Hanada
 この状況を一言で片付けるのなら、そう、最悪だ。
 場所は草木だらけの森の中。手持ちで戦う元気のある子は一匹だけ。それも体力は残り半分ほど。水タイプのポケモンで、旅立ちの時からずっと一緒だった相棒のインテレオン。対して、敵は地の利がある草タイプのポケモン、ゴリランダー。
 ゴリランダーといえば、性質は争い事を好まず温厚、グループの調和を重んじるポケモンだ。だというのに、今の私達はカンカンに怒ったゴリランダーに追い回されている。

「はーっ……。ごめんね、インテレオン。私のせいで……。傷は大丈夫? 痛まない?」

 倒れた巨木の陰に二人肩を寄せ合い身を潜め、私はインテレオンに小さな声で話しかける。警戒を緩めることなく辺りの様子を探っていたインテレオンは、鋭い眼光をほんの少しだけ和らげると、「大丈夫だから気にするな」と言うかのように私の頭をわしわしと撫でた。
 一体どちらがトレーナーなんだか。自分の頼りなさを心の中で嘆きながら、私は事の発端を思い返していた。



 次の街へ向かう道中、何人ものトレーナーに続けざまに勝負を挑まれたこともあり、大量に買い込んだはずのきずぐすりは尽きていた。手持ちのみんなもいくらバトルが好きとは言え、さすがに疲弊しているのが分かる。

 生憎目的地へはまだまだ着きそうにないので、安全な場所でテントを張り、休憩をとろうと考える。
 そうと決まれば行動は早い。近くに草むらもなく、トレーナーもいない開けた場所を見つけると、背から荷物を下ろす。
 しかし、いざキャンプセットを広げようとした時に、私はあることに気が付いた。

「……困ったな」

 開きかけのキャンプセットを前にううんと唸っていると、その様子を伺っていたのであろうインテレオンが、ボールから飛び出した。すらりとした二本の足で隣に立つと、どうしたのかと尋ねるように私の顔を覗き込む。

「……カレーに入れるきのみが全然ないや」

 目の前の黄色い瞳を見つめながら、やけに軽い鞄の口を開き、肩を竦める。みんなの元気が出るような美味しいカレーを作るにはきのみの存在が必要不可欠だ。だというのに、バトルに夢中になりすぎた私は鞄の中のきのみを入れるスペースが空っぽだったのをすっかり忘れていたのだ。
 悲しいほどに何もないそこを覗いたインテレオンが、なるほどと頷く。

「近くにきのみの成る木は見当たらないし……」

 インテレオンは腕を組むと、何かを考えるような素振りを見せた。続けてひくりと鼻を動かすと、辺りを見回し、ある一点に目を留める。その視線の先を辿ると、少し離れた場所に広がる森が見えた。あれだけ大きな森ならば、きのみはたくさん集めることができるだろう。けれど、今、戦えるのはインテレオンだけなのだ。

 きのみはほしい。けれど、戦えるのはインテレオンだけ。どうしたものか、不安に思いながらインテレオンの顔を見る。彼は、「行くだろう?」と言うかのようににやりと笑った。
 


 インテレオンの強さを一番よく知っているのは、当然私だ。恐らくこの辺りの野生のポケモンが相手なら敵なしだろう。それでも、何度も「万が一何かあったとしたら」と考えた。
 しかし、いざきのみの成る木を見つけたら、そんな不安は何処へやら、私は驚き、はしゃいでいた。

 オレン、モモン、ウイ、タポルにネコブ。それから少し珍しいウタンにハバン、リュガとヤタピ。木の幹を両手でしっかり掴んで揺らすと、その度に艶やかで食べ頃のお宝が降ってくる。
 これならある程度ホシガリスやチェリンボにきのみを持っていかれたって余るくらい。そんなことを考えながら、無心できのみを集めていく。
 
 やはりと言うべきか、時折木の上からきのみと一緒にホシガリスが落ちてくるが、その都度インテレオンが手際よく追い払ってくれるお陰で、あっという間に必要な数以上のきのみを集めることができた。

