撫でる。こうしていたらまた眠ってしまいそうだ。そう思いながら私は欠伸を一つ溢したのだった。
その日はと旅を続けて、一度私の故郷でもある湿原に帰って来た日だった。雨が降る中、何一つ変わらない懐かしい空気を私はボールの中で敏感に感じ取る。ここでと出逢ったんだよね、そう思うと彼女も同じことを口にした。
「ここでヌメラだったヌメイルと出逢ったんだよね。懐かしいや」
何だか心が通じあっているのを実感して、思わず私はボールをガタガタと揺らす。するとは私をボールから出した。
「どう?懐かしい?」
差し出された手のひらに頬を寄せ、私はきゅう、と喉を鳴らしながら頷いた。それにが笑ったのを空気で感じながら、私ははっと顔を上げる。どうしたのかと尋ねるを他所に、私は角を頻りに動かした。何だかとても嫌な気配がしたのだ。この気配を、私は知っている。
「あ……!」
が声を上げる。鋭い威嚇音に、するすると叢の間を掻き分けるような音。これは間違いなく、アーボックだ。
「ヌメイル、りゅうのはどう!」
の指示を聞きながら、私は角でアーボックのおおよその位置を探る。右方向、岩と叢の陰だ。そこへ向けて技を撃つと、アーボックが唸る声が聞こえた。
「ヌメイル、アーボックがそのまま向かってきてるからね!……だくりゅう!」
の言う通りアーボックはそのまま真っ直ぐに私へと向かって来たようなので、私はそれを押し流すようにだくりゅうを起こした。湿原の濁った泥水に勢いよく押し流されたアーボックは、大きな岩に身体を叩き付けると眼を回す。
「び、びっくりした……!ヌメイル、ありがとう!」
アーボックが眼を回したのを確認したはそう言って駆け寄ると、私の身体を抱き締める。その心地好さに眼を閉じると、私は急に身体が熱く燃えるようになるのを感じた。この底知れない力が沸き上がるような感覚は、覚えがある。私はへと顔を向けた。彼女も今から何が起こるのか分かったようで、泣きそうなのが分かる。
「ヌメイ、ル……」
感極まって上手く言葉に出来ないのか、の私を呼ぶ声は少し頼り無いものだった。それに私はいつものように笑ってみせる。するとも、それに釣られて笑った。
──ねえ、と旅を続けて色んなことがあったけれど、ここまで胸が一杯になったのは初めてかもしれない。だって漸く、大好きな、かけがえのないパートナーであるあなたの今の姿を見ることが出来るのだから。 この進化を遂げた時、は一体どんな顔をしているのだろう。笑っているのかな、泣いているのかな。そして真っ暗だった世界が光を取り戻したら、どれ程眩しいことだろう。ああでも先ずは進化を遂げた身体で、ありがとうという言葉の代わりに、あなたのことを抱き締めたいや。
そう、たくさんの希望と思いを胸に抱きながら、私は自分の身体を包む温かな光に身を任せたのだ。
(私の知らない君に会いたい/20141126)