Hanada
 何年も前は真っ白だったはずの入り口の柱はすっかり錆色を纏ってしまっている。
 狭い町の隅にひっそりと佇むその植物園は、狭い町にあるわりには広く、その上入場料も無料だ。しかし特に目新しさが無い為か、普段から殆ど客がいないので、どうして未だに何年も潰れずにいるのか少し不思議な程であった。

 一人その植物園の入り口の前に立っていたは、錆色の入り口の柱を横目に見ると、昔はもう少しお客さんもいたんだけどな、などと思いつつ植物園へと足を踏み入れる。

 植物園の外観は昔に比べてすっかり寂れた雰囲気を醸し出しているというのに、中は昔から変わらず鮮やかだった。
 小さな色とりどりの花が咲き、その上をひらひらと優雅にバタフリーとアゲハントが踊っている。近くの大きな葉の傍では、ポポッコやキレイハナが気持ち良さそうにガラスの天井から降り注ぐ陽の光を浴びて、うっとりと眼を閉じているのが見えた。

 鮮やかなそれらの様子に暫くの間は見惚れていたが、はっとした後に少し悩んでから、植物園の奥にある「熱帯雨林の植物」コーナーへと向かった。



 先程の開放的な空気とは違い、少しじめじめとして薄暗いその場所の一番奥に、は一直線に向かう。そして数匹で固まるようにしてじっとしているラフレシアやウツボットの近くを通り過ぎると、更にその奥の場所で漸くお目当ての姿を見付けることが出来た。

「メガニウム。見付けた」

 大きなシダの葉と葉の間から、見慣れた若葉色の体が覗いている。短めの尻尾がぴこぴこと微かに揺れているのが可笑しくて、はくすりと笑い声を漏らした。

 するとその笑い声が耳に届いたのか、メガニウムはゆっくりとその場で体の向きを変え、シダの葉の間からひょこりと顔を出した。その顔は何だか機嫌が良さそうに見える。

「もう!いっつも勝手にいなくなっちゃうんだから。そんなにかくれんぼが好きなの?」

 視線を合わせるように首を垂れたメガニウムの顔を、両手で包み込んでが笑うと、メガニウムは眼を閉じて楽しそうに鳴いた。そしての両手からするりと抜け出すと、二、三度程の頬にメガニウムは自分の頬を擦り寄せる。

「ふふ。ほら、帰るよ」

 メガニウムの首に手を滑らせ、そう告げてが歩き出すと、メガニウムはその隣に並ぶようにして歩き出した。



 広い植物園の奥、メガニウムはと並んで出口へと向かいながら、ちらりとの横顔を盗み見た。するとすぐにその視線に気が付いたのか、はメガニウムへと目を向ける。

「なあに、どうしたの?」

 その問いかけに、メガニウムはううん、と首を振った。特に盗み見たことに意味は無かったのだ。メガニウムが首を振ったのを見たは、そう、と笑って再び前を向く。それに釣られるようにメガニウムも前を向いたが、熱帯雨林の植物のコーナーを抜けた時、また、の横顔をそっと見つめた。

 するとやはりは直ぐにその視線に気が付いて、首を傾げた。

 「……何かついてる?」

 木の葉でもついていると勘違いしたのか、は確かめるように髪に触れた。違う違う、とメガニウムが先程のように首を振ると、は不思議そうな表情を浮かべる。

 「あまり見るから、何かあるのかなって思っちゃった」

メガニウムは幸せそうに笑って首を振る。

 「そう?ならいいのだけど」

 メガニウムが首を振ったことにほっとしたように、も微笑んだ。そうして二人が並んでバタフリーやアゲハントの群れが飛び交う、鮮やかな花たちが咲く植物園の入り口付近にまで戻ってきた頃、メガニウムは少し昔のことを思い出していた。



メガニウムが進化を遂げておらず、の手持ちにもなっていない野生のチコリータだった頃、チコリータはたくさんの花の香りと美しく舞うバタフリーの群れに惹かれるようにしてこの植物園に迷い込んでしまったことがあった。

 最初はその見るもの全ての珍しさを楽しんでいたのだが、徐々に植物園の奥へと迷い込んでしまい、気がついたときには出口が分からなくなってしまっていた。その上植物園の奥はあの熱帯雨林のコーナーで、まだ小さいチコリータにとってじめじめとしたあの薄暗い場所や、周りにいるウツボットやラフレシアといった自身よりも何倍も大きなポケモン達は恐ろしく、体を隠してくれる大きなシダの葉の陰に逃げ込むと、そこから動けなくなってしまったのである。

 そうしてシダの葉の陰で震えていたチコリータだったが、暫くすると誰かが近付いてくる足音が聞こえた。その足音はシダの葉の陰に隠れているチコリータの元へと真っ直ぐに向かってくる。そしてチコリータのいる場所の眼の前でぴたりと足を止めると、その足音の主はシダの葉を掻き分けたのだ。

「ねえ、こんな所でどうしたの?」

 そう言って震える体を優しく抱き上げたのが、だった。

「迷子?」

 チコリータは恐る恐る頷く。するとは優しく笑い、チコリータの不安を拭い去るように優しく体を抱きしめた。

「そう、それは大変だね。……よし、一緒に帰ろうか」

 に抱きしめられた時から、不思議とチコリータの体の震えは止まっていた。それどころか、あんなに恐ろしく見えたこの空間さえ、なんてことはないもののように思える。これは一体どうしたことだろう、そう考えたチコリータが自分の体を抱き上げるを見上げると、同じようにチコリータに目を向けたと丁度視線がぶつかった。

 まさか眼が合うと思わなかったチコリータは、慌てて眼を逸らす。それから少しの間を置いてもう一度見上げると、やはり同じタイミングでチコリータの様子を伺おうとしたと眼が合った。それに更に驚いてもう一度眼を逸らすと、息がぴったりだね、と笑うの声が聞こえ、チコリータも釣られて笑ってしまったのだった。

 そうして植物園から無事帰ることのできたチコリータが、そのまま帰ろうとするを引き止めて手持ちになったのである。



「ねえ。今度さ、隣街にできたっていうショッピングモールにでも行ってみない?すっごく大きいみたいだよ。ポケモン用のお菓子とかも、たくさん売ってるみたい」

の声に昔の思い出から引き戻されたメガニウムは、へ眼を向けると頷いた。それから、ああでも、と付け足された言葉に首を傾げる。

「勝手にどこかに行っちゃうのは駄目だからね。もう、探すの大変なんだから」

 メガニウムはその言葉にまた幸せそうに笑った。知らない場所で迷子になるつもりはないけれど、迷子になったとしてもきっとは、今日この植物園にふらりと勝手に遊びに来た時のように、すぐに見つけてくれるはずだからだ。

 そう思うと同時に、メガニウムは胸があたたかい気持ちで満たされるのを感じた。
 例えば先程のようにふと眼を向けて、すぐに視線が交わる時。どこにいたってまっすぐに自分のことを見つけてくれる時。それら一つ一つのことに、メガニウムは二人の間にある確かな絆や、言いようのない幸せを感じるのだ。



しあわせがそこにある/0416提出
企画サイト「二人の足跡」に提出したお話です。