「よし。これくらいで充分かな。……そろそろ戻ろうか」

 近くの木に背を預け、採れ立てのオレンの実を齧っていたインテレオンに声を掛けると、最後の一欠片を飲み込んだ彼が頷いた。


 二人並んで、元来た道を辿る。生い茂る草むらからはヒメンカやアママイコといった野生のポケモンが飛び出すものの、殆どのポケモンは好戦的でないらしく、自身よりもレベルが高いのであろうインテレオンの存在に気が付くと、慌てた様子で姿を消していった。

 何匹目になるか分からない野生のポケモンの背を見送りながら、体力の消耗を避けられるのはありがたいな、などとぼんやり考えていると、不意にインテレオンがぴたりと足を止めた。

「……どうかした?」

 水色の横顔を見上げて尋ねると、彼は「静かに」と私の動きを制する。インテレオンの視線の先を見遣ると、前方の草むらが僅かに揺れていた。
 どうしたものかと身構えて、そのまま待つこと数秒。そこからひょっこりと一匹のサルノリが姿を現した。きょろきょろと辺りを見回したサルノリは、こちらに気が付くと驚いた顔で「ぎゃっ」と短い声をあげる。

「……バトルにはならなさそう……かな?」

 サルノリを眺めていた私の言葉に、警戒は解かないもののインテレオンも頷いた。好戦的なポケモンならとうに飛び掛かって来ていてもおかしくはないけれど、サルノリはこちらを興味深そうに見つめ、鳴き声をあげるだけなのだ。
 それならばこのまま素通りしてしまおうと、インテレオンの腕を掴んで歩き出す。

 サルノリが動いたのは、その時だった。

「あっ、こらっ! ちょっと!」

 目の前を通り抜ける瞬間、サルノリが突如駆け出したかと思うと、勢いよく私の足にしがみついたのだ。まさか接触されるとは思わなくて、油断していた私とインテレオンはぎょっとする。
 そんな私達を他所に、ひくひくと鼻を動かしたサルノリは私の足を器用に登り、今しがた収穫したきのみの入った鞄に手を伸ばした。

 サルノリが鞄からきのみを奪うより先に、インテレオンが淡い緑色の体をつまみ上げる。しかしサルノリは私の肩にかけられた鞄の紐を離すまいと掴み、ぎゃんぎゃんと鳴き声をあげた。
 数分の攻防の末、私は口を開いた。けれど。離して、の言葉が出てこなかったのは、このサルノリが出てきた草むらが、先程よりも大きく揺れたからだ。


 ずしりと重い音を立て、サルノリの何倍も大きいポケモンがゆっくりと姿を現す。切り株でできたドラムを担ぎ、こちらをじっと見据える筋骨隆々のそのポケモンは、ゴリランダーだった。

「インテレオン……」

 不安を隠しきれない声で相棒の名を呼ぶと、サルノリの背から手を離したインテレオンが、私をゴリランダーから庇うように間に立った。お互いが相手の出方を伺うように睨み合う。

 サルノリという種族は、群れを成して暮らすポケモンだ。あのゴリランダーは群れのリーダーで、ここらは彼らの縄張りだったのだろうか。あの草むらの向こうには、もっとたくさんのサルノリやバチンキーたちがいるのだろうか。
 だとしたら、ここからどうするべきだろう。そんなことを考えていると、突如腕にちくりとした痛みが走った。

「いたっ!」

 対峙していた二匹がこちらを見たのを視界の端で捉えながらも、驚いて腕を振り払い、痛みの走った箇所を見る。すると、そこにはうっすらと引っ掻き傷ができていた。どうやら鞄を手放さない私に痺れを切らしたサルノリが、腕を引っ掻いたらしい。
 一方のサルノリは私が腕を振り払ったことに驚いたらしく、慌てて鞄から手を離すと地面にぽてりと落ちた。

「わっ、わっ!」

 足元に落ちたサルノリに驚き、思わず飛び上がると今度はサルノリが悲鳴を上げる。私が、茶色の尻尾を踏んでしまったのだ。

「あっ……ご、ごめんね。踏むつもりはな……」

 踏むつもりはなかったんだけど。その言葉は最後まで言えなかった。インテレオンが私の体を担ぎ上げるや否や、駆け出したからだ。それと同時に、ゴリランダーが手にしたスティックで切り株ドラムを勢いよく撃ち鳴らす。
 ドン、という雷が落ちたような音が響くと、地面からは何本もの木の根が勢いよく突き出した。


 ゴリランダーはやはり群れのリーダーで、恐らく途中までは私達を完全に敵とまでは見なしていなかった。縄張りだと知らず踏み入ってしまった者ならば、さっさと出ていけと威嚇する程度だったかもしれない。
 けれど、不本意とは言えどサルノリに私が危害を加えてしまったから。彼らの中では私達は明確な敵となってしまったのだ。


 行く先を阻むように地面から突き出す木の根を、インテレオンは私を抱えたまま器用にひょいひょいと避けていく。それでも人を一人抱えたまま全部を避けることは難しく、時折木の根の先がインテレオンの体を掠めた。だというのに彼の表情は涼しげで、真っ直ぐに前を向いている。そこに、出会ったばかりの頃の泣き虫だったメッソンの面影はない。大丈夫かと問おうとしてその顔を見た私は、言葉を飲み込んだ。

 ゴリランダーから距離を取るに連れて木の根が地面から突き出す間隔が開き、また、勢いが落ちていくことに気が付いた私は、一度どこかで体勢を立て直そうとインテレオンに声をかける。
 頷いたインテレオンは、ゴリランダーを十分に引き離したことを確認し、倒れた巨木を見つけると、その陰にするりと滑り込んだのだった。



 とんとん、と肩を叩かれた。インテレオンが私をじっと見つめている。事の発端を思い出しなからここからどうするべきかを考えていたところ、彼に心配をかけてしまったらしい。

「……うん。大丈夫。どうしようかなって考えていたの」

 時折遠くで響く複数の鳴き声は、あのゴリランダーが率いる群れのサルノリたちのものだ。どうやらまだ私達を探しているらしい。

 このままこっそりと森を抜けられればいいけれど、途中で見つかれば再び戦闘になるだろう。数と地の利を考えると、圧倒的にあちらが有利だ。
 ゴリランダーが繰り出す木の根を操る技「ドラムアタック」によって負った、インテレオンの体の傷を改めて見つめる。彼の体にはいくつもの掠り傷がついているというのに、私にある傷といえばサルノリに引っ掛かれた時のものだけだった。それはインテレオンが、私を抱えながら、尚且つ地中から突き出す木の根から庇ってくれたからだ。

 どうしたものかな。と、もう一度思考する。
 無策のまま飛び出して、これ以上インテレオンに負担を掛けるのも、傷を負わせるのも嫌だった。

 インテレオンの体が突然ぴくりと反応を示したのは、それから数分が過ぎた頃だった。
 どうしたのかと声を掛けると、インテレオンが樹の向こう側、森の奥の方を指差した。出来るだけ身を屈め、樹の陰からほんの少しだけ顔を覗かせた私は、思わず「うわっ」と小さく声を上げてしまった。
 何故なら、十数メートル先に見覚えのある大きな姿があったからだ。


 そのままゴリランダーの様子を伺っていた私は、あることに気が付いた。

「……思ったんだけど。木の根を操る技“ドラムアタック”はリーチもあるし、強力だよね」

 私のひそひそ声に、インテレオンが頷く。

「でも、一つ弱点がある。……インテレオンなら出来るって分かってるけど、一応聞くね。ここから、ゴリランダーを正確に狙い撃つことはできる?」

 私の問いかけに、インテレオンは鼻で笑う。ポケモンの言葉は分からないけれど、その顔は確かに当然だろう?と言っていた。

「だよね」

 思わず私は目を細め、にやりと口角を上げる。自信に満ちたこの笑い方は、きっと長いこと一緒に旅をしてきた相棒譲りだ。
 それじゃあお願いがあるんだけど、と切り出して、私はインテレオンに「作戦」を伝えたのだった。


 私たちが身を隠す巨木から十数メートル先にいるゴリランダーは、何となくこちらの気配を感じ取ってはいるものの、正確な位置まではまだ把握できていないようだ。その証拠に、辺りを険しい顔で見回している。サルノリの警戒する声が、絶えることなくこだまする。

 巨木の陰からその様子を伺っていたインテレオンがこちらを見た。私が「いこう」と頷いて合図を送ると、インテレオンはわざと音を立て、勢いよく飛び出す。

 途端に騒がしさを増すサルノリたちの声。
 音がした方へ勢いよく振り向いたゴリランダーは、インテレオンの姿を眼に捉えたようだった。赤く鋭い瞳が丸くなり、また、すぐに細められる。続けて切り株ドラムを素早く背から下ろし、隠し持っていたスティックを握った。その瞬間、私は声を張り上げる。

「……今だよインテレオンっ! ねらいうち!」

 インテレオンが瞬膜を閉じると同時に、十数メートル先のゴリランダー目掛けて指先から一発の水の弾丸を撃ち出す。
 幾重にも重なる木々の枝や葉に当たることなく音速で突き抜けたそれは、ゴリランダーがスティックを振り下ろすよりも先に、見事茶色の指先を弾いた。
 こうかはいまひとつ。だけど、目的はダメージを与えることじゃない。狙いはそう、あの不思議なエネルギーを生み出すスティックだ。弾き飛ばされたスティックはゴリランダーの手を離れ、くるくると宙に舞った。

 ──ドラムアタックという技は、木の根を操って攻撃するためリーチがあり、その上地中からの避け辛い厄介な攻撃だ。
 けれど。技を繰り出す前には必ずあのスティックで、切り株ドラムを叩かなければならない。そうしないと、攻撃に使用できる程にまで草木を活性化させるエネルギーが生まれないからだ。だからあの技を使用させたくなければ、早い話、攻撃に使用するエネルギーを生み出させなければいい。

 僅かな瞬間、ゴリランダーの視線がインテレオンから宙を舞うスティックへ移る。
 その隙を見逃すことなく、インテレオンは持ち前の素早さで目標に急接近すると、その懐に飛び込んだ。空中に放り出された自身の武器を取り戻したゴリランダーが、しまった、と焦った表情を見せる。
 一方のインテレオンは勝利を確信したような、余裕の表情を浮かべ、そして──

「れいとうビーム!」

 目標にゼロ距離からのれいとうビームを撃ち込んだ。



 戦闘不能になったゴリランダーには聞こえていないだろうし、こちらの意思は伝わらないだろうけれど、何度も何度も「すみませんでした」と頭を下げる。
 そうして、何匹ものサルノリやバチンキーたちが樹の陰から不安気に見つめる中、私とインテレオンはそそくさとその場を立ち去ったのだった。




 周囲の安全を確保して、テントを広げ、調理道具を用意して。食材のとくせんりんごと、採れたてのきのみを大量に放り込んだ鍋を丁度良い火加減で加熱しながら、おたまでぐるぐると混ぜる。

 出来上がったあまくちアップルカレーは、我ながらリザードン級の出来映えだ。キャンプで漸く休むことのできた手持ちのみんなも、ポケじゃらしやボールはそっちのけで、鍋の中でぐつぐつと煮えるカレーに釘付けになっている。これは、苦労してきのみを集めた甲斐があった。

 それぞれの食べる量に見合ったお皿にカレーを盛り付けて、全員揃って「いただきます」と手を合わせると、手持ちのみんなは自分のペースで食べ始めた。
 自分の分をよそったお皿を手に、インテレオンの隣に腰を下ろす。彼はすらりと細い体の割に、とてもたくさん食べる。とくせんリンゴのスライスもたっぷりと乗せてあったはずだけど、既に半分は無くなろうとしていた。

「インテレオン、ありがとう」

 それから、お疲れ様。私の声に、インテレオンはカレーを頬張ったままこちらへと振り返り、短い鳴き声を上げる。
 戦闘中に見せるものとは全く正反対のあどけない表情は、旅立ったばかりの日、初めてのキャンプで初めて私が作った下手くそなカレーを頬張って、嬉しそうに顔を綻ばせたメッソン時代の笑顔に重なった。
 あの時のカレーは、忘れもしないドガース級の出来映えだったけれど。

「これからも頼りにしてるよ、相棒」

 冒険が続く限り、今日みたいなピンチに陥ることは何度もあるはずだ。それでも、きっと私たちはどこまでも駆け抜けていける。隣で笑う彼を見ていると、私はそう強く思えるのだ。


(20191211/私たちはどこまでも駆け抜けていける)